チェリッシュxxx 第5章

D 放課後の教室で


「村上さんッ!? 何やってんのッ?」
放課後の教室に1人で残っていたら、五十嵐くんが驚いたような声を上げた。
いつもは放課後、塾や用事のない子が残って文化祭の準備を進めているんだけど、それも大体終わり、あとは明日の前日準備を残すのみになっていた。
だから、今日は珍しくみんな早く帰ったみたいで、教室には誰も残っていなかった。
五十嵐くんは足早にあたしに近づくと、あたしの口からタバコを取り上げた。
「・・・火、ついてないよ?」
と持っていたライターを見せたら、それも引ったくるように取り上げられた。
「―――何の冗談? こんなところ誰かに・・・先生に見つかりでもしたら、注意だけじゃすまないよッ!?」
五十嵐くんが怖い顔をしてあたしを睨む。
あたしはゆっくりと五十嵐くんから視線を外した。
「・・・・・・吸ったら、カッコいいかなぁ・・・、と、思って・・・」
・・・吸ったら、成瀬先生みたいに、大人っぽい、カッコいい女性になれる?
陸がこのタバコ以外吸わないのは、成瀬先生の影響・・・だよね。
それって、やっぱり・・・
―――初めてエッチした人だから?
「陸に、女の抱き方教えたの、あたしだから」
あのときの、渡り廊下での成瀬先生のセリフがよみがえる。
「・・・だ、抱き方って・・・ゲホゲホッ」
吹きかけられた煙に咳き込みながらそう言うと、
「だから、 陸の初エッチの相手なの。 あたし」
とあたしを流し見る。「・・・なんだ。陸ってば、内緒にしてたんだ」
あたしはまだ咳き込みながら成瀬先生を見つめていた。
すごくショックを受けているはずなのに、なんて言っていいのか分からなくて・・・ あたしは先生を見つめることしか出来なかった。
「陸が中3のとき? あたしの部屋で。 夜中にいきなり陸が来て・・・」
「―――いい・・・です・・・ 聞きたく、ありません・・・」
あたしは視線を足元に落とした。
そう?と言って、先生はまたタバコを吸った。
「返してもらうから」
「・・・はい?」
「陸のこと」
え・・・っ?
先生は廊下の手すりにタバコを押し付けて消すと、ポケットから携帯の灰皿を取り出しその中に吸殻を捨てた。
「あのときは、まだ陸も子供だったから、マジメに相手出来なかったけど・・・ この前偶然会ったときすごく大人っぽくなってたから、ビックリしちゃったわよ」
やっぱり、この前、先生が行った商業科のクラスって、陸のクラスだったんだ・・・
「―――キスも上手くなってたし」
思わず先生を見上げる。先生はちょっと首をかしげて笑うと、
「ゴメンね? キスしちゃった」
と言った。「・・・その先、どうしたか、聞きたくない?」
「・・・ない、です」
あたしはそれだけ言うのがやっとだった。
・・・ううん、立っているのだけでやっとだったかも知れない。
―――そのあとは、どうやって先生と別れたのか、どうやって教室に戻ってきたのかも覚えてない・・・
「カッコいいかなぁ? ・・・・・・本気でそんなこと言ってんの?」
五十嵐くんが眉間にしわを寄せる。あたしは黙ったまま自分の足元を見ていた。
五十嵐くんは溜息をつきながら、
「タバコなんて、吸っていい事ひとつもないよ? 大体僕たちまだ未成年じゃない」
「―――陸は吸ってるもん」
こんなのなんの理由にもなってない、ただのヘリクツだって分かっていたけど、やめることが出来なかった。
「―――何? やっぱり、あいつの影響なの?」
五十嵐くんが、さらに眉をひそめる。「・・・女性がタバコ吸うなんて、将来的にも良くないよ?」
あたしは五十嵐くんを睨みつけた。
「将来のことなんか、どーでもいい! あたしは、今が大事なのッ!!」
陸との今が、大事なのに・・・
なのに、陸は2年も前に付き合ってた人のコトいまだに・・・
・・・そーだよね。 良く考えたら・・・ううん、良く考えなくても、あたしが成瀬先生に勝てるとこひとつもないもん。
陸が先生を選んだって、おかしくないよね・・・
・・・ってゆーか、そっちの方が、可能性として、高い・・・
あたしは顔を手で覆った。
「・・・ゴメン、五十嵐くん。怒鳴ったりして・・・ 八つ当たりしちゃった・・・」
「村上さん? ・・・どうしたの?」
五十嵐くんがあたしの隣の席に座った。
手で顔を覆ったまま、
「―――成瀬先生ね・・・ 陸が、初めて・・・エッチした人だった・・・」
「・・・あぁ」
予想していたのか、それとも興味がないのか、五十嵐くんの反応は小さかった。
ちょっとっ!? もっと普通、驚かないっ?
それとも、結構よくある話なの? 初カノが現れるってコト!!
「ねぇ、五十嵐くん? 男の子でも・・・その、特別なのかな?」
「え?」
「女の子は分かるよっ!? は、初めてキスした人とか? 今でも特別だし・・・」
杉田先輩なんか、今でもあたしの中では素敵な先輩だし・・・
・・・そーだよ!
女の子は、キスひとつするにしたって、すっごく大変なことなんだから!
それを陸なんか、ケッコー気軽にしちゃったりするよねっ!?
男の子って、みんなそう?
気持ちより欲求の方が先なのっ!?
「〜〜〜もうっ! 男の子って分かんないッ!! なんであんな簡単にキス出来るのかなぁッ!?」
思わず吐き捨てるようにそう言ったら、五十嵐くんはちょっと怒ったような顔をして、
「いや、男がみんな、あいつと同じだと思って欲しくないんだけど?」
とあたしを上目遣いに睨んだ。
「・・・もう、やだぁ・・・」
また顔を手で覆う。
「村上さん・・・」
五十嵐くんは気を取り直すように、「ってゆーかさ。あいつにとってキスなんて、挨拶みたいなもんじゃない? ホラ、体育祭の騎馬戦の時だってキスしてたし・・・」
・・・・・・そーだった。 思い出したっ!!
「もうっ! 陸のバカ―――っ!!」
「まだちゃんと話してないんでしょ? なんか事情とか?あるかも知れないじゃない。よく聞いて・・・」
「なんかさ」
あたしは五十嵐くんの話を遮って、「なんか五十嵐くん、今日はやけに陸のこと、かばってない?」
「は?」
あたしは顔を上げて、
「いっつも仲悪いじゃん! なのになんで?」
「イヤ? あいつをかばう気はさらさらないけど?」
五十嵐くんが眉間にしわを寄せて、嫌そうな顔をする。
「ううんっ、かばってる! やっぱり同じ男の子だから? 陸と同じ考えっ!?」
「ちょっ・・・! ・・・それだけは否定させて?」
「ふんっだ! もういいよっ! 五十嵐くんなんかっ!!」
・・・なによ・・・ 一緒になって陸の悪口言ってくれると思ったのに・・・!!
五十嵐くんの方を見たら、五十嵐くんは黙ったまま、少し困った顔をして足元に視線を落としていた。
―――五十嵐くん、困った顔してる・・・
面倒なことになってきたな、って顔してる!
なんか、そんな五十嵐くんの顔を見ていたら、もっとイジメたくなってきた。
「ってゆーかさっ! 五十嵐くんだって男の子だもんね! 陸と同じコトしないって限らないよねっ!」
「だからぁっ! それだけは止めてって! あいつと一緒にされたくない!!」
五十嵐くんが大声を出してあたしを睨んだ。
な、なによっ?
あたしも五十嵐くんを睨んで、
「い、一緒だよっ!」
「一緒じゃないっ!!」
しばらく二人で睨み合う。
「〜〜〜もういいっ! 帰るっ」
あたしはカバンを手に立ち上がった。
「僕は・・・ 好きな子としか、しない。 絶対」
五十嵐くんもカバンを肩にかけて立ち上がる。そして、そのままあたしに一歩近づいた。
―――――廊下の外を何人かの生徒が話しながら歩いている。
「おそろいのエプロンは、ピンクにしない?」
「男もかよっ!?」
みんな文化祭の準備で残ってるんだ・・・
「ホラ―――? もう下校時刻になるぞ〜? そろそろ片付けろ―――!?」
先生が遠くで怒鳴る声が聞こえる。
・・・あの声は、川北先生?
相変わらず、声 大きいなぁ・・・
それとは対照的に、静かな教室の中。
あ・・・ この香り、なんだろ?
なんか、ムスク系の・・・ コロン?
五十嵐くんがつけてるのかな・・・・・
―――ふいに、あたしの肩からカバンが滑り落ちた。
それが合図になるように、五十嵐くんがあたしから離れる。
教室に音が戻ってきた。
「・・・カバン、落ちたよ?」
五十嵐くんにそう言われてもあたしがカバンを拾えずにいたら、五十嵐くんがカバンを拾ってくれた。
「―――やっぱり、陸と、同じだ・・・」
声がかすれる。
五十嵐くんはメガネの奥の目を細めて、
「何回も言ってるでしょ? 一緒にしないでって」
「だ、だって・・・」
・・・え?
五十嵐くん、好きな子いるって、言ってなかった?
―――じゃ、なんで・・・?
「聞いてなかったの? 僕は好きな子としか、キスしないって」
そう言いながら五十嵐くんは出入り口の方に向かった。「もう下校時刻だよ? 村上さんも、早く帰ったほうがいいよ」
と言って、五十嵐くんは教室を出ていった。
あたしはその場に固まっていた。
・・・・・・え? なに? 今の・・・
ゆっくりと自分の唇に手をあてた。
―――まだ、五十嵐くんの唇の感触が残っていた・・・


教室の電気もつけずにボーっと椅子に座っていたら、ケータイが鳴りだした。
表示を見たら、陸だった。
『今どこ? もう帰った?』
「まだ・・・ 教室」
『1人? もしかして、まだ文化祭の準備やってんの?』
「やってないけど・・・」
『じゃ、一緒に帰ろ? 今からそっち行く!』
陸が迎えに来て、二人で駅までの道を歩いた。
さっきから陸は、文化祭でやるホストクラブの話をしている。
「でさぁ、廊下に写真貼り出すんだけど、初日のナンバーワンを誰にするかで揉めてさ」
「・・・そー、なんだ」
「ジュンとヒデが、オレだオレだって大揉め! だからオレが間に入ってやったんだよ。・・・おい、ナンバーワンはオレだろって!」
「・・・そー、なんだ」
あたしが相槌を打っていたら、
「結衣? 聞いてる?」
と陸があたしの顔を覗きこんできた。
「・・・え? 聞いてるよ? ・・・さわやかクンと誰かが揉めてるんでしょ?」
「・・・うん」
「帰ろ? 結構暗くなってきたし・・・」
あたしが駅への道を急ごうとしたら、
「・・・なんか、さ。 オレらちょっと、誤解ねぇ?」
陸が立ち止まったままあたしを見つめた。
「え?」
「・・・だから、その・・・亜・・・あの、中学んときのカテキョのコト? 結衣が心配するようなこと、なんもないから! マジで!!」
「あぁ・・・ 別に、気にしてないし・・・」
・・・・・・そうだ、そのこともあったんだ。
一瞬だけ、そのこと、忘れてたよ・・・
―――ていうか、なんか、もう・・・・・・ 色々考えるの疲れた・・・
「―――陸? もう誤魔化さなくていいよ?」
「え?」
「成瀬先生。 陸が初めてエッチした人なんでしょ?」
「なっ!?」
陸が目を見開く。
「タバコもそれしか吸わないのは、先生の影響?」
「ちょ、ちょっと待って!? ・・・誰に聞いた?」
―――・・・認めた!
「誰だっていいじゃんっ!」
陸が慌ててあたしの手を取る。
「あ、あのさ、結衣?」
「また、ヨリ戻すの?」
「は? 何言って・・・」
「先生はそう言ってたよ? そのつもりだって」
「あ、亜矢がっ?」
・・・また、亜矢って呼んだ!
陸があたしの肩をつかんで、自分の方に向かせる。
「ちょ・・・ マジでオレの話聞いて?」
「聞いてるよっ! この前からっ!! でも、陸、ウソついてたじゃん!」
「え?」
「先週の木曜日! 成瀬先生とM駅のスタバの前でキスしてたでしょっ! 見てたんだよっ!!」
「―――ッ!!」
陸が絶句する。
「―――帰る」
あたしは肩に置かれた陸の手を振り払うと、駅に向かって歩き出した。陸が追いかけてきてあたしの腕をつかむ。
「待って!? お願いだから、聞いて?」
あたしは顔を前に向けたまま立ち止まった。
「え・・・、えーと・・・」
呼び止めたくせに、口ごもってその先が続かない陸。「あの・・・」
「あたしっ」
あたしは振り返って陸の顔を正面から見つめた。
「え?」
「あたし・・・ 五十嵐くんと、キスした!」


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