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この華奢な身体のどこに入ったのかと思うくらいの料理を、伊吹くんはあっという間に平らげてしまった。 けれどデザートの杏仁豆腐は、 「甘いのキライ」 と言って椎名さんの方にお皿を滑らせた。 料理も終わり、話も区切りが付いたところで、 「じゃ、そろそろお開きにしようか」 とパパが席を立った。 時計は8時半を指している。 そのまま店の前で別れようとしたら、 「倉本さん」 と伊吹くんに呼ばれた。 あたしとパパが同時に振り向く。 「良かったら、少しお茶してかない?」 伊吹くんがあたしに笑いかける。 「倉本さん」っていうのは、あたしのことを呼んだらしい。 |
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伊吹くんはあたしに笑いかけたあと、パパの方を見た。 パパは笑顔で、 「いいよ。 じゃあお父さんたちは少し飲み直してこようかな」 と肯いた。 お父さん、だって。 いつもは自分のこと、パパって言ってるくせに。 あたしが冷やかすような目線を向けたら、パパは咳払いしながら、 「あ、あんまり遅くなるんじゃないぞ?」 そそくさと椎名さんと2人で歩いていってしまった。 肩が触れ合いそうで触れ合わない距離を保ちながら、2人は繁華街の方に向かう。 なんか・・・ いいなぁ・・・ 大人になっても恋愛って出来るんだ。 と感心しかけて、 やっ、再婚を許すとか、そっちの話とは別だけどっ! と慌てて思い直す。 ―――でも・・・・・ 今日のパパ、本当に嬉しそうだったなぁ・・・ 本気であの人のこと好きなんだ、きっと。 あたしはまだ、本気って言える恋愛をしていないから(徹平のときは、完全に片想いだったし)、なんかパパたちが羨ましい。 いつかあたしも本気の恋愛、出来るのかなぁ・・・ パパたちを見送りながらそんなことを考えていたら、 「じゃ、行こうか」 と伊吹くんが声をかけてきた。 ハッとなって振り返る。 そうだった! 学内のアイドル伊吹くんにお茶に誘われたんだった!! ど、どうしよう・・・ メチャクチャ緊張する・・・ 「オレ、コーヒー。 倉本さんは?」 「あ、紅茶で」 伊吹くんが連れて行ってくれたのは、ちょっと前に雑誌に載っていた可愛らしいケーキ屋さんだった。 少しだけどお店の奥にテーブル席があって、店内で食べていくことも出来る。 人気のお店らしいけど、時間が遅かったせいか待たずに座れた。 「それだけ? せっかくなんだからケーキとか食べれば? ここシフォンが美味しいんだって」 「あ、じゃあ、それも」 遠慮なくオーダーする。 間もなく運ばれてきた紅茶とケーキは評判通り美味しかった。 それを頂きながら、伊吹くんと会話する。 「伊吹くんって陸上部だよね。 もうすぐインハイの予選始まるから大変じゃない?」 「そうでもないよ。どうせオレなんか地区予選で落ちるだろうし、気楽なもんだよ」 「そーなの?」 「うん」 「・・・・・・」 「・・・・・・」 「そういえば特進クラスって2年から殆ど夏休みないって聞いたけど、ホント?」 「うん」 「・・・・・・」 「・・・・・・」 「それって補習とかで?」 「そう」 「・・・・・・」 「・・・・・・」 ・・・会話が続かないんですけど。 あたしも初対面の人とはキンチョーして上手く話せない方だけど、もしかしたら伊吹くんもそのタイプなのかもしれない。 いくら人当たりがいいっていっても、初めて会う人とそんなノリノリで話せるわけじゃないよね! ましてや、あたしたち複雑な関係だし・・・・・ って、べ、別にそんな意味深な関係じゃないけどっ!! 「! ちょっとゴメン!」 なかなか会話の続かない時間を持て余していたら、伊吹くんのケータイが鳴った。 「いいよ、出て」 「ゴメン」 伊吹くんはもう一度謝ると、ケータイを耳に当てた。 「何? ・・・今? 外だけど。 ・・・は? なわけないじゃん! 1人1人!」 伊吹くんのケータイに、小さなシルバーのてんとう虫のストラッブがぶら下がっている。 可愛い・・・ どこで買ったんだろ? そうだ。 どこで買ったか聞いてみようかな。 いい話のネタになるかもしれない。 「・・・・・え? マジで? いいよ、オレがそっち行く。 ん。 じゃあとで」 通話を終えたらしい伊吹くんがケータイをたたむ。 それを待って、さっそく伊吹くんに話しかけた。 「伊吹くん、そのストラップなんだけど・・・」 「ごめん。 急用が出来ちゃった。 オレ、行かなきゃ」 「え?」 あたしを見下ろして伊吹くんが立ち上がる。 「オレ先帰るね」 「え・・・? あの、ちょっと待って。 じゃ、あたしも・・・っ」 伊吹くんがスポーツバッグを肩にかけたから、あたしも慌ててそばに置いてあったバッグをつかんだ。 すると伊吹くんはそれを手で制して、 「あ、倉本さんはまだケーキ残ってるし、ゆっくりしてってよ」 「え、でも・・・」 「じゃあね!」 殆ど止める間もなく、伊吹くんはお店を出て行ってしまった。 |
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1人テーブルに取り残されるあたし。 急用ってなんだろう・・・ 電話の相手に呼び出されたのかな? そんな感じだった・・・ っていうか、電話の相手って誰だろ? ・・・友達? だよね、きっと・・・ 陸上部の子とか・・・・・ ・・・・・・・・・まさか、彼女からとか・・・じゃないよ、ね・・・ 伊吹くんに彼女いるとか、そんな噂聞いたこともないし・・・ って、なんで「まさか」なのよっ! 伊吹くんぐらいの人に彼女いない方が不思議なくらいなんだからっ! うんっ! それであたしが落ち込むとか・・・ 全然ワケわかんないしっ! そりゃ、可愛いな〜くらいは思ってたけどさ・・・ 別にそれ以上の感情なんかなかったし・・・・・ あたしの中に突然沸いてきた、なんとも説明しづらい感情に一人で言い訳をしていたら、テーブルの上に伝票が乗っていることに気が付いた。 伊吹くん、会計忘れてってる! その伝票を表にして、さらに驚いた。 伊吹くんが飲んだコーヒーが700円もする! あたしが頼んだケーキセットと殆ど変わらない値段だ。 2人分で1500円近くする! 嘘でしょっ!? これ、あたしが払うわけ? 普通、こういう時って男の子が払うもんなんじゃないの? と図々しいことを考えかけて、 い、いや、自分の分は自分で払うけどさ・・・ と慌てて否定する。 けど・・・ 少しはそう思っちゃってもしょうがないじゃん? だって、このお店に誘ったの伊吹くんだし・・・ ケーキも頼めばって言ったのも・・・ もしかして、気付かなかったのかな? 伝票のこと。 すごく慌ててたみたいだし・・・ 絶対そうだ! じゃなかったら、あんな礼儀正しいみんなのアイドルの伊吹くんがそんな・・・ 女の子に伝票残して先に帰っちゃうような事するわけないもん! 今頃、伝票のこと思い出して慌てているかもしれない。 きっと明日、学校で会ったら返してくれるよね? あたしは残り少ないお小遣いから、2人分の会計を済ませて店を出た。 翌日の木曜日。 伊吹くんがいつ教室に来てくれるんだろうと待っていたあたしは、だんだん不安になってきてしまった。 きっと朝イチで来るだろうと思っていたんだけど・・・ もうすぐ昼休みが終わるっていうのに、まだ伊吹くんが現れない。 なんで? ・・・あ。 もしかして、あたしが何組か知らないのかな? 伊吹くんが1組だっていうことをあたしが知っていたのは、彼が みんなが知っている有名人だからだ。 それに比べて、あたし地味な一般女子だし。 昨日まであたしの存在にすら気付かなかった・・・ということも十分にありえる。 だとしたら、クラスなんか絶対分かりっこない。 あたし昨日、クラスなんか言わなかったし。 1組に友達がいたらさり気なく顔出せるけど、特進クラスに友達なんかいないし・・・・・ 結局、教室には行けなくて、偶然を装って彼と会う作戦に切り替えた。 早速放課後、部活に向かうであろう伊吹くんを廊下で張ってみる。 何もしないで廊下に突っ立っていると、そこを通る子たちが、 「何やってんの?」 って感じの視線を向けてきて恥ずかしいから、テキトーにケータイをいじってるフリなんかしながら伊吹くんが通るのを待った。 そんな小芝居を続けていたら、やっと伊吹くんが現れた。 伊吹くんは何人かのクラスメイトと一緒だったけど、思い切って近づいた。 「い、伊吹くん!」 一瞬、伊吹くんって呼ぶか、椎名くんって呼ぶか迷って、結局伊吹くんって呼びかけた。 だってみんなそう呼んでるし、夕べあたしもそう呼んじゃったし・・・ ドキドキしながらあたしの方を向いてくれるのを待っていたら、伊吹くんはそのままあたしの前を通り過ぎようとしている! えっ!? 聞こえなかったのかなっ? も、もう一回呼ぶ? とあたしが焦っていたら、 「? 伊吹、呼ばれてんぞ?」 と伊吹くんと一緒にいた男の子が伊吹くんの袖を引っ張った。 それで伊吹くんも振り返る。 よ、良かった・・・ お友達さん、ありがとう。 安心しながら伊吹くんに近寄ろうとしたら、伊吹くんはあたしを見下ろしたあと、 「ん? ああ・・・ ばいばーい♪」 と可愛い笑顔を振りまいて・・・ そのまま去っていってしまった。 ―――えっ!? いや、ばいばい・・・じゃなくてさ。 コーヒー代・・・ 結局700円は返してもらえないまま、伊吹くんの姿は廊下の角を曲がって消えてしまった ―――もしかして完全に忘れてる? ただ顔合わせただけじゃ気付いてくれないのかな・・・ 直接言わないと・・・ でも、 「ねぇ、昨日のコーヒー代返してくれる?」 って・・・・・ すっごく言いづらい! 貸してる方はこっちなのに、返してって何で言いにくいんだろ・・・ とても追いかけていって返してもらう勇気はなくて、あたしは仕方なく踵を返した。 ・・・・・明日になったら思い出してくれるかなぁ・・・ けれど、あたしの淡い期待は完全に裏切られ、そして日が経てば経つほど、 「返して!」 とは言いにくくなってしまった。 そんな悶々とした日々を送っているうちに、パパと伊吹くんのお母さんの再婚話がどんどん進んでしまい、とうとうパパたちは再婚することになってしまった! 5月の連休の最終日に、椎名一家が我が家にやってきた。 「あっ! 母さんはそんな重い物持たなくていいから。 オレが運ぶし、置いといて」 伊吹くんがテキパキとダンボールを運び込む。 引越し屋さんに頼むほどの量じゃないからって、引越しはパパがトラックを借りてパパと伊吹くんたちだけでやった。 |
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重そうなダンボールを、ひょいひょい運び込む伊吹くん。 ふーん・・・ やっぱり華奢に見えるけど、男の子なんだぁ・・・ 庭に続くリビングの窓から外を眺めていたら、 「ちょ、邪魔! どいてっ!」 と伊吹くんがダンボールを持ってやってきた。 はじめのうちは玄関から運び込んでいたんだけど、そのうち玄関がいっぱいになってしまって、このリビングからも運び入れ始めたみたいだ。 「あ、ごめん!」 慌ててどいたら、伊吹くんは何も言わずにさっさとまたトラックの方に戻って行き、次のダンボールを下ろしている。 学校ではあんなに愛想のいい伊吹くんが、今日は笑顔も少なく真剣だ。 いくら量が少ないとはいっても、引越しという作業はそれだけ大変ということだ。 一応あたしも、 「手伝おうか?」 ってパパに聞いたんだけど、 「いや、本当に少ないし、怪我でもしたら大変だからさ」 と夕べのうちに断られていた。 ただここに突っ立って、パパや伊吹くんたちの様子を眺めていても邪魔になるだけかも・・・と思って、自分の部屋に引っ込んだ。 ベッドに寝転がって天井を見上げる。 ・・・・・とうとう、今日から伊吹くんと家族になるのか・・・ さすがに、初めて食事会をしたときのような驚きやドキドキ感はもうなかった。 同い年の男の子と急に同居することになったんだから、そういった意味での緊張はあるけど。 でも、 「あの伊吹くんとひとつ屋根の下―――!!」 的なノリはない。 あたしも前までは一般女子として、可愛くて勉強も出来る『みんなのアイドル伊吹くん』に興味はあった。 けれど、こうして近づいてみると・・・ 確かに可愛いんだけど・・・ 意外と普通の男の子って気がしてくる。 それは多分、あのコーヒー代の一件が大きなきっかけのような気がする。 結局、まだお金は返してもらってない。 いつまでも700円ぽっちに拘っている自分がイヤになってくるけど・・・ もう、ここまできたら金額の話じゃない。 あたしだって奢りだと思えば出せない金額じゃないし。 けど、どうせなら、 「ごちそうさま。 ありがとう」 と言われて奢りたい。 それを、忘れてるんだかどうなのか分からないけど(多分忘れてるんだ)、あやふやなまま流されるのがイヤなだけだ。 つまりあたしの気持ちの整理がつかないだけなんだけど・・・ これから家族として一緒に暮らしていくわけだし、出来ることなら仲良くやっていきたい。 ・・・・・いっそ、忘れられないかな。 700円のこと。 っていうかもしかして、たった700円を忘れられないあたしの方がケチなだけ? そんなことを考えていたら、ドアをノックする音が。 「? はぁい」 ドアを開けたら伊吹くんが立っていた。 「買い物行くよ」 「は?」 「オレ、この辺の店とかよく分かんないし・・・ 早くして」 「え? ・・・あ!ちょっと待って!」 そう言うが早いか、伊吹くんはさっさと階段を下りはじめる。 ちょっと? あたしの都合とか聞かないわけ? ・・・って、実際用事なんかないからいいんだけどさ。 けど、一応女の子なんだから、着替えとか支度とかだってあるかもって思ってくれないのかなぁ。 それを、 「早くして」 って・・・ 一方的過ぎない? 一瞬着替えようかとも思った(完全に普段着だったから)けど、伊吹くんはもう玄関に向かっているし、どうせ近所だろうしと思ってそのままスニーカーを穿いた。 「何買うの?」 小走りになりながら伊吹くんの隣を歩く。 伊吹くんは足が長いせいで歩くのが早い。 「踏み台」 「踏み台? 何に使うの?」 伊吹くんは一瞬黙ったあと、 「踏み台なんだから、踏んで使うに決まってんだろ?」 とバカにしたような目線をあたしに向けた。 え・・・? なに、今の? あたしそんな変な質問したかな? 今、すごい冷たい目線を向けられた気がするけど・・・ 気のせい? だよね?きっと。 そのまま会話らしい会話もないまま、近所のホームセンターに着いた。 伊吹くんは安定のよさそうな踏み台をいくつか物色したあと、その踏み台の下につける滑り止めシートまで買っていた。 そんなもの貼り付けなくたって、踏み台だけで十分安定してるように思えるけど・・・ レジに並んでいる間、 「ずいぶん慎重だね? 滑り止めまで買って・・・ 何に使うの?」 あたしが疑問に思ってそう聞いても、伊吹くんは返事をしなかった。 「ねぇ?」 聞こえなかったのかと思いもう一度呼びかけたら、 「・・・せぇな〜」 とやっと伊吹くんは振り返って、「さっき言ったろ? 踏んで使うんだよ! もう忘れたのかよ?」 と眉間にしわを寄せた。 |
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――――――は? な、何っ!? その言い方っ! 確かに踏み台なんだから踏んで使うって答えで間違いないよ!? けど普通、 「踏み台? 何に使うの?」 って聞かれたら、 「電気を取り替えるため」 とか、 「高いところの物に手が届かないから」 とか答えるのが普通じゃない? それを、 「踏んで使うんだよ!」 って・・・ どうなのっ!? 百歩譲って・・・いや、千歩譲って踏み台の答えはそれでいいとして、そのあとの、 「もう忘れたのかよ?」 って、あんたがそれ言うの? ねぇっ!? あんたこそ何か忘れてんじゃないのっ!? 特進クラスだっていうからどんだけ頭いいのかと思ってたら、コーヒー代も覚えていられないような記憶力しかないわけ!? それに、その言いっぷり! 実はさっきから気になってたことだけど、ちょっと乱暴じゃない? 学校やパパたちの前じゃ、もっと丁寧な話し方だよね? なのに、なんであたしだけ・・・・・ッ! あまりの腹立たしさに、伊吹くんを置いてそのままうちに帰ろうとしたら、 「おいっ、ナナ!」 とイキナリ呼び捨てにされた。 思わず振り返る。 「電話番号」 「は?」 「家の電話番号だよ。 早くしろよ!」 伊吹くんはレジで、なにやら紙のようなものにボールペンで記入をしている。 ・・・・・どうやら、このお店のポイントカードを作っているみたいだ。 「〜〜〜777の7777! 勝手に呼び捨てにしないでくれるっ!」 あたしはそう怒鳴ると、今度こそ走ってお店を飛び出した。 「はっ? おい―――・・・」 伊吹くん・・・いや、伊吹の声が飛んできたけど、あたしは振り返らなかった。 一緒に暮らすことになった学内イチのアイドルは、顔は可愛くて頭もいいけど、実は二重人格で口が悪くて、たったの700円も覚えていられないような記憶力の弱い、サイテーな男だった! |
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