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「うわぁ! すっご〜い!!」 美紀が歓声を上げた。「眩しくて目が開けられない!」 俺は美紀にサングラスを渡して、 「ほら、コレかけろよ」 と自分もサングラスをした。 2日目、俺たちはそれぞれスキーを楽しんでいた。 俺は美紀と初心者コースを、中谷さんと和歌子さんは山スキーを、洋子と安田は……どうしているのか分からない。 昨日の様子だと、別々に滑っている可能性が高いが…… まあとにかく、スキーをするには最高の天気で、空は晴れ渡り、雪に反射した陽光が目に痛いほどだった。 「そうそう。曲がりたい方向とは逆の足に体重をかけて……上手い上手い!」 美紀は初心者にしてはまあまあの滑りぶりで、ちょっと教えただけですぐにボーゲンは滑れるようになった。 もともと運動神経は悪くないから、すぐにコツをつかんだようだ。 「ちょっと休憩するか」 俺たちはゲレンデの中腹にあるレストハウスで休憩をすることにした。 「あったかーい」 美紀がサングラスを外しながら言った。 コーヒーを持って空席を探していると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。 「あんたねぇ、ホントにスキーやったことあるの!?」 「失礼なこと言わないで下さいよ! 久しぶりだったんで、ちょっとカンが鈍っているだけなんですから!」 洋子と安田だった。奥の方のテーブルに2人で向かい合っている。 昨日は別々に滑ると言っていたが、結局は一緒に滑っているらしい。 「なんで下りのリフトに乗ってっちゃうわけ? 一緒にいて恥かしいったらありゃしない!」 「それを言うなら内沢先輩のせいなんですけどっ! 先輩がリフトから降りるとき僕のこと押したから、だから降りるタイミング逃しちゃったんですよ!」 とギャーギャーやっている。 「なんだよ安田。リフト降り損ねたのか」 俺が苦笑しながら2人に近づいていくと、 「うわあ、美紀さ〜ん! 会いたかったです〜!!」 と安田は俺を通り越して美紀に笑顔を向けた。それから、やっと隣りにいた俺に気付き、 「か、加納先輩だったんですか? すみません、サングラスしてたんで誰だか分かりませんでしたっ!」 と慌てた。 俺と美紀は安田たちの隣りに座ると、コーヒーで身体を温めた。 「高弥、会長たちに会った?」 洋子がグローブを外した手に息をかけながら言った。 「いや、会ってない。滝見に行ったんだろ?」 俺がそう答えると洋子は不安そうな顔をして、 「……と思うんだけど。結局、あのあと大石マネージャーに地図書いてもらう暇がなくて、あのとき聞いた説明だけで行ったみたいなのよ」 ……それは心配だ。 まぁ、和歌子さんが一緒だから大丈夫だとは思うが…… 「ねぇ」 洋子が珍しく美紀に声をかけた。「滑れるようになったの?」 「ええ」 「じゃ、一緒に滑らない? もう少し上まで行くリフトがあるから、そっちに」 「いいわよ」 と美紀が肯く。 「おいおい、大丈夫かよ。まだボーゲンが滑れるようになっただけだろ?」 俺が心配してそう言っても、なぜか洋子も美紀も俺の言葉は無視して、 「じゃ、コレ飲んだら行きましょ」 と無言でコーヒーを飲み始めた。 2人とも口に笑みをたたえてはいるが、目が笑っていないような気がする。 ……いや。殺気すら漂っている気がする。 「……もしかして、洋子怒ってるのか?」 と安田に小声で聞くと、 「よく分からないですけど……っていうか、僕ここに来てから怒られっぱなしですから」 と安田は口をすぼめた。「加納先輩、僕も先輩と一緒に滑ってもいいですか?」 よほど洋子にやり込められていたらしい。 俺たちは休憩を終えると、今度は男女に分かれて滑ることにした。 「洋子、美紀のこと頼むな。初心者だから」 洋子は俺を一瞥すると、 「分かってるわよ」 と言って、行こ、と美紀を連れていった。 洋子と美紀の姿が見えなくなると、安田は大きな溜息をついた。 「はぁ。……なんか女の人って難しいですね」 「だろ? 俺だって毎日大変なんだよ」 俺たちはお互いの苦労を称え合いながら気楽に滑り始めた。 しかし――― 洋子が安田に口うるさく言うのが分かる気がする。 安田はリフトに並ぶときなど、後ろから俺の板の間に突っ込んできたりする。 俺はまだ男だからいいが、女性は嫌がるだろう。 安田は、 「すみません、すみません」 と謝りながら、「なんかここ、雪が氷みたいになっちゃってて、勝手に滑って行っちゃうんですよね〜」 と頭を掻いていた。 ふと時間を確認すると、もうすぐ3時になろうとしていた。 昼も食べずに滑っていたことになる。 朝が遅かったとはいえ、さすがに腹が減ってきた。 「安田、腹減ってないか?」 俺が後ろを振り向くと、ちょうど安田が派手に転んだところだった。 「あいたたたっ!」 俺は苦笑しながら美紀のケータイに連絡をしてみた。 しばらく呼び出し音が鳴ったあと、なあに、と美紀が出た。 「もうすぐ3時だけど。飯食ったか?」 『まだよ』 「じゃ、飯にしようぜ。腹減った」 『……高弥が、お昼にしようって』 ちよっと声が遠くなる。多分洋子に話し掛けているのだろう。 『じゃ、今下りてく。さっきのレストハウスでいい?』 「ああ」 通話を切ったあと、はたしてあの2人は上手くやっていたのだろうか、と少し心配になった。 先程のように不穏な空気漂う休憩にならなければいいのだが…… 腰をさすりながらついてくる安田とともに、先にレストハウスに向かった。 間もなく美紀と洋子もレストハウスにやってきた。2人で何事か話しながら入ってきたせいか、俺たちが先に座っていることには気付いていないようだ。 「美紀! 洋子!」 俺は入り口付近にいる2人に手を振った。 「高弥!」 2人はすぐに俺に気付きこちらにやって来た。 「もう食べちゃった?」 「いや、まだだ」 「じゃ、あたしたち買ってくるわよ。何にする?」 ……あたしたち? 俺は戸惑いながらも、カレーライス、と答えた。 「じゃ、カレーライス4つでいいわね」 と美紀と洋子は再び連れ立って食券を買いに行った。 ―――やっぱり、女はよく分からない…… 先程の休憩とは打って変わった、和やかなムードで過ごすことができ、俺と安田は安心していた。 |
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「これからどうする? もうすぐ4時だけど」 と店内にかけてある時計を見上げた。 「あたしは疲れたから、今日はもう終わりにしようかな」 と洋子が言った。「安田くんはどうするの?」 「いやっ、僕ももう腰が痛くて……あの、部屋に行ってもいいですか?」 と安田がおどおどしながら洋子の顔色を窺う。洋子は微かに眉を寄せながらも、 「パンツ一丁で歩き回らないでよね」 と肯いた。 「はいっ」 安田が敬礼しそうな勢いで背筋を伸ばす。 「それはそうと、中谷さんたち全然見かけないな」 俺はレストハウスを見渡した。「その滝って遠いのかな?」 4時を過ぎると途端にあたりは暗くなり始める。山スキーをしているのなら、そろそろ戻った方がいい時間だ。 俺はケータイを取り出し中谷さんに連絡をしてみた。……が、しばらくの間鳴らしても中谷さんは出なかった。 聞こえていないのかと思い、今度は和歌子さんのケータイにかけてみる。こちらは電源が入っていないらしく、すぐに留守番電話センターに回された。 おかしいな、と首を捻っていると、今度は俺のケータイが鳴った。中谷さんからだった。 「あ、会長。まだ山スキーしてるんですか? 全然会わないから心配していたんですけど。滝、凍ってました?」 という俺の質問には答えずに中谷さんは、 『高弥。そっちに和歌子帰ってる?』 と慌てたように聞いてきた。 「え? 和歌子さんですか? 会長と一緒じゃないんですか?」 戸惑いながら聞き返すと、 『それが……』 と言ったきり中谷さんは黙ってしまった。 「会長?」 和歌子さんがどうかしたのだろうか、と考えていると、 『それが……はぐれちゃったんだ』 と中谷さんは消え入りそうな声で呟いた。 「え?」 と俺が聞き返すのと同時に、中谷さんは堰を切ったように話し出した。 『僕がちょっと滝の方に気を取られてる間にいなくなっちゃったんだ! 一瞬、トイレとかかな、とも思ったけど何も言わないで黙って行くなんておかしいし。さっきからこの辺捜してるんだけど見つからなくて……どうしよう、高弥。ケータイに電話しても繋がらないんだよ! 事故にでもあったのかもっ!!』 「会長、落ち着いてください!」 俺はケータイを握り直した。「はぐれたのはいつ頃ですか?」 俺の言葉に、美紀と洋子、安田が不安そうに耳を傾ける。 『……よく覚えてない。1時間前だったかもしれないし、もしかしたらもっと経ってるかも……っ』 「分かりました。とりあえず俺がホテルに連絡します。会長、今はどこにいますか?」 『滝のすぐ近くだよ』 パニックになっている中谷さんが連絡するより俺がした方がいいだろう。 「すぐに折り返し連絡しますので、会長は念のためそこで待っててもらえますか」 『分かった』 俺は通話を切ると、美紀たち3人に手短かに状況を説明しながらホテルの番号を押した。 「あ、正臣さんの後輩の加納といいます。大石マネージャーいますか? 急いで下さい!」 しばらく保留音が流れる。3分以上待たされて、やっとマネージャーの大石さんが出た。 『はい、お電話代わりました大石です』 「大石さん、俺中谷さんの後輩の加納です」 『あ、加納くん? すみませんね、お待たせしちゃって。ちょっと来客があって……どうかしたの?』 「実は、和歌子さん……昨日、中谷さんと一緒にいた髪の長い女性なんですけど」 『ああ、はいはい。あの美人さんね』 「彼女が山で中谷さんとはぐれてしまったらしいんです」 『えっ?』 大石さんの声が微かに緊張したものに変わる。 「たった今、中谷さんから電話がきました。はぐれたのは1時間から2時間前くらいらしいんですが、はっきりしていません」 『どの辺ではぐれたのかな? 場所は分かる?』 「例の滝だそうです」 『分かった。後はこちらに任せて』 大石さんは送話口を手で塞いで、周りに何事か指示しているみたいだった。 『大丈夫だよ、すぐに見つけるから。加納くんは先にホテルに戻ってきなさい』 「中谷さんがまだ滝の近くにいるんですが、どうしましょう」 『そうだな。滝の場所はこっちでも分かるけど、状況を知りたいからそのままそこに残ってもらって』 「分かりました」 俺はすぐに中谷さんに連絡を取った。 すべての連絡を終え、小さく息を吐き出す。 「高弥…… 永井センパイ、大丈夫よね」 美紀が不安そうな声を出す。 「とりあえず今俺たちに出来ることはない。ホテルに戻って連絡を待とう」 みんな沈痛な面持ちでホテルに戻った。 本来だったら、スキーの後は温泉にでも入ってのんびりとしたいところだが、今日はそれどころではない。 俺たちは簡単に着替えだけ済ませると、ロビーで連絡が入るのを待った。 小さな子供ではないし、何か理由があってその場を離れただけかもしれないということで、まだ警察などには連絡せず、大石さんと何人かの従業員とで和歌子さんを探しているらしい。 外はとっくに暗くなっているのになかなか連絡が来ず、不安感だけが募っていく。 一体和歌子さんはどこに行ってしまったのだろう。 無事でいてくれればいいが…… 7時を過ぎた頃、やっと中谷さんが戻ってきた。憔悴しきった顔をしている。 「会長、和歌子さんは……」 中谷さんは黙って首を振った。 「そうですか……」 中谷さんは焦点がよく合ってないような目を俺に向けると、 「高弥、どうしよう。和歌子に何かあったら……僕のせいだ」 と俺にもたれかかってきた。触れた頬が氷のように冷たい。 「会長。とりあえず和歌子さんのことは大石さんたちに任せて、部屋でシャワー浴びた方がいいですよ。身体がすごく冷えてるみたいですから」 |
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俺は中谷さんの背中を支えながら言った。 「僕は大丈夫だよ。それより和歌子の方がもっと冷えてるかもしれない……」 俺は美紀たちに目配せすると、支えるようにして中谷さんを部屋に連れて行った。 幸い、カードキーは中谷さんのウェアのポケットに入っていたから、それを使って部屋に入る。 俺は中谷さんをベッドの縁に座らせると、バスルームに入って浴槽にお湯を入れた。 一体、どういった状況だったのだろう。 中谷さんは、 「ちょっと滝に気を取られているうちに」 と言っていたが……それでも、すぐそばにいた人間がいなくなったらすぐに気が付きそうなものだが…… それとも滝に着いてからは別々に探索でもしていたのだろうか。 滝の大きさがどの程度のものなのか分からないが、まさか誤って滝壺に落ちたとか…… 怖い事を考えそうになり、慌てて首を振った。 大丈夫だ。 和歌子さんはしっかりしているし、危険なところに近付いたりなどしない。 何が原因でいなくなったのかは分からないが、きっと今頃どこか安全な場所で救助が来るのを待っているに違いない。絶対に。 そんなことを考えながら浴槽を眺めていたら、丁度いい具合にお湯が溜まった。 部屋の方に戻ると、中谷さんはベッドの端に腰掛けたまま両手で顔を覆っていた。 肘を足に乗せるようにして体を前かがみにしているため表情はよく分からなかったが、指の間からこぼれた前髪が微かに揺れていた。 和歌子さんがどうしているのか分からない以上、どんな気休めの言葉も慰めも、中谷さんには無用なものだ。 今はそっとしておくことしか出来ない。 俺は音を立てないようにドアを開け部屋を出て行こうとした。 そのとき、視界の端に白いものが見えた。 ……ん? なんだ、これは。 ドアの下に白い封筒が落ちていた。 先ほど入るときには何もなかった。誰かがメッセージを挟んでいったらしい。 俺がバスルームに入っていたときだろうか? 全然気が付かなかった。 和歌子さんに関することだったら、こんなことはせずに直接連絡してくるだろう。 いけない、と思いつつ中を覗く。便箋が1枚入っていた。カサ、という乾いた音とともに便箋を開く。 そこに書かれた短い文章を目にした途端、俺は体が固まってしまった。 |
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「ええっ! 誘拐!?」 俺は部屋に洋子と安田を呼び、事の詳細を話した。 「し――――っ! 大きな声出すなよ」 驚きのあまり大きな声を出した安田を睨む。 「すっ、すみませんっ!」 安田は首を縮こめた。 「どういうことなの」 洋子が眉間にしわを寄せる。 「さっき、中谷さんの部屋のドアに手紙が挟まれてたんだ」 「手紙?」 「脅迫状さ。……女は預かった。1億円用意しろ。警察に知らせたら命はない。また連絡する。」 俺は便箋に書いてあったことをそのままそらんじた。美紀、洋子、安田が息を飲む。 「……で、警察には?」 洋子が声を潜めて聞いてきた。 「まだ知らせてない。脅迫状にもそう書いてあるし、絶対連絡しないでくれって中谷さんから言われてる」 「でも…… じゃあ、どうするの?」 「中谷さんは、自分のせいだってすごく責任を感じてるみたいだ。だから、自分でなんとかするって……」 「そんなっ! 無茶よっ! それに1億円だって……っ」 「それもなんとかするって」 「…………そ、そう」 そっちは本当になんとか出来そうだったから、誰からも反論はなかった。 「……じゃあ、1億円渡して和歌子先輩を返してもらうってことにするしかないんですね」 と安田が悔しそうに呟き、一同が黙り込む。 たしかに犯人の目的は金だ。 その手段として和歌子さんを誘拐しただけで、和歌子さん本人にはなんの恨みもないはずだ。金さえ手に入れば和歌子さんに用はなくなる。 だからといって、目的が達成されたあと、犯人はすんなり和歌子さんを返してくれるのだろうか? ……落ち着いてよく考えなければいけない。 和歌子さんの命がかかっているのだ。 果たして、こんな大変なことを俺たちだけで解決できるのだろうか。予算が盗まれたときとはわけが違う。 「……警察に連絡した方がいいと思う」 ふいに美紀が言った。 「でも、脅迫状にはっ」 美紀の発言に洋子が声をあげる。安田も、 「そうですよ。ちょっと……いや、かなり悔しいですけど、会長が1億円も用意してくれるって言うんですからっ」 と肯く。美紀は微かに目を伏せて、 「……でも、お金渡したからって、永井センパイは助かるのかしら」 「っ!? ど、どーゆー意味ですかっ!」 安田が泣きそうな声をあげる。 ……どうやら美紀も、俺と同じことを考えていたみたいだ。 「だって、小さい子供じゃないのよ? 永井センパイがどんなふうに連れ去られたのか分からないけど、もし犯人の顔を見ていたら? ……そんなセンパイを、犯人が素直に返してくれるとは思えないのよ」 「それは……っ」 洋子と安田が黙り込む。俺は肯いた。 「美紀の言う通りだ。そうなったとき俺たちじゃどうしようもない。……いや、そうなってからじゃ遅いんだ。今後の交渉や受け渡し方法も含めて、犯人とのやり取りを俺たち素人がするのは絶対に無理だ」 日本の警察はかなり優秀だ。 戦後起きた誘拐事件で、未解決のものはほんの数パーセント、身代金の受け渡しが成功した例(コレは犯人が持ち逃げ出来た、という意味だが)に関しては1度もないはずだ。 警察に任せたからといって和歌子さんの命が保障されたわけではない。……が、俺たちたちがここで議論を交わしているより、確実に早期解決に繋がるに違いない。 プロに任せた方がいい。 「……でも、会長は? 絶対警察には連絡するなって言ってるんでしょ?」 「これから行って説得してくる。時間が経てば経つほど取り返しが付かなくなるかもしれないからな」 と俺が中谷さんの部屋に行こうとすると、逆にドアをノックされた。ドアスコープを覗くと中谷さんだった。 「会長…… どうしました」 もしかして中谷さんも気が変わり、警察に連絡する気になったのだろうか? と考えていると、中谷さんは俺に封筒を差し出してきた。 「さっきの脅迫状……ですよね」 と俺が聞くと、中谷さんは首を振った。 ??? 違うのか? 中谷さんと封筒を交互に眺めながらそれを受け取り中身を確認する。先ほどと同じように便箋が1枚だけ入っていた。 『明日午前10時に上善の滝までお前が金を持って来い。刑事が代わりに来てもすぐに分かる。必ず自分で来い』 上善の滝とは、たぶん例の滝のことなのだろう。 しかし、明日の朝10時までに1億を用意しろとは……いくら中谷さんでも間に合わないだろう。 部屋に置いてある時計に視線を走らせる。すでに夜中の2時を過ぎている。 「……僕、行ってくるよ」 「会長が自分で……ですか」 中谷さんは肯いた。 「犯人もそう言ってきてるし。なにより、和歌子が連れ去られたのは僕の責任だから」 「でも……お金は? こんな短時間じゃ……」 無理、と俺が言葉を続けようとしたら、 「明日、朝8時半にみどり銀行の支店長がここに持ってきてくれることになってる」 およそ6時間余りで1億が用意できるとは……! その驚きはとりあえず腹の中に収め、 「会長。こんなこと自分が言えることじゃないのは分かってますが……警察に連絡しませんか?」 と中谷さんを説得した。「今後、犯人と接触するかもしれないし、非常に危険です」 「でも、犯人は警察に知らせたら和歌子の命の保障はないって……っ」 案の定、中谷さんは反対してきた。けれど、俺はそれを遮って、 「なにより、会長や俺たちじゃ余計に和歌子さんに危険が及ぶ可能性があります。大丈夫、警察はプロです! きっと素人の俺たちより早く和歌子さんを見つけ出してくれますよ」 「そうですよ、会長! プロに任せましょう!!」 美紀や洋子たちも肯く。 「でも……っ」 そう言ったきり、中谷さんは長いこと考え込んでいた。 翌朝7時すぎ。ホテルの裏口にクリーニングサービスの車が止まり、そこから作業服を着た男たちがぞろぞろと降りてきた。刑事だ。 俺はその様子を2階のフレンチレストランの窓から眺めていた。 一昨日の夜利用したレストランに捜査本部が置かれることになり、店のドアには『本日、臨時休業』の札がかかっていた。 清掃員に扮した刑事たちが大石さんの案内のもと、ガラガラとワゴンを押して入ってきた。ワゴンの中には、ダスターの下に逆探知機と思われるものやレコーダーなど、何に使うか分からないような機械が山のように入っていた。 昨夜(というか、もう日付は変わって今日になっていたが……)しばらく警察に通報することをためらっていた中谷さんだったが、明け方近くになってようやく納得してくれたのだ。 それから急いでマネージャーの大石さんに連絡し、そこから警察に連絡が行き、今に至る。 「県警の村山です」 と背は低いが恰幅のいい50代と思われる男が手帳を開いて自己紹介をした。どうやら警部らしい。 「よろしくお願いします」 中谷さんも頭を下げた。 「永井さんの家族の方ですか?」 警部の問いに中谷さんは、 「いえ、友人です。でも、身代金の要求は僕にきています。そして受け渡しも僕が指名されています」 と弱いが、はっきりとした声で答えている。「彼女の家族は今こちらに向かっています」 村山警部は肯きながら、 「分かりました。一応逆探知などの装置はセッティングしましたが、身代金の金額も、受け渡し場所も方法もすでに指示が出されてしまった後なので……もしかしたら、もう連絡は来ないかもしれません」 中谷さんが肯く。 「なので、身代金を受け渡しするときが今後犯人と直接交渉出来るチャンスとなります。出来ればこちらに任せていただきたいのですが……」 「いえ。それは僕が行きます! それが犯人からの指示ですから! それに……」 と言って中谷さんはレストラン内で忙しく動き回る刑事たちを眺め回した。「この中に僕と似た体格の人、いません」 そう。 どうやら犯人は中谷さんのことを知っているようなのだ。 ゴーグルやマスクで顔を隠したとしても、遠目には誤魔化せるかもしれないが、接触時にバレてしまう可能性もある。 しかも、ここにいる刑事たちはみな恰幅のいい、背が低いおっさんばかりだ。とてもゴーグルやマスクで中谷さんに変われるレベルではない。 やはり、中谷さん本人が行くのが1番いいと思われる。 「そ、それはそうなのですが……」 「僕が行きます」 中谷さんと村山警部がそんなやり取りをしていると、大石さんがやってきて中谷さんに耳打ちをした。 「正臣さん、みどり銀行の方がお見えになりました」 いよいよ1億円の登場だ。 俺と美紀と洋子、安田もレストランの隅の椅子に腰掛けてその様子を眺めていた。 もう何人もの刑事に、 「なんだ、キミらは!」 と追い出されそうになったのだが、そのたびに中谷さんが、 「彼らも関係者ですから、一緒にいさせてください」 と言ってくれたのだ。 何も役には立てないが、祈ることは出来る。 ―――どうか無事でいて欲しい。 時計の針が8時半を指した頃、やっと村山警部が折れてくれたようだ。中谷さんが出発の準備を始める。 このホテルから上善の滝まで中谷さんのスキーの腕で1時間近くかかるという。 指示のあった10時までにはちょっと早いが、もうホテルを出ることにしたようだ。 中谷さんは1億円が入ったスポーツバックを担ぐと、レストランを出てロビーに向かった。 |
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ロビーでは、のん気にタバコを吸いながら朝刊を読んでいるオヤジが何人かいた。 「正臣さん、頑張って」 と大石さんが中谷さんの肩に手をかけた。「大丈夫。きっと彼女帰ってくるから!」 中谷さんが緊張で真っ白になった顔で肯く。 「今は小降りだけど、昼から吹雪いてくるらしいので気をつけて下さいね」 俺も中谷さんに声をかけた。 「ありがとう、高弥。じゃ、行ってくるから!」 中谷さんは軽く手を上げると、そのままロビーを出て行った。 ちょっと時間を空けて、スキー客に扮した刑事が3人ついて行く。 「……行っちゃいましたね」 安田が大きな溜息をついて言った。「どうなるんでしょうか」 「あとは祈るしかないわね」 と洋子も手を胸の前で組み合わせた。「会長! 和歌子先輩のこと助けてくださいね!」 俺はまだ緊張していた。 和歌子さんのことももちろん心配だが、中谷さんのことも同じくらい心配だ。 そばに刑事が付いてくれているとはいえ、犯人と接触するのだから。 誘拐されたのが美紀だったら……と自分に置き換えてみる。 怖いなんて言っていられない。 今の中谷さんの心境がよく理解できた。 多分、10時までは何の連絡も入らないだろうと思っていたら、中谷さんが出発して間もなく、ロビーのあたりが騒がしくなった。そして、先ほどスキー客に扮して出て行った刑事が慌ててレストランに戻ってきた。 レストラン内に緊張が走る。俺たちも同時に椅子から立ち上がった。 「た、大変です、村山警部!」 「どうしたっ!?」 「あの少年がっ」 刑事が息を整えながら言った。「身代金を持って出た少年が……っ!」 中谷さんに何かあったのか!? 緊張しながら刑事の言葉に耳を傾ける。 「……ホテルの前の舗道で、足を滑らせ転倒しました!」 「なにっ!?」 村山警部が眉間にしわを寄せる。「……で?」 聞かれた刑事も眉間にしわを寄せながら、 「はい。金は無事ですが……少年は足を捻挫したようです」 刑事のセリフを聞き、村山警部は額に手を当て天を仰いだ。 「どうするんだよっ!」 間もなく、中谷さんが刑事に肩を担がれレストランに戻ってきた。 「ああ、もうっ! 本当に僕はなんて大バカなんだ! 道路で転んで捻挫なんて……いてっ!」 中谷さんは嘆きながら捻挫した足を殴った。 「どうするんだ!? 今からこの少年に似た体格の刑事を探すとしても、時間的に間に合わんぞ!」 村山警部は唸った。「いっそ、オレが行くか!」 「いえっ、それは無理では……っ」 他の刑事たちが一斉に首を振る。 村山警部は、冗談だ、とちょっと傷付いた顔で言った。 こうしている間にもどんどん時間は過ぎていく。間もなく9時になろうとしていた。 中谷さんは幼少の頃からスキーをしていたから、腕前は確かだ。 その中谷さんが1時間近くかかる場所なのだから、もう出発しないと指定時間に間に合わない。 俺は立ち上がり村山警部に向かって、 「自分が行きます」 と言った。 美紀と洋子、安田、他の刑事たちもレストラン内にいた全員が俺を振り返った。 「多分この中では、1番背格好も似てると思います」 「高弥っ!」 美紀が慌てて俺の腕を取った。「危ないわよっ!? 駄目よ、そんなの!」 「そうよ、なんで高弥が行くのよっ!?」 洋子も怒ったように俺を止めてきた。 「加納先輩……」 安田に至っては泣きそうな顔をしている。 「誰かが行かなきゃならないんだ」 俺は3人の顔を見回した。「それにさっき……もし誘拐されたのが美紀だったらって考えてた。だから中谷さんの気持ちがよく理解できるんだ」 分かってくれるな、と言うと、躊躇いながらも美紀は黙って手を離してくれた。俯いているからどんな顔をしているのかよく分からない。 「洋子と安田も。心配してくれてサンキューな」 「加納先輩……気をつけて下さいね」 安田は心配しながらも肯いてくれたが、洋子は怒った顔のままそっぽを向いてしまった。 俺は村山警部の方に向き直ると、 「いいですよね? もう時間がないんですから」 村山警部も肯いた。 どうせ刑事が行けないのなら、中谷さんが行っても俺が行っても同じなのだろう。 俺は中谷さんが脱いだスキーウェアを着ると、ゴーグルをつけて準備をした。 「高弥って身長どれぐらいあるの?」 中谷さんが俺を見上げながら聞いてきた。 「178ですけど」 「ちぇっ。僕より2センチも高いのか」 と中谷さんは嘆いたあと、「……和歌子のこと、頼んだよ」 と俺の手を強く握った。 俺は黙って肯くと、身代金の入ったスポーツバッグを肩に担いだ。 先ほどと同じようにスキー客に扮した刑事たちと美紀だけがロビーまで下りてきた。 あまりゾロゾロと人がいては怪しまれるため、洋子と安田は遠くから見ている。 |
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「高弥……」 美紀が心配で泣きそうな顔をして俺を見上げた。 「美紀」 俺はゴーグルをずらすと、スポーツバッグを持っていない方の手で美紀を抱き寄せ、唇を重ねた。 「俺は大丈夫だ。だからそんな顔するな」 そう言って笑顔を見せると、うん、と美紀もちょっとだけ笑顔になった。 俺はもう1度チュッとキスをすると、バッグを担いでホテルを出た。 後ろの方で、 「まったく、今どきの高校生は! 人前で恥ずかしげもなく……破廉恥なっ!!」 という刑事たちの声が聞こえてきた。 |
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