Cube!   第3話  Junior HighSchool DAYS(前編)

「静かにして下さい!」
学級委員の山田くんが大声を張り上げる。けれど、教室内のざわめきの方が大きくて、ちっとも静かになんかならない。
そんな大声出したって誰も聞いちゃいないのに。
あたしは周りの騒ぎをよそに机の中から楽譜を取り出した。部活で使うものとは別な曲の楽譜だ。

あたしの名前は内沢洋子。
音楽が好きで小学生の頃からフルートをやり始めたあたしは、この私立青葉学園中等部に入学してから吹奏楽部に入った。
小学校でも合奏部に入ってはいたんだけど、みんな遊びの延長って感じでやっていたからいまいち満足できなかった。
だから、中学の吹奏楽部のレベルの高さに期待してたんだけど……
部の方針というか、部長の考え方についていけないところがあって、やっぱり消化不良の日々を送っていた。
やりがいのある曲より審査員ウケする曲ばかりでイヤになってしまう。
「各クラス1人は立候補者を出さないといけないんですよ! 自薦でも他薦でもいいですから〜」
山田くんが今にも泣きそうな声を上げたとき、それまで黙って座っていた担任が立ち上がった。
「なにも会長に立候補しろっていうんじゃないんだ。会計だって広報だっ ていいんだぞ?」
担任が声を発したところで、やっと教室が静かになってきた。
水曜日の6限目、2年E組はLHRを行っているところだった。
来月、生徒会役員選挙が行われる。それにあたって各クラスから1人ずつ候補者を出さなくちゃならない。
今はその候補者を決めている最中 なんだけど……これがなかなか決まらない。
生徒会なんてそんな面倒くさいこと、誰もやりたがるわけないじゃない。
しかも、立候補したとしても当選するとは限らないし……
だから自薦なんか絶対出ないだろうし、かといって推薦なんてしようものなら絶対に嫌がらせだと思われてしまう。
とりあえず、みんな静かにはなったけど、俯いたまま嵐が過ぎ去るのを待っている感じだった。
担任が壁の時計をチラリと見上げる。LHR終了の時間はとっくに過ぎていた。
「―――はぁ。それじゃ、明日の朝のSHRもこの件について話し合うからな」
担任は溜息をつくとファイルを片手に教室を出て行った。
それを合図にまた教室内が騒がしくなる。
LHRがあった日は帰りのSHRなしにそのまま帰れることになっている。
「洋子! 一緒に帰ろ!」
クラスメイトの絵里がカバンを片手にやって来た。
あたしもカバンを肩にかけると、手元の細長いケースを持ち上げて見せた。
「ゴメン、今日はこれだから」
「ああ、水曜日は部活ある日だっけ」
絵里はちょっと残念そうに口を尖らせると、「駅前にかわいい雑貨屋さんが出来たから、偵察に行こうと思ったんだけど……じゃ、また明日ね」
とポニーテールの髪を揺らしながら帰っていった。
雑貨屋、か……
ちょっと後ろ髪を引かれながら音楽室へ向かう。
吹奏楽部の活動日は毎週月、水、金曜日の放課後に行われている。
けれど、毎回ちゃんと出てくる部員は3分の2くらいしかいない。
コンクールが近いと別だけど、何もない時期はいつもこれぐらいだった。
だから、あたしも絵里と一緒に雑貨屋に行ったって誰も文句は言わないと思う。
でも、自分で言うのもナンだけどあたしって根が真面目だから、仮にサボったとしても結局は部の方が気になっちゃって、心から楽しむことなんて出来ないと思うのよね。
そんなことを考えながら音楽室へ入っていくと、
「洋子ちゃん、遅かったじゃない」
と部長の倉橋先輩が振り向いた。
後輩の指導をしていたらしい先輩は、そばにいた1年生に何事か話してからあたしに近寄ってきた。
「今日は休みかと思っちゃったよ」
と言いながら眼鏡を指先でちょっとずらす。
最近じゃ眼鏡もオシャレアイテムのひとつになってるっていうのは分かる。眼鏡男子、なんて属性があるくらいだし。
けれど先輩の眼鏡は分厚いレンズが入った近視用のもので、デザイン的にもとてもオシャレアイテムとは言い難いものだった。
でも、本人はそれにまったく気付いていない。
気付いていないどころか、その眼鏡をちょっと下にずらし、上目遣いに送る視線がカッコイイと勘違いしている。
これは、5分話をしている間に3回は繰り出してくる先輩の得意技だ。
「はぁ、LHRが長引きまして……」
あたしは先輩の方を見ないようにしてそう答えると、窓際の席に譜面台を立てて座った。
「そうなんだ」
そう言いながら先輩はあたしの横に座ろうとした。
鬱陶しいなぁ、と思ったとき、
「倉橋先パーイ! ちょっとここお願いしまーす」
と1年生が先輩に声をかけた。
助かった、と思うあたしに先輩は、
「ごめんね。またあとで」
とウインクして去っていった。……鳥肌が立った。
どうも先輩は、部の後輩女子に人気があると思い込んでいるところがある。
たしかに1年女子なんかはまだ入って間もないから、先輩のビジュアルに騙されている部分はあるかもしれない。
細身の体躯に色白の顔が乗っていて、ぱっと見はかなげな王子様に見えなくもない。
けれどあたしたち2・3年女子は、先輩のナルシストで極度の勘違いっぷりに嫌悪感すら抱いていた。
先輩は1年生に少し指導したあと、
「それでは、ある程度そろいましたので……」
と言ってみんなを見渡し、「10分後に合わせてみたいと思います」
と眼鏡を少しだけずらした。

ゆるい練習が終わりガヤガヤと帰り支度をしていたら、倉橋先輩があたしの方にやってきて、
「一緒に帰らないか」
と声をかけてきた。「今度のコンクール用の曲についても、少し相談したいし」
あたしは無理に笑顔を作ると、
「あ〜、今日はちょっと用事があるんで」
とやんわりと断った。
先輩は少し心外そうな顔をしたけど、じゃあまた今度、と言って先に帰っていった。
みんなが帰ったあともあたしはまだ音楽室に残っていた。
フルートを吹きたいのと、今帰ったら倉橋先輩と会っちゃいそうだったから。
今日も『フィガロの結婚』にしよう。
もう何度も吹いている曲だから暗譜してしまった。
あたしは目を閉じて軽快な曲に身を委ねた。
やっぱり音楽室で吹くのが1番気持ち良く吹ける。
家で吹いてるとお母さんがうるさいのよね。近所迷惑だって。
マンションだから余計に気を使うのかもしれないけど……
ふと壁の時計を見上げると、部活が終わってからすでに1時間以上も経っていて驚いた。
昇降口の鍵が閉まっていたら面倒なことになる。セキュリティの関係で勝手に開けられないから。
前に1度友達とおしゃべりに夢中になって閉められたことがあるんだけど、そのときも先生に、とっくに下校時刻は過ぎてるんだぞ、とくどくど説教されてしまった。
あたしは慌てて荷物をまとめた。
すべての窓の鍵を確認し終え、音楽室を飛び出す。出入り口の鍵は先生が締めてくれるはずだ。
廊下を走っていくと、反対側から背の高い男の子が1人歩いてきた。
あまり見かけない顔だな、と思いながら通り過ぎる。すれちがう時にチラリと見た名札は字こそ読めなかったけど、色はあたしと同じグリーンだった。
2年生か。何組だろ。
ふと振り返ると、男の子が音楽室に入っていくところだった。
誰もいない音楽室になんの用かしら?
そんなことを考えながら階段を駆け降りた。

翌日、昨日来れなかった雑貨屋に絵里とやって来た。
「あーあ。もうイヤんなっちゃう! さっさと誰か立候補してくれればいいのにぃ」
絵里はミルクティを飲みながら愚痴った。
ここの雑貨屋は2階がカフェになっている。下で雑貨を見たあとふたりでお茶してたんだけど……さっきから絵里は愚痴りっぱなしだ。
今日も例の立候補者が見つからず、放課後クラス全員が残されたからだっだ。
残されたとはいっても、部活がある日に比べるとまだ早い時間なんだけど、帰宅部の絵里には、
「おかげでこんな時間になっちゃったじゃない」
と許せないらしい。
「本当にあたし達のクラスまとまりないもんね。みんな面倒くさいこと大嫌いだし」
とあたしは肩をすくめて、「って、実はあたしもだけど」
「同じく!」
あたし達は顔を見合わせて笑った。
「あ! 加納クン!」
ふいに絵里が窓の外に視線を向けた。
「今帰りかな……」
「誰?」
あたしも身を乗り出して窓の外を覗いたんだけど……夕方の駅前の人ごみはハンパなく、誰のことを言っているのか分からなかった。
「H組の加納クンよ。1年のとき同じクラスだったんだ」
「ふうん」
加納……? 顔が思い浮かばない。
絵里がいつまでも窓の外を見ているから、
「なによ、もしかして好きな人なの?」
とからかった。すると絵里はちょっと顔を赤くして、
「ちがうちがう!」
と首を振ってから、「……って実はちょっと憧れてた時はあったんだけどね」
と舌を出した。
それは初耳だ。
絵里は目をつけた男の子には積極的に近付いていく方だ。でも今まで1度も『加納クン』の名前は聞いたことがない。
積極的な絵里が内緒で憧れてたなんて……どんな子なんだろう。
あたしはちょっとだけ『加納クン』に興味を持った。

翌日の金曜日。あたしは部活に出たことを激しく後悔していた。
今日は1年生が課外授業の関係で部活に出られず、2・3年だけの練習になった。
指導する1年生がいないせいで、倉橋先輩があたしに付きまとってきて……鬱陶しいったらない。
いくら、1人で練習できますから、と言っても、
「遠慮しないで」
と勘違いして隣に座っている。
他の女子部員たちは気の毒そうにあたしを見るし、もう恥ずかしくてしょうがなかった。
練習が終わってからも、
「洋子ちゃん、今日はどう? 実は今度のコンクールの曲、フルートのソロが多い曲にしようと思ってるんだけど」
とあたしのフルートのケースをなでながら誘われた。
あたしは大慌てで適当な言い訳をすると、まだ未練がましくこちらを振り向く先輩をなんとか先に帰した。
「洋子〜。今日は1年がいなかったから、あんたターゲットにされてたね」
と同じ2年女子が声をかけてきた。
「も――っ! マジ嫌なんだけど! 一緒に帰ろうとか言われたわよっ」
あたしが身震いしながら言うと、
「まだその辺で待ってたりして〜」
と怖いことを言われた。
音楽室の窓からこっそりと昇降口を見下ろすと、ちようど先輩が出てきてそのまままっすぐ校門の方に向かって歩いていくのが見えた。
ホッと安堵の溜息をつく。
けれど、念のためもうちょっと後から帰ったほうがいいだろうと考え、今日も残ってフルートを吹いていくことにした。
『フィガロの結婚』の楽譜を譜面台に出す。
2〜3回吹いてから、今日はどうも調子が出ないな、と首をひねる。
部活の最中からおかしいなとは思っていたんだけど、そう言ったら絶対に倉橋先輩が喜んで飛んでくると思って何もないふりをしていた。
掃除棒を頭部管に入れ、反射板を確認する。ヘッドスクリューが管体とよく装着していなかった。
どうりでカチャカチャしていたワケだわ。
そんなことを考えながらヘッドスクリューをいじっていると、急に音楽室のドアが開いた。
ビックリしてドアの方を見ると、おとといの部活のあと廊下ですれ違った男の子が立っていた。
「え、あの……?」
あたしも驚いたけど、その男の子もまさか人がいるとは思っていなかったような、ちょっと困ったような顔をした。
「すみません。フルートの音が止んだんで、もう帰ったかと思って」
男の子はよく通る声でそう言うと、「えーと、まだ練習やります?」
と聞いてきた。
「え? は、いえっ! もう帰りますからっ!!」
あたしは慌ててフルートを片付け始めた。
荷物をまとめながら、なんであたしたち同い年なのに敬語使ってるんだろう、なんてどうでもいいことを考えた。
ふと見ると、男の子は音楽室の入り口のところで立ったままこっちを見ていた。
そんなところで何してるんだろう? もしかしてこのあと音楽室を使うのかしら……
あたしはなんだか緊張してしまって、やたら片付けに手間取ってしまった。
あたしがガチャガチャやっていると、
「あの、そんなに急がなくてもいいですよ」
と男の子が言った。……恥ずかしくなって余計に慌ててしまった。
やっと荷物をまとめて音楽室を出ようとしたときになって、はじめて男の子を観察する余裕ができた。
頭ひとつ分くらいあたしより身長が高いから、余裕で170はありそう。
痩せているように見えるけど、意外と肩幅なんかはしっかりしてるみたい。
薄い唇に切れ長の目が冷たそうな印象を与えていて、黒いサラサラの髪が目のすぐ上までかかっていた。
けっこう好みのタイプかも……
「―――何?」
ふいに男の子があたしを見下ろした。
うっかりジロジロ見ちゃってたみたい!
「いえっ、なんでもないですっ!」
慌てて目線を男の子の胸のあたりにそらしたとき名札が見えた。

『2−H 加納』

ん? 加納?
どこかで聞いたような気が……
あ―――――っ!
「憧れの加納クン?」
あたしは思わず男の子を指差して叫んだ。
そうだ。この前絵里が話してたH組の加納くんだ。
「は?」
男の子……いや、加納くんは明らかに怪訝そうな顔をしていた。
「ううんっ、ごめんなさい! なんでもないの」
あたしは慌てて手を振った。
加納くんは訝しげにあたしを見下ろしたあと、音楽室内の窓の鍵をすべて見てまわった。それから、
「鍵かけるから早く出て」
と、いつまでも入り口の所に突っ立っているあたしに言った。
なんで加納くんが鍵なんかかけに来たんだろう。これって先生がやるんじゃなかったっけ?
そんな疑問が顔に出たのか、加納くんは、
「俺、生徒会役員だから放課後の戸締りやってるんだ」
と説明すると、じゃあ、と言って生徒会室の方に歩いていってしまった。
生徒会室と音楽室は、お互い廊下の両端に位置している。
加納くんは一度も振り返らずに生徒会室に入って行った。


「おいっ! 割り込むんじゃね―よっ!!」
「てめぇこそ押すなよ!」
翌週の月曜日。購買部は黒山の人だかりになっていた。
今日は給食センターが休みでお弁当持参の日だったんだけど、どうやらみんな忘れてたみたい。
……なんて、そういうあたしもだけど。
「はい、コロッケパン売り切れたよ〜」
購買部のおばちゃんの声が聞こえる。
え、うそ! 買おうと思ってたのに〜!!
「あのっ、じゃハムサンド……きゃあ!」
もたもたしていたら、後ろからきた男子に押しつぶされてしまった。
あたしが床に這いつくばっていても誰も気にもとめない。それぐらい今日の購買部は殺気立っていた。
その殺気に怯えながら順番を待つ。途中何人にも割り込まれたけど怖くて文句も言えずにいたら、とうとうあたしがパンを買えないまま売り切れとなってしまった。
「もう、何も残ってないよ」
と言うおばちゃんからコーヒー牛乳だけ買い、トボトボと購買部を出た。
どうしよう……
今日は部活がある日で帰り遅いのに、コーヒー牛乳だけじゃ持たないわよ。
やっぱり練習サボっちゃおうかな……
そんなことを考えていると、パンの袋を持った加納くんが購買部にやって来た。
あたしには気づいていないみたいで、購買部に設置されている自販機で飲み物を買っていた。
あたしは購買部を出たところに立ち止まって加納くんを見ていた。間もなく彼もあたしに気が付いた。
「―――? ……ああ! 吹奏楽部の」
「E組の内沢です」
あたしは軽く頭を下げながら、「加納くん、パン買えたんだ」
と加納くんの手元の袋に視線を向けた。加納くんも袋に目を落としてから、
「買えなかったのか?」
と購買部を振り返った。
彼も、あたしが同じ2年だと知ると敬語を使うのはやめてきた。
「すごい人でね。もみくちゃにされている間に売り切れちゃったのよ」
とあたしは肩をすくめた。
すると加納くんは、持っていたパンの袋をあたしに差し出してきた。
「じゃ、やるよ」
「え?」
驚いて加納くんを見上げる。
「昼飯ないんだろ」
「そうだけど……でも、加納くんの分がなくなっちゃうわよ?」
「俺は弁当持ってきてるから」
「え、だって……じゃ、コレどうして買ったの?」
あたしは困惑しながら渡された袋を見つめた。
「今日は役員会で遅くなるから、放課後腹減るかもって買ったヤツなんだ。なかったらなかったで平気だし」
そっか。たしか、生徒会役員やってるってこの前言ってたっけ。
「え、でも……いいのかな」
あたしがまだためらっていると、
「いいよ。食わないと持たないぜ。今日も部活あるんだろ?」
と加納くんはそう言って歩き出した。
「え?」
部活って……
あたしがビックリして突っ立っていると、
「あれ? 違ったっけ?」
加納くんが振り返った。
あたしはなんだか嬉しくなってしまった。
加納くんがあたしの部活のある曜日を知っててくれた!
あたしは急いで加納くんに駆け寄り、
「なんで知ってるの? 今日部活だって」
と言いながら加納くんと並んで歩き出した。
「俺が戸締り当番の日と、吹奏楽部の練習日が一緒だから」
ああ……そういうことか。
何か特別な理由を期待していたわけじゃないけど、なんとなくがっかりしてしまう。
「じゃ、今日も戸締り当番?」
「ああ」
なんとなくそこで会話が途切れてしまった。
あたしはもっと加納くんと話がしたくて必死に話題を探したんだけど、結局いいのが思い浮かばなくて、そのうち別れる角まで来てしまった。
そこまで来て、やっとパン代のことを思い出した。
「あっ! パン代払わなくちゃ! ごめんなさい、忘れるトコだった。いくら?」
加納くんも全然気付いてなかったみたいで、ああ、と思い出したように呟くと、
「いいよ、別に」
と軽く首を振った。
「よくないわよ。ちゃんと払うから!」
あたしが財布を開けたら加納くんもやっと、
「じゃ、200円」
と金額を教えてくれた。
あたしは財布から100円玉を2枚渡して、
「どうもありがと。助かったわ」
とお礼を言った。
加納くんはそれを受け取ると、それじゃ、と言ってH組の方へ歩き出した。
加納くんが教室に入るのを見届けてから、あたしはパンの袋を覗き込んだ。
クリームパンとカレーパンが入っていた。

「なんかゴキゲンじゃん? 洋子」
放課後、絵里にそう言われた。「やっぱあれ? 今日は担任いなくて居残りもないから?」
え? そんな機嫌良さそうにしてた? あたし。
たしかに、今日のお昼の一件でゴキゲンなことは確かだけど……
そんなに顔に出ちゃってたの?
あたしは慌てて顔を引き締めた。
「ま、まあね。そんなとこ」
絵里はうんうんと肯きながら、
「そうだよね〜。ここんとこ毎日立候補者選びで居残りさせられてたもんね」
と教室の出口の方に向かって歩いていく。
「洋子は今日も部活でしょ?」
「うん」
「せっかく居残りないのに大変ね〜。あたしには絶対ムリ!」
絵里は、今日はネイルの新色が出るから試供してもらうんだ、と言って帰っていった。
あたしは荷物をまとめて音楽室へ向かった。
本当は休もうかと思っていた。
週末に倉橋先輩から電話があり、月曜日の今日コンクール用の曲の件で相談したいことがある、と言われていたから。
実際、昼までは休もうと思っていたんだけど、今日は加納くんの戸締り当番だと聞いてやっぱり出ることにした。
いつもどおりゆるい練習をだらだらと流したあと終了時間になった。
また倉橋先輩があたしを誘ってきた。
けれど、あたしは別な人と一緒に帰りたかったから、丁重にお断りした。
「もしかして僕、避けられてるのかな」
……やっと気づいたか。
「そんなことないですよ〜。本当に今日はちょっと都合悪いんです。それに先輩1年生に人気あるから、恨まれちゃったらやだし」
と先輩を持ち上げると、先輩はまんざらでもなさそうな顔になった。
本当はその1年女子たちも、うすうす先輩の本性に気づき始め、少しずつファンは減り始めているみたいだけど。
先輩は、僕はみんなのものだよ、と迷言を残してやっと帰ってくれた。
今日はフルートを吹かないで、加納くんが来るのを待った。
いつも下校時間ギリギリに来るから今日もそれくらいかな、と思いながら待っていると、意外にも早くやってきた。
「あれ? まだ残ってたんだ。何も音がしなくなったから、今日はもう終わりだと思ったんだけど……」
加納くんは音楽室の中に入らずに、ドアに手をかけたまま壁の時計を見上げた。
「まだ練習していくのか?」
「ううん、もう帰る」
あたしはカバンを肩にかけるとドアの方に歩き出した。
「じゃ、閉めるな」
ちょっと屈んで鍵をかける加納くんを見下ろす。……微かに鼓動が早くなる。
「……あの、さ。加納くん」
うん?と加納くんが鍵をかけながらあたしに眼で問い返す。
あたしは勇気を出して言った。
「もしよかったら……一緒に帰らない?」
「あ〜、まだやることあるから」
即答された。
「そ、そっか! 加納くん生徒会やってるんだったもんね。ゴメン、深い意味はないから気にしないで。じゃ、さよなら!」
あたしは一気にまくし立てると、廊下を駆け出した。

家に帰るなり、制服も脱がずにベッドに寝転がった。そのまま両手で顔を覆う。
―――別に加納くんのことどうこう思ってたわけじゃない!
―――絵里が騒いでたから……だからちょっと興味があっただけよ!!
あたしは何度も自分にそう言い聞かせた。
そうでもしないと、恥ずかしくて死にそうだった。
加納くん…… どう思ったかな。
ほんの2〜3回会った程度の女子から一緒に帰ろうなんて誘われて……
もしかして、気があるとか思われた……?
「あ―――っ、もうっっっ!」
なんであんなコト言っちゃったのかなぁ。
明日からどんな顔して会えばいいんだろ。
って、クラスも別だし、めったに会うことはないんだけどさ。
いや、それどころか、むしろ避けられちゃったりして……
そこまで考えたら、いっそう気が滅入ってきた。

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