C 陸 vs 先輩
「オレと勝負しろ―――――ッ!!」 と体育館内に大声が響き渡った。 あたしと先輩が驚いて振り向くと、体育館の出入り口のところに陸が立っていた。 「り、陸!?」 陸がゆっくりとあたしたちに近づいてくる。なぜか手にバスケットボールを持って…… 「なに? キミ」 先輩が少しだけ眉間にしわを寄せて聞く。 「オレは結衣の彼氏…」 陸はそこで一旦言葉を切ると、「……候補だ」 と先輩を睨んだ。 え、なに? どういうこと? だって…あたし陸に愛想つかされて、フラれたんだよね……? 混乱するあたしに先輩が顔を近づけて、 「もしかして、例の彼?」 「は、はい…」 先輩はまたソフトに笑うと、 「愛されてんじゃん」 「愛っ…」 あたしが絶句していると、 「―――ッ、な、何コソコソやってんだっ!!」 とまた陸が怒鳴った。 先輩は笑顔のまま陸に向き直ると、 「いいよ。勝負しようじゃない」 「先輩っ!?」 驚くあたしに先輩はちょっとだけ振り返って、 「ま、いいから。ここは俺に任せて。結衣に協力するから」 と小声で言った。 協力って…… 何するの? 「だからコソコソやるなって!」 大声を出している陸に先輩は一歩近づくと、 「で? 何で勝負するわけ?」 と腰に手を当てて言った。 「……あんたバスケ部だったろ」 なんで陸がそんなこと知ってるの? 「ああ」 「じゃ、フリースロー勝負だ」 陸は持っていたボールを目の高さにまで上げた。 「いいよ」 と先輩が肯く。 ちょっとちょっと! 先輩はスタメンのレギュラーだったんだよ? ポイントガードですごく上手くて、遠くからでも綺麗にシュート決めちゃって…… 陸がかなうわけないじゃないっ! 「交代でシュートして先に外した方の負けだ」 「オッケー」 先輩は陸の手からボールを奪うと、その場で軽快にドリブルを始めた。 わ…… 先輩がバスケやってるの見るの、久しぶり。 「どっちが先攻? 俺はどっちでも構わないよ」 そう言って先輩はフリースローラインよりさらに離れたところからシュートを決めた。「絶対外さないから」 陸は先輩のシュートを驚いた顔で見ていたけど、キッと口元を硬くすると、 「オレが先でいい。……それから今のシュートも有効だ」 先輩が、ヒュ〜、と軽く口笛を吹く。 陸はフリースローラインに立つと、2本続けてシュートを決めた。 それは綺麗に弧を描いて、バスケットの中に吸い込まれるように入った。 「おお〜!」 先輩が手を叩く。 陸が意外なほど綺麗なフォームでシュートを決めたから、あたしはビックリしてしまった。 すごいじゃない…… あたしが陸に見惚れていると、 「結衣、ボール!」 と先輩が軽く手を上げながらフリースローラインに立つところだった。代わりに陸がサイドラインに立つ。 あたしはゴール下に行ってボールを拾った。それを先輩に投げる。 「じゃ、俺も2本目ね」 |
と言いながら投げたボールがまたバスケットに吸い込まれる。 体育館にボールの弾む音だけが響く。 ときどき先輩が、 「上手いね」 とか、 「やってた?」 とか、短く陸に話しかける以外は本当に静かだった。 陸は先輩の問いかけにも殆ど口を開かなかった。 どういうつもりなんだろう…… 先輩と勝負って…… 一体何をかけて? もしかして…もしかしてだけど…… あたし? だってだって、え? なんで?? 半ばパニくっているあたしをよそに、2人はどんどんゴールを重ねて行き、陸が6本目のシュートを決めた。 「やるじゃん」 陸は先輩を横目で見ると、 「誰が外すかよ」 と口元だけで笑った。 先輩はちょっとだけ目を見開いて陸を見たあと、 「ところでさ、結衣のことだけど」 「あ?」 「キミが外したら、本当に俺がもらっていいんだよね?」 と微笑んだ。「……っていうか、返してもらうって言った方がいいか」 「ちょっ!? 先輩?」 あたしは慌てた。 「結衣は黙ってて」 先輩に制されて口をつぐむ。 陸が黙ったまま先輩を睨んでいる。それをソフトな笑顔で受けている先輩。オロオロするあたし。 なんなの? この図? オロオロしているあたしに先輩が、 「結衣! コレ持ってて」 と車の鍵を投げて寄こした。「さっきからポケットの中でチャリチャリいってて邪魔だったんだよね」 「は、はあ…」 渡されたキーホルダーを眺める。 「コレ終わったらドライブ行こう。すぐだから待ってて!」 は? ちょっと先輩? 先輩はまたしなやかなフォームでシュートを決めた。 強くバックスピンがかかっていたみたいで、あたしが拾わなくてもボールは先輩のところに戻っていった。 「さ、キミの番だ」 と陸にボールを投げる。 陸は受け取ったボールを、しばらくフリースローラインの上に弾ませていた。そして思い切ったように目の高さに構える。 「陸っ」 思わず小さく叫んでしまった。 陸がこちらを見る。 あたしのせいでタイミングがずれてしまったのか、陸は腕を下ろし再びボールを弾ませようとした。 すると先輩が、 「バイオレーションだよー」 ? バイオレーションってなんだろ? でも陸には通じてたみたいで、少しだけ顔を赤くすると下ろしかけた腕を再び構え直した。 今気付いたんだけど、陸は先輩と構え方が違う。 ちょうど鏡で映したみたいに左右が逆になっている。 そういえば、字を書くときとお箸以外は左利きって言ってたっけ…… そんなことを考えていたら、陸が7本目を打った。 「あッ」 打った直後、陸が小さく呟く。 ボールはそのままバスケットに吸い込まれると思ったら、リングに当たりバスケットの上で弾んだ。 うそっ!? 外す!? と心配しかけたけど、弾んだボールは幸運にもゴールの中に落ちてくれた。 「やるな〜」 先輩は腕を組んで楽しそうに笑っている。 あたしはそんな先輩に近づいた。 「あ、あの… 先輩」 「ん?」 先輩が目線は陸に向けたまま、耳だけあたしに近づける。あたしも小声で、 「先輩…さっきあたしに協力するって言ったよね?」 「うん」 うん、って…… じゃ、なんでこんな陸を追い詰めるようなことするの? 「あの、先輩」 「何?」 先輩に耳打ちしていると、陸がボールを強くバウンドさせて先輩に渡した。 「ホラ! あんたの番だぞ!」 陸は舌打ちしながら、「コソコソやんなっつーのっ!」 とイライラしたように言った。 「あの…次、外してください」 「え?」 先輩があたしの顔を見る。 「だってきっと陸もう限界だもん。次は外すかも……いたッ!」 いきなり先輩に頭を叩かれた。 「おいッ!?」 と陸が声を荒らげる。 「結衣が彼のこと信じないでどーするの?」 先輩があたしの目を見て言う。 「おいっ! なんで叩いたんだよっ!?」 「……陸。なんでもないから」 あたしがそう言うと陸は口をつぐんだ。 けれど、目は怒ったまま先輩とあたしを交互に見ている。それからクルリと踵を返して反対側のサイドラインに立った。 先輩の順番を待ってるんだ。 「彼はすごく真剣だよ。わざと外したら失礼だ。……それに、そんなことしたってすぐバレちゃうよ」 先輩は受け取ったボールを手の中でくるくると回した。「彼、バスケ経験者だよ」 「ええっ!?」 陸、バスケやってたの? 先輩がボールを弾ませながらフリースローラインに立つ。 そして目の高さにボールを構え、今にも投げようかという瞬間。 先輩のズボンのポケットに入っているケータイが光った。 バイブレーターにしてあったみたいで音は鳴っていない。けれど、先輩が一瞬…それもほんの少しだけ顔を歪めた。 そしてそのまま先輩の手からボールは放たれた。 ボールは綺麗な弧を描き……先程の陸と同じようにリングに当たった。 けれど、今度はボールはバスケットの外側に落ちた。 「っしゃ!」 陸が小さくガッツポーズをする。 「先輩? 今…」 あたしがそう言いかけるのを先輩が手で制した。 「キミの勝ちだ」 先輩が陸を振り返る。「ところでキミは、この勝負に勝ったら結衣をどうしようと思ってたわけ?」 |
「そんなの決まってんだろ」 陸があたしの方に近づいてくる。「オレの女にする!」 と言って陸はあたしの肩を抱いた。 思わず陸を見上げる。 ……もう嫌われたと思ってたのに。 先輩はあたしたちを見て今まで以上にソフトに微笑むと、 「いいね、お似合いだよ」 と言ってボールを陸に渡した。代わりにあたしの手から車のキーを取り上げる。 そしてそのまま体育館を出て行く。 「結衣っ!」 陸が顔を近づけてくる。 「ちょ、ちょっと待って!」 あたしはそれを手で制した。「すぐ戻ってくるから、ちょっとだけ待ってて!」 そう言ってあたしは先輩を追いかけようとした。 「結衣っ!?」 と陸が怖い顔をする。「やっぱあいつじゃないと……ダメなのか?」 「違う! あたしが好きなのは陸だからっ!」 ―――…思わず言ってしまった。 陸が目を見開いてあたしを見つめる。 「……ホント? マジで? 結衣っ」 「ホントだから! とにかく待ってて!」 あたしは恥ずかしさと先輩を追いかけなきゃという思いとで、慌てて体育館から飛び出した。 「せ、先輩!」 やっと先輩に追いついたとき、先輩はもう車のドアに手をかけているところだった。 あたしは乱れた息を整えながら言った。 「せ、先輩さっき… ケータイ… それの、せいで……」 「何やってるの? だって」 「……え?」 先輩はケータイの画面をあたしの方に向けた。 「さっきのメール」 「メール?」 「…実は、京都の大学でちょっと親しくしてる女の子から…だったんだ」 とちょっとはにかんだように笑う。 「……新しい、彼女?」 「とまでは行ってないけどね。……でも多分、そうなりそう」 「そーなんだ」 なんとなくあたしたちは黙って向かい合っていた。 じゃ、行くね、と言って先輩が右手を差し出す。あたしもその手を取った。 「指輪、捨てなよ?」 「うん。…先輩も」 先輩は最後まで優しい笑顔のまま帰って行った。 優しい先輩… 大好きな先輩…… 先輩、ありがとう。幸せになってね。 体育館に戻ってみると、陸がまだボールを追いかけていた。 「ねぇ、やってたの? バスケ」 陸がドリブルから綺麗なフォームでシュートを決める。 「ん? 小学校と中学2年までだけど」 そう言いながらまだボールを放さない。「すっげ久しぶり! つか高校用のボールって大きいな、やっぱ!」 「ボールに大きさの違いなんかあるんだ?」 「あるよ! 重さも違うし。結衣もやってみ?」 「無理無理!」 あたしは両手を大げさに振った。 陸は笑いながらボールをバックボードに当てた。それを高くジャンプして指先で弾いてバスケットの中に入れた。 一瞬、空中で止まっているように見えて…… 「すごい……!」 「タップ!オレの得意技! オレセンターだったんだけど、滞空時間長いからゴール下はオレのもん?って感じだったよ!」 陸はタップシュートを決めた後、やっとボールを弾ませるのを止めた。 「今何時?」 「3時半」 「まだ時間あるな。……な、帰りにデートしてこっ!」 「どこ行く気?」 「んーっとねぇ」 陸が子供のように考え込む。 「……あ、ちょっと待って」 「ん?」 「ダメだ。あたしお父さんのサンダルで来ちゃってるし………あっ」 そこまで言ってとんでもない事を思い出した!! 思わず先輩にもらったパーカーの前を握りしめる。 「どうしたの? 結衣?」 「か、帰る帰る帰るっ!」 「え、なんで? デートは?」 「今日はダメっ! とにかく帰るっ!!」 陸は訝しげな顔をしながら、 「……じゃ、明日は?」 「あ、明日ならいいよ!」 良かった…… とてもこんな状態で陸と一緒にいられない。ましてやデートなんか絶対無理!! 早く帰ろ、早く帰ろっ! ボールを片付けに体育用具室に行く。 「……なぁ」 「え?」 「そのパーカー、デカ過ぎね?」 「ああ、先輩にもらったから…ッ!」 慌てて口を押さえたけど遅かった。 「……アキヒコからもらったの? もしかして着てたヤツ?」 ヤバっ…… 「あ、あのね? 陸…」 「脱げよ」 「いや、ちょっと寒かったっていうか……そう!風邪気味で!」 「じゃ、オレのシャツ貸してやる。だからそれは脱げ」 |
そう言うなり陸が着ていたシャツを脱ぐ。 「ぬ、脱げない」 「脱げ」 「……どうしても?」 「脱げ」 陸は眉間にしわを寄せている。 あたしは諦めて、 「…じゃ、じゃあ脱ぐけど…… あっち向いてて」 「なんで?」 「いいからっ! あっち向いてよっ!」 眉間にしわを寄せたまま陸が後ろを向く。 仕方なくパーカーを脱いで……自分の胸元を見下ろした。 白いTシャツの上には苺のプリント。そして…… ダメだ。やっぱりよく見たらすぐにバレちゃう。 シャツシャツ。陸のシャツは? ……あっ! 陸は脱いだシャツを手にしたまま後ろを向いていた。 ちょ…… どうする? 投げてもらう? なんではじめに気付かないかな、あたし… 「り、陸〜…?」 「脱いだの?」 陸が振り向こうとする。 「だ、ダメ―――ッ!! こっち向いちゃ!」 あたしは慌てて先輩のパーカーを胸に当てた。 「……なんなんだよ、さっきから」 「シャツ、投げて」 「は?」 「陸のシャツっ! 投げてって言ってるの!」 陸は後ろを向いたまま黙っている。 ……なに? もしかしてまた怒っちゃった? と心配しかけたら急に陸が振り返った。 「―――ッ やだっ!」 あたしは両腕で自分の体を抱くようにしてしゃがみ込んだ。 「……なんだよ。べつになんともないじゃん」 陸が笑いながらあたしに近づいた。「あんま変なこと言うから、パーカーの下裸なのかと思っちゃったよ」 ドキ――――ッ!! 「そそ、そ、そんなこと、あるわけないじゃんっ!」 「だよな〜」 と陸は言いながらあたしの手からパーカーを奪い、代わりに自分のシャツをかけてくれる。「風邪気味なんだっけ? だいじょぶ?」 |
良かった…… ごまかせたみたい。 「う、うん。大丈―――ぶっ!?」 返事をしようとしたとき、急に陸があたしの両手首を掴んだ。 「…なんて、信じると思った?」 ちょっと目を細めてあたしを見つめる陸。 「ホントは何隠してる? 言えよ」 「か、隠してなんかないっ!」 わっ、わっ! やめて〜〜〜ッ!! 陸は手首を掴んだままあたしを壁に押し付けた。 「さっさと白状しないとキスしちゃ…う…ぞ…… って、えっ!?」 驚いた陸の目線があたしの顔の下に向けられている。 ……バレた。 |
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