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「……倉本さん、楽しい?」 「え? あ、うん。楽しいよ! ペンギン可愛いし!」 唐沢勝利に顔を覗き込まれてハッとする。 「そう? なんかボーっとしてたから…… 退屈なのかなって」 「そ、そんなことないよー! あたしだって楽しみにしてたし、水族館!」 「ならいいけど」 唐沢勝利が目を細める。 ……ダメだー。 やっぱり楽しめない。 法子さんの誕生会に早く行かなきゃって思いもあるし、なにより伊吹のことが気になって目の前の水槽に集中できない! きっと今頃、法子さんやパパの前では最高の笑顔を振りまきながら、お腹の中ではあたしに悪態をついているに違いない。 いや。もう殺されてるかも…… 「あ、もうすぐメイン水槽で餌付けショーやるって。行こ!」 唐沢勝利があたしの手を取る。 「あ、うん……」 振り解くのも悪い気がして、そのまま引っ張られるように水族館内を移動した。 |
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実はさっきからこんなことがちょこちょこあるんだよね。 「順路はこっちだよ」 といってさりげに肩を抱かれたり、小さな水槽の前で、 「なにこのクラゲ! なんで光ってんの?」 と言いながら頬を寄せてきたり…… これはやっぱり勘違いなんかじゃなくて、唐沢勝利はあたしに気があるんじゃ……? 「うっわ、なにこれ! もう魚じゃなくて怪獣に見えるんだけど」 深海魚コーナーで唐沢勝利が驚いた声をあげる。 「ホントだね。目とか? なんか怖い」 「本物の深海って真っ暗じゃん? 目いらなくない?」 「ていうか、見えてんのかな? ……わっ、ごめん」 ちょっと振り向こうとしたら、目の前に唐沢勝利の顔があった。頬が唐沢勝利の鼻に掠った。 慌てて離れようとしたら、 「べつにいーよ。……ていうか、逆に嬉しいし」 と唐沢勝利は笑う。 こ、これはもう…… 「あ……あのさ、唐沢くん」 「なに?」 なんかこんなこと自分から聞くのって恥かしいけど……ハッキリさせたいから聞いちゃおう。 「唐沢くん……もしかして、あたしに好意持ってくれて、る?」 「え?」 唐沢勝利が目を見開く。 「いやっ、勘違いだったらチョー恥かしいんだけどっ! も、もしかしてそーなのかなーなんて思ったから! ははっ」 「……ストレートだなー。普通そういうこと思ってても聞かないよね。言われるの待ってるよ、普通の女子は」 唐沢勝利はそう言って困ったように笑った。 「や……ですよね、ごめん」 普通じゃない、と言われた気がして恥かしくなった。 「ちょっと話そっか」 そう言って深海魚コーナーを入ってすぐのところにあった休憩用の椅子に座らされた。 「……」 「……」 しばらく2人とも無言で座っていた。 唐沢勝利……なんで何も言わないの? あたしがあそこまで言ったんだから、ここは告白してくる流れでしょ? それともやっぱりあたしの……勘違いだった!? 「ごめんっ、やっぱ違うよね! なに言ってんだろ、あたしっ、今の忘れてっ!!」 あたしは両手で顔を覆って俯いた。 やっぱり勘違いだったんだっ! 恥かしい恥かしい恥かしい―――!! もう逃げ出したい…… あたしがいつまでも顔を隠したまま俯いていたら、そっと肩を抱かれた。そして耳元で、 「……やっぱ、バレちゃった?」 と囁かれた。 「ひゃぁっ!」 耳に息がかかって驚いて飛び上がる。 「もう、反応がいちいち可愛いなぁ。倉本さんは」 肩を抱く腕に力が込められる。 「バ、バレるって……」 「うん。オレ倉本さんのこと好きになっちゃった」 「!!!!!!」 や、やっぱり―――ッ!! あたしは飛び退くように唐沢勝利の腕から逃れた。そんなあたしを見て唐沢勝利が笑う。 「あは。エビみたい」 「か、唐沢くん?」 「ホント可愛いね、ナナちゃん」 そう言いながらまた唐沢勝利があたしの手を取る。 「唐沢くん。悪いんだけど、あたし好きな人が……」 「知ってるよ。椎名でしょ」 「そ、そうなのっ! だから、あの……っ」 とキッパリ断ろうとしたら、 「べつにいーよ。二股でも」 と唐沢勝利は笑った。 「…………は?」 一瞬なにを言われたのか分からなかった。 フタマタって…… あの二股? 「椎名と別れてオレと付き合ってくれるってのが1番いいけど、すぐには無理だよね。だからいいよ、それまでは二股でも」 「ちょ、ちょっと待って! ……ごめん、言ってる意味が分かんない」 「椎名と付き合ってるってみんなに知られた直後に、やっぱり別れました…なんて噂されるのもやでしょ。だから表向き椎名と付き合っといてもいいよ」 「……」 なにこの人…… 自分から二股でもいいなんて…… 唐沢勝利は笑顔のまま、 「椎名ってナナちゃんの前じゃヒドいヤツみたいじゃん? この前知って驚いたけど。椎名と付き合ってて傷ついたときはオレが慰めてあげるよ。だからオレとも付き合って」 |
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と再び肩を抱いてくる。「ね? 椎名には言わないから。だから内緒で付き合お?」 「ひゃっ! ちょ、ちょっと、耳……やめてっ」 唐沢勝利の顔が近づいて、また耳元に息をかけられた。 「マジで可愛い反応するね、ナナちゃん。これくらい平気でしょー。どうせ椎名とヤリまくってんだから」 「は……はぁっ!?」 ヤリまくり……って、なにをっ!? 「オレとも試してよ。絶対椎名よりいい仕事するから」 「!!!???」 唐沢勝利、勘違いしてるっ!! 「ちょっと待って!? あたしたちそんなことしてないからっ! ていうか付き合ってないしっ!」」 「またまたぁ、今さら隠したって無駄だよ。毎晩一緒にいるみたいなこと言ってたじゃん」 は? あたしそんなこと言った? 「2人でいるところ何回も見かけてるし……修旅の新幹線でも抱き合ってたじゃん。さっきだって椎名が好きだって自分で言ったの忘れた?」 「言ったけど、それはあたしの片想いなのっ! なんならしつこくしすぎて嫌われてるくらいだからっ!!」 「またまた……」 「いやホントだからっ! 親同士が……えーと…ちょっと親しくて…… それで伊吹とは接点多いけど、付き合ってるとかじゃないんだってば!」 あたしが必死に否定したら、唐沢勝利もやっと笑うのを止めた。 「……マジで? 付き合ってないの?」 「うん。付き合ってない。完全なあたしの片想いなの」 とあたしも肯いた。 そのまましばらくあたしの顔を見つめていた唐沢勝利だったけど、 「そっかー…… 付き合ってなかったのかー」 と呟くとあたしの肩に回していた腕を外してくれた。 やっと理解してくれたみたいだ。 「あ、だからって唐沢くんと付き合うとかそういうのは無理だから!」 あたしは慌てて付け足した。 あたしと伊吹が付き合ってないって分かって、変に期待させちゃったら可哀想だ。 どんなに暴言吐かれても、イジワルされても、あたしはやっぱり伊吹が好きだから。 だからこれだけはハッキリ言っとかないと! 「唐沢くんは頭いいし優しいし……すごくいい人だけど、あたしはやっぱり伊吹じゃないとダメなの。だから……ごめんね」 唐沢勝利は項垂れたまま視線を合わせようとしない。 やっぱり、ショック与えちゃったかな…… 二股でもいいって覚悟してたのに(その覚悟もどうかと思うけど)、あたしがフリーだって分かっても、結局は付き合えないってことになって…… 「唐沢くんなら、あたしなんかよりもっとイイ子が見つかるよ」 と唐沢勝利の腕にそっと触ったら、 「はぁ?」 と手を振り払われた。「ナメんじゃねーよ。なんでおまえみたいな馬鹿に慰められなきゃなんねーんだよ!」 「……え?」 驚いて唐沢勝利を見上げる。 「おまえオレを誰だと思ってんの? 学年主席の唐沢勝利だよ!? なにナメた態度とってんだよ!」 「か……唐沢くん?」 いきなりのことに、何を言われてるのか分からなかった。 「くっそ、なんだよーッ! 椎名の女だと思ったから声かけたのに……違ったのかよっ!」 あー時間ムダにした、と唐沢勝利が吐き捨てる。 「え…… ど、どーいうこと?」 あたしが戸惑いながら尋ねると、 「あー、キミお馬鹿さんだもんね、分かんないよね」 と笑われた。 「オレねー、椎名が嫌いなの。だから影であいつの女で遊んで馬鹿にしてやろうと思ってたんだ。利用しようとしただけなんだよ、キミのことは。ごめんね」 ちっとも悪そうじゃなく謝る唐沢勝利…… 「な、なんで伊吹のこと……?」 伊吹は学校じゃ愛想良くしてるし、男女問わずに好かれてるから敵なんかいないと思ってた。 これでもし、伊吹の方が成績が上で、それを妬んでのことだっていうならまだ分かるけど……そうじゃないし。 いったい何が気に入らないっていうんだろう。 前に伊吹に唐沢勝利のこと聞いたときだって悪いふうには言ってなかったし、もめてるとかじゃないよね……? 唐沢勝利は眉間にしわを寄せて、 「あいつってさー、イヤミじゃん。特進クラスで運動部入ってるとか、なにアピール? ボクは特進クラスだけど勉強だけじゃないんです、運動も出来るんですってか。馬鹿ヤロー、特進クラスは勉強が全てなんだよ!」 と吐き捨てた。 「だったらオレが1番偉いだろ。だって主席だよ? ……なのに、周りのバカ共は椎名ばっかちやほやするし。教師まで…… マジでウチの学校はバカばっかりだ!」 「唐沢くん……」 「まあ、おまえが1番バカだけどな。椎名の外面に騙されて惚れてんだったらまだ分かるけど、あんな暴言吐かれてそれでも椎名がいいってんだからな。救いようないわ」 あっけに取られてるあたしを置いて、唐沢勝利が立ち上がる。 「今日は付き合わせて悪かったね。つまんなかったでしょ? でもオレもつまんなかったからおあいこだよね。じゃあね、お馬鹿さん」 そう言って笑う唐沢勝利の顔は、やっぱり子犬みたいで可愛かった。 「あ、うん…… ばいばい」 帰りかける唐沢勝利にそう言ったら、怒ったようにして唐沢勝利が振り返った。 「あのさぁ、分かってる? オレキミのこと馬鹿にしてんだよ? なのになんで怒んないの? 逆に腹立ってくんだけど」 「え、だって…… あたし唐沢くんと比べたら本当に馬鹿だし……」 それに、なんで怒らないのって言われても…… 唐沢勝利の豹変振りに驚いて、怒りを通り越してあっけに取られてるだけなんだけど…… あたしのそんな答えにも唐沢勝利は不満だったみたいで、 「あー、ホンットお前なんかに声かけるんじゃなかった。時間ムダにしただけじゃなく、脳細胞までムダにした気がする。馬鹿がうつった!」 と吐き捨てた。 「……ごめん」 あたしが謝ったら余計に唐沢勝利は眉を吊り上げて、 「だからぁ、なんで謝るんだって! 怒れよっ!」 と声を荒らげた。 そのまま一歩近づいてきたから、殴られでもするのかと思って首をすくめたら、 「……そのへんで止めとけ、学年トップ」 と……聞き慣れた声が聞こえた。 「は?」 「え?」 唐沢勝利と一緒に声の方を振り返る。深海魚コーナーの入口のところに誰か立っていた。 あたしたちがいるところは薄暗くて、逆にコーナーの外は明るいから、はじめは逆光で誰なのか分からなかった。 そのシルエットがあたしたちに近づきながら被っていたフードを外した。 「え……伊吹っ!?」 「はぁ? 椎名?」 伊吹が心底うんざりしたような顔でこっちに歩いてきた。 え? なんで伊吹がこんなところにいるの? 今は法子さんの誕生会のはずでしょ? |
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「伊吹…… なんでこんなとこにいるの?」 伊吹はあたしの質問には答えずに、 「すごいね、唐沢。オレが想像した以上の悪党だったよ、お前」 と唐沢勝利に笑いかけた。 「な、なんだよお前。どこにいたんだよ!」 唐沢勝利が頬を引きつらせながら伊吹を睨む。伊吹は唐沢勝利のセリフも無視して、 「多少はオレと同じ匂いがすんなーとは思ってたけど。外面がいいっつーな」 「お前なんかと一緒にすんなよっ!」 伊吹は笑いながら、 「たしかにこいつは馬鹿だよ」 とあたしの方に顎を向けた。「けど……なんでだろーな。それを他人の口から聞くと腹立ってくるわ」 「馬鹿を馬鹿にしてどこが悪いっつーんだよ!? つーか、お前だって……ッ!?」 唐沢勝利がムキになって反論しかけたそのセリフが途中で途切れる。伊吹が笑顔で唐沢勝利の胸倉を掴み上げた。 「……次、もう1度でも馬鹿っつったら、お前を殺す」 「……ッ!!」 顔はたしかに笑っているのに、なんだか本当に殺気みたいなものが感じられて……ちょっと震えた。 唐沢勝利も同じものを感じたみたいで、眉間にしわを寄せたまま口をつぐんだ。 伊吹はそのまま笑顔で唐沢勝利を見つめたあと、オモチャに飽きた子供のようにそれを乱暴に放り投げた。 「いってぇ…… なにすんだ、馬…ッ」 馬鹿、と言いかけて唐沢勝利が慌てて止める。伊吹がまだ笑顔だったからだ。 「おー、寸前で止めた。さすがは学年トップだなー。1回言えば分かるんだな、どっかの文系馬鹿と違って」 伊吹が手を叩く。唐沢勝利は顔を真っ赤にして、 「ば……っ ナ、ナメんじゃねーよっ!!」 と捨て台詞を吐いて走り去ってしまった。 あたしは呆然とそれを見送ることしか出来なかった。 な、なんだったの……唐沢勝利…… 結局なに? 伊吹に嫉妬して、それであたしにちょっかい出してきただけだったの? べつにあたしのこと、好きでもなんでもなかったんだ…… なんだぁー…… ドッと全身の力が抜けた。 「ばぁーかっ!」 頭上から力のこもった『馬鹿』が降ってきた。 「だから食事会の方に来いっつったろーが!」 伊吹が忌々しげに吐き捨てる。 「だって……」 「だってじゃねーよ! あんな勉強しかできない馬鹿にバカにされやがって。お前あいつに何回馬鹿っつわれたか覚えてるか!?」 「……」 そんなのいちいち覚えてないよ。 あたしが答えられないのを見て伊吹が舌打ちする。 「覚えてねーのか、バカッ! 11回だよ!」 「……」 普通そんなの誰だって数えてないと思うんだけど……伊吹、数えてたんだ? 「あー腹立つ! だから唐沢なんかに馬鹿にされんだよ! このバカがっ!!」 ……ていうか。 「……ねえ。なんで伊吹はこんなとこにいるの? 法子さんの誕生会は?」 「あぁ?」 「唐沢勝利があんな人だって伊吹気が付いてたみたいなこと言ってたけど、それで心配して来てくれたの?」 あたしがそう聞いたら、伊吹は少しだけトーンを落として、 「……違うわ、ボケ」 と吐き捨てた。 「なんでここが分かったの? あたし唐沢勝利と水族館行くなんて伊吹に言ったっけ?」 さらにあたしがそう聞くと、今度は一瞬黙ったあと、 「…………言った」 と伊吹は顔をそらした。 「え、うそ、言ってないよね?」 だって夕べリビングで揉めたとき、あたし言い訳しようとしたけど伊吹全然話聞いてくれなかったじゃん。 唐沢勝利のことなんか、これっぽっちも話させてくれなかったじゃん! 「もしかしてだけど……あたしのこと尾けて来たの?」 不思議に思ったことを質問したら、伊吹はまた怒りだした。 「ば、馬鹿ッ! んなわけねーだろっ! アホかっ! 用事があって来ただけだっつーの!! そしたらたまたまお前らがいたんだよっ!!」 |
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「用事って……」 あんなに大事にしてる法子さんの誕生会をすっぽかして来るほどの用事って……なに? 伊吹の言動に首を捻る。 「〜〜〜ああ、そうだっ!」 伊吹は話をそらすように、パーカーのポケットからケータイを取り出した。そして、それに付いていたストラップを外した。 いつも付けているシルバーのテントウムシのストラップ…… それをあたしの目の前にぶら下げた。 「……おらよ」 え……? 「人に貰ったもんじゃねーし。これで文句ねーだろ」 ……って、もしかして…… 「……くれる、の?」 伊吹は忌々しそうに、 「オレのせいで今までのストラップ全部捨てたとか嫌味なこと言いやがって……なんだよ、催促か!?」 「え?」 あたし……捨てたなんて言ってないよ。 伊吹から貰ったストラップだけにしたかったから、他のを外しただけで…… 「たかがストラップぐらいでいつまでもウジウジしやがって。それで唐沢についていったのか。当てつけか? あぁっ?!」 当てつけなんて……そんなこと、考えもしなかったよ。 でも、伊吹にはそう見えたってこと……? そう見えたから、今ここに来てくれてるってこと? 今日、法子さんの誕生会なのに……? 「結局バカにされるだけされやがって…… あ〜っ、腹立つ! ホンット馬鹿だなお前!」 「……伊吹の方が唐沢勝利よりバカバカ言ってる」 「オレはいーんだよ! オレはお前のご主人様なんだから!」 たまらなくなって伊吹に抱きついた。 「!!!!」 「……好き」 周りにチラホラお客さんがいたけど、そんなの構わなかった。 「伊吹が好き」 「…………」 はじめは驚いていた伊吹だったけど、とくにあたしを振り払ったりはしなかった。 「きっとあたし……これからも伊吹のことで、いちいち落ち込んだり拗ねたり泣いたりすると思う。伊吹のこといっぱいイライラさせると思う」 「…………」 「でも、伊吹をイライラさせてもそれでも……この気持ちは抑えられない」 少しだけ体を離して伊吹を見上げる。「あたし、伊吹のこと好きでいていいよね?」 伊吹は微かに目を細めてあたしを見下ろしたあと、グイ、とあたしのおでこを押すようにして体を離した。そしてそのまま出口の方に歩いて行こうとする。 「あ、待って!」 慌てて小走りであとを追いかける。「ねえ、伊吹っ!」 伊吹は前を見たまま、 「……だったらもうすんじゃねーよ!」 と怒ったように言った。 「え? ……なにを?」 「…………」 あたしが聞き返しても、伊吹は難しい顔をしたまま前を向いている。 「ねえ?」 と少し袖を引っ張ったら、 「〜〜〜だからぁ!」 と伊吹は振り返った。「バカ面下げてオレ以外の男について行くんじゃねーっつったんだよ!」 「!!!」 心臓がキュッと縮こまる。 どうしよう…… 嬉しくて、泣きそう。 黙っていると本当に涙が出そうだったから、慌てて口を開いた。 「じゃっ、じゃあパパは?」 「それは良し」 「徹平っ!」 伊吹は一瞬黙ったあと、 「……それも良し」 と言った。 「じゃあ、徹平んとこのアッくんとナオくんっ!」 「……お前、ナメてる?」 伊吹が眉間にしわを寄せる。 好きって言われたわけじゃない。 伊吹にとってあたしなんか、使い勝手のいい…それこそ奴隷や小間使いにしか過ぎない。 だから今回のこともきっと、自分の奴隷が他の人に使われそうになったのに腹を立てただけ。 それでも、 『オレ以外の男について行くんじゃねーよ』 って言葉は泣きそうなほど嬉しかった。 「伊吹」 「あ?」 「あたし、誰にもついて行かないから。あたしのご主人様は伊吹だけだから。……だから伊吹も他に奴隷作んないでね。奴隷はあたしだけにしてね」 伊吹の袖を掴んだままそう言ったら、伊吹はゆっくりとあたしを見下ろした。 「……自分から奴隷にしてなんてどんだけだよ。馬鹿な上に変態ドMだな、お前」 そして心底呆れた顔をする。 だって、どんなにイジワルされても、どんなに罵倒されても、伊吹が好きなんだもん。 恋人じゃなくたっていい。 奴隷としてでもいいからそばにいたいって、そう思うんだもん。 「本気で恋をすると、人は奴隷にだってなんだってなれるんだよ」 そう、恋の奴隷に…… 「……文系馬鹿の言うことは理解に苦しむ」 伊吹はつまんなそうにそう言うと、「さっさと歩け。袖が引っ張られて歩きづらい」 と前を向いた。 |
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第8話 終わり | ||||
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