ひとつ屋根の下   第2話  小さな双子の王子様A

「んも―――ッ!! ムカツクあいつっ! 何様のつもりよっ!!」
「だから、ご主人様なんだろ?」
徹平が勉強机の椅子に腰掛けながら、「つか、椎名ってホント学校と家じゃキャラ違うんだな。 ホラ、これでも飲んで落ち着け」
とベッドの縁に腰掛けたあたしにパックのコーヒー牛乳を投げて寄越した。
翌日の夕方。 あたしは徹平の家に押しかけていた。
リビングでもよかったんだけど、おばさんもいたし、弟のアッくんとナオくんもいるからって徹平の部屋に。
雑誌やCD、脱いだ服なんかでテキトーに散らかった部屋は、いかにも高校生男子の部屋って気がする。
机の上に乱雑に詰まれている教科書や参考書の……その下の雑誌がなんか怪しい気がするけど、見ない振りをする。
今日はそんなことを突っ込みに来たんじゃない。
「キャラ違うとかそんなレベルじゃないよ! ホント別人! チョー二重人格っ!! この前もたまたま学校ですれ違ったことがあったんだけどさぁ……」
それは昼休みに里香と自販機にジュースを買いに行ったときだった。
たまたま伊吹も友達と一緒に買いに来ていたらしくて、自販機の前でばったり出くわしてしまった。
なんでよりによって里香と一緒のときに……っ!
絶対いい顔されないと思ってそそくさとその場を去ろうとしたら、
「あ、伊吹くん!」
と里香が声をかけてしまった。
「……なぁに?」
伊吹は一瞬だけ…それもほんのわずかにだけど眉を寄せたあと、すぐに可愛らしい笑顔を返してきた。
その笑顔がアイドル並みに可愛いだけに、その前の一瞬の表情が……怖〜〜〜っ!!
里香はそんな伊吹のブラックな一面には全然気付かずに、
「今度陸上部の練習、見に行ってもいい?」
「練習?」
伊吹が聞き返す。
「伊吹くんが走ってるところ見たいなって……ね?」
と言いながら里香があたしの腕に自分のそれを絡ませる。
ね…って、あたしは別に見たくないんですけどっ!
まるであたしも一緒に見たいって言ってるような里香のセリフに焦っていたら、伊吹はちょっと困ったように首を傾げて、
「ん〜〜〜… オレだけじゃないし、返事できないな。 っていうか、見られてると緊張しちゃって… ホントごめんね?」
と、やんわり断ってそのまま教室の方に戻って行った。
里香は伊吹が去っていった方を見送りながら、
「残ねーん! っていうか、やっぱり伊吹くんって可愛いよね〜。 断るにしても丁寧だし!」
……確かに可愛かったし、丁寧だった。
でもそれは猫被ってるだけなんだって! 家じゃ……ていうか、あたしの前じゃ酷い暴君なんだからっ!!
実際その夜、
「学校で声かけんなって言ってんだろ」
と心底鬱陶しそうな顔をされた。
「あたしがかけたんじゃないもん!」
「お前が気ぃ利かして友達連れてけよ。 練習見たいとかマジウザい」
あ〜、この顔! 学校のみんなに見せてやりたい!
そんで、口の悪さも態度の悪さもみんなに教えてやりたいっ!!
―――なんて、誰にも言えないけどさ。
伊吹に、
「分かってんだろうけど…余計なこと言うなよ?」
って命令されてるせいもあるけど、『みんなのアイドル伊吹くん』と一緒に暮らしてるなんて知られたら…… どんな騒ぎになるか分からない。
だから伊吹に関する愚痴は、ウチの状況を知っていて、なおかつ伊吹の暴君っぷりも知っている徹平に言うしかなかった。
特に徹平は、パパの再婚を反対していたあたしを説得した関係もあって、
「まさか……再婚相手に息子がいるとは思わなかった」
ってすごく責任を感じてくれていて、伊吹のことで何かあるといろいろ相談に乗ってもらったりしている。
今では徹平は、あたしの状況を知る唯一かつ最大の理解者だ。
「それにしても、出て行かなくていい代わりにナナに奴隷になれとか……断れなかったわけ?お前」
自分もコーヒー牛乳を飲みながら眉を寄せる徹平。
「断ったよ!はじめは…… でも、いろいろ脅されて、断れなくて……」
「脅されたって?」
「や…… 大したことじゃ、ないんだけどさ…」
あたしが食い逃げをしたことは徹平にも内緒だ。
「大したことない…じゃないだろ? 奴隷になるしかないくらいのことで脅されたんだろ? なんだよ、言ってみろよ」
「いや、ホントに大したことじゃ……」
「なんならオレが話し付けてやってもいいぞ?」
あたしが曖昧に誤魔化そうとしても、徹平はしつこく聞いてくる。
いくらその気はなかったとはいえ、徹平に食い逃げのことは知られたくない。
ちゃんと事情を話せば、伊吹みたいに軽蔑してくることはないだろうけど……
でも、生まれた時からのお隣りさんで、仲のいい幼なじみ。しかも、初恋の相手の徹平にそんなことを知られるのは出来れば……ううん、絶対避けたいっ!!
あたしがそのまま黙っていたら、徹平は息を吐き出して、
「……言いたくないなら、もういい」
と顔を背けてしまった。
「……ごめん」
せっかく相談に乗ってくれようとしたのに、肝心なことを話せないあたし。
うちじゃ法子さんもいるし、いつ伊吹が帰ってくるか分からないからって、徹平の家に押しかけてきたのはあたしの方なのに…… ゴメン、徹平。
「ごめん…… 帰るね」
もう一度謝って徹平の部屋を出ようとしたら、
「……ナナ」
と徹平に呼ばれた。
「なに?」
振り返ったら、徹平は椅子に座ったまま視線を足元に落していた。 そしてそのまま沈黙。
「……? なに?」
「いや……」
徹平はなんだか言いにくそうにしている。
? なんだろう?
しばらくそうやって逡巡したあと、徹平はボソリと呟いた。
「……変なこと、されてねーよな」
「は? ……変なことって」
一体なんのことを言ってるのか分からなかった。 あたしが徹平のセリフを繰り返すように聞いたら、
「いや…… だから……」
とまた徹平は言いにくそうにしたあと、「〜〜〜だ、だからぁ! 椎名にだよっ」
と怒鳴るようにそう言った。
「……は? 伊吹に? なにが?」
まだよく話が理解できないあたしがそう聞いたら、
「だから、お前椎名の奴隷にされてんだろっ、脅されてっ! 変な命令とかされてんじゃねーかって聞いてんだよ!」
とまくし立てるように徹平はそう言った。 顔が真っ赤になっている。
「変な命令って…… えっ?」
一瞬考えたあと、徹平の言ってる意味がやっと分かった。「そんなことっ…!」
慌てて否定しようとしたら、
「なにされてんだっ!? ナナっ!!」
と急に部屋のドアが開いた。
「敦樹ッ!? …直樹もかっ!!」
徹平が椅子から立ち上がる。
開いたドアから転がり込むように部屋に飛び込んできたのは、徹平の弟……双子のアッくんとナオくんだった。
「ナナ、何されてんだよっ!? どうせやらしーことだろっ!? あのやろうっ!!」
二人は眉を吊り上げてこぶしを握っている。
「お前ら人の話聞いてやがったなっ! 出てけっ!!」
と徹平が怒りながら二人の襟首をつかむ。
「なんだよ、兄ちゃん! 放せよっ!!」
「そーだよっ! おれたちはナナを心配して…っ」
「いーから出て行けっ!」
身長180の徹平に軽々とつままれて、小学3年生の二人は部屋から追い出された。
それでもドアの外で騒いでいたアッくんとナオくんは、
「うるせえっ! さっさと下行かねーとマジでぶっ飛ばすぞっ!」
と徹平に怒鳴られて、やっと階下に下りて行ったみたいだった。
足音でそれを確認してから徹平は、
「……あいつらあれでも心配してんだよな。 椎名がナナんちに来てから」
と溜息をついた。
「そうだよね。 だって将来の旦那さんだもんね」
アッくんとナオくんが生まれたとき、あたしは小学2年生だった。
お母さんが死んでまだそんなに時間も経ってなかったし、あたしには兄弟もいなかったから、お隣に生まれた双子の男の子をまるで自分の弟のように可愛がった。
ミルクをあげたり、オムツを取り替えたりなんてこともお手のもので、近所の人からは、
「小さいお母さん」
なんて言われたりもした。
二人が幼稚園に上がってあたしが学校を早く終わった日なんかは、お迎えに行ったこともある。
そんな感じで二人の面倒をみていたせいか、すごく懐かれていて、
「おれ、大きくなったらナナと結婚する!」
「おれだって!」
とすでに求婚までされている。
「でも、やっぱり兄弟だよね? 似てるよ、徹平と」
「あ?」
「心配することが一緒!」
とあたしが笑ったら、徹平はちょっと口を尖らせた。
「笑うな」
「心配しなくても変なことなんかされてないって! っていうか、あたしに手ぇ出すほどあいつ女の子に困ってないし」
あたしも最初は、
「奴隷って……なんかエロい命令もされたりするんでしょっ!?」
なんて焦ってたんだけど、
「お前に性的な命令しなきゃなんねーほど女に困ってねーから安心しろ!」
って伊吹に笑われたんだよね…… 恥ずかしい。
徹平は眉間にしわを寄せたまま、
「……ホントかよ」
「ホントだって! 面倒くさい宿題とか、あいつもやるべき家事をあたしに押し付けるとか…そんなのだから!」
「……なら、いいけどよ」
……って、あんまよくもないんだけどね。
皿洗いなんかの家事系はいいとして、押し付けられる宿題がな〜…
自分の宿題ですら結構苦労してるのに、特進クラスのなんかそう簡単に出来るわけないじゃんっ!
あ〜… 思い出した。
あの英語の訳……早くやんなきゃ。 原文の書き写しもまだ半分以下だし……
とあたしが溜息を漏らしたら、
「……憂さ晴らし行くか」
「え?」
徹平は自分の胸の辺りを指差して、
「明日、学校終わったらゲーセンでも行かね? おごってやるよ、小遣い出たばっかだし」
「や、それは悪いから……自分の分は自分で出すよ。 っていうか徹平、部活は?」
バスケ部の練習が終わるのは7時ごろ。
それから出掛けるって……ちょっと遅いよね?
と心配したら、
「明日は部活休みだから」
と徹平。
「え? そーなの?」
だったらいいけどさ。
簡単に明日の約束をして徹平の部屋を出ようとしたら、
「ずるいぞ、兄ちゃんばっか! おれたちだってゲーセン行きたいっ!!」
といつの間に戻ってきたのか、ドアの前でアッくんとナオくんが待ち構えていた。
「〜〜〜てめぇら! また立ち聞きしてやがったなっ!!」



「ぐあ〜〜〜っ!」
景品をつかみ損ねたクレーンが虚しく戻ってくる。
「徹平もう止めなよ。 絶対取れないって」
「いやっ! ラスト、もう1回だけやる!」
徹平はあたしが止めるのも聞かず、また機械に100円玉を投入する。
何度もクレーンに持ち上げられかけたお菓子の詰め合わせに、再度狙いを定める徹平。
「もう、普通にそれ買えるぐらいのお金使ってるんじゃないの? ……うわっ!」
絶対今回もつかめないんだろうと思っていたら、景品に付いている輪っかがクレーンのフックに引っかかった。
「っしゃ!」
徹平がガッツポーズをとる。「やりぃ!」
「よかったね。 お土産出来たじゃん」
「あ?」
「それ。 アッくんとナオくんにでしょ? 一緒に行きたいって言ってたし喜ぶよ!」
夕べはあんな感じに怒鳴りつけていたけど、徹平は結構弟思いだ。
徹平は照れて否定したりせず、
「普通に買うより喜ぶしな、あいつら」
と景品を眺める。
徹平のこういうところ、好きだ。
「もう帰ろっか?」
「なんで? まだ時間大丈夫だろ?」
そうだけど……
でもきっと、自分たちも行きたかったアッくんとナオくんが、あたしたちの帰りを玄関の前で待っている気がする。
そう考えているのはあたしだけじゃないよね、徹平?
「結構遊んだし。 そろそろ電車混む時間じゃん?」
「まぁ、そうだけど」
「それに……ちょっとやらなきゃなんないこともあるし、さ……」
また伊吹からやらされている英語の宿題のことを思い出した。
あ〜… 憂鬱。
「そっか。 じゃあ帰るか」
「うん…」
今日木曜だけど…… あと4日で終わるかな……
っていうかよく考えたら、特進クラスに出された期限内にあたしが出来るわけなくないっ!?
それ分かってんのかな!? あいつっ!!
あ〜〜〜、また腹立ってきた!
「今だと57分の快速乗れんじゃね?」
と駅に向かいかける徹平の腕をつかんだ。
「ちょっと待って。 ……最後にこれだけやってく!!」
あたしはゲームセンターの店先に出ているゲーム機に100円玉を入れた。

「お前さぁ、あれぶっ壊す気だったわけ?」
翌日の夜。 伊吹がお風呂から上がるのを待ちながら例の宿題をやっつけていたら、部屋に伊吹がやってきた。
ちなみに、普段からお風呂は伊吹のあとに入るってことになっている。
「ご主人様の方が先に入るのは当たり前だよな?」
とか言って……っ!!
我が家では最後に入った人がお風呂掃除をすることになっている。
伊吹め…… お風呂掃除したくなくてあんな命令を出したに違いない。
「なんの用? あたし今忙しいんだけど!?」
目の前にある伊吹の宿題を軽く叩いてみせる。 伊吹はあたしのセリフは無視して、
「お前が帰った後、店員が心配して点検してたぞ? あのもぐらたたき」
と眉を寄せる。
「え……?」
「しかも、スゲー大声でなんか怒鳴ってるし。 チョー目立ってたよ? お前」
「!!!!!」
冷や汗が流れた。
―――もしかして伊吹…… 昨日、あたしがあのゲーセンにいたところ見てたの?
伊吹が言ってるのは、あたしが帰りがけにしたもぐらたたきのことだ。
「すげーよ、ナナ! 今日の最高点だって!! …あっ、景品出てきた」
って、横で見ていた徹平も驚いてた……
あの姿見られてたの!?
なんで伊吹があんなところに……と思いかけて、あのゲームセンターが伊吹のバイト先の近くだということを思い出した。
……迂闊だ、あたし…… 行った時点でなんで気付かないかな……
しかもあたしあのとき、もぐらを伊吹に見立てて、
「死ねっ! 伊吹、死ねぇ―――っ!」
とか……怒鳴ってなかった?
うわ――――――っ!! もしかして、それも聞かれてた?
それで文句を言いに来たとか……
……ど、どうしよう。
とりあえず、しらばっくれるしかない。
「そ、そそそれが、どうかしたっ?」
あたしが焦りながらそう答えたら、意外にも伊吹は、
「いや? それは別にどーもしねーけどさ」
とあっさりしている。
どうやら伊吹は、あたしが鬼のような勢いでもぐらたたきをしている姿を見ただけで、怒鳴っていた内容までは聞いていなかったみたいだ。
ホッと胸を撫で下ろす。
でも…… だったら何の用であたしの部屋に来たんだろう?
まさか、また何かとんでもない命令や、新たな宿題を持ってきたんじゃないでしょうねっ!?
「じゃあ何? 用がないなら出てってください! 宿題の邪魔なのっ!」
そう言って伊吹を追い出そうとしたら、
「お前さ、自分の憂さ晴らしにマッキー付き合わすなよ」
と伊吹が呆れた目線をあたしに投げてきた。
「……は?」
「今日マッキー怒られてたぞ? バスケ部の先輩に」
徹平は仲のいい子たちからは『マッキー』と呼ばれている。 槙原徹平でマッキーだ。
でも…… 徹平のことをマッキーなんて呼ぶほど伊吹は徹平と親しかったのかな?
運動部の子たちは部室が近いせいか割りとみんな仲がいいから、もしかしたらその辺で話とかするようになったのかもしれない。
徹平からそんな話、聞いたことないけど……
……っていうか… えっ?
「徹平が先輩に怒られてたって、なんでっ?」
「昨日部活サボってゲーセン行ってたのがバレたみたいだな。 試合前に何遊んでんだって。バスケ部は先輩こえーから」
ウソ…… 昨日部活あったの?
だって、休みだって徹平言ってたじゃん!
「あたし、休みだと思って……」
って、こんな言い訳伊吹にしたってしょうがない。
あたしが慌てて徹平の部屋に隣接している窓に駆け寄ったら、
「何時だと思ってんだよ。 もう寝てるっつーの!」
と伊吹に止められた。 時計を見たら11時になろうとしている。
ブラインドをちょっとだけずらして確認したら、徹平の部屋の電気は消えていた。
伊吹が言う通りもう寝ているのかもしれない。 部活で疲れてるだろうし……
―――でも、なんで徹平はウソまでついて、あたしに付き合ってくれたんだろ?
と考えかけて、
―――って、あたしのせいだよね。
あたしが伊吹のことを愚痴れるのは自分だけだって知ってるから。
あたしがあんまり伊吹のことで落ちてたから。
だから徹平はウソまでついてあたしに付き合ってくれたんだ。
「……明日、謝りに行く」
土曜日だけど、徹平家にいるかな?
「とりあえず、メールすりゃいいじゃん」
「や、でも…… やっぱり直接謝りたいし……」
落ち込みながらそう呟いたら、伊吹は一瞬だけあたしを見下ろして、
「……っそ」
と言って自分の部屋に戻って行った。

いつもムカツクことばっかり言う伊吹だけど…… 今回のことは教えてもらって良かった。
じゃなかったらあたし、徹平が先輩に怒られてまであたしに付き合ってくれたことに気が付かなかったもんね。
明日、ちゃんと徹平に謝って、それから改めてお礼も言わなくちゃ。
―――あ…
どうしよう…… 伊吹にもお礼言うべき? 教えてくれてありがとうって…
いやでも、そもそもあたしが憂さ晴らしに行くことになったのは、その『憂さ』を作った伊吹のせいだし!
だからわざわざ伊吹にお礼なんか言わなくてもいいっ! うん!!
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