ひとつ屋根の下   第2話  小さな双子の王子様@

「お皿は私が帰ってきてから洗うから、そのままでもいいのよ?」
朝食後の食器をシンクに運んで制服の袖を捲くったら、法子さんが声を掛けてきた。
「や、大丈夫です。登校まで時間あるし……それに、作ってもらったんだから後片付けくらいしないと」
あたしが笑顔でそう言うと、法子さんも笑顔で、
「ありがとう。 すっごく助かるわ。 さすが女の子!手際がいいわね」
手際がいいなんて言われるのは初めてで……照れる。
「でも、洗うのだけで……作る方はまだまだです」
「あら、そんなことないわよ? この間作ってもらったフレンチトーストなんかすごくおいしかったし。 また食べたいわ」
「あんなんで良ければ、いつでも」
穏やかな朝の風景。
お互い多少は気を遣っているところもあるだろうけど、普通継母と継子ってこんなに穏やかな関係じゃないよね?
本当にパパは女の人見る目あるな〜……
なんてことを考えていたら、その穏やかな空気を壊すように、横から別なお皿がシンクに滑り込んできた。
「これもヨロシク」
そう言って伊吹はさっさとリビングに戻ろうとする。
その伊吹にあたしがイヤな顔をする前に、
「ちょっと、伊吹! ナナちゃんにばっかりやってもらってないであなたもやりなさい!」
と法子さんが言ってくれた。
法子さん、優し〜〜〜! もっと言ってやって!!
あたしは伊吹に文句を言いたくても言いづらい状況にあるんだけど、法子さんが言ってくれたら伊吹も少しは聞いてくれるかもしれない。
っていうか伊吹は法子さんに弱いから、こうやって注意されているところを見れるだけで気分が晴れてくる。
もっと言われろ!
あたしが勝ち誇った顔を伊吹に向けたら、
「ん? やるよ、交代で。 今日はナナの当番なんだよ。 な?」
と憎らしいくらいの可愛い笑顔を返してきた。
な? ……なんて、いつそんな話したのよっ!
っていうか、交代で……って本当に洗う気あるわけ? それすら怪しいんだけどっ!
法子さんの前だからって良い子ぶってるだけじゃないの!?
……でも、そう言えないあたし…
あたしが黙っていたら伊吹は、
「そうだよな?」
ともう一度笑顔を向けてきた。
―――その裏にたくさんの毒を仕込んで。
「……うん」
仕方がないから肯いた。
法子さんはそんなあたしたちの上辺だけのやり取りを真に受けて、
「そうなの? だったらいいけど……」
とちょっとだけ首を傾げて、「でも良かった。 二人が仲良くなって!」
なんて嬉しそうに微笑んでいる。
ああ、法子さんっ! 違うのっ!
あたしたち本当は仲良くなんかないのっ!
伊吹のこの笑顔はニセモノなのよ―――――っ!

あたしの名前は倉本ナナ。
見た目も中身もごくごく普通の、地元の県立高校に通う2年生。
これといった趣味もないし、部活は帰宅部だし、人に自慢できるような特技もない。
そんな普通の高校生のあたしの生活が、2ヶ月ほど前に激変した。
パパが再婚したからだ。
あたしのお母さんはあたしが小さい頃に、あたしの弟か妹になるはずだった子を身篭ったまま死んでしまった。
頼れる親戚も近くにいなかったから、あたしはパパと二人きりの生活を10年以上も続けてきた。
多少の不便さはあったけど、パパはいつだってあたしのことを1番に考えてくれたし、隣りには同い年で幼なじみの徹平も住んでいたし、お母さんがいなくなって寂しいなんて思うことは殆どなかった。
きっとこの先もパパと二人の生活を続けていくんだろうと思っていたら、急にパパが、
「好きな人が出来た。 再婚したい!」
なんて言い出した。
それからだ。 あたしの普通の生活が一変してしまったのは。
けれど、継母の法子さんとは思いのほか…ううん、思った以上に上手くやっている。
継母と継子の関係ってもっとドロドロした感じになるのかな…と思っていたけだけに意外だった。
これというのも、法子さんの人となりのお陰だと思う。
法子さんは若くて可愛くて、それで優しくて気が利く。
こんなに素敵な人がいきなりお母さんになったりしたら、娘の立場として多少なりとも劣等感を抱きそうなもんだけれど……
一緒に暮らして2ヶ月近くが経ち、法子さんの色々なところが見えるようになってきた。
実は法子さんは意外と抜けているところがあったりする。
といっても、それが原因で大変なことになったりするようなレベルのものじゃなくて、なんていうか……お茶目というか、微笑ましいというか……
この前も、
「会社の人の手作りらしいの」
と食後にお茶を入れてくれたからてっきりお菓子かなんかをもらってきたんだと思ったら、手作りのエコ石けんだったことがあった。
法子さんは恥ずかしがりながら謝ってたけど、あたしやパパなんかは大ウケだった。
しかも、包みを開けた直後法子さんが、
「あら…… チーズ?」
と言ったのには涙が出るほど笑い転げた。
完璧そうな人が見せる抜けたところっていうのは、どうしてこうも微笑ましいんだろう。
あたしはあっという間に法子さんが好きになった。
……けれど、新しく増えた家族は法子さんだけじゃなかった。

―――法子さんの息子……伊吹も同時に家族になったのだ。

椎名伊吹はあたしと同じ高校に通う同級生。
伊吹は普通女子のあたしのことなんか知らなかっただろうけど、あたしは家族になる前から伊吹のことを知っていた。
というのも、伊吹は学校ではちょっとしたアイドルだったから。
特進クラスの1組に入れるほど頭はいいし、顔だって女の子みたいに可愛い。
その上、愛想も良く礼儀も正しくて、生徒からだけじゃなく先生たちのウケもいい。
あたしもそんな『みんなのアイドル伊吹くん』にちょっとだけ憧れたりしていた。
けれど一緒に暮らしてみて、そんな憧れは間違いだったということに気が付いた。
確かに伊吹は愛想がいいし礼儀も正しい。
でもそれはパパや法子さんに対してだけで、あたしには本当に酷かった。
家の中でも顔を合わせれば、
「なんだよ」
「どけよ」
「邪魔だなぁ、このブス!」
なんて…… ブスってどうなの、ブスってっ!?
しかもあたしを見る目つきがまた悪い。
伊吹があたしに向ける視線といったら……馬鹿にしたような、というか、蔑むような、というか、本当に汚いものでも見るような目つきばっかりだった。
なんで? あたしあんたになんかした???
さすがのあたしもムカついて、事ある毎に伊吹と衝突してたんだけど、この前やっとその原因が分かった。
あんまり人に(特にパパには)言いたくないんだけど……
原因は―――… あたしが食い逃げした現場を伊吹に目撃されていたからだった。
いや、食い逃げっていっても、あたしはそんな気全然なかったんだけどっ! ホントにっ!!
友達の里香に誘われてついて行ったらナンパされて、さらにそのままカラオケに連れて行かれて、さらにさらに里香に、
「あたしちょっとトイレ。 ナナも付き合って?」
って言われてそのまま部屋を出たら、理由も言わずに店外に連れ出されたという……
あたしもその時点でやっと自分たちのしたことに気が付いて、お店に戻ろうとしたんだけど、里香に、
「あいつら桜台の商業科だよ? ヘタしたらヤられちゃうよ?」
なんて怖いことを言われて……
結局、里香と一緒に逃げてきちゃったんだよね。
で、そのカラオケボックスでバイトをしていたのが伊吹だった。
……全然気が付かなかったけど。
伊吹はそのサイテーなあたしたちの行為を目撃していたから、あたしを軽蔑していたということだった。
後でその商業科の男の子たちにあたしが捕まって、危うく襲われそうになったところを伊吹に助けてもらって、ちゃんと誤解を解いて、許してもらった(…なんか伊吹に許してもらうってものスジが違う気もするけど…)わけなんだけど。
そのときにとんでもない約束をさせられてしまった。
「お前明日からオレの奴隷な」
こっちから仕掛けた勝負をあたしが逃げた代償として伊吹はそんなことを言い出した。
実は、襲われそうになる前にあたしは伊吹を家から追い出そうと、
「今度のセンター模試で負けた方がこの家を出て行く」
という勝負を挑んでいた。
伊吹が特進クラスだって分かってたはずなのに、そのときの勢いでついそんな勝負を持ちかけてしまって……
あたしにしたらかなり努力したんだけど…… 結果は惨敗だった。
でも、今この家を出ても行く所なんかないし……どうやったら出て行かなくても伊吹を納得させられるか迷っているうちに、あたしの食い逃げ事件までも発覚してしまったというわけだ。
こうして伊吹に、『勝負を逃げたこと』と『食い逃げ事件』という二つも弱みを握られてしまった。
―――それから伊吹の奴隷生活が続いている。


「……あんたも洗ってくれるわけ?」
皿洗いをしながらカウンター越しに伊吹に声をかける。 伊吹はダイニングに座ったままのん気にテレビなんか見ている。
……伊吹からの返事はない。
「ねえ」
聞こえなかったのかと思い、もう一度呼びかけたら、
「あ? なんだよ、うるせぇな〜…」
といかにも面倒くさそうな声を上げる伊吹。
パパと法子さんはとっくに出勤して行った。 二人がいなくなると途端にこの態度だ。
この、二重人格者っ!!
―――…なんて、言えないけど。
「だから、お皿…… 当番とか言ってたけど……」
「なに? オレにも洗って欲しいわけ?」
伊吹が口の端を微かに上げるようにして笑う。
「いや…… そういうんじゃないけど、さ…」
思わず否定してしまう。
本当は伊吹にだって洗ってもらいたいんだけど……弱みを握られている身としては、ついつい下手に出てしまう。
伊吹はまたテレビの方に顔を戻して、
「あっそ。 じゃ、洗わせてやるよ」
「ッ!?」
―――洗わせてやるよ?
何その言い方っ!! 何様なのよ、あんたぁっ!!!
「〜〜〜あ……ありがとうございましたぁ! 洗わせて頂きますぅっ!」
わざとらしく丁寧に切り返しても、
「ん、いいよ。 別に気にすんな」
って、伊吹はどこまでも上から目線だ。
……お前、いつかぶっ飛ばす。
割りそうな勢いでガチャガチャと皿洗いを続けていたら、伊吹はテレビを消してリビングを出て行った。
そろそろ登校する時間だから、部屋にカバンでも取りに行ったのかもしれない。
「ふざけないでよ、あんた! 何様のつもりなのよっ! ホントにっ!」
誰もいなくなったリビングに向かってここぞとばかり愚痴をこぼした。
「人の弱みにつけ込んで…… サイッテー!」
確かに、勝負を逃げたのはズルだったけど……
その気はなかったとはいえ、食い逃げもしちゃったんだけど……
だからってそれをネタに奴隷になれとか…… 完全に脅迫じゃないのっ!!
「あんなヤツ階段踏み外して転げ落ちればいいのよっ! そんで打ち所悪く……」
「―――死ねばいいって?」
背後から聞こえてきた声に、全身が凍りついた。
振り返らなくても、伊吹だ。
伊吹は笑いながらあたしの顔を覗き込んできた。
「お前も朝から物騒なこと言ってんなぁ。 つか、誰のこと?」
その目が…… 笑っているのに笑ってない!
「もしかして、オレ?」
「……べ、別にあんたのことじゃない」
あたしが視線を逸らしてそう答えたら、ふぅん、と伊吹は呟いたあと、
「ま、いっか」
と自分のカバンを探り始めた。
あたしのセリフを伊吹がそのまま信じたとは思えないけど……とりあえずそれ以上追求されなかったことにホッと胸を撫で下ろす。
でも、いつの間に2階から下りてきたんだろう? 全然気が付かなかった……
ホントこいつって猫みたいだよね。
あんまり足音立てて歩かないし、何考えてるか分かんないとこあるし。
細身の体つきとか、しなやかな身のこなしとかさ……
なんてことを考えていたら、
「じゃ、これヨロシクな」
急に目の前に薄い冊子とキャンパスノートが差し出された。
「え? 何、これ……」
濡れていた手を拭いてそれを受け取る。
キャンパスノートは市販の未使用のもの。 冊子の方は……タイトルが英語表記になっている。
なんだろう?と思いながら中身をめくったら、中も全て英語で書かれていた。
どうやら小説か何かのようだ。
―――これをあたしに渡して…… 何をさせる気なんだろう?
「何? これ……」
胸に不安を覚えながらもう一度聞くと、
「それ全文書き写して、その下に和訳な」
「はっ!?」
「週明け提出だから。それまでにやっといて」
え……?
これを全文書き写して、さらに和訳?
しかも、週明け提出って…… ウソでしょっ!?
「ちょっと、これ…… もしかして宿題?」
伊吹はあたしの質問には答えずに、
「長文読解力をつけるためだとか言ってるけどさ、こっちはそんなんやってるヒマないんだよな。 しかもチラッと目ぇ通したけど、つまんねー話だし」
と、あたしに対してなのか…それとも宿題を出した先生に対してなのか不満を漏らした。
チラッと目を通しただけでこの話が面白いのかそうでないのか判断がつく伊吹に驚いていたら、伊吹はカバンを担いでさっさと玄関に向かおうとする。
慌ててその腕をつかんだ。 伊吹が面倒臭そうに振り返る。
「なんだよ」
「ちょっ、特進クラスの宿題とか無理!! っていうか、この前みたいなことになっても知らないよ?」
「あぁ……」
伊吹も顔をしかめる。
実は、伊吹に宿題をやらされるのは今回が初めてじゃない。 少し前……あたしが伊吹の奴隷になりたての頃、数学のプリントをやらされたことがあった。
「三角関数なら文系でも習ってんだろ」
そう言って渡されたプリントと格闘すること1時間半。
自分の宿題後回しで頑張った翌日、あたしは伊吹に怒鳴られた。
「おいっ! なんだこれはっ!?」
そう言いながら、前日にあたしがやった数学のプリントをバシバシと叩く。「55点とかありえねぇだろっ!」
あたしが必死こいてやったプリントは、先生によって採点されたらしい。 その点数が気に入らない!……と伊吹は怒っている。
「数学はオレの得意科目ってことになってんだぞっ? それを55点とか……恥かかせやがって!!」
「……そ、それでも大分頑張った方なんだけど? あたしいつも赤点ギリギリだし……」
ぼそぼそと言い訳をしたら、
「お前の成績は聞いてない」
ぴしゃりと言い捨てられた……
今回もそんなことになるよ? それでもいいわけっ!?
「あれは本当に酷かった……」
伊吹が心底忌々しそうな顔をする。
「でしょっ? だから今回もあんたがやった方がいいんだって! 皿洗いとかそんなことならいくらでもやるからさ!」
「時間があったら自分でやるよ。 言ったろ? そんなヒマねーんだって」
「部活?」
「まあ…… そんなもん」
陸上部に所属している伊吹は毎日帰りが遅い。 だから、晩ご飯もあたしと法子さんの二人か、たまたま仕事が早く終わったパパとの三人が殆どだ。
「今日も伊吹くんは遅いのか?」
「そうなのよ。 部活だとか言ってるけど…… そんなに大変なのかしら?」
「身体細いし無理してなきゃいいけどな」
って、パパたちはときどき伊吹の帰りの遅さについて心配をしている。
でも、不思議なんだけど……
ウチの陸上部ってそんなに強いってわけじゃないから、練習だってゆるいっていうかそんなに遅くまでやってるなんて聞いたことないんだけど?
なのに、
「陸上部? オレらより上がんの早ぇーよ?」
って言ってたバスケ部の徹平より帰ってくるの遅いし。
何やってんだろ? まさか、毎日バイトしてるとか?
特進クラスでそんなことしてて、勉強ついて行けるわけ?
「……もしかして、カラオケ屋のバイト毎日入ってるの?」
「毎日じゃない。 ……つか、お前、バイトのこと母さんたちに言ってないだろうな?」
伊吹のバイトのことはパパや法子さんには内緒だ。 それも最初に命令された。
「言ってないけどさ……」
だったらなんで毎日帰り遅いわけ?
……って、伊吹の帰りが遅かろうが早かろうがこっちはどうだっていいんだけどっ!
伊吹はバイトの話を早々に切り上げるように、
「とにかく、あと一週間近くあるんだから、さすがのお前でも出来るだろ? やっとけよ?」
と言いながら玄関に向かう。
「えぇっ!?」
「分かんない単語はちゃんと辞書引けよ? テキトーに感覚で訳すなよ?」
「終わらなかったら?」
「一週間も余裕あんだろ?」
「じゃあさ、明らかにこれは期限までに終わらなさそうってことになったら…… そしたら続きはあんたがやってくれる?」
あたしが妥協案を出したら、伊吹はアイドル並みの可愛い笑顔で振り向いた。
「お前は奴隷だろ? ご主人様に『たら』『れば』なんて仮定の話をすんじゃねぇよ。 まずは言われた事をやるんだよ!」
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