真昼の月  #4  同意書


「ハル〜! 今日帰りゲーセン寄ってかね? 対戦一台増えたから、シンゴたちも行くって!」
「いーよ」
「掃除当番だから、ちっとだけ待ってて」
「なんだよ。んじゃ先行ってんぞ?」
「ダメッ! ・・・また一番左にされっから」
「ん?」
「あれギアが調子わりーの! あれのせいで、この前オレずっと最下位だったし!」
「・・・やっぱ気付いてた?」
「気付くよっ! だから、じゃんけんなっ!?」
絶対待ってろよ!?というタクヤの声を背後に聞きながら、昇降口に向かった。
期末テストも終わり、夏休みを前にして学校全体が浮かれたような空気に包まれた頃、やっと俺は元の生活に戻りつつあった。
タクヤたちと遊ぶのは楽しかった。 一緒に馬鹿をやれる仲間がいるってのは、貴重で有難い。
美和との関係も変わらず続いている。
って言っても、一時期のような、狂ったように抱き合うような関係ではなく、お互いの都合がいい日とか気分が盛り上がったときとかにヤルくらいだ。
期末テストを控えていたっていうのもあるせいだろう。 俺もテスト勉強で忙しかったし、美和はその準備で忙しかったようだ。
そんなわけで ここ半月ほど、授業以外で美和と顔を合わせたのは数える程度だった。
半袖から出た腕が、気持ちいい。
詩織とは・・・・・ 特に変わっていない。
詩織に頬を叩かれた後、
「叩いてごめんなさい・・・」
と詩織が謝って、
「いや・・・ 俺が悪かったから・・・」
と俺も謝って。 それ以外は何もない。
多少の気まずさはあったけど、相変わらず夕食を作り続ける詩織に、俺は俺のペースで、食えるときは食うし、食えなかったら、ごめん、で済ます。
殆ど会話もないから、詩織が長坂と続いているのかとか、それが順調なのかとかそんなことも全然分からなかった。
・・・・・分からなくていいけど。
必要以上のコンタクトは取らない。
それでいい。
・・・・・そうすれば、俺の中に小さく芽生えた、忌々しくも胸が苦しくなるような感情も消えてなくなってくれるはずだ。
昇降口でタクヤが来るのを待っていたら、ポケットのケータイにメールが届いた。
美和からだった。
『英語教科室に来て』
タクヤたちとの約束もあるし、断りのレスを返そうと思いかけて・・…教科室へ向かう。
向かいながらタクヤにメールを入れた。 ちょっとだけ遅れる、と。
たった1行のメールだけど、いつもと違う雰囲気に、何か気になるものがあった。
いや、たった1行だから逆に気になったのかもしれない。
いつも美和は長文メールを送りつけてくる。
それが今日はたった1行で、しかもいつもみたいにチカチカ動く絵文字もない。
一抹の不安を覚えながら、俺は英語教科室に向かった。

「え・・・・・・?」
美和の話を聞いた瞬間、身体が固まった。 思わず視線を美和の腹に走らせる。
「だから、2ヶ月だって!」
「ちょ・・・ 待って?」
混乱する頭を必死で落ち着かせ、「・・・俺?」
確認するように美和の目を覗き込んだ。
「当たり前でしょ? 予定日まで教えてくれたわよ、来年の3月だって」
え・・・ 俺の・・・・・
美和の腹に・・・・・ 2ヶ月・・・・・
来年の3月に・・・・・
予定日って・・・・・・
「や・・・ ありえないでしょ? だって俺、絶対・・・」
無理に笑顔を作ろうとした。 こんなありえない話、真面目な顔して聞いていられない。
だって、絶対にありえない。
昔から、それだけは絶対避けたいと・・・・・ いや、忌み嫌ってすらいたことなのに。
そのための予防策だって必ずとってきたんだ。 そんなことあるはずがない。
美和の勘違いか、それか、相手を間違えているかだ。
「避妊してたから?」
美和のセリフに首を縦に振る。
よく、射精のときになってからゴムをつけるヤツがいるけど、そんなの何の意味もない。
俺は必ず、どんなときでも挿入前からつけている。
だから、美和が妊娠するなんて・・・・・俺の子を妊娠するなんてありえないことだった。
「じゃ、あのときにピンポイントで出来たのかも」
「え?」
ピンポイント・・・・・?
「ほら。いつだったか酔っ払ってウチに来たことあったでしょ? あのときハル、避妊してなかったわよ」
「え・・・・・・」
酔って美和の部屋に行ったとき・・・・・・
確かに俺は1ヶ月ほど前、酔って美和の部屋に押しかけたことがあった。
俺の身体中についていた爪痕を詩織に責められた夜だ。
詩織と揉めて家を飛び出して、酒を飲んで・・・そのあと美和の部屋に行って、美和を抱いた。
美和の話では、
「ハル、凄かったんだから。あたし、ありえない体位までとらされて・・・」
と言うくらいあの夜の俺は激しかったらしい。
俺は記憶が飛ぶくらい酔っていて殆ど覚えていないんだけど・・・
あの夜・・・・・ 避妊してなかったのか・・・? 俺・・・・・・
・・・・・・まさかだろ・・・
何も言えずにそのまま突っ立っていたら、
「・・・どうする?」
と美和が俺の顔を覗き込んできた。
「どうするって・・・・・」
声がかすれる。「俺、まだ17だし・・・ 正直・・・」
困る、という言葉は声にならなかった。
美和はしばらくの間俺の顔を見つめて、
「堕ろすなら・・・ これに父親のサインもらって来いって」
とカバンからB5くらいの紙を取り出した。

どうする、どうする、どうする・・・・・
まさか、この俺が避妊し損ねるなんて・・・ しかも、そのたった1回で・・・
・・・悩む必要なんてない。 選択肢はひとつだけだ。
―――美和には悪いが中絶してもらうしかない。
大丈夫。 美和だって分かってる。
世間体のこと、仕事のことを考えたら、美和の選択肢だって俺と同じだ。
それに、17の俺が父親になれるなんて美和だって思ってない。
大丈夫・・・ 大丈夫だ。
この紙に自分の名前さえ書けば、それで全てなかったことに出来るんだ・・・
制服のズボンにたたんで入れてあった紙を取り出す。
中絶を依頼する内容の文章が簡潔に書かれていて、その下に父親と母親のサインする欄がある、至ってシンプルな書類・・・・・
これに名前さえ書けば・・・ そう、10秒で済むことだ。
そう分かっているのに、心にかかったモヤのようなものが全然なくなってくれない。
なくなるどころか、余計濃くなっていくのが分かる。

自分がこれに名前を書くことで、ひとつの命がなくなる・・・・・

そう考えたら書類を持つ指先が震えてきた。
震えはあっという間に全身に広がり、立っていることさえままならなくなった。 思わず壁に手をつく。
動悸が早くなり目眩までした。
―――良心の呵責ってやつか・・・
こんなサイテーな俺にもそんなものがあったのか・・・・・
「・・・ハルくん?」
壁にもたれたまま目を瞑っていたら、詩織の声が聞こえてきた。 ゆっくり声の方を振り返る。
「どうしたの・・・・・? 顔が真っ青だよっ!?」
俺の顔を見た途端、詩織が駆け寄ってきた。
なんでこんなとこに詩織が・・・
と周りを見渡して、自分がもたれかかっている壁が自宅の外壁だと気が付く。
俺はいつの間にか家まで帰ってきていたらしい。
「詩・・・織・・・・・」

―――詩織の母親は、詩織を身篭ったときどれだけの選択肢があったんだろうか・・・

「ハルくんッ!? 大丈夫ッ?」

―――少なくとも・・・
俺が選ぼうとしているサイテーな選択肢を選ばなかったことだけは確かだ・・・・

「ハルくんッ!!」
薄れゆく意識の中、詩織の声だけが響いていた・・・


「今日休んだら? まだ顔色悪いよ?」
翌朝。
いつもはギリギリの時間までリビングに下りてこない詩織が、今朝は俺よりも先にキッチンに立っていた。
って、俺もいつもより1時間近く起きるのが遅かったんだけど・・・
「や。大丈夫。 行く」
「でも・・・・・」
「マジで大丈夫だから」
休みたいのはやまやまだけど、そうもいかない。
いつ妊娠したことに気付いていたのかは分からないけど、美和はちゃんと学校に来ている。
俺のように精神的にだけじゃなく、身体も辛いはずの美和が登校してきているのに、俺が休んではいられない。
それに・・・・・
「堕ろすなら、早めに来いって」
と美和も言っていたし・・・・・
そっと制服のポケットを押さえる。 カサ、という紙の感触。
朝方まで悩んで・・・・・ 結局サインした。
なかなかサインできない自分に、また嫌気がさした。
それしか選択肢はないって分かっているのに、なんでさっさとサインしない?
そうやって悩んだフリして、少しでも懺悔したつもりか?
ひとつの命を消すことに対する・・・・・
激しい自己嫌悪。
―――どうせなら、俺の命で代わりにならないだろうか・・・
「え? 病院に寄ってくの?」
通学に使うバスに乗る前に、詩織に先に行くように促した。
「うん」
「病院に行くほど具合悪いなんて・・・ やっぱり休んだ方が良かったんじゃない?」
詩織が心配顔で俺の顔を覗き込んで来る。 思わず顔をそらした。
・・・・・今、詩織に俺の顔を見られたくない。
「じゃ、ついてってあげる!」
「・・・いいよ」
と断っても詩織は、
「遠慮しないで? っていうか、心配だしついてく!」
と俺の腕を取って行こうとする。
「いいってっ!」
思わずその腕を振り払った。 詩織が目を見開いて驚く。
「ハルくん・・・」
「・・・・・ごめん」
視線を合わせないまま、「マジで1人で大丈夫だから・・・」
と背中を押して、やってきたバスに詩織を無理矢理乗せた。
そのバスが完全に見えなくなってから、すぐ近くのコンビニに向かった。店内に設置されているATMで現金を引き出す。
前に聞いた同級生の話を思い出し、とりあえず15万下ろした。
家を留守にしがちな父親が、一般高校生よりも多い小遣いをくれていたことに改めて感謝した。
・・・・・それも、これで殆どなくなったようなもんだけど。
ATMに備え付けられていた封筒に中絶同意書と一緒に現金を入れた。

「おい、ハル! なんで昨日来なかったんだよ?」
1限目が終わってから教室に入っていったら、タクヤに声を掛けられた。
「・・・え? 昨日・・・?」
タクヤの言っている意味がよく分からなくて聞き返した。
「ゲーセンだよ! カート対戦するって言ってたろ?」
・・・・・思い出した。
昨日はタクヤとゲーセンに行く約束をしていた。
直前に美和に呼ばれたから、遅れる、とだけメールを入れて・・・
・・・すっかり忘れていた。
って、仮に覚えていたとしても、美和からあんな話を聞いた後じゃ行く気にならなかっただろうけど・・・
「わり・・・」
「んじゃ、数Uのノート貸して? それでチャラにしたる。 オレ今日当たるんだよね〜」
と言いながら、俺が机の横に掛けたカバンを勝手に開ける。
「おい・・・ 勝手に開けんなよ。 つか、俺今日・・・」
昨日は勉強なんかしている余裕がなくて、いつもは必ずしてくる予習をしてきていない。
それをタクヤに言おうとしたら、
「ハルくん・・・ どうだった?」
と詩織が教室にやってきた。
「え?」
「病院行ってきたんでしょ? お薬とかもらった?」
「いや・・・」
まさか詩織が教室まで来るとは思っていなかった。
まぁ、今朝の俺の様子を見たら、あとで絶対様子を伺ってくるだろうとは思っていたけど、ウチに帰ってから聞かれるもんだと気を抜いていた。
それを、今聞かれるとは・・・・・
テキトーな言い訳が思いつかない。
「無理して学校来なくて良かったのに・・・ お薬飲んで家で寝てた方が・・・」
「そんな大したことじゃないから・・・」
とりあえずテキトーに誤魔化して、さっさと詩織を教室から追い出そうとしたら、
「ハル―――ッ!! なんだよ、この金―――ッ!!」
とタクヤが大声を上げた。
弾かれたようにタクヤを振り返った。 タクヤは、さっき俺がコンビニで金を入れた封筒を手にしている!!
「つか、昨日のこと、やっぱこの金でゴチしてもらうことでチャラにするわ!」
「てめっ、返せよっ!!」
勝手に封筒を取り出すタクヤを怒鳴りつけた。
「いーじゃん! ハル多めに小遣いもらってるって言ってたけど・・・ これはもらい過ぎだろっ!?」
「いーから返せっ!」
腕を伸ばして封筒を取り返そうとしたら、タクヤは俺に背を向けて、
「つーか、いくらもらってんのよ?」
と封筒の中身を数え出した!
「やめろっ!!」
「ぅわっ」
それを無理矢理奪い返そうとしたら、タクヤの手から封筒が落ちて札が床に散らばった。
「おお〜〜〜っ!! 大金っ!」
周りでそれを見ていた奴らが床に落ちた札を拾いながら冷やかす。
「いいっ! 拾うなっ!!」
同意書だけでも自分で拾おうと手を伸ばしかけたら、
「なんだこれ?」
とクラスメイトの1人にそれを拾われてしまった。
「返せっ!!」
「なになに〜・・・?」
たたんであった同意書をそいつが広げ、それを読み上げようとする。
「やめろっっ!!!」
「人工中・・・・・」
クラスメイトの声がそこで一旦途切れる。「・・・中絶同意書」
そいつがそれを読み上げた瞬間、周りで札を拾っていた奴らも一様に動きを止めた。
教室の中がシンとなる。
―――見られた。
「・・・・・おいおいおいおい・・・ 工藤――――――ッ!!」
一瞬の静寂のあと、教室内が騒然となる。
「てめ、スカした顔して、ヤルことヤッてんじゃねーかっ!」
「つか、相手誰? やっぱ花高の子っ!?」
「なぁなぁ、やっぱナマの方が気持ちいんだろっ?」
死にたくなるような気持ちで椅子に座る。
瞬時にいろんなことが脳裏を駆け巡った。

広がる噂。
教師からの呼び出し。 真相確認。
相手が美和だとばれるのも時間の問題だ。
進学だってどうなるのか・・・
いや、そもそもこんな問題を抱えた生徒を、この進学校が在学させてくれるかどうかだって怪しい。

―――本物の馬鹿だ・・・ 俺は・・・・・

「・・・・・それ、返して」
俺が頭を抱えていたら、ちょっと高めの良く通る声が頭上で響いた。 思わず顔を上げる。
詩織が険しい顔をして、同意書を拾った奴に手を差し出していた。
・・・詩織が来ていたことをすっかり忘れていた・・・
―――もう、何もかもおしまいだ・・・・・
思わず、額に手を当てて顔を伏せた。
「返してよ。 ・・・それ、あたしの」
「・・・え?」
思いがけないセリフに、俺だけじゃなくその場にいた奴らが詩織に注目した。
「それあたしの。 彼に頼めなかったから、だからハルくんにサインしてもらっただけ」
「・・・マジで?」
クラスメイトの呟くような質問に詩織は肯いて、
「だから・・・ハルくんは全然カンケーないから」
そう言って、札を拾っていた同級生の手からそれを集めた。 集めた金と同意書を再び封筒にしまって、
「ハルくん、ごめんね」
と詩織は教室を出て行ってしまった。
詩織が教室を出て行った後、さっき以上に教室が騒がしくなった。
「ちょ、待って? 工藤の姉ちゃんって会長と付き合ってんだよな?」
「んじゃ、なに? 相手、長坂さんなわけっ?」
「チョ―――スキャンダルじゃんっ!」
クラスメイトが口々に好き勝手な憶測を飛ばす。
俺はどうしていいのか分からなかった。
なんで詩織があんなことを言い出したのか。 何を考えているのか・・・
ただ―――・・・詩織が俺を庇ってくれたことだけは確かだ。
みんなが見ている前で。
絶対自分に不利益にしかならないことなのに。
不意に喉の・・・ そのもっと奥の方が、痛いほど締め付けられた。
「? なんだ? 今日はざわついてるな。 ホラ、席着け〜!」
間もなく2限目が始まるチャイムが鳴り、数学の教師が入ってきた。
いつもはパズルを解くように夢中になるシグマもインテグラルも、俺の脳をかすめていくだけだった・・・

昼休み。 俺は詩織のいる3年5組に向かった。
会って何を話すのか自分でも分からない。
けど、会わずにはいられない衝動的な何かが俺を4階まで向かわせていた。
「・・・なんでオレに言ってくんなかったの?」
4階まで階段を上りきったとき、そのまた上・・・屋上に続く階段の方から声が聞こえた。
悲しいような、ちょっと責めるような、そんな男の声。
「ごめんなさい・・・」
それに対し謝罪する、聞き慣れた・・・・・聞いていると胸が苦しくなるような、高めの声。
「や、謝って欲しいんじゃなくてさ・・・ ちょっとショックだったって言うか・・・」
「ごめんなさい・・・」
「いや、だから・・・・・・」
その先は溜息に変わった。 そして沈黙。
階段の上を覗き込まなくても、それが長坂と詩織だって分かった。
「・・・相手、誰・・・って、聞いていい?」
「え・・・」
「だって、オレたちまだそんな関係じゃないし。 でも、聞く権利、あるよね?」
「や・・・ あの・・・」
「元カレとか? そんなとこ?」
「――――・・・・・」
また沈黙。
我慢出来なくなって階段を上がって行った。 一瞬 躊躇った後、
「ねっ・・・、姉さんっ!」
仕方なくそう呼んだ。
「え・・・ ハルくん?」
踊り場にいた2人が振り返る。
「・・・何?」
いつもとは違う、笑顔じゃない・・・余裕のない顔をした長坂。
睨むように俺を見下ろしたその目が、
「なんの用だ? 邪魔するなよ?」
と言っている。 その視線を無視して、
「ちょっと話が・・・ あって・・・」
と詩織を連れ出そうとした。
長坂は俺と詩織を交互に眺めて、
「・・・じゃあ、続きはあとで・・・」
と階段を下りはじめた。
「う、うん・・・」
長坂と入れ違いに俺が踊り場に上がったら、
「詩織ちゃん!」
と長坂が振り返った。「・・・そーゆー事を相談するのは、弟じゃなくカレシにしてよね」
顔は少し笑顔を取り戻していたけど、声にはまだ不満の色が残っていた。
「・・・・・はい」
詩織が俯く。
長坂の姿が完全に見えなくなってからも、俺は何も話し始めることが出来なかった。
勢いでここまで来たけど、何を話すのか、どう話していいのかなんて全然考えてなかった・・・
けれど、その沈黙を詩織の方から破ってくれた。
「あ、そうだ。 これ、返さなきゃね」
とスカートのポケットから二つに折られた封筒を取り出した。 黙ってそれを受け取った。
詩織はそれを俺に渡しただけで、何も詮索はしてこなかった。
「・・・長坂さんに知られちゃったの?」
詩織は肯いて、
「なんか、同じ生徒会の2年生から聞いたらしくて・・・ でも、クラスの人たちは、全然知らない」
思わず3組の馬面を思い出し舌打ちする。
どうやら休み時間の一件は、2年の一部では相当な噂になっているけど、3年のクラスにまではまだ伝わっていないみたいだった。
まぁ、それも時間の問題で知れ渡ることだろうけど・・・
長坂は生徒会長をしている関係で、顔見知りの後輩から先に聞いたらしかった。
渡された封筒に視線を落としながら、
「さっき・・・ なんであんなコト言ったの?」
「え・・・?」
「俺のコトなんか、放っとけばいいじゃん。 だからこんな面倒くさい事に・・・」
って・・・ なんで俺、こんな言い方・・・・・・
「・・・分かんない」
「・・・は?」
詩織はちょっとだけ笑って俺を見上げ、
「なんかね、ハルくんが困ってるって思ったら、つい・・・」
「つい・・・って・・・ 長坂さん、どーすんの?」
「ん、とぉ・・・」
と詩織は一瞬だけ考えたあと、「考えてなかった」
とやっぱりちょっと笑っている。
・・・こんな状況なのに笑顔の詩織が信じられなかった。
「・・・・・バカじゃねーの? ・・・フラれるね、あんた」
「フラれちゃうかな・・・ やっぱり」
当たり前だろう。
自分の彼女が他の男の子供を孕んだ時点で、普通の男なら・・・いや、全ての男は引くに決まっている。
「言えば?」
「え?」
「俺のせいだって。 つか、言って? じゃないと俺が気持ち悪い」
「ん―――・・・ でも、そのときはそのときで」
・・・楽観的というか、なんというか・・・・・
俺がちょっと呆れて詩織を見下ろしていたら、
「ふふっ」
と詩織が何かを思い出したように、ちょっとだけ笑った。
「何?」
詩織はちょっとだけ首を振って、
「んーん。 なんか、あたしもハルくんにお姉さんらしいこと出来たかなぁって思って」
「はぁ?」
「さっき。 ハルくん、あたしのこと“姉さん”って呼んだよ?」
「え?」
「いつもは、そっち、とか、あんた、って言ってる」
「・・・そーだっけ?」
躊躇った末に言ったセリフ。―――『姉さん』
「うん。 だから新鮮だった」
詩織は顔を伏せて、「・・・ねぇ、もう一回呼んでみてよ?」
「やだよ。 どうせ義理の、だし」
二度と詩織を『姉さん』なんて、呼びたくない・・・
「でも、似てるって言われるよ?」
「似てないでしょ? 俺、あんたみたいに能天気じゃない」
「えぇっ!? ひど〜いっ!!」
詩織が顔を上げる。
「義姉弟どころか、イトコだっつーことも隠したい」
「なんで〜っ?」
と詩織が俺の背中を叩く。

本当に、赤の他人だったら良かった。


恨むよ・・・・・・ 親父・・・・・・

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