ひとつ屋根の下   第8話  フラグB

その日の夕食の席には、珍しく伊吹もいた。
いつも部活やバイトで9時過ぎないと帰ってこないくせに、なんで今日に限ってこんなに早いのよ。
気まずいじゃん……
会話のほとんどは法子さんと伊吹がして、あたしはほとんど話さずモソモソとご飯を食べていた。
「ナナちゃん、もしかして体調悪い?」
法子さんが心配して声をかけてきた。流れで伊吹もチラリとあたしの方を見る。
「え、いや……べつになんともないですけど」
「そお? なんか元気ないみたいだけど……ねぇ、伊吹?」
あたしのことを振られても、伊吹は表情ひとつ変えずに、
「さあ? イロイロあるんじゃないの? 高校生の女子がなんも悩みないわけないじゃん。母さんだってそうだったろ」
なんてことをサラッと言ってのける。
ムッとして伊吹を睨んだら、伊吹は微かに目を細めて笑ったみたいだった。
どういう神経してんのよ!
あんた心臓に毛が生えてんじゃないのっ!?
あたしがなんで落ち込んでるのか分かってるくせに……っ
「ごちそうさまっ!」
まだ途中だったけど、あたしは箸を置いて立ち上がった。
「え? もう?」
法子さんが驚いてあたしを見上げる。
「ごめんなさい、残りは明日の朝食べるから」
そう言ってそそくさと部屋に上がった。ドサリとベッドに寝転がる。
法子さんには悪いことしちゃったけど、あんな伊吹の前で普通でいられる自信がない。
あらためて、伊吹にとってはあたしなんかどうでもいい存在なんだ、と思い知らされた。
あたしの気持ちを知ってて、平気で他の女子からもらったものをくれたり、さっきの夕食の席でだって……
もしかして、どうでもいいを通り越して鬱陶しがられてる?
だから、嫌われようとしてわざとやってるんじゃ……
じわり、と目の奥が熱くなる。
悔しいけど、そんなことをされてもまだ伊吹を好きな気持ちに変わりはない。
だから嫌われたくないし、なるべく伊吹の嫌がることもしたくない。
あたし……調子に乗ってたのかなー…
一応否定はしてきたけど、伊吹と付き合ってるーとか、彼女ーなんて言われて……
今日だって図々しく伊吹のクラスまで押しかけちゃったりしたし。
―――少し距離を置いた方がいいのかな。
そうすれば伊吹だって普通に接してくれるようになるかもしれない。

「お、ナナ。今日は早いな」
翌朝、パパより先にダイニングについていたら、案の定驚いた顔をされた。
「うん。数学で分かんないところがあって……里香と一緒に朝やることになったんだ」
もちろんウソだ。
「そうか。じゃ駅まで一緒に行くか」
パパが相好を崩す。
「うん」
パパと一緒に出るなんて久しぶり。
なるべく伊吹と顔を合わせる時間を減らした方がいいだろうと思って、それで早く出るつもりでいただけだけど……こんなに嬉しそうなパパの顔を見たら、たまには一緒に歩くのもいいかも、なんて思ってしまう。
「パパ、早く!」
「ちょっと待ってくれ。えーと、ケータイが……あれ? 寝室か?」
パパがリビングから2階の寝室にケータイを取りに戻る。
早くしないと伊吹が下りてきちゃうよっ!
あたしは先に靴を履くと、玄関でパパが来るのを待った。
間もなくトントンと階段を下りてくる足音が聞こえてきた。
「もう、パパ遅いよっ! 置いて行っちゃうから……っ」
と振り返って驚いた。
「……早いじゃん」
パパより先に伊吹が制服姿で下りてきてしまった。
「あ、いや……」
とっさに上手い言い訳ができず言葉に詰まっていると、伊吹はあくびをしながらそのままリビングに行ってしまった。
「……」
あたしがいつもより早い時間に出かけても、その理由なんか伊吹には興味がないらしい。
昨日の一件で気まずくなって、それでいろいろ反省して……あたしが伊吹と距離を置こうとしてる……なんて思いもよらないに違いない。
それくらい伊吹にとってはあたしなんかどうでもいい存在……
「お待たせ、ナナ! ……ってどーかしたのか?」
ケータイを手にしたパパがやっと2階から下りてきた。
「ううん、なんでもない。それより早く行こっ」
落ち込みかけた気持ちを振り切るように、勢いよく玄関ドアを開けた。

「なんかナナ最近早くない? 学校来んの」
遅刻ギリギリに登校してきた里香が驚いた声をあげる。
「う…ん。なーんか最近早くに目が覚めちゃうんだよね」
「年寄りかっ!?」
里香が笑いながら突っ込んできたから、あたしも一緒になって笑った。
パパと一緒に登校するようになって数日が過ぎた。
その間、朝伊吹と顔を合わせる時間はほとんどと言っていいほどなくなった。
夜は夜で、夕食のとき以外は自分の部屋にいたから、交わす言葉も挨拶程度。
バイトや部活で夕食の席に伊吹がいないこともあるから、顔を合わせることなく1日が終わることもあった。
学校でだって、普通クラスのあたしと特進クラスの伊吹が会うなんてことないし……
と思っていたある日。
「……おい」
先生に頼まれて資料室に資料を返しに行く途中の廊下で、伊吹に呼び止められた。
「な……なに?」
返事をし終わらないうちに下を向く。
うわー… 伊吹だ。
なんか、こーやって面と向かうのが久しぶりで……緊張してしまう。
鬱陶しがられたくないからって、あえてあたしの方から離れてたくせに、実際こーやって伊吹から声をかけられると嬉しさで心臓がキュッとなる。
でも……あんなに鬱陶しそうにしてたのに、一体なんの用だろう?
学校では話し掛けてくるなって、そう言ったのは伊吹の方なのに……
よっぽどの用事があるのかな?
そう思ってそっと伊吹を見上げると、伊吹はなんだか難しそうな顔をしている。
もしかして……怒ってる?
ここ最近、話すどころか顔だってまともに合わせてないのに……なんか怒らせるようなことした? あたし。
なんにも思い当たる節ないけど……
とりあえず、伊吹の話を聞こうと思って待っていたんだけど、伊吹はいつまでたっても話し出す気配がなかった。
難しい顔のまま無言であたしを見下ろしている。
「? えーと…… なんの用、かな?」
待ちきれなくなってこっちから尋ねてみる。
伊吹はいつだって言いたいことを言う。
アドバイスをくれるときも、フォローしてくれるときも……ひとを罵倒してくるときですら、言いたいことを躊躇いもせず端的に言葉にして投げてくる。
だからこんな伊吹……なんか言いたいことがありそうなのに、いつまでも話し出さない伊吹は初めてだ。
「あの…さ? あたし早くこれ返しに行かないといけないから」
あたしがそう急かすと、伊吹は小さく舌打ちをして、
「……おまえさぁ、なんなわけ?」
とやっと話し始めた。
やっぱり、なんか機嫌悪そう……
「なにって……なにが?」
あたしがそう聞くと、
「なにが、じゃねーよ。とぼけやがって」
と伊吹は眉間のシワを深くした。
「え?」
「おまえここんとこ、朝バカみてーに早く家出て行くだろ。なんなんだよ」
「や、それ…は……」
「夜は夜でメシ以外部屋にこもってやがるし……」
と伊吹は面倒くさそうに吐き捨てた。
……伊吹、気付いてたんだ? あたしが距離置こうとしてること。
あたしのことなんか眼中にないだろうと思ってたから、気付いてくれたのだけでもかなり意外。
多少は伊吹の意識の隅に置いてもらえてるのかな…と思ったら、単純に嬉しかったり……
しかも、こーやってわざわざ声をかけてきたってことは、その状況に多少でも不満があるってことだよね?
本当に嫌いな相手から距離置かれても逆に嬉しいはずだし、わざわざ声かけてなんかこないよね?
と心の中で喜びかけそうになったとき、
「おまえがそんなんだと……母さんがいらん心配するだろ」
と伊吹が声を尖らせた。
「え……」
「どーせあのストラップの件にムカついて、腹いせにオレのこと避けてんだろーけど。母さんまで巻き込むなよ。おまえに嫌われてんじゃねーかって気にするだろ。せめてウチでは普通にしろ」
伊吹はちょっと早口でまくし立てるようにそう言った。
……ああ、そういうこと。
あたしが伊吹と距離を置いてること自体が不満なんじゃなくて、それによって法子さんに心配をかけるって……そっちの方が不満ってこと。
そーだよね。そーゆーやつだったよね、伊吹って。
誰に対しても興味ないけど、法子さんのことだけは特別なんだよね。
パパと再婚して諦めついた、とか言ってたけど、好きだった人だもんね。法子さんは。
喜びかけそうになった心が、またしぼんでいく。
「ごめん。そんなんじゃないって言っといて。……ていうか、伊吹分かってるんだから上手くフォローしといてくれればいーじゃん」
「なんでオレが。てめーでしろよ」
……あたし本人からじゃないと意味がないって思ってるのかな。
それもこれも法子さんのため……
そんなふうに気に掛けてもらえる法子さんが、心底羨ましいと思った。
「……分かった。しとく」
そう言って踵を返そうとしたら、
「待てよ」
とまた伊吹に呼び止められた。
「……なに」
振り返らずに返事だけした。
今伊吹の顔を見たら、みっともないヤキモチを吐き出してしまいそう。
そのまま伊吹のセリフを待っていたら、
「……こっち向けよ。誰と口きいてると思ってんだよ、奴隷が」
とイライラした声が降ってきた。
奴隷って……
仕方なく伊吹の方に身体を向ける。けれど視線は合わせたくなくて、あたしは俯いていた。
伊吹はちょっとだけ間を空けたあと、
「……おまえが朝早く出て行くせいで」
と呟いた。「……オレが食器洗う羽目になんだろーが」
「!!!!!」
わざわざ呼び止めて、それっ!?
腹が立つのを通り越して、悲しくなってきた。
伊吹にとってのあたしの価値なんて、皿洗い程度なんだ。
「……それはすみませんでした。帰ってきたら洗うんで、そのまま流しに置いといてください」
俯いたまま頭を下げた。
「……なにそのワザとらしい敬語。ケンカ売ってんの」
あたしが謝っても、伊吹のイライラは治まらないみたいだ。
なに? なんで伊吹はそんなにイライラしてんの?
法子さんにはちゃんと謝るって言ったじゃん。
食器だって、帰ってきてからあたしが洗うって言ってんじゃん。
なのになんでいつまでも怒ってんの?
…………あたしって、そんなにイライラする存在?
「ケンカなんか売ってない。……あたし、資料室行く途中だから。じゃあね」
「待てっつーの! 話の途中だろーが! 奴隷の方から勝手に話終わりにするんじゃねーよ!」
伊吹があたしの腕を掴んだ。あたしは伊吹を振り返って、
「途中ってなんの途中っ!? 伊吹の言いたいこと全然分かんない!」
と掴まれた腕を振り解いた。その拍子に持っていた資料が床に散らばった。
「法子さんにはちゃんと謝るって言ったじゃん! 食器のことだって…… なのになんなのっ!? ケンカ売ってんのは伊吹の方じゃないのっ!?」
あたしがいきなり反撃に出たら、伊吹はちょっと驚いた顔をした。
「奴隷奴隷ってなにっ? そんなので脅さなくたってちゃんとやるよ! どうせ伊吹はあたしが気に入らないだけでしょ!? だから……っ」
その先は喉が詰まって声にならなかった。
……だから、あたしの方から距離を置いてあげようとしてたのに……
目から余計な物が零れ落ちる前に、慌ててしゃがみ込み資料を拾い集めた。
……泣くな。
こんなことくらいで絶対泣くな。
泣いたら余計に伊吹をイラ立たせるだけだ。
これを拾い集めたら、走って逃げよう。
もう伊吹に呼び止められたってなんだって、絶対立ち止まらない。
あたしがしゃがみ込んで資料を拾い始めたら、伊吹も同じようにしゃがみ込んできた。そして散らばった資料を拾ってくれる。
「……自分で拾うから、いい」
あたしがそう言ったら、伊吹は一瞬動きを止めて、
「あーそーかよっ」
と言って拾った資料をまた床に放り投げた。
そうだよっ! 早くどっか行っちゃって!
じゃないと…… 泣けないじゃん!
そうやって意地になって資料を拾い集めていたら、はぁ、と軽くため息をついたあと、
「…………ップ」
と伊吹が何か呟いた。でもその声は小さすぎてなんて言ったのか分からなかった。
聞き返す気力もなかったからそのまま黙っていたら、今度は怒ったようにため息をつかれた。そして伊吹が口を開く。
「す」
「倉本さん!」
伊吹が何か言い直す前に、背後から名前を呼ばれた。驚いて振り返ったら唐沢勝利だった。
「あ、唐沢…くん」
「なに? こんなにプリント撒き散らして。椎名、ちゃんと拾ってあげなよ」
そう言いながら唐沢勝利は素早く資料を拾い集めてくれる。
伊吹はそんな唐沢勝利を見下ろしたあと、舌打ちをした。
「てめーで落としたもんはてめーで拾えっつーの」
「は? おい、椎名!」
唐沢勝利が呼び止めるのも聞かず、伊吹はプイと行ってしまった。
「はぁ〜? なんなんだよ、あいつ。彼女に向かっててめーとか…… てゆーか、椎名があんな口きくの初めて聞いたわ」
「……そう?」
あたしなんかしょっちゅう言われてるから、聞き慣れてるけどね。唐沢勝利は猫被った伊吹しか知らないんだ。
唐沢勝利は伊吹の言動に首を捻りながら資料を集めてくれた。
「はい」
「ありがと。助かった」
拾ってもらったプリントを受け取る。それをトントンと整えていたら、
「……もしかして、椎名とケンカしてる?」
と唐沢勝利が遠慮がちに聞いてきた。
「え?」
「や、なんか言い争ってるっぽかったし…… 椎名はプリント投げ捨ててるし」
見られてたんだ…… カッコ悪……
「ちょっと、ね。……慣れてるから平気」
唐沢勝利に詳しく話す義理もないから、曖昧に誤魔化したら、
「慣れてるって……」
唐沢勝利が絶句する。「椎名っていつもあんななの? 教室だと全然違うんだけど」
「い、いつもじゃないよっ! 今日はたまたま〜…えーと、その〜…あたしが伊吹を怒らせちゃったから、それでなのっ!」
うっかり余計なことを口走ってしまった。
伊吹のクラスメイトに伊吹のブラックな面を漏らした、なんて伊吹に知れたらまた怒られちゃう……
「……」
なんか、こーやって考えてみると、あたしっていつも伊吹のご機嫌伺ってる感じだよね。怒らせないように、不機嫌にさせないようにって……
惚れた弱みってやつなんだろうけど、さすがに疲れてくる。
さっきだって、あたしは怒らせないようにしてたつもりだったのに、伊吹はどんどん苛立っていったし……
……なんか、ほんと、疲れた。
ここんとこずっと伊吹のこと考えてばっかりで、でもそれは全然楽しいことじゃなくて、考えれば考えるほど落ち込むことばっかりで……
……ていうか。
…………あたし、伊吹のどこがそんなに好きだったんだっけ……
「……倉本さん、明日ヒマ?」
「え?」
俯いているあたしに唐沢勝利がそんなことを聞いてきた。
「明日って……?」
唐沢勝利は笑顔で、
「明日の土曜日ヒマかって聞いたの。倉本さん部活とかやってないでしょ? とくに用事がないなら一緒に遊ばない?」
と誘ってきた。
「え? いや、あの……」
突然の誘いに戸惑う。
遊ぶって……?
学年トップの唐沢勝利が、普通クラスのあたしなんかと何して遊ぶっていうんだろ?
ていうか、あたしたちほとんど話したことないし……なんで?
あたしの戸惑いが顔に出たのか、唐沢勝利はちょっと慌てたように前髪を掻き上げて、
「ゴメン、突然でびっくりしたよね。いや、気晴らしには遊ぶのが1番だからと思って。オレもそうだし」
……どうやら、あたしが伊吹のことで落ち込んでいるのを見透かされたみたいだ。
学年トップは頭がいいだけじゃなく、そういう察しもいいらしい。
気を使ってくれたんだ……
「……唐沢くんほどの人でも、気晴らししたくなることがあるんだ?」
あたしが気を取り直してそう聞くと、唐沢勝利はちょっとホッとしたように、
「そりゃあるよー。テストや模試の結果が悪かったときとかね」
「結果が悪いって……不動のトップじゃん」
驚いてそう言うと、
「校内の順位なんかなんの当てにもならないからね。それにいくらトップでも自分が納得できる点数取れなかったら意味ないし」
「……頭いい人は言うことが違う」
次元の違うセリフに心底びっくりする。
「いや、その頭いいとか言うの止めてくんない? 恥ずかしいから」
唐沢勝利が困ったように首を振る。
「え?」
「勉強しかできない、みたいなさー。オレも椎名みたいに運動部とか入りたかったんだけど。いい気晴らしにもなりそうだし。けど時間がなー…」
「あー無理無理! 部活なんか入ったら学年トップ維持できないよ? 帰ってくるのだって遅いし」
「そーなの?」
あたしは肯きながら、
「伊吹なんか部活ある日は9時近くだよ、帰ってくるの。勉強する時間なくなっちゃうよ?」
「……へえ」
唐沢勝利は驚いたように目を見開いて、「じゃあ無理だ。塾の時間に間に合わない」
と軽く自分の頭を叩いた。
「塾行ってるんだ?」
「行ってるよ。ていうか、特進のヤツらはみんな行ってるよ。学校の授業だけじゃ受験に対応出来ないから」
「そーなの? 大変だね」
「椎名だって行ってるだろ?」
「伊吹? 伊吹は行ってないよ。塾どころかバイトまで……あっ!」
慌てて口を押さえる。
……ヤバイ。伊吹がバイトしてることは内緒なんだった。
あたしが焦っていたら、唐沢勝利はちょっと笑って、
「あー、カラオケ屋でバイトしてるって本当だったんだ?」
「……知ってたの?」
驚いて唐沢勝利を見上げる。
「うん。てゆーか、クラスの女子がカラオケ屋で椎名のこと見かけたって言ってたから」
「そっか」
ホッと胸を撫で下ろす。もともと知ってたんなら安心だ。
それに、バイトは基本的に校則で禁止されてるけど、他にも隠れてやってる子ケッコーいるしね。
……まあ、特進クラスではそんなのいないだろうけど。伊吹くらいしか。
「で、明日何時にする?」
「へ?」
「オレ、水族館行きたいな」
「……本気だったの?」
うん、と笑顔で肯く唐沢勝利。
「あー…気ぃ使ってくれてるんだよね。でも大丈夫だから。ホント慣れてるし。てゆーか、もう落ち込んでないし!」
あたしは唐沢勝利に拳を握って見せた。「ありがとね。唐沢くんて頭いい上に優しいんだね」
伊吹とは大違い……
「……気ぃ使ってるわけじゃないんだけどなー」
唐沢勝利は首の後ろをさすりながら俯いて、「オレが遊びたいだけ。倉本さんと」
と早口で言った。
「は……えっ?」
なんか今、ドキッとするセリフを聞いた気がするんですけど……
「てゆーか、男1人で水族館とか寂しすぎるじゃん? 他に誘う女子も残念ながらいないし……だから、倉本さんが付き合ってくれたら助かるなってゆー…」
唐沢勝利は照れたように言い訳をした。
こ、これは……
もしかしてあたし、唐沢勝利に好意持たれてるっ? まさかっ!?
いや、まだ好きとかそんなんじゃないだろうけど……ついこの前知り合ったばっかだし。
でも、いくら他に誘う女子がいないっていっても、ロクに話したことない女子を休日にわざわざ誘ったりするかな……
え……や? ちょっと待って?
あたしかなり図々しいこと考えてない?
たしかに状況的にそう思っちゃってもおかしくないところだけど……どっか他に落とし穴とかない?
あたしが必死に『図々しい考え』を否定する材料を見つけていると、
「……もしかして、他の男と遊んだりしたら椎名に怒られる?」
と唐沢勝利があたしの顔を覗き込んできた。
「や、それは絶対ないけど」
そこだけは確実だから即座に返事をした。……悲しいことだけど。
てゆーか、そんな関係じゃないしっ!
唐沢勝利はまだあたしと伊吹が付き合っていると勘違いしている。
伊吹との関係を否定する前に、
「よかったー! じゃ、いいよね!」
と唐沢勝利は笑顔になる。その笑顔がなんか子犬みたいで……ちょっとかわいい。
「いやいや、唐沢くん? いいとかそんなこと言ってないんだけど」
つられてこっちも笑顔になる。
「まだそんなこと言ってんの? ……じゃあズルいけど、断れない誘い方しちゃうよ?」
「断れない誘い方って?」
不思議に思ってそう聞くと、唐沢勝利はちょっとイジワルな顔になって、
「倉本さんさー、この前オレの制服汚したじゃん? 一応許しはしたけど……寒かったなー、クリーニング出してる間」
とあたしを上目遣いに見つめた。
「!!!」
そ、それを言われたら……断れないよっ!
「……付き合ってくれるよね、明日」
また目の前で子犬が笑った。

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