ひとつ屋根の下   第7話  故郷C

「伊吹っ!」
夕食の時間、昨日と同じ大広間に集合しようとしていた伊吹をつかまえた。
あのあとまっすぐホテルに帰ったかどうかは分からないけど、伊吹は夕食の時間にはちゃんとホテルに戻っていた。
「……なんだよ」
あきらかに鬱陶しそうな顔をする伊吹。
「お見舞いに行こ! このあとの買い物の時間に!」
「は?」
戸惑う顔をする伊吹に、昼間ケータイからかけた話の内容を聞かせた。
明日あたしたちは千葉に帰らなければならない。だからお父さんに会いに行くとしたら今夜しかない。
幸い今夜は、修旅最後の夜ってことで夕食のあと買い物のために2時間の自由行動がある。
なんとかその間に会いに行ければ……っ
「これを逃したら、次いつ会えるか分かんないよ? ううん、次があるかどうかも分かんないんだよ? だからっ」
「バカじゃねーの、行かねーよっ! 何回も同じこと言わせんなよっ!!」
伊吹は眉間にしわを寄せた。
「普通に話ができるのも今のうちかもしれないし……ほかには誰もお見舞い行ってないって。ひとりぼっちなんだよ!? かわいそーじゃん!」
「どこがかわいそうなんだよ。自業自得だろ。さっさとひとりで死ねばいーんだよ、あんな男」
と伊吹は吐き捨てる。
……ダメだ。
今の伊吹になにを言っても聞いてくれない。
逆に、あたしが言えば言うほど意固地になっちゃう。
明日には千葉に帰らなくちゃならないのに……
次があるかどうかも分かんないのに……
「…………じゃあいい。あたしひとりで行ってくる」
「はぁ?」
伊吹が思い切り眉を寄せる。「なに言ってんの、お前」
「伊吹が行かないなら、あたしひとりで行くからいい」
伊吹は舌打ちをした。
「意味が分かんねぇ。お前が会いに行ってどうすんだよ。余計なことすんなっつったろ!? 部外者がっ!!」
……また部外者って言われた。
目の奥がジワリ、と熱くなったけど、
「……もう部外者じゃないもん。さっきお墓で会ってるし!」
と言い返して、あたしは踵を返した。
「待てよっ! 勝手なことすんじゃねーよっ!!」
伊吹があたしの腕を掴んだ。「……お前、これ以上オレを怒らすんじゃねーぞ」
背後から伊吹が本気で怒っている声がする。あたしはそっちを見ないようにして、
「……伊吹って小さいね」
「あぁ?」
「そりゃ、いろいろ恨みがあるのは分かるよ。絶対許せないって気持ちも…… でも、実の親じゃん! 育ててもらったんじゃん!」
「育ててもらってねぇっ!」
伊吹の反論を無視して続ける。
「そんなお父さんが今にも危ないって状態なんだよ!? お見舞いくらい行ってあげてもいーじゃん! …ひゃっ」
腕をグイと引っ張られ、無理やり伊吹の方を向かされた。
「……お前、オレが昔あの男に何されてきたか知ってんのかよ」
「知ってるよっ、でもっ」
「でもじゃねぇっ!!」
伊吹が怒鳴る。「……勝手なことしたら、てめぇを一生許さねえ」
そう言って睨まれた。
また目の奥がジワリ、ジワリ、と熱くなる。そんなあたしを見て、伊吹は微かに目を細めたあと、
「……分かったな」
と言って、あたしを掴んでいた手を乱暴に離した。そしてそのまま大広間の方に行こうとする。
「伊吹っ!」
伊吹は振り返らなかった。それでもあたしは、
「あたし、伊吹が好きだからっ、だから……っ」
と伊吹の背中に叫んだ。「だから伊吹には笑っていて欲しいっ!!」

「ヒュ〜! 大告白だったね!」
遅れて大広間に行ったら、里香やクラスメイトに冷やかされた。
どうやら、伊吹と廊下で話していたところを誰かに聞かれたらしい。……といっても、幸い聞かれたのは最後のところ、あたしが大声で、
「伊吹が好きだからっ!」
のところだけだったらしい。ホッと胸をなで下ろす。
よかった、伊吹のお父さんのこととか聞かれてなくて。
「なんか伊吹くん怒ってたみたいだけど〜。あんましつこくすると嫌われちゃうよ?」
里香が冷やかし半分、心配半分で忠告してくれる。
「……うん。気をつける」
テキトーに返事をしておいた。
「どうするー? みんなで回るー? それとも個人で回って時間になったら集合するー?」
夕食後、里香を中心に班のメンバーが集まる。
夜の買い物も基本は班単位だ。
でもみんな、他のクラスの友達や彼氏彼女と回りたいから、外出するときと帰ってくるときだけ集まって、あとは別行動にするって場合が多い。
「女子とは見る店が違うし、いんじゃね別行動で」
とあたしたちの班も別行動をすることになった。
「ナナ、まりあ、行こ〜」
と里香が腕を組んでくる。
「ごめん、里香。あたしちょっと抜ける」
あたしは里香に謝った。
伊吹には行くなって言われたけど、この時間でやっぱり伊吹のお父さんに会いに行きたい。
ほとんど初対面のあたしなんかに話してくれるか、いや会ってさえくれるか分からないけど……
でも、会って伊吹のお父さんと話がしたい。
昼間、どういう気持ちで伊吹のお母さんのお墓参りに来ていたのか。
過去に対してどう思っているのか。
伊吹に対して……どう思っているのか。
それを知らないまま、千葉になんか帰れない!
あたしが里香の腕を解きながら別行動を取ろうとしたら、
「またぁ? ナナ、今日1日ずっとそうだよね? なんなの? また具合悪いの?」
と里香は眉を寄せた。
「え…と…… ちょっと、その……マ、マニアックなものが買いたいので、別行動を取らせていただきたいと……」
あたしは今日何度目かのウソをついた。
さすがに、体調悪いのに出歩くの? と聞かれそうで仮病は使いづらかった。
「なに、マニアックなものって」
「……は、恥ずかしくて言えないくらいマニアックだから」
そう言って俯く。
里香はあきらかに不満そうな声をあげて、
「もう〜! ナナとお土産買いに行くの楽しみにしてたんだよ〜」
「ごめん」
ごめん、里香。ウソばっかついて。
「じゃあ、そっち買い終わったら連絡してよね!」
「……ありがと」
里香に心の底から感謝をして、あたしは駅に向かった。
……いや、向かおうとしたんだけど、駅がどこだか分からなかった。
「あの〜、駅ってどこですか?」
と通行人に聞いたら、
「なに駅?」
と逆に聞き返された。
なに駅って…… 近くにある駅ってひとつじゃないのっ!?
「えーと、1番近い駅でいいです」
とりあえず駅に行けばなんとかなるよね。
昼間の電話で病院の最寄り駅も聞いてるし、あとは路線図見て乗り換えて行けば……と思っていたら、
「いちばん近いのは河原町やけど…… どこまで行くの?」
と逆に質問された。「行き先によっては別な路線で行った方がええかも知れんし」
「あ、そーなんですか?」
「そーそー。どこ行くの? なんならその駅まで連れてくよ」
とその男の人は笑顔を見せる。
「えっ!? いいんですか?」
「ええよ」
よかった〜! 京都の人ってチョー親切!!
あたしは病院の最寄り駅を告げた。
「あー、それなら京阪線使たほうがええわ。おいで」
「ありがとうございますっ!」
助かったー!
昼間、お墓から嵐山まで戻るときもかなり苦労したけど、京都の電車とかバスってなんかよく分かんないんだよね。
ここからどれぐらいかかるのか分からないけど、早く帰ってくるに越したことはないし、教えてもらえてよかったー!!
となりを歩く人をチラリと見上げる。
大学生……くらいかな? 平日なのにラフな格好してるし。
「どっから来たの?」
「千葉です」
「お、ええなぁ。ディズニーランド毎日行けるやん」
「いや、毎日は行かないです」
そんな話をしながら男の人が横道に曲がろうとした。今までの賑やかな通りよりちょっと薄暗い。
「え? こっちですか?」
「うん。近道」
「そーですか」
とそのままその男の人について行こうとしたときだった。急に背後から腕を掴まれた。
「えっ?」
驚いて振り返ったら……伊吹だった!
伊吹は、
「……なに迷子になってんの。こっちだよ」
と腕を引っ張る。
「え、迷子って……?」
あたしが戸惑っていると、道を教えてくれていた男の人は、
「……お友達?」
と笑顔で聞いていた。
「はい」
あたしが返事をするより先に伊吹が笑顔で肯く。
男の人はちょっと笑ったあと、
「道聞かれたから、教えてあげてたんだよね」
と言った。
「あ、そーなんですか」
伊吹も笑顔のまま、「でも、ボクも道知ってるんで」
と答えた。
……あれ? 伊吹いま、ちょっとイントネーションおかしくなかった?
男の人はちょっと目を見開くと、
「……っそ。じゃあね」
と言ってそのまま行ってしまった。
その後ろ姿をじっと見ている伊吹。
「……伊吹? なんでこんなとこにいるの……?」
伊吹はふっと息を吐くと、
「……ったく、誰かれかまわずついて行くんじゃねーよ」
と言った。
「え? だって駅まで連れてってくれるって…… 親切な人だったよ?」
あたしが言い訳がましくそう言うと、
「ほんっとめでたいヤツだな、お前は」
と伊吹は眉を寄せた。そしてジロリ、とあたしを睨む。
「……電車なんか乗って、どこ行くんだよ」
「えっ? えっと、その……」
「今は土産を買う時間だよな? 土産買うのにどこ行くんだよ」
「それは……」
まさかこんなところに伊吹が現れるとは思ってなかった。とっさの言い訳が思いつかない。
しばらく伊吹の前で黙って俯いていると、
「……はぁ〜〜〜っ」
と伊吹は長いため息をついた。「……なに駅なんだよ」
「伊吹っ!?」
驚いて顔を上げる。
「勘違いすんなよ。どうせ行くなっつっても行くんだろ、お前バカだから。そこまで連れてってやるだけだからな!」
「うんっ! それでもいい! ありがとっ!!」
嬉しくなって伊吹の手を取る。伊吹はその手を鬱陶しそうに払うと、
「お前は帰ってきたら一生無視の刑」
と言って先を歩き出した。
「うん!」
嬉しくなりながら伊吹のあとをついて歩く。
伊吹が……伊吹が来てくれた!
どこからあたしの行動を見ていたのか知らないけど……心配してついて来てくれたってことだよね。
病院の外までしかついてきてくれる気ないみたいだけど、そこまで連れてっちゃえばこっちのもんだもんね!
あとは上手いこと言いくるめて病室の前まで、さらに頑張って病室の中まで引っ張って行っちゃうもんね!!
途中1回だけ乗換えをして、目的の駅に到着。
コンクリート打ちっぱなしの駅を出て交番で道を聞いた。すいすいと電車を乗り換えてきた伊吹も、さすがに病院の場所までは知らないみたいだ。
「あたりまえだろ。お前は千葉のすべてを知ってんのか。道案内できるくらいに」
と突っ込まれた。
でも、交番で教えてもらったその1回で目的の病院まで着いたんだから、やっぱり伊吹はすごい。
そうしてやっとたどり着いた病院は、4階建てのこじんまりとした病院だった。いくつかの病室に明かりが点いているだけで入口は暗い。
「……面会時間、夜7時まで」
伊吹が入口横にあるプレートを読み上げる。
「うそっ! 今何時!?」
「8時12分」
うそでしょ〜〜〜っ! せっかくここまで来たのにっ!!
「帰るぞ」
伊吹はさっさと来た道を戻ろうとする。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
面倒くさそうに伊吹が振り返る。
「なんだよ」
「せっかくここまで来たんだよ? このまま帰るなんてやだ!」
「そんなこと言ったって、面会時間終わってんだろーが」
「ちょっと待ってて!」
あたしは慌てて玄関横についていた小さなインターホンを押した。しばらくして、
「はい」
と女の人が出た。昼間ケータイで話した人とは違うみたいだ。
「あ、あのっ、お見舞いに来たんですけど、閉まってて……開けてもらえませんか」
と言うと、
「面会時間は10時から夜の7時までです」
と素っ気なく言われ、ブツリとインターホンを切られた。慌ててもう1度押す。
「……なんですか」
2度目はあきらかに不機嫌そうな声で返事をされた。
「あの、お見舞いに」
「7時までです」
今度は最後まで言う前に切られた。
な、なんで―――ッ!
せっかくここまで伊吹を連れてきたっていうのにっ!
ここから病室の前まで、それから病室の中へ……って計画だったのに―――ッ!!
「気が済んだか」
伊吹はフンと鼻で笑うと、今度こそ踵を返して来た道を戻り始めた。
ど、どうにかなんないの!?
せっかくここまで来たのに……
せっかくお父さんの気持ち聞けると思ってたのに……っ!
「? なにやってんだよ、置いてくぞ」
伊吹が振り返る。
あたしは病院の前で突っ立ったまま、
「……明日の朝まで待つ」
と言った。
「はあっ!?」
伊吹が眉間にしわを寄せる。
「明日の面会時間が始まるまで、ここで待つ」
ここまで来たら、あたしひとりででもお父さんに会っていく!
明日は全体で清水寺なんかを回ったあと京都駅から新幹線で帰ることになっている。今日みたいに抜け出すチャンスなんかない。
だから今夜!
今夜のうちに会っていかなくちゃ!
伊吹が帰るって言っても、あたしだけでも会っていく!!
「なにバカなこと言ってんだよ!? そんなこと出来るわけねーだろっ! 帰るぞっ!!」
伊吹は怒りながら近づいてきた。
「待てるもん。ここまで来たら、なんとしてでもお父さんに会っていく。そう決めた!」
「ふざけんなっ! 帰るぞ、ホラっ!」
伊吹があたしの腕を引っ張る。あたしはその腕を振り解いた。
「伊吹は帰ってもいい! あたしだけ残るからっ!!」
伊吹は眉間にしわを寄せたままあたしを見下ろした。
「……ホントに帰るぞ」
「いい」
「帰り道分かんねーだろーが」
「聞きながら帰るから大丈夫」
あたしは頑として譲らなかった。
伊吹はしばらくあたしを見たあと、
「……っそ。じゃ、勝手にしろ」
と言って今度こそひとりで帰ってしまった。
あたしはその後ろ姿見つめた。伊吹が角を曲がって見えなくなってもずっとそっちを見ていた。
「…………」
そのままたっぷり10分は見ていたけど、伊吹は戻ってこなかった。
……あーあ、本当に帰っちゃった。
あたしは病院の前にある駐車場の縁石に座った。
作戦通りにならなかったな……
でもまあ、ここまで伊吹を連れてこれただけ、あたしにしては上出来だったよね。
それに、面会時間が終わってたから中に入れなかっただけで、もし時間に間に合ってたら伊吹のこと病室まで連れて行けたかもしれないし。
そう考えたら、あたしも少しは進歩してるよね。
うん、自信持っていいと思う!
はあ、と息を吹きかけて手を擦り合わせる。昼間は暖かかったのに、夜になったら急に気温が下がってきた。
スカートの下にジャージ履いてくればよかった。……なんて、電車も乗ってきたし、無理か。
ケータイのパネルで時間を確認する。まだ8時半を過ぎたばかりだ。
あと……13時間以上もある。
そうだ、里香にメールしとかないと。買い物一緒にできなくてごめんって。
……いや。
今夜は帰れないから、先生への言い訳もしてもらって上手く誤魔化してもらわないとならない。
メールじゃ上手く伝える自信がなかったから電話をすることにした。
『はいはーい。終わったの? 今どこ?』
里香の元気な声が聞こえる。『遅いよー、あと30分しかないじゃん!』
これからする無茶なお願いのことを考えると申し訳なさでいっぱいになった。
「……里香、さん」
自然と口調も改まったものになってしまう。
『は? ……なに? さんとか』
「あの〜、ちょーっとお願いがあるんですけど……」
あたしがそう言っただけで、
『なによ。まさかまだオタッキーな買い物してるとか言うんじゃないでしょうね!』
と里香はすでに軽く怒っている。
「いや……じつは、ですねぇ。今……宇治の方にいましてぇ」
『ウジ? ……ってどこ? 新京極のどの辺?』
いや、新京極とか、もうそんなレベルのとこじゃないんですけど……
「ちょっと〜その〜… 帰れなくなっちゃいまして」
『…………はあっ!?』
たっぷり間を開けたあと里香は素っ頓狂な声をあげた。『なに言ってんの?』
「だからごめんっ! 先生に上手く言い訳しといて!」
『ちょっと待ってよ。どーゆーことッ!?』
里香が慌てる。あたしはそれに被せるように、
「明日の昼頃にはちゃんと合流するからっ! それまでなんとか……ねっ! お願いっ!!」
『なに言ってんの、そんなの無理に決まってるじゃん! 班長のあたしが怒られちゃうよっ! っていうかナナ、今どこにいんのよっ!? ウジってどこっ?』
「ほんとにごめんっ!! ちゃんと埋め合わせするからっ!!」
『あ、ナナッ』
そこで無理やり通話を切ってしまった。急いでマナーモードに切り替える。すぐに里香からかかってきたけど、当然無視した。
里香…… 本当にごめんねっ!!
ケータイを両手で拝む格好にして挟み、里香に謝った。
きっと里香なら上手いことやってくれる。……やってくれると信じたい!
ケータイをカバンにしまい、再び手を擦り合わせた。
……やっぱり寒い。
なにかあったかい物でも買ってこようかな。
あたしは立ち上がった。
さっき伊吹と来たとき、途中にコンビニあったよね。そこであったかいお茶とか買ってこよ。
と移動しかけて……
……ダメだ。コンビニまでの道を覚えてない。
それに、万が一行けたとして、そのあとここまで戻ってこれる自信がない。
あたしは諦めてまた縁石に座り込んだ。石の冷たさが、スカートと下着を通しておしりに伝わってくる。
仕方なくおしりの下に手を入れた。
これで少しはマシだけど……今度は手が冷たい。
あーも〜〜〜!!
なんでこんなに寒いのよっ!
京都って千葉より南じゃん! 千葉はこんなに寒くないんですけどっ!!
誰に向けるでもなくお腹の中で悪態をつく。
おしりの下から手を取り出して、むき出しになったすねを擦った。
そうやって寒さをしのいでいたら、
……あたし、こんなとこまで来て、なにやってんだろ、という気持ちになってきた。
伊吹に怒られて、里香たちとの買い物もすっぽかして、日中だって嵐山見学もしないで……
もっと楽しい修学旅行になると思ってたのに……
こんな知らない町で、寒さの中ひとりぽっちで……
不意に鼻の奥がツンとした。慌てて立てた膝に顔を埋める。
ダメだ。こんなネガティブなこと考えちゃ!
嵐山見学をすっぽかしてお墓参りについて行ったことも、伊吹を怒らせてまで宇治に来たのも、里香に迷惑をかけてまでここに残ると決めたことも……今、寒さに震えていることも……
全部自分で決めたことだ。
「…………」
でも、寒いものは寒い。
あたしは立ち上がって駐車場内を軽く走り回った。こうして動いていれば、身体が温まってくるはずだ。
駐車場内に引かれたラインを利用して反復横飛び。
あたしって……けっこうすばしこい?
制服でローファーなのに、なにこの身のこなし……
リズムよく飛び跳ねていたら、駐車場の入口あたりに人影が見えた。ドキリとして動きを止め、人影に目を凝らす。
こんな時間に……だれ?
病院はもう閉まってるから患者じゃないし……
まさか…… チカンとか変質者っ!?
「だ、だれっ!?」
震える声で人影に怒鳴りつけると、
「……なにやってんだよ」
……伊吹だった!
「か、帰ったんじゃなかったの……?」
「夜の病院の駐車場で、制服着た女子高生が反復横飛びとか、シュールすぎんだろ」
「!!!」
慌ててラインの上から飛び退いた。
「……い、いつから見てたの」
伊吹はちょっと首をかしげながら、
「お前が立ったり座ったりしたあと泣きそうになって……かと思ったら、急に走り出したとこから?」
〜〜〜全部じゃんっ!!
「い、いじわるっ! 声かけてくれればいーじゃんっ!!」
「いや、面白かったから」
と言いながら伊吹があたしの方に歩いてくる。
「ほら」
と缶のミルクティを渡された。「アイスのほうがよかったか?」
「ホットでいいですっ!」
あたしがそう言うと、伊吹はちょっとだけ笑った。
並んで縁石に座り、あたしはミルクティ、伊吹はウーロン茶を飲んだ。
「京都って寒いんだね。千葉より南なのに」
「今日は特別だろ。いつもはこんなに寒くねーよ」
「そーなんだ」
あたしはミルクティの缶で両手を温めた。
……伊吹、どうして戻ってきてくれたんだろ。
なんにしても、今こうしてあたしのとなりにいてくれるってことは、明日の朝まで付き合ってくれるってことだよね?
面会時間が始まるのを待ってくれるって……そういうことだよね?
と内心で喜んでいたら、
「飲み終わったら帰るぞ」
と伊吹は立ち上がった。驚いて伊吹を見上げる。
「はっ!? ……朝まで付き合ってくれるんじゃないの?」
「そんなこと誰が言った」
い、言ってはないけど……でも、そう考えたっておかしくないよね!?
「さっさとしろ」
と伊吹が顎をしゃくる。あたしは立ち上がらずに、
「やだっ! あたし帰んないからっ!」
と伊吹から顔を背けた。「伊吹ひとりで帰っていいよっ!」
伊吹は心底うんざりしたような顔をした。
「いい加減にしろよ。学校にどう言い訳すんだよ」
「それは里香に頼んだ。だから平気っ!」
「風邪……いや、凍死すんぞ」
伊吹が怖い顔で脅しをかけてくる。あたしも負けずに言い返した。
「反復横飛びするから平気だもん!」
あたしのセリフにプッと伊吹が吹き出す。
「あ、笑った!」
とあたしが指をさしたら、伊吹はすぐに真顔に戻って、
「……笑ってねぇ」
とわざと眉間にしわを寄せた。
「笑ったよ」
あたしもつられて笑いながら、「あたし、笑ってる伊吹が好き」
と言った。
「伊吹があたしを好きじゃなくても……伊吹が笑っていてくれればそれでいい。伊吹の笑った顔が見られたら、あたしそれだけで幸せになれる」
あたしがそう言ったら、伊吹は黙ってしまった。
伊吹には、心の底から笑って欲しい。
嬉しくて楽しくて、幸せいっぱいで笑って欲しい。
だからあたしは帰れない。
伊吹のお父さんに会うまで、帰らない。
「ありがとね、伊吹。ミルクティで身体も温まったし……もう伊吹は帰っていいよ」
あたしはそう言ってミルクティを飲み干した。
「ゴミ箱あるかな〜…あ、あった! って、あんなとこに自販機あったんじゃん!」
全然気付かなかったよ。コンビニまで行かなくても飲み物買えたじゃん。
でも、これで夜通しここで待つ準備が整った。寒くなったらあそこであったかいお茶買えばいいしね!
「あ、伊吹。帰り道だけ教えてくれる? 今メモるから」
とあたしがカバンから手帳を出そうとしたら、伊吹はなにも言わずに駐車場を出て行こうとする。
「あ、ちょっと待ってよ! 帰る前に道だけ……」
と慌てて声を掛けたら、
「……寒さがしのげるとこ、探すぞ」
と伊吹はあっちを向いたまま言った。
「え?」
「さっさとしろ。置いてくぞ」
「は…… え?」
スタスタと歩いていってしまう伊吹のあとを慌てて追いかけた。
「え…… どういうこと?」
すぐには意味が分からず、伊吹に問いかける。
「どうせなに言ったって、おまえ帰んねーんだろ。……オレはあんな寒いとこで夜明かしするつもりはない」
それって…… 朝まで付き合ってくれるってこと?
「〜〜〜伊吹っ!!」
嬉しくなって伊吹の腕にしがみついた。
「くっつくな。鬱陶しい」
「すごく嬉しい! ありがとねっ!!」
まさか伊吹が朝まで付き合ってくれるなんて!
明日、お父さんに会ってくれるかどうか、それまでは分かんないけど……
でも、本当によかったぁ!
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