ひとつ屋根の下   第3話  すれ違った初恋C

「あ〜っ! 弾いた!」
「せっかくパス通ったと思ったのに……」
「つか、堤先輩のパス高めじゃね? あれじゃ槙原先輩やりづれーよ」
「わざとだろ? 最近槙原先輩練習休むこと多かったし、それで堤先輩イラついてたじゃん」
「だから腹いせ?」
隣りにいるジャージ姿の子たちがそんな会話を交わしている。
徹平に見に来いと言われた試合は、公式戦じゃないせいかそんなにギャラリーは多くなかった。
それも、あたしみたいに完全な部外者は少なくて、殆どがベンチに入れなかった1年生部員。
一応制服は着てきたけど、他のみんながジャージ姿だからなんか浮いてる感じがする……
―――なんて、今はそんなことを気にしてる場合じゃないっ!
「何やってんのよ、徹平……」
第3クォーターも半分以上過ぎたっていうのに、全然徹平のエンジンがかからない。
フォワードなのに全然点取りに行けてないし、ディフェンス面でも得意のスティールが今日は1回もない。
マッチアップした選手が上手いっていうのもあるけど…… スティールどころか、何回も抜かれてる。
「んー、堤先輩もいろいろあんのかもしんねーけど…… それにしたって、やっぱ槙原先輩も本調子じゃないっつーか、動きにキレがねーよ。 ファウルも多いし」
素人のあたしが見てても分かるくらいだから、部員から見たら今日の徹平のプレイは相当良くないに違いない。
それに、この間練習を覗いたときにも気になっていた堤とかいう3年だ。
徹平がいい感じに中に入ってきても、堤がパスを出さなかったりする。
やっとパスがもらえたと思っても、今度は少し高めで次のプレイに支障が出るし…
他の選手にはいいパス出してんのに……
徹平も調子悪いけど、堤の徹平に対するプレイも良くない。
要は二人の相性というかコミュニケーションが悪いのが原因だ。
そうこうしているうちに第3クォーターが終わってしまった。 選手たちがベンチに戻ってくる。
「槙原は〜…あれか。 調子悪いのか?」
初老と言ってもよさそうなおじさんが声をかける。 多分この人が休日だけ来てくれるコーチなんだろう。
歳のせいなのか、それとも元々そうなのか、明らかに相手に圧され気味の試合なのにこのコーチは全然声を荒らげない。
その分3年が大声を張り上げる。
「槙原、お前何やってんだよっ!? やる気あんのかよっ!?」
やっぱり1番怒鳴っているのは堤だった。
「やる気ねーなら引っ込めよっ! 邪魔なだけなんだよっ!!」
「……」
徹平も……言い返しはしなかったけど、無言で堤を睨みつけた。
「……なんだよ。 文句あんのかよっ!?」
「こらこら、二人ともやめないか」
温和なコーチが二人を諌める。
「今槙原に抜けられたら高さで分が悪くなる」
コーチが徹平を振り返り、「続けられるね?」
と確認する。
「…はい」
よし、とコーチが肯いたときインターバル終了のブザーが鳴った。 選手たちがコートに戻り始める。
コートに戻る直前、徹平がギャラリーにいるあたしを見上げ…… すぐに視線をコートの方に戻した。
それを見ていた堤が舌打ちをして、
「……ちゃらちゃらハンパに続けるくれーならやめちまえ」
と吐き捨てた。 徹平は聞こえない振りをしてそのままコートに戻った。
堤が言ったのは、最近徹平が練習をサボっていることだ。
もしかしたら、そのサボっている原因があたしだっていうことも、堤は知っているのかもしれない。
そんなことを言われても、徹平が反論できないような状況にさせてるのが自分だと思ったら、いてもたってもいられなくなった。
自チームのスローインで第4クォーターが始まった。
パスをもらった徹平がゴール下に切り込んで行き……
「あ〜、また止められた!」
「動き読まれてるよ〜」
堤のせいも多少はあるけど…… やっぱり今日の徹平は絶不調だ!
そんなことをしているうちに、徐々に点差が広がってきてしまった。
あ〜〜〜っ! もう我慢できないっ!
「バカッ! 何やってんのよ、徹平っ!!」
ギャラリーの手すりから身を乗り出し、思わず徹平を怒鳴りつける。
「今の徹平すごくカッコ悪いっ! もっと思いっ切りプレイしてよっ!」
徹平が驚いたようにしてあたしを見上げた。
いや、徹平だけじゃなくてコート上にいた他の選手も、ベンチも、ギャラリーにいた1年生部員までもが唖然とした顔であたしを振り返った。
けれど、そんなこと構っていられなかった。
「いつもみたいにカッコよくドライブ決めてよっ! 敵なんか跳ね飛ばしてゴール下決めちゃってよっ!!」
あたしがそう怒鳴ったら、横から1年生部員が、
「……それ、ファウルだけど」
って呟いたけど、聞こえない振りをする。
「パスが高いんだったら徹平が高く飛べばいいじゃんっ! 自分でボール取りに行きなよッ!!」
パスが高い、と言われたことが自分のことだと気付いた堤が、
「うるせえっ! 試合中だぞっ!!」
とあたしに向かって怒鳴り返してきた。 その堤を睨みつける。
「あんたもっ! ガードだったらもっと上手く徹平のこと動かしてよっ!」
「ぁあっ?」
「徹平、あんたのことバスケ上手いって言ってたよ!? ……性格は悪いけど」
あたしが勢いでそんなことまで言ったら堤は一瞬黙って、
「……うるせえっ! 一言余計なんだよっ!!」
とまたあたしを睨みつけた。
「だってホントのことじゃんっ!」
「ああっ!?」
あたしと堤でそんな応酬をしていたら、ピピッと笛が鳴り、
「試合中ですよ? それともタイムアウト取りますか?」
と審判に注意されてしまった。
「すっ、すみませんっ」
慌てて謝り、大人しくギャラリーに引っ込んだ。
気を取り直してプレイを再開させようとしたとき、
「……堤先輩」
と徹平が堤に声をかけた。「オレ、本気ですから」
「あ?」
「ちゃらちゃらバスケやってるつもりはありません。 これからはちゃんと毎日練習出ますから。 サボってすみませんでした」
徹平はそう言って堤に頭を下げた。
堤はちょっとだけ徹平を見下ろして、
「……オレはちゃんとそいつに合うパスを出してる。 それが取れないならそいつが悪い。 お前もっと高く飛べるだろ。 ……つか、飛べ」
と言い終わらないうちにプイと顔を背けてしまった。
……もしかして、これは堤なりに徹平に歩み寄ってくれたってことなのかな?
言い方は決して良くないけど…… 徹平にはもっと力あるだろって言ってるようなもんだよね?
それからのプレイは、さっきと比べると格段に良くなった。
やっぱり堤のパスは少し高めなんだけど、それに徹平もちゃんとついていけるようになってる。
……もしかしたら堤はそれを見越してたのかな?
プレイの難しいことは良く分からないけれど、段々流れがウチに向いてきたみたいだ。
堤から徹平にパスが回り……
―――えっ!?
「うわっ! 割って入るか、そこをっ!」
隣りで見ていた1年生部員も驚いている。
パスをもらった徹平は、そこに入る隙間あるの?って聞きたくなるようなディフェンスの間をかいくぐってジャンプシュートを決めてしまった。
「ナイスですッ! 槙原先輩ッ!!」
「もう1本ッ!!」
さっきまでは心配顔だったギャラリーの1年生部員も応援の声が大きくなってきた。
いいよっ! 徹平っ!! がんばれっ!!

「すごかったよ、徹平! 驚異の追い上げ!!」
「一時はどーなることかと思ったけどな。 ……つか、カッコ悪いとこ見せちゃったな」
「ホントだよ。 エンジンかかるの遅すぎ!」
あの後、徹平の調子が上がるとともに他の選手も引っ張られるように動きが良くなってきて、なんとかウチの高校は勝利をおさめることが出来た。
徹平たち部員はそのあと片付けやモップがけ、ミーティングなんかがあったんだけど、全部終わるのを待って一緒に帰った。
「でも、今日やった東高の9番が徹平のイトコだったなんてね〜 あんま徹平と似てなかった」
「似ててたまるかっ、あんなイヤミなヤツっ!!」
あたしも試合が終わって徹平に教えてもらうまで全然知らなかったんだけど、今日対戦した相手の中に徹平のイトコがいたみたいだ。
「同い年だからっていっつも比べられてて、スゲーやだったんだよな。 あいつ要領いいから褒められんのはいつもあいつの方でさ。 高校だってあいつの方が上だし……」
どうやら徹平とそのイトコはあんまり仲が良くないみたいだ。
っていうか、いつも比べられる徹平の方がライバル視してるって感じなのかな。
今日対戦した東高は、この辺のデキる子たちが行く進学校であたしたちの高校より偏差値も上だし。
「しかもあいつ中学のときはバレー部だったくせに、バレーは飽きたから高校ではバスケにするとか言い出しやがって…… バスケなめんなっつーのっ!」
確かにバスケは、中学からやってる子が殆どで(そのうちの半分は小学校からやっている!)高校から始める子ってのはものすごく少ない。
例えいたとしても、そんな子たちを押しのけてレギュラーになれるなんて可能性は、限りなく低い。
徹平は項垂れて、
「……なのに、レギュラーになれるのがあいつなんだよ。 だから、ぜってーあいつにだけは負けたくなかったんだ」
と呟いた後、「逆転したときのあいつの顔! たまんなかったぜっ!!」
徹平はそう言ってこぶしを握り締めた。
「良かったね」
「うん! ありがとなっ!」
と話す徹平は本当に嬉しそう。
同い年のイトコって、結構微妙な関係になっちゃうものなのかな?
あたしは、死んだお母さんは一人っ子だったからそっちにイトコはいないし、パパの方のイトコは…いるにはいるけど東北と北海道で、しかもまだ小学生とかだから、徹平たちの関係は全然分からない。
「……マジで勝てて良かったよ」
「じゃ、なんかお祝いしないとね!」
たかが練習試合って言われそうだけど、ここまで喜んでる徹平を見ていたら、なんだかあたしも嬉しくなってきた。
まだ時間も早いし、お祝いってことで帰りにどっか寄って行きたいな。
「ね、お祝いしようよ! これからケンタでも行って……」
とあたしが徹平を誘おうとしたら、
「……これというのもナナのおかげだよ」
と徹平があたしを見下ろした。
「え?」
「ナナが応援してくれたから。 あのとき……ナナにカツ入れてもらえてオレ復活できたんだよ」
「そんなの徹平の実力だよ。 ……って、えっ?」
徹平があたしの手を握る。
「て、徹平?」
「やっぱオレ、ナナが好きだ」
徹平があたしの肩を抱き寄せる。「つか、ナナがいないとオレ……ダメだ」
「ちょっ、徹平っ!」
そーだった!
徹平の試合やなんかですっかり忘れてたんだけど、あたし徹平に告白されてたんだ!
今日の試合が終わったらちゃんと断ろうって……
ケンタのチキンどころの話じゃなかったんだっ!!
徹平が高い身長を屈めてあたしに顔を近づけてくる。
「ちょっと待って、徹平! あたしの話聞いてっ!?」
慌てて徹平の顔を押し戻す。
「……なんだよ」
徹平がちょっと不機嫌そうな顔になる。
「あ、あのね…… あたし……」
徹平を傷つけたくない。
でも、このままズルズル引っ張るなんてしちゃいけないし、ましてや同情で付き合うとか……そんなことは出来ないし絶対しちゃいけない。
でも、どう話していいのか……
「あたし……中学の頃徹平のこと好きだった」
仕方ないから順番に話すことにした。
「好きで好きで……ラブレターまで書いちゃうほど好きだった。 でも、そのラブレターは返されて……あたし徹平にはフラれたって思った。 すごくツラくて泣いたときもあった」
あたしがそう言ったら徹平は、
「だからそれ読んでないんだって! つか、読ませろよっ!!」
と声を上げた。 あたしはそれを手で制して、
「でも今ではそれで良かったって思ってるの。 吹っ切るのに時間かかったけど…… なんでも相談できる幼なじみとしてすごくいい関係になれたと思ってる」
「……幼なじみで恋人同士だっていいじゃん。 つか、そっちの方がもっといい関係じゃん」
あたしは首を振った。
「恋人同士になったら、いつか終わりが来るのかもって……そう心配しちゃうよ。 そうなったとき家が隣同士って……キツイよ」
徹平が怒ったように声を張り上げる。
「終わりなんかこねーよっ! オレはずっと……今までもこれからだってずっとナナのこと好きでいるしっ!!」
「ごめん、あたし今はもうそんな風に徹平のこと思ってない」
あたしがそう言ったら徹平は言葉を失って目を見開いた。
そんな徹平から目を逸らしたくなるのを必死で我慢する。
「徹平のことは大好きだよ。 でもそれは幼なじみとして、で…… 今はもう恋愛感情はない。 ホントにごめん」
そこまで言ったら徹平も俯いてしまった。
徹平、ごめんね。 ショックだよね。
でもそんなの絶対一時的なものだから。 あたしがそうだったし!
だからそんなに落ち込まないで?
……なんて言っても、失恋のショックがなくなるわけじゃないのは経験してるから、黙っている。
「え〜…と。 それじゃ、あたし先帰るね?」
俯いたまま微動だにしない徹平を放っておくのも可哀想な気がしたけど、フラれた相手と一緒に帰るってのは徹平もキツイだろうから先に帰ることにする。
「またね……って、うわっ!」
徹平に背中を向けて帰ろうとしたら、急に背後から腕をつかまれた。
「て、徹平?」
「ナナの言うことは分かった。 オレも諦める」
「そ……そう」
あたしが肯いたら、徹平は、
「諦めるから…… だから最後にキスしていい?」
「は? ………キ、キスッ!?」
徹平が肯く。
「そうしたら、それ思い出にしてナナのことはもう諦めるから。 だから……いいだろ?」
「い、いいだろって…… ちょっ、徹平っ!?」
そう言うが早いか徹平が顔を近づけてくる。
「徹平っ!!」
徹平の肩の辺りを思いっきり押し返したけど……全然敵わないっ!!
「……顔上げろよ」
無理っ!!!
「や……っ ちょっと徹平ってばっ!!!」
あたしがいつまでも抵抗していたら、徹平があたしの顎に手をかけた。
「ナナ……」
徹平の息がかかる。
ちょ……っ ちょっと待って―――――ッ!!
と唇がくっつく寸前、
「……お? ちょうどいいとこに」
「ひゃっ!」
「うわっ!」
突然すぐそばの角から、ケータイ片手に伊吹が出てきた。
なっ、なんで伊吹がこんなとこにっ!?
しかも、こんなときに―――ッ!!
あたしも驚いたけど徹平もそれ以上に驚いたみたいで、慌ててあたしを解放してくれた。
伊吹はケータイを操作しながら、
「買い物行くからお前も来て」
まるで何事もなかったようにあたしにそう言った。
あたしは胸の動悸を押さえながら、なるべく普通に、
「……か、買い物?」
と伊吹に聞き返した。 伊吹は手元のケータイに目を落したまま、
「おー。 今日卵が88円だって。 買ってきてくれって母さんが。 1人1点だからお前いると2パック買える」
と言ってスーパーがある方に歩きはじめる。
どうやら法子さんからメールか何かで買い物を頼まれたらしい。
一瞬、
「見られたっ!?」
と思って焦ったけど、伊吹はあたしたちのやり取りは全然見てなかったみたいだ。
ケータイをいじりながら歩いて来たから、きっとそっちに意識が行ってて全然気が付かなかったんだ。
ホッと胸を撫で下ろす。
ふと徹平の方を窺うと、こっちはなんとも言えない複雑そうな顔をしている。
―――と、伊吹が急に振り返った。
「……あ。 もしかして、なんか用事あった?」
「えっ?」
伊吹は、
「用事あったらオレ一人で行くからいいけど」
とあたしに言ったあと、チラリと徹平の方を見た。 そしてまたあたしの方を見る。
「えっと…用事っていうか……」
一瞬迷ったあと、「う、ううんっ、大丈夫! 行けるっ!」
と伊吹に返事をする。 それから、
「……行っても、いいよね?」
と徹平を振り返った。 ……でも、徹平は返事をしない。
「徹平……」
徹平はあたしと目を合わせようともしないで、クルリとあたしに背を向けた。
「徹平…… 徹平っ!!」
あたしがいくら呼んでも振り向きもせず、徹平はそのまま歩いて行ってしまう。
ゴメン、徹平……
でもあたし、もう徹平のことはどうしても幼なじみ以上に思えない。
だから徹平の気持ちには応えられないよ……
落ち込んだままあたしがいつまでも徹平の後ろ姿を見ていたら、
「あ〜あ。 オレまたマッキーに恨まれんのかなぁ……」
と伊吹が。
……え?
「お前があそこまで嫌がんなかったらオレだって素通りしてたけどさぁ。 つか、いーじゃんたかがキスくらい。 それで諦めるつってんだから」
って……
全部聞いてたんじゃないの―――っ!!
「いつものことだけど…… 立ち聞きするなんて悪趣味だよねっ!」
「往来であんなことやってる方が悪いんだよ。 断るにしたってもっと話す場所考えろよ」
「だ、だって……」
なんか流れで急にあんなことになっちゃったんだもん。 場所なんか選んでるヒマなかったよ。
「あ〜あ、マッキーかわいそ〜! 思い出ももらえないで!」
「そ、そんなこと言ったって……」
伊吹はキスぐらいっていうけど、あたしには大変なことだもん。
伊吹は経験あるのかもしれない(…ううん、絶対あるに決まってる!)けど、あたし初めてだし……
徹平とするのがイヤっていうんじゃない。 そうじゃなくて……
―――やっぱり、初めてキスする人は本当に心から大好きな人としたいって思うじゃん?
でも、そんなこと伊吹に言ったって、
「うわっ! 今時キモいくらい少女趣味! つか、お前まだキスもしたことなかったわけ?」
とか言われそうだから黙っている。
でも……伊吹って、一体どの辺まで経験済みなんだろう?
こいつモテるし、きっと今までたくさんの女の子と付き合ってきただろうし、キスより先まで経験してそうな気がする。
この前は年上の女の人からも声かけられてたし……
っていうか、今どきキスも経験してない高校2年生の方が珍しいのかな。
徹平だって中2のときにあの先輩としてたもんね……
なんか、落ち込む……
「やっぱり、キスくらい……だよねぇ」
徹平も、
「何もったいぶってんだよ! キスくらいいーじゃねーか!」
とか思ったかなあ……
落ち込んだままそう呟いたら、ポン、と頭の上に何か乗ってきた。 ……伊吹の手だった。
伊吹はあたしの頭に手を乗せたまま、
「……取り消す」
「は?」
思わず伊吹を見上げると、
「たかが、なんて言ったのは取り消す。 お前はそういうの大事にすればいい」
伊吹はちょっとだけ目を細めてあたしに笑いかけてきた。
しかもその間、あたしの頭を優しくなでながら……
―――反則だ。
いつも意地悪なくせに、なんで急に優しくすんのよ。
そんなことされたら、なんか……いろいろ溢れてきちゃうじゃんっ!
「………なんで泣くんだよ」
笑顔だった伊吹の顔が、戸惑いのそれに変わる。
「だって……」
徹平には中2のときにフラれたと思っていた。
でもそれはちょっとしたすれ違いがあっただけで、本当は徹平もあたしのことを好きでいてくれた。
でもそれが分かった今、今度はあたしの方が徹平に対する恋愛感情がなくなっちゃってたなんて……
徹平は大事な幼なじみ。
出来れば傷つけたくないし、悲しい思いだってさせたくない。
でも、ウソをついて徹平の気持ちに応えるとか……そんなことは出来ない。
「それで思い出にするから」
って言われても……キスは出来ない。
だからあんなふうに断っちゃったけど…… 絶対徹平傷付いた。
あたしが傷付けた。
そう思ってたところに、いつもは意地悪な伊吹から優しくされたら……涙も出るよっ!
「まあ、いろいろ思うところあるかもしんねーけど、ちゃんと断ったのは結果マッキーのためになるんだし。 今回はお前そんなに悪くないだろ?」
なのになんで泣くんだよ、と伊吹があたしの顔を覗き込む。
―――追い討ちっ!
「う、うるさいっ! そんなこと分かってるもんっ!」
慌てて手の甲で涙を拭う。「ほらっ! もう帰ろっ!!」
いつまでも伊吹に泣かされたくないから(って伊吹はそんな気ないんだろうけど)さっさと家に帰ることにする。
あたしが家の方に歩きかけたら、
「や。 卵買いに行かねーと」
と伊吹は反対方向に行こうとする。
「え?」
「だから卵。 さっきも言ったろ? 今日88円だから頼まれたって」
……あれ、ホントだったんだ?
てっきり、徹平に迫られてたあたしを助けるためのウソだと思ってた。
「ま、泣いてる女連れて歩くのも外聞わりーから、やっぱオレ1人で行くわ」
「もう泣いてないっ! いいよっ、行くよっ! 1人1点なんでしょっ!」
伊吹はあたしの顔をチラリと見下ろして、
「じゃあさっさと泣き止め。 ブスな顔が余計ブスになってるぞ?」
「なっ!?」
確かに美人じゃないけど……
けど、泣いてる女の子に普通、
「ブズな顔が泣いて余計ブスに!」
みたいなこと言う!? ねえっ!?
一瞬、優しい……とか思ったけど、やっぱりムカツクこいつっ!!
すぐに涙なんかどこかに行ってしまった。
「でも、ホントに良かったわけ? 断っちゃって」
「え?」
「男が出来る最初で最後のチャンスだったかも知んねーじゃん。 もったいね〜」
その気がないならちゃんと断れ……なんて言った人間が言うセリフじゃないよね? それ!
「そんな心配してくれなくて結構ですっ!!」
そう怒鳴り返したら、伊吹は楽しそうに笑っている。
ホント分かんない、こいつっ!!
そんな感じで突っ込んだり突っ込まれたりしながら卵を買って家まで帰ってきた。
玄関のドアを開けながらチラリと隣家を振り返る。
……徹平、どうしてるかな。
っていうか、これからどうなっちゃうんだろ…… あたしたち。
徹平を傷付けたあたしが言えることじゃないけど…… 出来れば今まで通り幼なじみでいて欲しい。
楽しいことがあったら一緒に笑ったり、なんかあったら相談に乗ったり。
何にもなくてもお互いの部屋の窓越しにする他愛もない会話が楽しかった。
そんなことももうなくなっちゃうのかな…… そんなのヤダよ。
それとも、こんなこと思うあたしがワガママなのかな……
先に家に入った伊吹は靴を脱ぎながら、
「……心配すんな」
とちょっとだけあたしを振り返った。「明日お前から普通に挨拶すりゃ大丈夫だって」
あたしが何を考えていたか分かったみたいだ。
「でも……」
フラれた相手に挨拶されたって、ツライだけじゃないの?
……っていうか、挨拶したとして、それに徹平は返してくれるのかな?
もし無視されたりしたら、あたしだってツライよ……
「お前ら17年も幼なじみやってたんだろ? それがこんなことくらいでダメになるのかよ? ダメになっていいのかよ?」
「いいわけないじゃんっ!」
「じゃ、出来るよな」
「だから、それはビミョーっていうか…… すぐには……」
「17年の付き合いもこれで終わりか」
「そんなぁ〜〜〜っ!」
玄関でそんなことをやっていたら法子さんが出てきた。
「あら、二人一緒だったの?」
伊吹が笑顔で振り返る。
「うん。 ナナがいてくれたから卵2パック買えたよ」
「……」
……ナナ、だって。
いつもだったら絶対、
「こいつ」
とか言ってるよね!
ホントに法子さんの前では超が付く優等生なんだから。
「あら、嬉しい!」
そう言って法子さんは卵を受け取る。「茶碗蒸し作ろうと思ってたの。 ナナちゃん良かったら手伝ってくれる?」
「あ、はい」
特に用事も急ぎの宿題もなかったから、部屋にカバンだけ置いてきてそのままキッチンに入る。
「卵たくさんあるから久しぶりにプリンも作っちゃおうかしら」
法子さんがウキウキしたように卵を割る。「プリンだったら伊吹も食べられるのよね」
「あ、そーなんですか」
甘いもの全部ダメだと思ってた。
法子さんは肯きながら、
「私、伊吹が甘いものダメだって中学卒業するくらいまで知らなくて、作ったもの全部食べさせちゃってたの」
「へえ……」
……なんだろう?
今の法子さんのセリフ…… なんか違和感があったような……
でも何に違和感を感じたのか全然分からなかった。
……ま、いっか!
「しかも伊吹ったら、美味しいって言ってくれてたし」
「あ〜…」
うっかり、
「猫被ってるあいつならそう言うでしょうね」
なんて言いそうになり、慌てて口をつぐむ。
法子さんの指示でといた卵をザルで濾していたら、
「母さん、オレ出掛けてくる」
と私服に着替えた伊吹がキッチンにやってきた。
「どこ行くの? 晩ご飯は?」
法子さんがえびの皮をむきながら振り返る。
「ん、友達んとこ。 帰りは9時過ぎると思うけど…… 晩ご飯は家で食べるから」
「そう? あ、卵たくさん買ってもらったからプリン作るわね」
「うわ、マジで? チョー嬉しい!」
息子にこういう笑顔向けてもらえたら、母親冥利に尽きるよね。
「じゃ、行って来んね」
そう言い終わる間際、伊吹がチラリとあたしの方を見た。
なんとなく呼ばれた気がして玄関に向かう伊吹についていく。
「……なに?」
伊吹はスニーカーを履きながら、
「次マッキーに会ったら、お前から声かけること」
「え?」
「フラれた方から声かけづらいだろ? だからお前から声かけろ」
どうやら、さっきの話の続きらしい。
フラれた方からは声かけづらいって…… フッた方からはもっと声掛けづらいんですけどっ!?
っていうか、あたしの方を見もしないでその言いっぷり……
「声かけろ、とか……それもご主人様の命令ですか」
あたしがそう言ったら伊吹はちょっとだけ振り返って、
「命令されなきゃ声かけらんないわけ?幼なじみに。 オレは別にどっちでもいいけど」
「っ!!」
言葉に詰まる。
そんなあたしを見て伊吹は満足そうに笑うとまた顔を前に戻した。
「あのね、オレたち男はお前ら女と違ってデリケートなの。 フラれた相手に自分から声かけるとかスゲー勇気いんの」
だから、そんな体験したことないでしょ? アイドル伊吹くんは!!
「フラれたこともないくせに、よく言うよね!」
あたしがそう言ってやったら、伊吹はあたしに背を向けたまま、
「……あるよ」
と小さく呟いた。
「……へ?」
意外なことを聞いたせいで、間抜けな声が出てしまった。
伊吹はもう一度、
「ある」
と言うと、「……だからマッキーの気持ちも、お前の気持ちも分かるよ」
と振り返った。
その伊吹の顔が今までのどんな伊吹とも違っていて……そんな伊吹の顔なんか見たことなくて戸惑ってしまった。
な、なんでそんな顔するのよ……
伊吹がそんな顔をしたのはほんの一瞬で、すぐにいつもの意地悪い笑顔に戻ると、
「あいたっ!」
いきなりデコピンをかましてきた。
「ちゃんと食えるもの作れよな! 母さんの邪魔するなよ!?」
伊吹はそんな毒を吐くと笑いながら出て行ってしまった。
「……な、なによあいつ」
痺れるおでこを押さえながら、誰もいなくなった玄関で悔しまぎれに呟く。
ほんの一瞬見せた伊吹の表情に戸惑って、すぐに言い返せなかった。
なんであんな……泣きそうな顔とか……

なんか、伊吹のことがますます分からなくなってきた。
いつも偉そうな伊吹。
何でもお見通しって感じで、いつも上から目線なとこなんかホントにムカツク。
でも、あたしが困ったときはアドバイスしてくれたり助けてくれたりする。
バカにしたように毒を吐いてきたかと思えば、泣きそうになるほど優しくしてきたり……
学校やパパたちの前では超優等生だけど、実はそれは猫被ってるだけだし。
女の子にキャーキャー言われてて、フラれたことなんかないんだろうと思ってたら、あんな泣きそうな顔するくらいの失恋も経験してたなんて……

伊吹はこれまで、一体どんな生活を送ってきたんだろう。
全然好きじゃないしムカツクことばっかりなんだけど…… あたし……


―――あたし、もっと伊吹のこと知りたい。


第3話 おわり

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