F 麻美の涙
「あ、また落ち込んでる」 赤組の応援席に戻ったところで五十嵐くんに声をかけられた。「……ていうか、まだ学ラン着たままだったの?」 早く脱いだほうがいいよ、と五十嵐くんは周りを気にしながら言った。 あたしは自分の席に座ると椅子の上に足を乗せ膝を立てるようにしてその上に顔を伏せた。 もうダメ…… 今度こそ嫌われた。 あの保健室前でのあたしの発言は、支離滅裂な上にくだらないヤキモチ以外のナニモノでもなくて…… 絶対陸あきれてる…… 気になったまま応援合戦に出たときも、陸と目が合って恥ずかしくて…… 思わず顔を背けてしまった。 あ、これじゃ無視したみたいで感じ悪いよね……と思ってすぐに顔を戻したんだけど、今度は陸の方があたしから顔を背けていた。そしてそのまま誰かと話し込んでしまい、結局最後まであたしの方を見ようとはしてくれなかった。 が―――ん! 違う! したくて無視したんじゃないよ? ただちょっと恥ずかしかったっていうか…… 言い訳させて? あたしはいろんなことを謝りたくて、応援合戦から引けると赤組席には戻らずにそのまま陸のところに向かった。 商業科の応援席は派手な子たちが多くて、平凡なあたしは恥ずかしさと少しの恐怖を感じながら陸の姿を探していた。 「あ、結衣ちゃ〜ん!」 突然目の前に男の子が現れた。 「は……ない?」」 真っ黒な前髪を鼻ぐらいまで伸ばしている。そして腰履きにしているジャージ…… どこかで見たことあるような、ないような……? 「もしかして忘れちゃってる? この前の土曜日に合コンで一緒だったじゃん!」 「あ、あ〜…」 ……そうだっけ? ごめんなさいだけど…よく覚えてない。 あたしが戸惑っていると、 「結衣!」 と陸がやってきた。ホッと安心する。 最初その男の子と陸は険悪になりそうな雰囲気だったんだけど、陸がその男の子に何か耳打ちをしたら男の子はどこかに行ってしまった。 なんだったんだろう…… 「あ、あの…」 と陸に話しかけようとしたら、今度は、 「ヒカルちゃーん!」 とさわやかクンが声をかけてきた。知っている顔を見かけるとホッとする。あたしも手を振り返した。 「ちょっとこっち来い」 と陸に体育館裏に連れて行かれた。 なんか陸は怒っているみたいだった。 あたしが保健室前でのことを謝ろうとすると、それを遮って、 「ねぇ、なんでこっち来んの?」 と不機嫌さを隠しもしないであたしを見下ろした。 「え、だって……」 謝りたかったからさっきのコト…… あたしが言い訳しようとしたら、 「あんま来んなよ、商業科の方」 と陸が頭をかきながら言う。 「な、なんで?」 陸の言葉に不安を抱きながら聞くと、 「なんでって……」 と言ったまま陸は黙り込んだ。 あたしが商業科の方に行っちゃ迷惑だった? もしかして……あたしの存在知られたくない? 子供っぽいから? パッとしないから? 陸が黙ったままなのが気になってチラリと見上げると、陸は黙ったままあたしを見下ろしていた。 その視線があたしの頭から足の先まで上下しているのが分かった。まるで見定められているような…… さっき騎馬戦のときにクラスの男子から言われたセリフを急に思い出した。 『この時点で商業科に負けてるよな〜』 って…… もしかして、陸も今同じようなコト考えてる? ますます落ち込む…… 急に目の前に影が落ちたから見上げると、陸がちょっとだけ顔を傾けてあたしに唇を近づけてきた。 な、なな、なにっ!? 急にっ! 今、全っ然そんな雰囲気じゃなかったよねっ!? あたしは慌てて逃げようとしたんだけど、陸の動きの方が早くて適わなかった。 「んっ、や、やだ…っ」 ま、待って!?あたし話したいことが……っ あたしの抵抗なんか無視して、陸は口付けたまま学ランのボタンを外し始めた。 え、ま、また!? ちょっと待って! あたしはちょっとした隙をついて陸を押しのけた。肩で息を整えながら、 「ちゃんと話したいの!」 と言うと、 「ゴメンゴメン! ……で、なんだっけ?」 と陸は笑っている。 さっきまで怒ってるみたいだったのに…… 2人になると急にキスしてきたりその先までしようとしたり…… なんで? もしかして…あたしと付き合うのはいいけど、それをみんなに知られるのは恥ずかしい……てこと? だから商業科の方に行ったこと怒ってたのかな…… 「あ、あの、さっきの…保健室の前で話してたことなんだけど……」 陸はちょっと目を細めてあたしを見ている。視線に耐えられず横を向いて続ける。 「あたしちょっと動揺しちゃってて……色々いっぱいいっぱいになってワケ分かんないこと陸に言っちゃったと思って…… ゴメンね、混乱させて」 陸は黙ってあたしの話を聞いている。 「だから謝りたくて……陸に迷惑迷惑がかかることも考えずにそっち…商業科の方に行っちゃったの」 陸がかすかに眉を寄せる。 あ、やっぱり迷惑だった……よね…… 「ホントにごめんね! そ、そりゃそうだよねっ あたしみたいなのと付き合ってるって商業科の子達に知られたら…は、恥ずかしいよね? これからは行かないようにするからっ! し、心配しないでね!」 あたしは一気にまくし立てるように言った。 陸が何か言おうとして口を開きかけたとき陸のクラスメイトが陸を呼びに来た。 うわっ、また一緒のところ見られたら陸が嫌がるかも……っ 「あっあっ、じゃあたし行くねっ!」 そんな感じで、逃げるように陸の前から走り去って来てしまった。 陸、あたしが謝ってる間ほとんど口きかなかったな…… やっぱりあの…支離滅裂な発言のせい? それともキスより先、させなかったから? もうため息しか出てこない…… 「……ねぇ村上さん。それ脱いだほうがいいって」 五十嵐くんが眉間にしわを寄せてあたしの学ランを指差した。気が付くとまだ学ランを着ているのはあたし一人だけだった。 「何やってたの?」 「あ、ちょっと……」 まさか陸のところに行っていたとは言えずテキトーに誤魔化すと、 「まさかとは思うけど…… その格好で商業科の方とか行ってないよね?」 「い、行ってないよ!」 と言いながら慌てて学ランを脱ぐ。五十嵐くんは眉間にしわを寄せていたけど、あたしが学ランを脱ぐのを確認すると黙って席についた。 グラウンドでは借り物競争が始まったところだった。 トラックを半周回ったところに指示書のメモがいくつか置いてあり、それを一枚取る。それに書かれたものを探し出しゴールに向かう。 「誰かー! 靴下貸してくれー!」 と赤いハチマキをしたクラスメイトが応援席に向かって叫びながら走ってくる。 「ホラッ」 と気を利かせた男子が自分の靴下を脱いで渡すと、 「くっせ〜!」 「は? じゃあ返せ!」 なんてやり取りにみんなが笑う。 ゴールでは、 『はい。それではメモを確認させてもらいますね〜』 とちゃんと指示されたものを探し出してきたかの確認がされている。 『携帯電話!』 とマイクを持った体育祭委員が読み上げると、走ってきた選手がケータイを掲げる。 『ハイ、残念でした〜』 「なんでっ?」 『よく読んでください? ドコモって指定があるんですよ〜。auじゃダメです』 選手ががっくりと膝をつきまた笑い声が上がる。 すごく盛り上がっていたけど、陸のことが気になっていたあたしはいまいちそのノリについていけなかった。 「マリっ!マリっ! 次陸くん出るよっ!」 最前列の椅子に座った泉さんがマリちゃんを手招きしている。 「え? ホントに!?」 マリちゃんが泉さんの隣りの席に移動した。 そう言えば、借り物競争にも出るって陸言ってたっけ…… 身を乗り出してトラックの方を窺うと、陸がスタートラインに手をついているのが見えた。 伏せた顔から陸が顔を上げたときピストルが鳴った。 「きゃー、陸くん!!」 泉さんとマリちゃんが手を叩いて応援する。 「お前ら何組応援してんの? ちゃんと赤応援しろよ」 とそばに座っている男子が2人に言ったけれど、泉さんたちは全く聞いていなかった。 あたしも声こそ出さなかったけれど、やっぱり陸を応援していた。 陸はトップで指示書が置いてあるテーブルに来るとその中から1枚を取った。そしてそのメモをチラッと見た後ジャージのポケットにしまい……こちらに向かって走ってきた。 「ちょっと、陸くんこっち来るよっ!?」 泉さんとマリちゃんが興奮して陸に手を振っている。 「陸くん! 何? なんだった?」 「おいっ! お前ら敵に協力すんなよっ!」 「うるさいっ! 黙っててよ!」 他の選手はみんな自分のカラーの応援席に借りに行くのに、陸はなぜだか赤組の応援席に走ってきた。 泉さんとマリちゃん以外にも何人か陸を見てひそひそやっている。やっぱり陸って目立つんだな…… かっこいいもんね…… ところで…… 一体なに借りに来たんだろ? と思っていると、 「結衣っ!」 と陸はあたしの方に手を差し出してきた。 えっ!? クラスのみんなが一斉にあたしを振り返る。 えっ? な、なにっ!? 「結衣っ! 早く来てっ!!」 ちょ、ちょっと待って! ……なんでっ? あたしがいつまでも席に座ったままオロオロしていたら、陸がロープをまたいで応援席の方に入ってきた。そしてあたしの手を取りグラウンドに戻ろうとする。 |
「え、あ、あの… メモには…」 なんて書いてあったの? と聞こうとしたとき、反対側の手を誰かにつかまれた。 「……青は青で用意しろ」 と五十嵐くんが陸を見上げている。 陸はほんの一瞬だけ五十嵐くんを睨んだあと、すぐに笑顔になって、 「……それが無理なんすよー! だって……ホラっ!」 とメモを五十嵐くんの目の前に突き出した。それを見た五十嵐くんが絶句している。 なに? なんて書いてあったの? 「ちょ、ちょっと陸くん! そのメモ見せてっ!」 横から泉さんが陸の手のメモを覗き込む。 「え、ほんとに……?」 泉さんが驚きに目を丸くしている。「あなたの恋人……って書いてある」 一瞬静まり返ったあと、え―――っとどよめく赤組応援席。 な、なに? なになになになにっ?? パニクっているあたしの腕を陸が引っ張る。反対側の手をつかんでいた五十嵐くんの手から力が抜けた。 陸がロープを持ち上げあたしをトラック内に連れ出す。それから赤組席のみんなを振り返り、 「すみませんね、センパイ方。こいつオレの女なんで持って行きます」 「り、陸っ!?」 驚いて陸を見上げる。 そんなこと言っちゃっていいの? 恥ずかしくないの? ……あたしが彼女だってみんなに知られるの… 「なんだよ、違うのか?」 「……っ!」 「違わないだろ? ……おいで」 笑って細められるアーモンド形の瞳。 「……う、ん」 あたしは陸と一緒に走り出した。 背後で、 「うっそ―――ッ!?」 とさっき以上のどよめきが聞こえたけど、とても振り返る勇気がなかった。 「急いで結衣! 今オレたちがトップだよ!」 「え? ホントっ!?」 驚いて見てみると、たしかにあたしたちとゴールテープの間には誰もいなかった。 「む、村上〜っ! 転べっ! あ、赤を裏切るのか―――ッ!」 と言う声に振り向くと、後ろに赤いハチマキをしたクラスメイトが迫ってきていた。 あたしは慌てて前に向き直った。 「結衣っ! 全速力!!」 ……って言われたって、これが全速力だよ―――ッ!! も、ホント無理っ! 心臓バクハツしそーだもんっ! これ以上早く走れないよっ!! ていうか、もう足がもつれてきて……転びそうっ! ……と思ったとき急に体が軽くなった。 |
「り、陸っ?」 陸があたしを抱き上げた。「ちょっ、何するのっ!?」 「何って……コレして欲しかったんでしょ?」 陸は、あやっぱりマグロより軽いや、とワケの分からないことを呟くとそのままゴールテープを切った。 他にも借り物に人を連れてきている選手はいたけど、抱き上げられてゴールをしたのはあたしだけだった。 いくら足がもつれてきたからって…… 恥ずかしい…… しかも…… このあとメモの内容読み上げられちゃうんだよね? うわ――――――ッ! 鏡を見なくても自分の顔が真っ赤なのが分かった。 陸がマイクを持った委員にメモを渡している。委員の子はそれを一瞥したあと、 『なんだコレ?』 マイクを通してそんな呟きが聞こえた。『ダメダメ! 青組失格です!』 え? なんでっ!? あたしが陸の彼女じゃ失格だってこと!? 陸が抗議するだろうと思っていたら……陸は楽しそうに笑っている! そして笑顔のままあたしのところに戻ってきた。 「失格だって」 「な、なんで? 連れてきたのがあたしだったから…」 と言いかけたとき、 『えー、ただ今1着で入ってきた青組ですが、不正が見つかったため失格とさせていただきます』 と委員の子がアナウンスした。『指示のメモは自分で作らないでください』 え……? どういうこと? 「やっぱボールペン書きじゃダメだったか」 と言いながら陸はジャージのポケットからメモを出した。それには印刷された文字で全然違う物が書かれていた。 「せっかく全校生徒にアピールできると思ったのに」 と陸があたしの肩を抱いた。 恋人って指示書…陸が偽造したものだったの? 全校生徒にアピールって…… え、陸あたしが彼女だって知られるのイヤなんじゃなかったの? その辺詳しく陸に聞く時間はなくて、よく分からないまま赤組応援席に戻ってきた。 「ちょっと村上さん!!! 陸くんと付き合ってたのっ!?」 騒然となっている赤組応援席。 予想はしていたけどやっぱり恥ずかしい…… 「う、うん」 「も―――っ! それならそうと最初に言ってよ―――っ!」 泉さんとマリちゃんがあたしの髪をぐしゃぐしゃにした。「あたしたちてっきり陸くんの彼女は渡辺さんだと思ってたよー!」 はっ! 麻美っ!! 麻美のことすっかり忘れてたっ!! あたしはまだ色々聞きたがる泉さんたちを置いて保健室へ急いだ。 保健室に先生はいなくて、窓際のベッドに麻美が横になっていた。 「麻美〜…?」 眠ってるかな…とも思ったから小さな声で呼びかけてみる。 |
「結衣?」 起きていたらしい麻美がこっちを向く。「あれ、もう体育祭終わったの?」 あたしはベッドに近づきながら、 「ううん、まだ。最後のリレーが残ってるよ」 「え、一番のメインじゃない。自分の組応援しないと」 最後のリレーは体育祭のメインイベントですごく盛り上がる。 「うん。……でも麻美どんな感じか気になって」 麻美はベッドから降りると、ちょっと左足を庇いながら窓に近づいた。 「麻美!? 歩いて大丈夫なの?」 麻美はあたしの問いかけには答えず黙って校庭を見下ろしている。校庭の真ん中…トラックには各クラスから男女1名ずつ選ばれた選手が集まっていた。 まだレース前だっていうのに応援席の歓声がここまで聞こえてくる。各組の点数は僅差で、この最後のリレーで勝敗が決まるから盛り上がりが半端ない。 選手の中にオレンジ色の頭を見つける。陸はアンカーみたいでタスキをかけていた。 あたしたち3−Aからは五十嵐くんが選ばれていた。五十嵐くんは第1走者みたいで、バトンを持ってスタートラインの上に立っていた。ときどき首を回したり軽くジャンプしたりしてウォーミングアップをしている。 そのうち5色全ての第1走者がスタートラインにそろい、クラウチングのポーズをとった。 「ねえ麻美…」 麻美があんまり黙ったまま校庭を見下ろしているから、気になって声をかけると、 「ゴメン。ちょっと…」 とあたしを手で制した。麻美もリレーが気になるらしい。 |
ピストルの合図が保健室まで響いてきた。 「わ、わ―――っ! 五十嵐くんっ! 頑張れ頑張れ―――ッ!!」 あたしは小さく手を叩きながら赤いハチマキをつけた五十嵐くんを応援した。 ずっと総合トップを走ってきた赤組は騎馬戦で一時青組に抜かされてしまったんだけど、そのあとの応援合戦や借り物競争でまた挽回してトップに返り咲いていた。 このまま逃げ切れればいいんだけど、もしこの最後のリレーで青組が勝ち、赤が3位以下だったら青組に逆転されてしまうから、赤組のみんなは必死だった。 五十嵐くんはスタートダッシュで他のカラーから飛び出すと、グングン後続を引き離して行った。 けれど、半分も走らないところに来て急に足の回転が遅くなったみたいだった。 「あれ…五十嵐くんどうしたんだろう……」 頑張ってっ! これに勝てば優勝だよ! まさかもう疲れちゃった? これじゃ後続の選手に抜かれちゃうよ……というあたしの心配をよそに、やっぱり五十嵐くんは後続の選手をどんどん引き離して行く。 「あれ……なんで? なんか今、五十嵐くん遅くなったよね? なのになんで抜かれないの?」 あたしは校庭を見下ろしたまま、隣りにいる麻美に話しかけた。 「……ピッチからストライドに変えたの」 麻美も同じく校庭を見下ろしたまま呟くように答えてくれた。 え? ピッチ? ストライドって……何? 五十嵐くんはそのままトップで第2走者にバトンを渡した。 「本当は背が低いからストライドなんかよりピッチで走った方がいいんだけど、テコンドーやってて足の筋力強いからストライドでも失速しないで走りきれるのよ」 麻美が何の話をしているのか全然分からない。 「麻美って…リレー?陸上? 詳しいんだね…… え!?」 と麻美の方を向いて驚いた。―――麻美が泣いているっ! 「あ、麻美? どうしたのっ? 足が痛むのっ!?」 麻美はそのまましゃがみこんでしまった。 「あ、あたし先生呼んでくる! ちょっと待ってて!!」 「結衣っ、違うっ! 大丈夫だから! そんなんじゃないから!」 「でも…っ」 麻美はすぐに泣き止んで、 「いいから。本当に大丈夫だから! それよりほら! 商業科も出るんでしょ? 応援しなくていいの?」 見下ろすと陸がキョロキョロしているところだった。「あっはは! あれ結衣のこと探してるんじゃない? 麻美は涙を拭いながら楽しそうに笑っている。 「……麻美」 「なーに?」 麻美はまだ笑っている。 あたしはここ数日間、ずっと聞きたくて聞けなかったことを聞いてみた。 「あのさ麻美って…… り、陸のこと、好き、なの?」 「はっ?」 麻美は一瞬絶句したあと、今以上に笑い出した。 「な、なにそれっ!?」 「え…だってそうなんでしょっ?」 「なに言ってんの? マジで有り得ないんだけどっ! ってかキライ! どっちかと言うと!」 「ホント……?」 「うん。あたしチャラ男は好きじゃないから」 麻美は笑いながら近くにあったパイプ椅子を引き寄せると、窓際に腰掛けた。 「で、でも好きな人はいるんでしょ?」 あたしは麻美の隣りに立ったまま聞いた。麻美は窓の外を見下ろしたまま、 「あー…もしかして商業科に聞いたの?」 あたしが肯くと麻美は、男のくせにおしゃべりだなぁ、と呟いて、 「うん、いるよ」 とあたしを見上げた。「……でもそれは商業科じゃない」 「そ…そーなの?」 ほんと? ほんとに違ったの? あたしはなんだか体の力が抜けてしまって、麻美の隣りにしゃがみこんだ。 「結衣…大丈夫?」 「……うん。 あたしてっきり麻美は陸のことが好きなんだと思ってたから…」 「違う違う!」 と麻美は大げさに首を振って、「………五十嵐なの」 「え?」 「あたしが好きなのは、五十嵐。1年のときからずっと」 「ええっ!?」 衝撃の告白に驚いて声を上げる。 あ、麻美… 五十嵐くんが好きだったの? だっていつも、背が低い…とか何考えてるか分かんない…とか言ってなかった? 「だって… そうでも言ってないと顔見るたび泣きそうになっちゃうんだもん」 「な、なんで?」 「あいつ…… 他に好きな人いるから」 「………」 そう言えばこの前そんな話してたっけ、五十嵐くん。 「べつに五十嵐とどうこうなりたいわけじゃないの。告白するつもりもなかったし。2年間そうしてきたし……」 あたしはなんて言っていいのか分からなくて、黙ったまま麻美の話を聞いていた。 「でも…この前偶然……見ちゃって」 と麻美はチラリとあたしのことを見上げた。 「え? なにを?」 「五十嵐が…… キスしてるとこ」 「えええっ!!!」 またまた衝撃の事実。 うそでしょ…… あの飄々とした五十嵐くんが……? いや、五十嵐くんだってべつにキスぐらいしたっていいんだけど…… なんか想像できないっ! じゃあ五十嵐くん、彼女いるってこと? あたしが一人想像をめぐらせていると、 「……したんでしょ? 結衣」 と麻美が小さい声で言った。あんまり小さい声だったから一瞬何を言ってるのか分からなかった。 「え?」 「五十嵐とキス……してたでしょ? この前」 え……… なに? もしかしてあたしに聞いてるの? あたしが五十嵐くんと…キスしてたって……? ええ―――っ!? 「しっ、してないよっ!!」 大慌てで首を振った。 「うそ。隠さなくてもいいよ」 「か、隠してなんかないって! あり得ないでしょ!?」 「だってこの前、中庭のベンチのところで……」 「え、中庭? ベンチ?」 「多分風紀の見回りしてるときだと思う」 え……? 必死に記憶を探る。 ……あ、もしかして… あの、好きな人のこと聞いてたとき…のことかな? あたしが無理やり五十嵐くんの好きな人聞き出そうとしてたときの…… 「勘違いだよっ!! あれ怒られてただけっ!」 |
「……ホント?」 「ホントホント! あたしが変なこと言っちゃって、そしたら五十嵐くん顔顔近づけるくらい怒っちゃって」 あたしがそう言うと麻美はまた目を潤ませた。 「……ごめん。疑ったりして…」 いつもしっかりしている麻美が声を押し殺して泣いている。ときどきしゃくりあげながら、子供みたいに泣いている。 あたしは麻美の肩に手をかけて、 「もうちょっと休んでなよ。体育祭終わったら、麻美のカバンとか制服ここに持ってくるから」 麻美は顔を伏せたまま小さく肯いた。 あたしはそのまま保健室を出た。 麻美…… それであんなに陸に保健室連れて行かれるの抵抗してたんだね。 五十嵐くんが見てたから…… しかも、あたしと五十嵐くんがキスしてたって勘違いしてて…… きっとすごく辛かっただろうな。 嫉妬したりヤキモチ焼いたりしちゃうよね。 あたしは、さっき陸に嫉妬やヤキモチから支離滅裂な言葉を投げかけていたことを思い出した。 ……なんでもっとカッコよく恋愛できないんだろう。 好きな人のことを考えるとドキドキするとか、嬉しいとか…そんな感情だけでいられたらどんなにラクだろう。 それどころか、イヤな自分に気が付いちゃったりそのままカッコ悪い行動に出ちゃったりして…… それでも、好きって感情を抑えられないのはどうしてなんだろう…… 校庭に戻ると、ちょうどタスキをかけた選手たちがラインに並び始めたところだった。 5色のアンカーがほぼ同時に出てきている。トラックの方を見ると、みんな僅差で走っていて抜きつ抜かれつの勝負をしている。 それに合わせてライン上で待機しているアンカーたちが自分たちの位置を入れ替えている。 トップは赤が守っていた。続いて白。その次が青。 各カラーの応援席からはものすごい歓声が上がっている。 陸はアンカーたちの真ん中に立っていた。手首や足首を回したりしている。 自分の席に戻っている時間がなかったから、あたしは入場門のところからその様子を見ていた。 赤組のアンカーにバトンが渡り最初に走り出した。直後、白もアンカーにバトンが渡る。 青組の走者がリレーゾーンに入ってきた。陸が後ろを振り向きながら助走を始める。 バトンを受け取る直前に前に戻した陸の顔がすごく奇麗で、あたしは思わず見惚れてしまった。 バトンを受け取り走り始める陸。 「り、陸―――ッ!陸―――ッ!!」 あたしは陸の名前を思い切り叫んでいた……と思う。 叫んでいたはずなんだけど、周りの歓声がすごくて自分の声が自分で聞こえない状態だった。 それでもあたしは陸の名を叫んでいた。 陸があたしの目の前を走りぬける。 そのとき、一瞬だけあたしと陸の目が合った。微かに細められるアーモンド形の瞳。 「陸―――ッ!」 陸はそのままコーナーを曲がって行き、すぐ目の前を走っている白組のアンカーを抜いて行った。 「すごいッ!すごいよッ!! 陸―――ッ!!」 陸はどんどんスピードを上げて赤組アンカーの後ろについた。 どの組もアンカーは特に早い選手がそろっていて、陸はなかなか赤組の前に出られないでいた。 けれど、最後のコーナーを回って直線に出たときに陸が赤組と並んだ。 |
そしてそのまま赤を追い抜き、とうとうトップでゴールテープを切った。 湧き上がる青組応援席。 後続も次々とゴールに飛び込んでくる。 スゴイよっ! 陸! あたしが興奮に拳を握り締めていると、 「いやーん! 今の青組のアンカーの人カッコ良くなかったぁっ!?」 とあたしの隣りに立っていた普通科の1年生らしき女子たちが騒いでいた。 でしょ? カッコいいでしょ? ……あの人あたしの彼氏だよ! ……心の中で呟く。 今すぐ青組席の方に行きたかったけどまた商業科の方に行って陸に迷惑かけたくなかったから、あたしは大人しく赤組席の方に戻った。 赤組席の方も盛り上がっていた。 「優勝だ―――っ!」 とそこここで歓声が上がっている。 リレーでは2位だったけれど、総合得点では赤がトップを守りきって優勝になったみたいだった。 「あっ!村上さーんっ!! どこ行ってたの? 今ね陸くんすごかったんだよ〜っ!」 泉さんとマリちゃんが興奮しながらあたしを手招いている。「あたしもうチョー感動しちゃったぁ!」 泉さんとマリちゃんは、いいねあんな人が彼氏で、としきりにあたしを叩いたり突付いたりした。 あたしはなんて答えていいのか分からなくて曖昧に返事をしていた。 けれど嬉しくて嬉しくて…… 叫び出したいくらいだった。 |
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