@ 陸との遭遇


「今日も雨だね」
あたしはちょっとだけカサを傾けて灰色の空を見上げた。「明日は持ち直すみたいだけど……」
まだ5月末だというのに最近ずっと雨が続いている。
「なんか梅雨?みたいな感じだよな。これで体育祭なんか出来んのかね〜」
我が桜台高校の体育祭は毎年6月の頭に行われている。なんでこんな時期に?と思うんだけれど、秋は文化祭やら2年生の修旅やらで忙しいためらしい。
「陸は何に出るんだっけ? 体育祭」
「騎馬戦と借り物競争と〜…、あとリレー。結衣は?」
「あたし運痴だから応援合戦だけって言ったのに……騎馬戦も…」
去年まで体育祭は学科ごとに行われていた(校庭も別だったし)んだけれど、今年からは合同でやることになっている。
そして、今までは紅白に分かれていたのが今年からは5色に分かれることになった。
普通科も商業科もA〜Eまで5クラスあるから、普通科商業科全学年のA組は赤組、B組は青組…といった感じ。
あたしはA組だから赤。陸はB組だから青。
「うそっ!? じゃ、オレら対戦しちゃうの?」
あたしが騎馬戦に出ると知った陸はなんだか嬉しそう。
「……狙っちゃお♪」
信じられないんだけど、ウチの学校の騎馬戦は男女混合。
男子が騎馬で女子が騎手って…… 本当にあり得ないっ!
「やめて――っ! 小さいからって理由で騎手にされちゃったんだから!」
と陸を叩こうとしたんだけど、カサが邪魔で手が届かなかった。
「……ねぇ。そっちカサ閉じてこっちに入ればいいじゃん」
「や、でも……恥ずかしいから」
駅から学校に向かう道。時間が早いせいか登校する生徒はまだまばらだけれど……
「……つーか、さ。―――ねぇ?」
陸が横目であたしを見る。「この前の続きいつさせてくれんの?」
「〜〜〜ッ!? もうっ! またその話〜っ!?」
あたしは恥ずかしくなって陸から顔を背けた。「……朝からそんな話したくない」
「いや、男子高校生にとっては切実な問題だから。ビョーキになるし」
「えっ!? 何?病気って?」
「溜めすぎるとカラダに良くないの」
そ、そーなんだ…… 知らなかった……
陸はあたしの顔を覗きこんで、
「あ、信じてる信じてる♪」
と笑った。
「……え? ウソなの?」
「ホントだよ」
笑いながらカサを閉じてあたしのカサに入ってくる陸。身長差がかなりあって、陸があたしのカサを持った。
「だからビョーキにならないようにテキトーに抜いてる」
「抜―――っ!?」
さすがに意味が分かって絶句してしまった。顔が赤くなってくるのが自分でも分かる。
そんなあたしの耳元に陸が唇を寄せて、
「大丈夫。ちゃんと結衣のコト考えてしてるから♪」
「ええっ!?」
あたしがビックリして陸を見上げると陸はいたずらっぽく笑いながら、
「もうね、オレの頭の中では結衣すごいコトやらされちゃってるよ? あーんなコトやこーんなコトまで……」
とあたしを見下ろした。
「止めて止めて止めて〜っ!」
あたしは耳に手を当てて大きく首を振った。
「だから早く続きさせてね♪」
あたしは赤い顔をして陸を睨むことしか出来なかった。
もう―――…
「じゃ、またな〜」
普通科校舎の前で陸とは別れる。商業科の校舎はさらにその奥にある。
陸はカサを閉じたまま商業科校舎へと駆け込んで行った。
あたしの名前は村上結衣。
この桜台高校普通科の3年生。学科と同じく中身も外見もフツーの女子高生。
いろいろあって商業科2年の今野陸と付き合っている。
陸は平凡なあたしとは違って結構女の子に人気がある。背は高いし整った顔立ちしてるし…オレンジの髪は彼を普通の高校生の中には収めてくれなかった。
実際女の子からのお誘いも多いみたいで、結構気軽にエ、エッチなんかもしちゃったりしてたみたいだ。……あたしと付き合う前までは。
付き合い始めてからもしばらくの間あたしは、
「もしかして他にも女の子と親しくしてるんじゃ…」
とか、
「なんであたしなんかと…?」
と疑問に思っていた。
最近になってやっと陸の気持ちも自分の気持ちも信じられるようになってきたところなんだけど。
昇降口で靴を履き替えていると背後から声をかけられた。
「相変わらずイチャついてんのね」
振り向くと親友の麻美が立っていた。
「イチャついてなんかないよっ! 陸がくっついて来るだけっ!」
「はいはい、ごちそーさま」
麻美が靴を履き変えながら言う。
「麻美〜っ」
「別にバカにしてるんじゃないわよ」
と麻美は笑いながら、「仲良きことは美しきかな、って言うじゃない。羨ましいな〜と思って」
相手はともかく、と麻美は付け足した。
商業科だからダメなのか、それとも陸自身がダメなのか……麻美は陸を嫌っているところがある。
……まあ、それを言ったら陸の方も麻美を苦手としているからお互い様なんだけど。
「麻美こそあたしなんかよりずっとモテるのに。彼氏作んないの?」
あたしが平凡なのとは対照的に麻美は目鼻立ちの整ったスラリとした美人タイプ。167センチの長身に無造作に束ねたセミロングの髪がもの凄く似合ってる。
スパッと竹を割ったような性格で、世話焼きタイプというかアネゴ肌な所もあって……あたしなんかはいつも色々相談に乗ってもらうことが多い。
見た目も中身も、
「カッコいいな〜」
といつも思ってしまう。同い年なのに。
ちなみにあたしの弟 祐樹(高1)も麻美に憧れている。
「彼氏、ねぇ。……なんか面倒くさそう。男って」
麻美が一緒に階段を上りながら言う。「ガサツだし気が利かないし、いつもエロイことばっか考えてそうだし……」
急に陸の顔が浮かんできた。……否定できない。
「とにかく、高校生男子なんてまだまだ子供っぽくてダメよ」
と麻美は肩をすくめる。
「あ、じゃあ年下なんかは?」
「問題外ね」
残念だったね、祐樹……
「あ、村上さん! ちょうどよかった!」
教室の前まで来たところでクラスメイトの泉さんに声をかけられた。「ね、明日の土曜日ちょっと付き合ってくれない?」
泉さんはクラスでも明るく目立つ方でムードメーカー的存在。ちょっとミーハーなところもあるけれど、話しやすくていつもみんなの中心にいる。
そんな泉さんがわざわざあたしに付き合って欲しいことって……なんだろ?
「いいけど…なに? なんかあるの?」
「ちょっと、ね。……あ、村上さんってカレシは?いる?」
「えっ? あ、あのっ」
実はあたしたち普通科の生徒は商業科のことを、
「ロクでもない!」
とあからさまに煙たがっているところがある。あたしも最初の頃はそうだった(ゴメンね、陸)
だから、なんとなくクラスの子たちに陸とのことは話していなかった。
……って誰もあたしにカレシがいるなんて思っていないみたいで、今まで一度もそんな話題振られたことないんだけど。
案の定あたしが返事をする前に、
「…って、いないよね!」
と決め付けられた。
「う、うん」
とりあえず肯く。
なんて答えていいか分からなかったし、あたし嘘つくの下手だし…… べつに勘違いされたままでいっか。
「良かった! じゃ、明日6時にM駅前に集合ね!」
「集合って…他にも来るの?」
「うん。あとマリと夏木も来るよ。……でも、あと一人足んないんだよね」
と言いながら泉さんはあたしの隣にいる麻美をチラ見する。「あ…ねぇ? 渡辺さん…だっけ?」
「うん」
「もし良かったら明日村上さんと一緒に来てくれない?」
麻美はチラリとあたしの方を見て、
「……いいよ」
と肯く。
「よかったぁ! じゃ、明日6時にM駅の時計塔の前でね」
泉さんはそう言うとさっさと教室の中に入って行った。
「何があるんだろ?」
「さあ…… って大体想像つくけどね」
「え? なになに? なんで分かるのっ? 麻美エスパー?」
違うって、と麻美は笑いながら、
「ま、あたしも一緒に行くから大丈夫よ」
じゃまたねと言って隣りのB組に入って行った。
何があるんだろ? 麻美は分かってるみたいだったけど……
「村上さん、おはよう」
麻美の後ろ姿を見ていたら、教室から五十嵐くんが声をかけて来た。
「あ、おはよう」
「今朝の見回りなんだけど、B組が交代してくれってもう回り始めちゃってるんだよね」
「え? そーなんだ!? せっかく早く来たのに……」
五十嵐くんはあたしと一緒に風紀委員をやっている。
あまりおしゃべりな方じゃないから何を考えているのかよく分からないところもあるけど、真面目な委員長タイプ。ぱっと見 運動とは無縁そうに思えるけど、テコンドーとかいう武術?をやっていて腕も立つから、まさに風紀委員にはうってつけみたい。
ちなみに五十嵐くんもあたしと陸が付き合っているのを知ってる。
初めの頃は、
「商業科なんてどうしようもないのと付き合うなんて」
と難色を示していたんだけれど、最近ではもう呆れてしまったのか…何も言われなくなった。
「じゃ、もしかして帰りもなし?」
と聞くと五十嵐くんは肯いた。
「そーなるね」
陸に一緒に帰れるってメールしよ。

翌日の土曜日。
あたしは途中で麻美と待ち合わせをしてM駅に向かった。
合流するなり麻美は、あたしの全身を眺めて溜息をついた。
「あーあ、結衣… そんな短いスカートはいてきちゃって……」
「え?ダメだった? ってか短い?コレ。 制服くらいだと思うけど」
いつも麻美と出掛ける時のような格好のつもりだけど……どこがダメなんだろ?
今日は昨日の雨がウソのように上がり、天気予報通りとても陽気のいい日だった。まだ5月末なのに最高気温は30度にまでなった。
夕方になってもその熱気は残っていたから、あたしは白いフレンチスリーブのブラウスにショート丈のデニムスカートという格好でやってきた。足元はこの前買ったばっかりの6センチヒールの白いミュール(これで低い身長をカバーする!)
耳には白い貝で出来た小さなイルカのイヤリング。
今日は夏っぽく決めてみました〜♪
……でも、変なのかな?
麻美はというと、白いシャツの上にシフォン素材のチュニック。それにユーズドブルーのデニムパンツ。足元はエスニック調のミュール。
やっぱりいつもとあんまり変わらない格好だ。
「え、なになに? ちょっと…この格好もしかして変?」
「いや、変ってわけじゃないよ。むしろ可愛い」
だから問題、と麻美はまた溜息をついた。……ほんとなんなんだろ?
6時ちょうどにあたしと麻美はM駅前に着いた。
土曜日の夕方ということもあって、M駅の時計塔の前は人でごった返していた。この時計塔はよく待ち合わせに利用される場所だった。
「あっ!いたいた! 村上さーん渡辺さーん、こっちこっち!」
泉さんがあたしたちを見つけて手を振っていた。
みんな可愛い格好してる。もしかしてスイーツバイキングにでも行くのかな……

「ええっ!! 合コンっ!?」
あたしと麻美、泉さんと夏木さんと三浦マリちゃんとで週末の人ゴミの中を歩く。
驚いているあたしの横で、やっぱりね、と麻美が呟く。
「もうね、先に着いてると思うよ。男の子たち」
「ちょっ… なんで先に言ってくれないの〜」
「ゴメン。言ってなかったっけ?」
言ってないよ……
「急に2人来れなくなっちゃってさ。村上さんなら頭数合わせに付き合ってくれるかと思って」
合コンだって聞いてたら付き合ってないんですけど……
「とにかくさ!もうここまで来ちゃったんだし…付き合って? ね? せめて1次会だけでもいいから!」
「そうそう。それにイケメン揃いだって言ってたもんね」
と夏木さんが嬉しそうに言う。
夏木さん、チョー胸元開いた服着てる……
やっと麻美が言ってた意味が分かったよ。あたしだってこんな事だったらジーパン履いて来たのに……
やる気満々だと思われそうでヤダなぁ…
駅から歩いて5分ほどのカラオケボックスへ向かう。
「ところでどこの学校の子たち?」
と麻美が泉さんに聞く。
「ん? 同じ桜台だよ」
……なんで同じ学校なのにわざわざ?
あたしと麻美が顔を見合わせていると、
「でもね〜、商業科なの♪」
とマリちゃん。
「えっ? しょ、商業科?」
ギクリとして立ち止まる。
「あ、村上さん引いちゃった? やっぱヤダ?商業科。でもね、そんなに荒れてそーな子たちじゃないから安心して!」
いや、荒れてるとかそんな心配じゃなくて……
商業科と合コンなんてどこから陸の耳に入るか分からないのに…困るよ〜っ!!
麻美が気の毒そうにあたしを見ている。
「あ、あのさ泉さん。あたしやっぱり…」
帰る、とあたしが言いかけたとき、
「あ、いたいたぁ! 待った〜?」
カラオケ店が入っているビルの前に男の子が立っていて、その子に向かって泉さんが手を振る。
「あー、イズミさ〜ん! もうみんな部屋入っちゃってるよ」
短めの茶髪にシルバーのアクセサリーをつけたさわやかクンだった。
「ちゃんと連れてきてくれた?」
「うん。イズミさんのリクエスト通り! イケメン用意したよ。オレを筆頭に!」
何言ってんの〜、と泉さんが男の子の肩を叩く。男の子はあたしたちを見回して、
「イズミさんも可愛い子連れてきてくれたからみんな喜ぶよ〜」
またまた〜、と泉さんや夏木さんたちが応酬する。
あたしと麻美だけがそのノリについて行けなかった。
「どうしよう、麻美……」
「まさか商業科とはね。……とりあえず偽名にしとく? 泉さんたちに合わせてもらってさ」
それしかないよね……
あとは1次会でソッコーバイバイさせてもらおう……
部屋に入る前に、
「泉さん、ちょっと…」
と泉さんを呼び出そうとしたら、
「おっそいよ〜!」
と中から勢いよくドアが開けられた。「もう1杯目空いちゃうよ?」
さあ入って入って、とグイグイと部屋の中に招き入れられる。
ちょ、ちょっと待って!? まだなんて名前にするか考えてないっ!
村上だから……村下? 単純すぎるかな。
ていうか、合コンって下の名前で呼び合うのかも……
だったら…結衣……ユキとか? ……ううんちがう! そんな似たような名前じゃなくて全く違う名前にしなくちゃ。
あ! あたし宇多田好きだしヒカルにしようかな……
部屋の入り口のところでブツブツと考えていたら、
「ほらほら座って〜♪」
とさっきのさわやかクンが肩に腕を回すようにしてあたしを部屋に招き入れた。そしてビニール張りのソファに腰を下ろそうとして……
心臓が凍り付いてしまった。
最高気温30度の日だっていうのに、全身に冷水をかけられたみたいに一気に体温が下がる。
え… な、なんで……
なんでいるの……?
テーブルを挟んで座っている陸が、目を見開いてあたしを見上げていた。

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