A 終わった関係


「……結衣さ、最近商業科の子と親しくしてるんだって?」
麻美は眉間にしわを寄せている。
「え、ええっ!?」
あまりに急だったから、ポーカーフェイスもなにも出来なかった。
それって、陸のコト……だよね?
な、なんで知ってるのっ!?
「実は昨日、五十嵐から連絡が来て…… 結衣が商業科の子と親しくなったみたいだって」
と麻美はため息をついた。
え? 五十嵐くんが?
やっぱり、昨日のあたしたちを見て付き合ってるって思ったんだ……
「どうしちゃったの、結衣… まさか付き合ってるなんて言わないわよね?」
「いや、付き合ってるっていうか……」
言いながら、付き合ってるって言っていいのかな?と、いつもの考えがまたグルグルしてきた。
昨日はなんか、勢いでお弁当作ってきてあげるとか言っちゃったけど……
もしかして、他の女の子からも作ってもらった事あるんじゃないかな? いや、ないって事ないよね。
あたしとしてる程度の事、他の子ともしてる…よね、きっと。
って、あたしだって杉田先輩の指輪まだ捨てられないでいるし……
あ―――っ! また頭混乱してきた。結局あたしって杉田先輩と陸とどっちが好きなんだろ? 分かんない!!
杉田先輩のことをまだ忘れられないのは本当。
でも、思い出す時間が減ってきてるのも本当。
そしてその分、陸のこと考えてる時間が増えてるのも本当で……
もしかしてやっぱり…陸に惹かれてってる?
でも陸は他の女の子とも仲良くしてるかもしれないし……
自分の気持ちを疑い、陸の気持ちも疑ってるあたしって…… なんなんだろう。
なんか、急に何もかも半端な気がしてきた。
あたしが黙って俯いていると、
「……もしかして、無理やり付き合わされてるんじゃないでしょうね?」
「え?」
「あんたイヤって言えないタイプだから、強引に付き合わされてるんじゃ…。まさか、脅されてるとか?」
麻美が眉間にしわを寄せながら詰め寄ってくる。
「違う違うっ! 脅されてなんかないよっ!?」
あたしは慌てて首を振った。「陸はそんな子じゃないから!」
「陸って……」
と麻美が溜息混じりに呟いたときチャイムが鳴った。SHRが始まる時間だ。
麻美はまだ何か言いたそうにしていたけれど、あたしから目をそらし、行こ、と小さく呟いた。
あたしは黙って肯くと麻美の後について教室に戻りはじめた。
麻美が本気で心配してくれているのが分かって何も言えなかった。
せめてあたしと陸の関係が、もっと気持ちの上でハッキリとした確信が持てていたら、「学科なんかカンケーないよ!」って言えてたんだろうけど。
麻美はいつもあたしのことを心配してくれる。杉田先輩にフラれたときもそうだった。
あたしは何かあるといつも真っ先に麻美に相談していた。麻美もあたしの一番の相談相手は自分だと思っていると思う。
それが今回は麻美に内緒にするような格好で陸との関係がバレてしまった。
もっとハッキリしてから、自分から話したかったのに…… 最悪。
「……五十嵐くん、なんで麻美に連絡なんかしたんだろ」
思わず声が尖ってしまった。
あたしの先に立って階段を下りていた麻美は、
「……心配してるんじゃない」
とあたしを振り返った。「結衣は鈍感すぎるよ」

1限目の後の休み時間。あたしは五十嵐くん連れて渡り廊下までやってきた。
「何?」
五十嵐くんは微かに首を傾げた。
「何……って分かってるでしょ!? なんで麻美に連絡なんかしたの?」
あたしが下から睨みつけるようにして抗議しても、五十嵐くんは表情一つ変えなかった。
「麻美に心配かけるようなことしないでよっ」
「渡辺さんに心配かけたのは、僕じゃなくて村上さんだよね?」
それは……そうだけど……
五十嵐くんはそこでいったん溜息をつくと、
「村上さんもさ、風紀の見回りやってたら商業科がどんだけどうしようもない連中の集まりかって分かるでしょ?」
たしかに暴力沙汰を起こしたりカツアゲをしたり…と普通科では考えられないようなことをしている子も中にはいる。
でも、みんながみんな悪い子ばっかりじゃないんじゃない!?
とあたしは抗議したかったんだけど、五十嵐くんに口で勝てるとは思えなくて黙って俯いた。
「それに僕たち今年受験だよ? あんなのと付き合ってていい影響受けるとは思えないな」
と五十嵐くんは渡り廊下から見下ろせる校庭の方に顎を振った。見下ろした先には、次が体育の時間らしいグリーンのジャージを着ている子たちがわらわらと校庭に流れ出てきた。
グリーンは2年生の学年カラー。 その中に陸がいた。
陸は3階の渡り廊下にいるあたしには、当然だけど気付いていなかった。
楽しそうに笑いながら一緒にいる友達の背中に飛び乗ったりしている。
やっぱり子犬みたいで可愛い…… 表情なんかは猫っぽいところあるのに。
「……あんなのとか言わないで」
あたしは陸から目を離さずに、「麻美には心配かけちゃって…それは悪いと思ってる。けど、五十嵐くんにはカンケーないことだからっ!心配してくれなくていいからっ!」
と言った。
「それにさ」
五十嵐くんはあたしの話なんか聞こえていないかのように、「村上さんはあいつだけかもしれないけど、あっちはどうなの? 他にも親しくしてる女子とかいそうじゃない」
と続けた。
校庭では男子ががグラウンドの半分でサッカー、もう半分で女子が高飛びをするための準備をしている。
とはいっても準備をしているのは商業科の中でも比較的真面目そうな子たちで、半分以上は準備なんかしないで遊んでいる。当然陸もそっちのグループで。
女の子が2人、ゴールポストのところにいる陸のところに近寄って行き何か話し掛けている。女の子たちが笑い、陸も笑う。
なに話してるんだろう……
不意に陸が女の子の肩をつかんで、ゴールポストに押し付けるようにした。
あたしの心臓が大きく飛び上がる。……目を逸らすことが出来なかった。
直後、陸はその女の子に頭を思い切り叩かれ、その場にしゃがみこんだ。周りにいた子たちが笑い転げる。
な、なんだ…… ふざけてただけか……
「……よくあんな簡単に女の子の身体に触ることが出来るよね」
隣りに立っていた五十嵐くんが呆れたように言ったとき、2限目が始まるチャイムが鳴った。
教室に戻りながら、
「村上さんもせいぜい泣かされないようにね。……って言ったところでどうせ余計なお世話なんだろうけど」
と五十嵐くんがこちらを見もせず言った。

「結衣!」
普通科と商業科をつなぐ渡り廊下のところで陸が待っていた。「チョー腹減ったよ〜」
猫みたいなアーモンド形の瞳を細めて笑う。あたしは周りを気にしながら、
「でもどこで食べる? こっちはダメだし……」
当然普通科の校舎では無理。誰が見てるか分からないし……
「そーだな。オレはどこでもいいけど、誰かに見られたら結衣がイヤだもんね」
考えを読まれたようで、一瞬ドキリとする。
「あ、あたしはべつにっ、陸と一緒のとこ見られたって…っ」
「ちょっといい場所があんだよね。あそこにしよっ♪」
言い訳しようとしたあたしのセリフをスルーして陸が歩き出す。そしてわざわざ普通科の校舎から遠回りするように体育館に向かった。
あたしそんなに学科気にしてるように見えるのかな……
まったく気にしてないって言ったら嘘になるかもだけど。
それよりも自分の気持ちがハッキリしてない方が問題だよね……
あ、やだ。また嫌なコト考えそう。
あたしは慌てて陸の袖をつかんだ。
「ん?」
「どこ行くの?」
陸はあたしを体育館のステージ横に連れて行った。
ステージの横の緞帳に隠れた部分に階段があった。1つはギャラリーに上がれる階段。その階段の下に隠れるようにもう1つ階段が階下に続いていた。
「……何これ? どこに続いてるの?」
「いいからおいでよ」
そこはステージの反対側に続くちょっとした通路になっていた。
「こんな通路あったんだね。全然知らなかった!」
「あんま生徒は気付かないよな。ステージなんて卒業証書もらうときくらいしか? 上がんねーし」
幅が1メートルくらいで、高さにいたっては170前後くらい? あたしは平気だけど……
「陸、頭ぶつけそう。大丈夫?」
「うん、平気。オレこーゆー狭いトコ好きだし。なんか秘密基地っぽくね?」
陸は頭を低くしながら通路の真ん中あたりまで進むとそこに座った。あたしも陸の隣りに座った。
「早く早くっ♪」
陸が両手を広げる。「早く食べたい! 結衣のおべんとっ♪」
そんなにはしゃがれると……
「そんなに大したモノじゃないのに……恥ずかしいからそんなに騒がないで」
「いいじゃん! オレすっげ楽しみにしてたし〜♪」
「だから、そう言われるのがプレッシャーなんだってば!」
あたしはお弁当が入ったカバンを抱え込んだ。「……やっぱやめればよかった」
「何言ってんの、今さら。 さ、早く出しなさい!」
「……やっぱ、やだ」
「ちょっと? マジ腹減ってんだって!」
陸が眉間にしわを寄せる。
「だって……」
素直に出さなかったせいで余計に出しにくくなってしまった。
一瞬陸から視線を外したとき、
「いただきっ!」
と陸があたしのカバンを奪った。
「あっ ダ、ダメっ!」
慌ててカバンを取り返そうとしたら、勢いがついて陸のことを押し倒してしまった。
陸は後ろに倒れて肘をついた。間にカバンを挟んであたしが陸の上に。
「ご、ごめん! どこかぶつけなかった? 頭とか…っ」
慌てて陸から身体を離そうとしたら腕をつかまれた。
「陸?」
陸は笑っていなかった。茶色に光る猫のような目がじっとあたしを見つめる。
「……やっぱ弁当いらない」
「え?」
うそ、怒っちゃった? あたしがあんまり出し渋ったから……
「な、なんで…?」
「べつなもの食べるから」
「え、お昼買ってあったの? パンとか?」
……やっぱりあたしのお弁当なんか期待してなかったって…ことだよね……
カバンを抱えて俯いた。陸は微かに目を細めながら首を振った。
「違う」
「パンじゃないならおにぎり?」
「違う。結衣」
「え、じゃあ…… お蕎麦とか?」
とあたしが言うと陸はぷっと吹き出して、
「こんなところで蕎麦? 結衣、よく見てよ。オレ手ぶらなんだけど?」
あ、そうだよね。……じゃ、何?
「弁当じゃなくて、結衣!」
と陸はあたしを指差した。「結衣を食べる」
「……ん? え? え、え―――っ!?」
やっと意味を理解したときには、もう陸にキスされていた。
「やっ、ちょっと…… 待って!」
「結衣が悪い。素直に弁当出さないから」
「出す出す出す出す―――っ! 出すから待って!!」
「遅いよ」
「待って待って待って待って!」
通路には非常灯のようなものしか点いていなくて。相手の顔は見えるけど、なんか薄暗くて。体育館には他に誰もいないのかシンとしてて。
マズイよマズイよマズイよ〜っ!
よく考えもしないでこんなトコについて来ちゃって、アホだ〜っ、あたし!
「いいじゃん。彼氏彼女なんだから。ね?」
……ね?
じゃ、なぁ―――いッ!!
「や、やだ! したくないっ! 陸とはっ!!」
あたしのネクタイに指をかけていた陸の動きが止まる。
「……したくない? オレとは?」
「そ、そうっ!」
陸の動きが止まったすきにあたしは陸から離れた。
陸の声が低くなる。
「どういう意味?」
陸の茶色の瞳に非常灯の淡い明かりが当たって、それはまるでキャッツアイのようで…… それであたしは猫に睨まれたネズミ……
「だ、だだ、だって。絶対、陸ほかの子ともしてるもんっ」
「何を?」
「何って……イロイロだよ!」
してるんでしょ? ホントはどうなのっ?
陸は、はぁ〜、と大きな溜息をつくと、
「ま、前科者だもんね、オレ。そう思われんのも仕方ないかもしんないけど…今は結衣以外とは何もないよ?」
信じて?と、今度は捨てられた子犬のように上目遣いであたしを見つめてくる。
そんな目で見られたら、問い詰めてるあたしが悪者みたいな気になってくるじゃないっ!
「だけど気軽に女の子に触ったりしてるよねっ」
「触るって?」
子犬が首をかしげる。
「体育の時間! さっき女の子の肩つかんでた!」
「は?」
陸は何のことか分かっていないみたいだった。「えー…と?」
忘れてしまうくらい些細なことなんだ。陸にとっては。
やっぱり感覚が違うんだ!
「五十嵐くんが言った通りなんだ!?」
「イガラシ?」
と陸が眉間にしわを寄せる。「……って、テコンドーのコト?」
「五十嵐くんが、陸はあたし以外とも付き合ってるに決まってるって! やっぱりそうなんだ!?」
「……なぁ。あいつがなんて言ったのかしんねーけど…憶測だろ? 真に受けんなよ」
陸は面倒くさそうにあたしから目を逸らすと前髪をかき上げた。
「だって信じられないんだもん…」
陸がなんで、こんな目立たない平凡なあたしなんかと付き合いたいのか。
からかわれてるだけなんじゃないのかって。
あたしにそんな魅力あるとは思えないし……
「………」
……あたし、今ちょっとだけ分かった…気がする。
自信がなかったんだ。
自分に対する自信のなさが、陸の気持ち疑うことになってたんだ……
「オレの言うことは信じられなくて、テコンドーの言うことは信じるってわけか」
「ちがうっ! そんなこと言ってるんじゃなくてっ」
あたしは慌てて首を振った。
「じゃなんだよ? 誰の言うことなら信じるってんだよ!?」
かき上げた前髪の隙間から陸があたしを見る。「……アキヒコか」
え? ……なんでここで先輩が出てくるの。
「……何言ってんの、違うよ」
陸は先輩の名前を出したあと、眉間のしわをより深くさせてチッと舌打ちすると、
「……戻る」
と立ち上がろうとした。
「あ、陸、危なっ…!」
あたしが止めるより前に陸は立ち上がり、低い天井に頭をぶつけてしまった。
「ッつ〜〜〜…」
「だ、大丈夫?」
おでこを押さえる陸の指の間から、赤いものが見えた。「陸っ!?血が出てる!」
あたしが持っていたハンカチで傷口を押さえようとすると、
「……いいよ、ほっとけよ」
と陸は目を伏せたけれど、あたしの手を止めはしなかった。
「ちょっと待ってね。たしかバンドエイドがあったはず……」
あたしは慌ててカバンを探った。
けれど、ゴチャゴチャいろんな物が入っててすぐに見つからない!
お弁当がジャマっ!
さっきあんなに出すのを渋っていたお弁当をカバンから出す。
あ〜、このポーチ! 大して中身入らないくせに大きいんだよねっ!
テントウ虫の形のポーチを放り投げるようにカバンから出す。
やたら分厚いミッフィーの手帳も…ジャマっ!
「……なんか手品みてー。そん中にどんだけ入ってんの」
陸が傷口をハンカチで押さえながらあたしのカバンから出てきた物を眺めて少し笑った。
少しだけど陸が笑顔になってくれたことにちょっとホッとする。
それにしても…… あーもうっ!? どこにあるわけ? バンドエイドは! 絶対入れてるはずなのに!
もどかしくなってカバンをひっくり返した。
ケータイやボールペンなどの細かい物がバラバラと出てくる。
あ!
「あった!」
ビニールの小さなケースに入ったスヌーピーのバンドエイド。
「スヌーピーだけどいいよね」
とあたしがバンドエイドの袋を破りながら傷口に手を伸ばすと、その手を陸が止めた。
「え、なに?」
陸はあたしの方を見てはいなかった。見開いたその目はある一点を凝視している。
な、なに?
陸が見ている視線の先をたどるとそこには……
「……っ やだっ! 違っ」
あたしがそれを隠す前に陸が立ち上がった。……今度は頭はぶつけなかった。
「……もういいや。テコンドーのとこでもアキヒコんとこでも、好きなとこ行けば?」
そう言うと陸は今度こそあたしを置いて一人で体育館を出て行ってしまった。
―――あたしは震える指先で先輩からもらった指輪を拾い上げた。


どうやって教室に戻ったんだろう。……気付いたらちゃんと5限目の授業を受けていた。
「……あのさ、村上さん」
5限目が終わると五十嵐くんが話しかけてきた。
「……なに」
「今日の放課後なんだけど時間ある? ……本当はE組が見回り当番なんだけど、2人とも都合が悪いから次の僕らA組と交換してくれって言われて」
五十嵐くんはなぜだかちょっとだけばつが悪そうに目を伏せている。
「……いいよ」
「あの… 村上さん?」
「なに」
「大丈夫? なんか具合悪そうだけど……」
「え、全然だよ? なんで?」
いや、と五十嵐くんは呟いたあと、
「……あの、さ。朝はゴメン」
と謝ってきた。「出すぎた事だったって思ってる。悪かった」
「なにが? 別に気にしてないよ! っていうか、やっぱり五十嵐くんの言うことが正しかったよ!」
え? と五十嵐くんが顔を上げる。
「あたしもうあの商業科の子とは何もカンケーなくなったから!」
「え? それってどういう……」
「麻美にも心配しないでって言っておいて!」
そうだよ。2週間前に戻っただけ。別にどってことないもん。
大体、あたしから付き合いたいって始まったカンケーじゃないし! 杉田先輩のことだって忘れられてないし!
……そうだよ!
あたしやっぱりまだ杉田先輩のことが好きなんだよ! 陸じゃダメだったんだよ!!
…そうそう! 絶対そう!!
「〜〜〜……」
じゃあ… なんでこんなに目が熱くなるのかなぁ。
あ、なんか視界までぼやけてきた。おっかしいな〜…
あたしはカバンからハンカチを出して顔に当てようとした。
直前にその手が止まる。
「え、村上さん!? どこか怪我してるの?」
ハンカチについている血を見て五十嵐くんが驚いた声を上げる。
陸の血だ。
陸…おでこ大丈夫だったかな……
あたしはそのまま顔を伏せた。
「村上さん、ちょ、大丈夫? ねぇ、村上さん?」
そう言って頭をなでる五十嵐くんの手が思ったよりも優しげで、余計に涙が溢れてしまった。

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