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―――プロローグ――― 冬晴れの日曜日。 男は緊張の面持ちで、その宝石店に入った。 高価なものから、比較的安価で手に入るものまで取り揃えているその宝石店には、日曜の午後という事もあって、前回男が訪れた時よりも賑わっていた。 ポケットをさぐりながらショーケースの向こう側にいる女性店員に近づく。 「いらっしゃいませ。本日はどういったものをお探しですか?」 愛想良く挨拶する店員に、男は少し照れながら手のひらくらいの大きさの紙を渡した。 「あの、これ……」 店員は紙に目を落とすと、 「少々お待ちください」 と、男には極上と思われる笑顔を向けて店の奥へ入って行った。 男は手持ち無沙汰気味に店内を見てまわった。 周りの客は殆どがカップルだった。聞くとはなしに聞こえてくる会話。 「ねぇ、コレがいい! トモミだってコレぐらいのもらってたよ。一生に一度のプレゼントじゃん!」 「おいおい。これじゃ給料3か月分どころか、4か月分以上だよ!」 と彼氏と思しき人物の抗議の声が聞こえる。が、チラリと顔を見てみるとそれほど困っているようではなく、まんざらでもなさそうな様子。 どうやら婚約指輪を買いに来たようだ。店員もちゃんと心得ているようで、 「それでしたら、こちらはいかがですか? 同じ大きさのダイヤなんですが、カットの仕方が違うのでお値段的には少しお安くなってるんですよ」 と別なものを勧めている。それだって男にしてみれば、びっくりするぐらい高額なものなのだが。 そうこうしているうちに名前を呼ばれた。 「こちらがお品物です。ご依頼受けましたメッセージはこちらです。ご確認ください」 男はごつごつした手でその指輪を受け取ると、指輪の内側に目を凝らした。 自分で頼んだメッセージだが気恥ずかしさを感じ、早口で、 「はいはい、これで結構です」 と指輪を店員に戻した。店員は笑顔で受け取ると、 「それでは今お包みしますね」 とショーケースの内側で包装紙を広げ始めた。 男のとなりでは、新たな客が品定めをしていた。帽子を深くかぶっているのでよく顔は見えないが、若そうな感じがする。20代くらいか。きっとこの男も彼女へのプレゼントを選びに来たのだろう。 あの指輪を渡したら、彼女はどんな顔をするだろうか。 宝石の事はよく分からないが、店員と相談して彼女の誕生石であるサファイヤがついたプラチナの指輪にした。 彼女の指にはめてあげる所を想像して、つい顔がにやけてしまう。 ―――その時だった。 「何をするんですかっ」 大きくはないが、緊張した女性の声が男の耳に届いた。 となりで帽子の客の相手をしていた女性店員だった。その目が大きく見開かれている。 男も目を見張った。帽子の男は右手に拳銃を持っていたのだ。 「騒ぐんじゃねぇ。おとなしく言う事を聞いてりゃケガはねぇよ」 事態に気づいた他の店員や客からも悲鳴が上がった。 慌てて逃げようとする客もいたが、いつの間に現れたのか帽子の男の仲間と思われる目出し帽をかぶった人物が出入り口を塞いでいて、外に出る事が出来なかった。 帽子の男は背負っていたザックを降ろすと、 「この中にありったけの宝石を入れてもらう」 と店員の鼻先に銃を突きつけた。「分かってると思うが、妙な真似をしやがったらただじゃおかねぇからな。お前らもだ! いいなっ!?」 後半は店内で震え上がっている客に向けて怒鳴られた。 宝石を袋に詰めている店員以外、全ての客と店員が床に伏せさせられた。 男も震えながら言われる通り床に伏せていた。 頭上でジャラジャラと無造作に宝石をザックに入れる音がする。 「さっさとしろ!全部だぞ!」 帽子の男の怒声が聞こえた。 ……全部? 男はハッとして、目だけで様子を窺った。 すると、今まさしく自分が買ったサファイヤの指輪がザックに入れられるところだった。 ―――その指輪は、彼女の指輪だ! ――彼女の誕生石がついた、メッセージを入れた、彼女の指輪だ!! そう思った瞬間、男は立ち上がり店員の腕に手をかけていた。 店員が驚きと不安の色でいっぱいの目を男に向けた。 男は何か叫んでいた。 それまで、反対側のショーケースを見ていた帽子の男が事態に気づき、大股でこちらに近づいてきた。 視界の端に帽子の男が近づいてくるのが見えていたが、まだ男は店員の肩を揺さぶりながら大声で叫んでいた。 帽子の男が銃を振り上げるのが見えた。が、男は叫ぶのをやめない。 鈍い音がして…… 代わりに男の叫び声が消えた。 男は薄れゆく意識の中で、まだ叫んでいるつもりでいた。 彼女の指輪だ! 彼女に渡すんだ! 返してくれ!! 「平和ねぇ」 美紀が退屈そうに窓の外を眺める。「最近は面白い事件もないし……」 「普通は事件なんてそうそう転がってるもんじゃないぜ」 俺は苦笑いして言った。「名探偵もいいけど、あんまり危ない事には首突っ込まないでくれよ」 「心配性ねぇ、高弥は。死ぬわけじゃないんだし……」 「この前、首絞められたの忘れたのか? もしお前に死なれたら、俺はどうすればいいんだよ」 「あら、嬉しいこと言ってくれるじゃない」 と美紀が俺の横にチョコンと座ってきた。 ……いいムードだ。 そのまま美紀の肩に腕を回そうとしたとき…… 「美紀さん。午後ティなかったんですよ。紅茶花伝でもいいですか」 安田が入ってきた。 そうだった。ここは生徒会室だったのだ! 安田は俺たちが肩を寄り添わせているのを見て、 「し、失礼しましたッ」 と回れ右をして出て行こうとする。 「あッ、待てよ。おい、安田!」 俺は慌てて安田を呼び戻した。 |
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「すみません、先輩。お邪魔しちゃったんでしょうか、僕……」 安田が謝りながら溜息をつく。……この安田、美紀にほのかな恋心を抱いているのだ。 「ありがとう、安田くん。ごめんね、買いに行かせちゃって」 美紀も安田の気持ちをちゃんと心得ていて、いいようにこき使っている。 「なんかずいぶん急いで行ってきてくれたみたいだけど……」 美紀は安田にニコリと笑いかけ、「飲む? これまだ少し残ってるし。喉渇いてるんじゃない?」 と、自分の飲みかけの紅茶を安田に差し出した。 「ええ――――ッ!!い、いいんですかっ」 安田はこっちがビックリするような大声を出して叫んだ。かと思えば、 「あ、でも……加納先輩に……悪いし……」 と、今度は蚊の泣くような声を出しながらチラチラと俺の方を見る。 俺は寛大な(?)心を見せて、 「いいよ、飲めよ。間接キスぐらい許してやる」 「ありがとうございますっ」 俺が言い終わらないうちに安田は紅茶の缶を抱きしめた。 俺は苦笑した。 俺の名前は加納高弥。この私立青葉学園高等部の2年で生徒会副会長をしている。 会長は3年の中谷さんがしているのだが…… その会長がとんでもない世間知らずのお坊ちゃんのため、実質的には俺が生徒会を動かしている状態だ。 安田も同じく副会長で、1年である。 美紀は生徒会とはまったく関係ないのだが、自称俺の秘書(しかしそれは仮の姿で、本当は名探偵なのだそうだ……)といっては、生徒会室に入り浸っている。 「ところで、先輩。何かいい案浮かびましたか?」 安田がすっかり飲み干してしまった紅茶の缶を手にして言った。 「全然」 俺は肩をすくめた。 「何の話? 事件?」 俺と安田の会話に美紀が目を輝かせる。 「残念ながら違う」 俺は首を振った。「今度の学園祭でやるイベントなんだけどな。今までは各サークルや部の活動をスライド上映してたんだけど、全然面白くないってクレームが多くて」 「ああ、あれね。ホントつまんないわよね〜」 美紀も顔をしかめる。 「今年は何か違うイベントをやろうってことになったんだけど……まだな。何かいい案ないか?」 俺の質問に美紀は、 「あるわ」 といとも簡単に肯く。「ミス青葉ってのをやるのよ。そうすればあたしも一躍スター!」 美紀が大げさに両手を広げる。俺は苦笑しながら、 「お前がミスになるとは限らないぜ。第一、和歌子さんがいるだろ。お前はせいぜい2番だ」 「あら、ずいぶんね。3年は受験だから、とか何とか言って参加させないのよ」 「僕は絶対美紀さんに入れますっ」 と安田。 「ありがとう」 美紀が安田に笑いかける。途端に蕩ける安田。直後、美紀は頬に人差し指を当てると、 「ってのは冗談にしても……困ったわね。学園祭まであと1ヶ月半しかないわよ」 とまじめな顔で考え込んだ。 「ああ。準備を考えると、そろそろ決定しないとヤバイんだよな」 俺はボールペンの背で額をこつこつと突付きながら言った。 そこへ中谷さんと和歌子さんがやってきた。 「やぁ、高弥。何かいい案出た?」 もちろん、学園祭のイベントの件だ。 「いえ、これといって……」 と俺が首を振ると、 「そうかいっ?」 中谷さんはツカツカと歩いてきて俺の横に腰掛けた。「実は、僕にいい案があるんだ!」 その得意気な様子に、俺はチラッと和歌子さんの方を見た。和歌子さんがちょっと肩をすくめる。 ……これはあまり期待しないで聞いた方が良さそうだ。 「へぇ、どんなのです?」 それでも一応、形だけは聞くフリをする。 「クイズだよ」 中谷さんは大きく肯いた。 「クイズ……ですか」 ……中谷さんらしい発想だ。 「どういうふうにやるんです?」 安田が興味津々といった感じに身を乗り出す。手にはまださっきの紅茶の缶がある。きっと持って帰るつもりなのだろう。 「なんていうんだったかな。昔やってた番組なんだけど、あの、福留なんとかって人が出てきて、みんな〜! ニューヨークへ行きたいかー、とかって叫んで、拳を振り上げて、アメリカに行って、クイズをやるっていう番組……」 「もうちょっと、センテンスを短くしたらどうなの」 和歌子さんがあきれたように言う。 「アメリカ横断ウルトラクイズじゃないですか? 会長」 と安田が楽しそうに肯く。「僕、高校生クイズなら出たことありますっ! 1問目で間違えちゃいましたけど」 「そのウルトラクイズがどうしたんです?」 俺は安田を無視して話を進めた。 「学園内をね、横断するんだ」 「と、言いますと……」 「オリエンテーリングみたいなもんだよ。司会が一緒について行ってね。ばらまきクイズとか、早押しクイズとか……あッ、最初は○×クイズだねっ!」 |
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と中谷さんはウキウキする。 「……まぁ、一応検討してみます」 俺がそう言うと、 「わ! なんて面白そうな企画なのかしら!」 話を聞いていた美紀が声を上げた。 「え? 美紀君もそう思う?」 「ええ、さすがは会長ですわ」 ……何を言っているんだ。いつも中谷さんのことを馬鹿にしているくせに! 「だろうと思って、早速手配してきたよ」 「は?」 理解に苦しんでいるところへ、 「会長、ばらまきクイズ用の封筒と紙持って来ましたけど……」 と、洋子が両手いっぱいに紙やペンを持ってやって来た。 どうやら、この案は決定になりそうだ…… 学園祭は11月末に行われる。 もともと付属の大学があり、よほど成績が悪くなければ受験の苦しみを味わわなくても進学できるおかげで、3年生も積極的に学園祭には参加する。 だからこの時期は、夜遅くまで残って学園祭準備をする生徒も多い。 そんな学園祭の準備が着々と行われ始めた頃、妙な噂が学園内に広がり始めていた。 「D組のキノシタさんが見たって! やっぱりサヨコが見たのと同じクラブハウスのところで……」 「うっそ、マジでっ!? やっぱ出るんだ〜! 怖くなーい?」 廊下ですれ違った女子が、怖がっているのか楽しんでいるのかよく分からない顔で話している。 最近この話で持ちきりだな。 俺は女子の話に耳を傾けながら、いくつかの木材を生徒会室に運び込んだ。両手が塞がっていたから、足で生徒会室の戸を開ける。 「高弥〜! なんとかしてよ!!」 美紀が生徒会室の小さなソファに座っていた。「怖くて学園祭どころじゃないわよっ」 「ああ、例の噂の件な」 俺は木材を部屋の隅に置くと、制服についた木屑を払いながら、「そんなのただの噂に決まってるだろ。今どき幽霊なんて、小学生でも信じないぜ」 と笑った。 実はここ2、3日、学園内に妙な噂が広がっていた。 クラブハウスに幽霊が出た、というのだ。学園祭準備のために遅くまで残っていた生徒が見たという。 この噂で騒ぎ出したのが女子だった。 怖くてクラブハウスに近づけない、サークル、部の活動が出来ないというのだ。 生徒会にも、「なんとかしろ」という声はあがっていたが(どうもこの学園の生徒は、生徒会を便利屋のように思っている節があるのだが……)何か実害が出ているわけでもないし、特に調査をしたりはしていなかった。 「それに、そんなに気になるんだったら自分で調べてみればいいだろ? 先週まで何か面白い事件はないかって言ってたじゃないか」 俺はからかうように美紀を見た。 実は、こんな美紀にも苦手なものがあった。おばけの類である。 いつもは気の強い美紀が、両の手で自分の体を抱くようにして怯えている。 「高弥ったら! 彼女がこんなに怖がってるっていうのに調べてくれないの!?」 美紀は頬を膨らませた。「いいわよっ! 高弥が調べてくれないっていうなら、安田くんに頼むから!」 「え? なんですか?」 話の途中で生徒会室に入ってきた安田は、何のことだか分からずにキョロキョロしている。 |
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美紀は安田に歩み寄ると、 「ねぇ、安田くん。お願いがあるんだけど……」 と安田の制服の袖を引っ張った。 安田は顔を赤くしながら、 「え、美紀さん? ど、どうしたんですか? 僕で出来る事ならなんでもっ」 と自分の胸を叩いた。 「美紀! いい加減にしろよ。安田だって暇じゃないんだよ」 「いや、僕なら大丈夫……」 「お前は看板作りがあるだろ!」 ぴしゃりと言ってやると、安田はすごすごと自席についた。 美紀は頬を膨らませたままだ。俺は溜息をつくと、 「実はな、今度クラブハウスを増設する事になってるんだよ。その際、今ある建物の一部を壊す事になるんだけど、それで業者が見に来るんだ。増設工事は学園祭が終わり次第始めるから、今のうちから下見だけしてるんだ」 と美紀の頭をなでた。「その業者も時間がある時に見て行くって感じだから、夜遅くになる事もあるんだよ。それを幽霊と見間違えたってわけさ」 美紀はまだ納得していない顔をしていたが、 「お分かり? 美紀チャン」 と俺に子供扱いされたのが面白くなかったようで、それ以上は絡んでこなかった。 その場しのぎで言った事だが、俺はまんざら違っていないだろうと踏んでいる。 クラブハウス増設の件は本当だし、その件について業者が下見に来る事も本当だ。 ただし、下見の時は一声掛けて入るようになっているのだが…… どうやら連絡なしに来ているときがあるようだ。 それが幽霊と間違われたに違いない。 大体、幽霊なんて非科学的なモノが存在するわけがないのだ。 実際、そのあと新たに幽霊を見たという生徒は現れず、噂は収まりつつあった。 やはりあれは、下見に来た業者だったのだ。 そんな噂も忘れかけようとしていた時のことだった。 |
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