チェリッシュxxx 第7章

C 電話


「え? じゃあ、これ貰っていーの?」
「ああ」
父親が肯く。「型が古くて、起動に時間がかかるからな」
「マジで? ラッキー!」
いったんは返そうとテーブルの上に乗せたポータブルのDVDプレイヤーを、再び自分のバッグにしまう。
自分の部屋にテレビはあるけど、DVDプレイヤーはない。 
だから今までは、結衣が来てなんかレンタルした映画を一緒に見ようとしてもリビングで見なきゃならなかった。
ウチは母子家庭で平日は母親も働いていて帰りが遅いから、リビングで見てたって全然構わないんだけど……
DVD見ながらいい感じに持っていったとき、リビングから自分の部屋のベッドまで移動するのが面倒だったんだよな。
でも、それもこのプレイヤーがあれば……♪
オレがそんなことを考えながらコーヒーに口をつけたら、
「ところで、身体の方はもう大丈夫なのか?」
と父親が眉をよせる。
オレは先月、走行中の電車と接触事故を起こして、信じられないくらいの大怪我をしていた。
「なに? 一応心配なわけ? 捨てた息子でも」
「捨てたとか言うなよ」
「だって実際捨てられたじゃん。 オレとオフクロ」
オレがそう言ってやったら、
「まいったな……」
と父親は頭を掻いた。


オレは父親と一緒にファミレスにいた。
オレの両親は離婚していて(父親の浮気が原因だ)、今までずっと父親とは離れて暮らしていた。
離婚してから3年近く父親とは会っていなかったんだけど、この前の事故がきっかけで、たまにこうやって会うようになっていた。
「律子は元気か?」
「あ〜、元気なんじゃねーの? よく分かんねーけど」
ちなみに律子ってのはオレの母親だ。
「なんだそれ? ちゃんと孝行しろよ? 女手一つでお前を育ててくれてるんだから」
と父親が渋い顔になる。
「オヤジがそれ言うのかよっ!?」
オレがそう突っ込んだら、
「おやじってぇ?」
とすぐ横から甘ったるい声が。
「ん? パパのことだよ」
目の前の45歳男が相好を崩す。
「なんでおにいちゃんはパパのことおやじってゆーの?」
「うるせぇな。 なんだっていいだろーが! 痛ぇっつーの!」
髪を引っ張られる。 ……2歳児は手加減なしだから手に負えない。
父親は笑いながら、
「陸のその髪が珍しいんだろ? いつの間にオレンジにしたんだ?」
「高校入ってからだよ……つか、自分の隣に連れてけよ!」
オレがそう父親に訴えても、
「やっぱり兄弟だな。 すぐに仲良くなって!」
とのん気なことを言っている。
オレの横にいる、この小さいのは…… オレの異母弟だ。
いつも(つか、まだ今日で3回目だけど)父親と会うときは、オレと父親の2人きりだった。
なのに、今日は……
「おにーちゃんのあたま、きぇーだねぇ」
とこの異母弟―――名前は翼っつーらしい―――を連れてきた。
「普通さあ、捨てた息子に会いに来るとき、新しい息子連れて来っかよ?」
「いや、今日は特に気分が悪いらしくてな。 翼がいたんじゃ余計に気が立つみたいで、オレが連れ出すしかなかったんだよ」
父親は 母親と離婚したあと、浮気相手と再婚し、翼が生まれている。
しかも、ありえねー話なんだけど、さらに2人目が出来たっつー…
「45にもなって、よくやるよ」
オレが呆れてそう言ったら、父親は、
「バカ! 45はまだまだ現役でイケる年だ!! ていうか、そーゆーのに終わりはないらしいぞ? 男は生涯現役なんだよ」
と恥ずかしげもなく言い放つ。
オレは結衣と付き合う前は結構遊んでいる方だったんだけど、沢山の女と付き合っていたわりにはどれも長続きしなかった。
オレのこの血は、絶対オヤジ譲りだよな……
いや? 今は結衣ひと筋だし、やっぱこんな血受け継いでねーよな?
そんなことを考えていたら、父親のケータイが鳴った。 父親はパネルを確認して、
「悪い、取引先からだ」
ケータイを持って店の外に出て行った。
日曜の午後のファミレスはかなり混んでいて、仕事の電話をするには適さない。
「おにーちゃんっ!」
「……なんだよ」
翼と2人きりにされた。
「おにーちゃんっ!」
「だから、なんだっつーのっ!?」
「ちぃとりちよー」
「は? なんだって?」
翼の発音は聞き取れないところが多く、何を言っているのか分からないことが多い。
それでも父親に言わせると、
「翼はまだ2歳半なのに、お話が上手だな〜♪」
ということらしい。 ……相当な親バカだ。
「ちぃとりっ!」
「だから分かんねぇって!」
「じゃっ、ちゅーからねっ! ぱんだっ! はい、おにーちゃん!」
「あぁ…… しりとりかよ」
ちゅー、ってのは自分のことらしい。 多分、翼の『つ』なんだろう。
ちぃとりって、しりとりのことだったのか……
「……ダルマ」
高校生にもなってしりとりかよ……と思いつつ、付き合ってやる。
翼は満面の笑顔で、
「ぞうしゃんっ!」
って……
「ダルマのマだっつーのっ! つか、ぞうさんって、終わってんじゃねーかっ!!」
オレがそう突っ込んだら、翼は余計に喜んだ。
2歳児って…… ワケ分かんねぇ……
いーや。 もうシカトしてやれ。
「ねぇ〜 ちゅぎぃ〜」
翼を無視してケータイを開く。
結衣にメールすっかな〜… でも、今頃まだ予備校の時間だよな〜…
結衣とは3学期の始業式以来会っていない。 結衣が受験生でもうすぐセンター試験があるからだ。
それに加えて、オレが放課後 毎日課外授業を受けているせいでもある。
課外なんか受けたくないんだけど、留年がかかっているからしょうがない。
オレは元々出席日数がヤバかったんだけど、それがこの前の入院で完全に足りなくなってしまった。 だから、課外授業は留年させないために学校側から強制的に受けさせられている。
冬休みの間は毎日のように会っていたオレたちなのに、もう1週間以上もケータイとメールだけなんて……
マジ、ビョーキになっちゃうよ……
ケータイを開いたままそんなことを考えていたら、
「みちぇて〜っ!」
と翼がオレのケータイに飛びついてきた。
「うわっ! バカッ止めろよっ! 折れんだろっ!?」
液晶側とボタン側がありえない方向に曲げられそうになって、思わず翼を怒鳴りつける。
翼は一瞬動きを止めたあと、
「ぅ〜〜〜… うっわあぁぁぁあんっ!」
と泣き出した。
ぇええっ!? オレのせいかよっ!?
周りの客も、何事かとこっちを見ている。
「あ〜〜〜っ 分かった分かった! 見せてやるから泣くなっ!!」
慌てて翼を宥める。 ケータイを渡してやると、翼は途端に泣き止んで、
「ぶっぶ〜〜!」
とオレのケータイをミニカーに見立てて遊びだした。
オヤジ…… 早く戻って来いよ……
「いや、悪い悪い! ちょっと仕事で手違いがあってな」
父親がやっと戻ってきた。
「遅ぇよ! ……じゃ、オレ帰るから」
今日は入院中に父親が持ってきてくれたDVDプレイヤーを返そうと思って会っただけだった(結局もらったけど)。 用が済んだからもう帰ろう、とオレが席を立とうとしたら、
「陸…… 悪いけど、ちょっとお願いがあるんだけど、なぁ……」
と父親が上目遣いにオレを窺う。
「は? なんだよ? オフクロに言伝とかはヤだかんな。 オヤジの話すると機嫌悪くなるから」
前に一度言伝を頼まれたときは、
「陸、あんたがあの男と会うのは自由だけど、あたしを巻き込まないでよねっ! っていうか、このウチであの男の話禁止ねっ!」
とオレが怒鳴られた。
オヤジは顔の前で手を振って、
「いや、そんなことじゃないんだ。 ……翼なんだが……ちょっと預かってくれないか?」
と、オレの隣でケータイをいじっている2歳児を指差した。
「はぁっ!?」
「今の電話……仕事で手違いがあったって言ったろ? なんか発注された品と違うものが納品されたってクライアントが怒ってるんだよ。 急いで現場に行かないと……」
「それでオレに押し付けてくのかよっ!? 連れてけよ!」
「いや、現場に子供連れて行くと邪魔だし、なにより危ないだろ? 翼もお前に懐いているみたいだし……」
だから頼む、と頭を下げられた。
「冗談じゃねぇよ。 やだよ」
「これ」
父親が財布から1万円札を取り出して、「テキトーに使っていいから」
とオレの前に出した。 そんなことをしている間にも、また父親のケータイが鳴る。
父親はコートを掴んで席を立ちながら、
「本当に悪い! 翼、お兄ちゃんの言うこと、ちゃんと聞くんだぞ〜」
と翼に声をかけて、「……あ、悪いついでに、帰りは送ってやってくれないか? 何時に迎えに来れるか分からないから」
「はぁっ!? おい―――…ッ」
「じゃあな! 頼んだぞっ!」
抗議する前に父親は店を出て行ってしまった。
「ウソだろ……」
項垂れるオレの横で、翼はまだオレのケータイで遊んでいる。
「ぶっぶー! ぶっぶー!」
どうすんだよ。 オレ、子供の面倒なんかみたことねーよ……
「お前、置いてかれたぞ」
「う?」
翼は父親がいなくなっても泣いたりしなかった。 泣くどころか、
「おにーちゃんっ! ちぃとりやろ〜っ!」
とのん気に笑っている。
「いや、お前としりとりやってもつまんねーから! つか、しりとりになってねーし」
と翼に突っ込んでやったら、また翼が喜ぶ。
翼を連れて外を出歩くのが面倒だったから、そのままファミレスに居座っていたら、
「っ!! ぶーぶー、ぶーぶーいってる!」
と翼がオレのケータイを持ち上げた。 店に入るときマナーモードにしておいたケータイに着信が。
「あ〜、電話だ。 返せ返せ」
「あぁんっ!」
翼からケータイを取り上げる。 結衣からだった。
予備校が早く終わった結衣が、時間が出来たから会おうと誘ってきた。
今オレがいるのは、結衣の予備校がある隣の駅だった。すぐ向かえば10分程度で着く。
翼が邪魔だけど、連れて行くより仕方ない。
「オレ、今から人に会うけど、お前おとなしくしてろよ?」
「うん?」
あ〜〜〜! 結衣に会うの久々だよ!
外で会うからあんまエロいこと出来ねーけど、キスくらいなら……いけるよな?
はやる気持ちを押さえながら、待ち合わせ場所のファーストフードに向かう。
店に入ってすぐ結衣の姿を見つけた。
「ゆ……っ」
結衣に駆け寄ろうとして、一瞬躊躇った。
結衣はまだオレに気が付いていない。
窓際のカウンター席に座って、ぼんやり外を眺めている。
顔色は悪いし、微かに眉間にしわまで寄せている。
どうしたんだろう? 予備校で疲れたとか?
「おにーちゃあん」
「ん? あぁ……」
翼に袖を引っ張られた。 間もなく結衣もオレに気付き、手を振ってきた。
はじめはその顔色の悪さに心配もしたけど、間もなく表情も穏やかになり顔色もいつものように戻ってきた。
結衣は、翼がオレの異母弟だと聞いてかなり驚いていたみたいだったけど、すぐに受け入れてくれたから助かった。
というか、翼が結衣に懐いてしまった感じだ。
結衣と隣同士で座ろうとすれば翼がその間に割り込んでくるし、いざ話そうとすれば飲んでいたシェイクで服を汚して結衣に手間をかけさせるし。
しまいには、結衣の話をカン違いした振りして結衣をオレんちに連れて行こうとしたら、
「おちっこぉ〜」
って邪魔しやがった!!
結衣が、
「あたし連れてってあげるよ」
って言ったときは慌てて阻止した。 翼を便所に連れて行き、ズボンを下ろしてナニをつまんでやる。 ―――翼はまだ、1人で小便が出来ない。
「おねーちゃんがよかったのにぃ!」
「ヘンタイ親父かっ!? テメーはっ!!」
「でたぁ!」
「ほら、最後はこーやって振るんだよ! ……うわっ!バカッ強すぎだっつーのっ! こっち飛んできたじゃねーかっ!」
オレが慌てたらまた翼が喜んだ。
それにしても…… こいつもオヤジの血を濃く引いてるよな。
翼はやたら結衣にベタベタ触る。 どさくさ紛れに胸や足にまで触っていたときには、ぶん殴ってやろうかと思った。
2歳児だからさすがにわざとじゃねーだろうけど…… それにしても、先が思いやられるガキだ。
でも、はじめ邪魔だと思っていた翼だったけど、おかげで結衣の元気が出たみたいだから助かった。
結衣は受験勉強が上手くはかどっていないみたいで、メールや電話でもここのところあまり元気がないみたいだった。
今日会ったときも、はじめは顔色悪かったし……
オレは勉強のこと……しかも、普通科の3年のことなんか全然分かんねーから、なんの相談にも乗ってやれねーし……
結衣も滅多にオレには受験の話とかしてこねーしな。
こうやって、結衣が気晴らししたいときに付き合ってやるくらいしか、オレに出来ることはない。
本当はもっと会いてーけど……邪魔になるかもしれない…と思うと……
まあ、仕方ない。 受験が終わるまでメールや電話で我慢するか。

そんな日を過ごしていたある日、結衣の母親から電話がかかってきた。
結衣の母親から電話がかかってくるなんて思わなくて驚いた。
前にも一度だけ…オレが事故にあう直前にかかってきたことがあるけど、そのときは結衣の母親が慌てたようにかけてきただけで結局すぐに切ったし、話の内容もよく分からないようなものだった。
話をしたのはそれ1回きりだし、当然面識もない。
そんな結衣の母親が、オレに一体何の用だろう……
『単刀直入に言いますけど…… ウチの結衣と会うのを控えて欲しいの』
「は?」
『あなたは2年生でまだ全然関係ないかもしれないけれど、結衣は受験で大変な時期なの。 今頑張らないとこれまでのことも全て水の泡になっちゃうのよ。 分かるでしょ?』
会うのを控えて欲しいって……
元々ここんとこ会えてねーんだけど? オレら。
そう言ってやってもよかったんだけど、一応、
「はあ…… 分かりますけど……」
とオレが答えたら結衣の母親は、
『だったら受験が終わるまで会わないでくれる? メールや電話もしないで』
「えっ!?」
会えないだけでも辛いのに……その上、メールや電話もダメなのかよっ!?
『あなたが控えるだけじゃなくて、もし結衣から連絡が行ってもあなたから言ってもらいたいの。 受験が終わるまで連絡するのよそうって』
「………」
メールや電話くらいいーじゃねーかよ……と思ったけど黙っていた。
『この前のセンターも結果が良くなくて…… あの子全然集中出来てないのよ』
「そーなんですか……」
センター試験が終わったことは知っている。 でも、結衣はその話をオレにしてこなかったから、その結果が良かったのか悪かったのか、全然分からなかった。
母親が焦って電話してきたのは、そのセンターの結果が悪かったせいらしい。
そう言われたら…… 言われた通りにするしかなかった。
ここで食い下がっても、結衣の母親の心証を悪くするだけだし……

―――なにより、それが結衣のためなら……仕方がなかった。


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