チェリッシュxxx 第7章
A 家出
―――大学なんかどこでもいいから、受験なんか早く終わればいい…… そんなことを考えながらセンターに臨んだせいで、とてもいいとは言い難い結果になってしまった。 「古文、あたしが読んでた『とりかえばや』から出てたから、チョーラッキーだったぁ!」 「英語がな〜… 思ったより点取れなかった。 でも、数学で稼げたかな」 「今年は、比較的数学で点取りやすかったらしいよ?」 センター明けの教室は、もっぱらその話で持ち切りだった。 みんな、結構いい感じに出来たのかな…… まだまだこれからが本番だけど、センターを終えたことでみんなちょっとだけ表情が明るくなってる気がする。 ―――あたしは落ち込んでる方だけど…… 「ゆーい! 久しぶりに一緒にお弁当食べよ!」 昼休みに麻美が教室にやってきた。「今日あったかいから、屋上行かない?」 麻美と一緒にお昼を食べるもの久しぶり。 年末は陸のこととか色々あったし、年明けはあたしがセンター前だからって遠慮してたみたいで全然誘われなかったし。 麻美はセンター試験を受けていない。 去年のうちに、学校推薦枠で進学が決まっていたからだ。 「やっと終わったね。 …って、まだまだこれからが本番だけどさ」 麻美がお弁当を広げながら笑顔を向ける。「志望校、決まった?」 「一応絞ってはいるけど…… まだ迷ってる」 「そっかー」 っていうか、あんな結果じゃ行ける大学探す方が大変だよ…… 「……あたしも、推薦受けとけば良かったかな」 あたしが溜息混じりにそう言ったら、麻美は、 「まぁ、普通に試験受けるよりはラクかもしれないけど…… でも、小論とか面接とかケッコー面倒だけどね」 そうなんだよね。 受験って、こっちがラクとかあっちが大変とかないんだよね。 「でも、早めに進路が決まるっていう点ではいいかもね。 あたしはたまたま推薦きてた大学に受けたい授業があるとこだったからラッキーだったな」 「え…… 受けたい授業って?」 「あたし将来司書になりたいから、司書の資格取れるトコに行きたいと思ってたのよ」 「……司書?」 麻美は肯きながら、 「それがなかったら推薦受けないで、一般で司書の資格取れる大学探してたわね」 「そーなのっ!?」 推薦受ける子って、みんな早く進路決めたいからって…それだけの理由で受けるもんだと思ってた。 だから、推薦が来てる大学は学校名くらいしか聞いてないし、受けたい授業とか、取れる資格とか……そんなの全然確認もしなかった。 ―――っていうか…… 「……麻美、もう将来の夢とか決まってるんだ?」 「夢ってほどのもんじゃないけど…… 一応ね」 ちょっと照れくさそうに笑う麻美。「結衣は? 何になりたいとか、決まってる?」 「あたしは……」 思わず言葉に詰まってしまった。 ―――全然決まってない。 っていうか、今まで将来のことなんかちゃんと考えたことない…… 幼い頃は、 「パン屋さんになりたい」 とか、 「お花屋さんになりたい」 とか言ってた気がするけど、麻美が言うところの将来とは全然違う。 リアルに先を見通した上での将来だ。 麻美はそれをもうちゃんと考えてるんだ…… ―――も、もしかして、他のみんなも? 「五十嵐くん…… 将来の夢って決まってる?」 「え?」 教室に戻って五十嵐くんに声をかけた。 まだ5限目の予鈴も鳴ってないっていうのに、五十嵐くんはもう英語の教科書を広げている。 |
「夢?」 「うん。 進路っていうか…あ、大学のことじゃないよ? その先!」 あたしが肯いたら、五十嵐くんはちょっとだけ眉を寄せて、 「また唐突だね。 ……村上さんらしいけど」 と言って、ちょっとだけ視線を落とした。「……歯科医かな」 「シカイ? って、歯医者さん?」 五十嵐くんは、うん、と肯いて、 「まぁ、特別なりたいってわけじゃないけど、父親が開業してるし、僕もなるのかなって……」 「……じゃあ、大学も歯医者さんになれるとこ…行くの?」 「五十嵐は医科歯科狙ってるんだもんね〜?」 あたしと五十嵐くんが話していたら、クラスメイトの泉さんがやってきた。 「イカシカ?」 「東京医科歯科大! 国立だよ! すごいよね〜」 「国立っ!? 五十嵐くん国立大行くのっ!?」 あたしたちの高校は殆どの子が進学するけど、有名進学校ってほどじゃないから、有名私立大学や国立に行く……っていうか、行けるほど成績のいい生徒はほんの一部だけだった。 五十嵐くんが成績いいのは知ってたけど、国立狙えるほどだったんだ…… 五十嵐くんは眉を寄せて、 「ちょっと。 まだ行けるって決まったわけじゃ…… っていうか、なんで泉さんが僕の志望校知ってるの」 「この前、職員室で先生と話してるの聞いた〜! 五十嵐って地味だけど、その分頭いーよね?」 「……失礼だね」 そう言って五十嵐くんは教科書に顔を戻した。 「え〜、褒めてるのにぃ〜」 「……泉さんは? 志望校…っていうか、将来のこととか考えてる?」 五十嵐くんを見下ろして頬を膨らましている泉さんに声をかける。 「あたし? ん〜… 考えてるっていうか、なりたいものはあるけど……」 泉さんも決まってるのっ!? 「何っ? 教えて!?」 「あたしグラフィックとか興味あるから、本当はそういう専門学校行きたいんだ〜。 でも親が、そんなので食べていけるのなんてほんの一握りなんだから、ちゃんと大学行けって」 「グラフィック……」 「親の手前大学は行くけど、そのあとまた専門とか行くかも。 まぁ、まだ全然先の話だけどね〜」 そーなんだ…… みんなちゃんと将来のこととか考えてるんだ…… 麻美も、五十嵐くんも、泉さんも…… ううん、もしかしたら他のみんなも、ちゃんと将来のこと考えてるのかもしれない。 ちゃんと将来のこと考えて、それに合った大学や専門に進む準備をしているのかもしれない。 あたしは、とにかくどこかの大学に入れれば…ってそれしか考えてなかった。 その先のことなんて全く考えたこともなかった。 ―――なんにも考えてないのって、もしかしたらあたしだけかも知れない…… なんだか、落ち込んでしまった。 センターの結果だけでも十分落ち込んだっていうのに…… あたしは、今目の前にある大学受験のことしか見えてなかった。 それさえ乗り越えればいいんだって考えていた。 けれど、本当に考えなきゃならないのは、もっと先のことなのかもしれない…… 『結衣? どーしたの? もう予備校終わったの?』 「うん……」 その日、予備校からの帰り道、陸に電話をかけた。 色々考えたらどうしようもなく不安になってきて、陸の声が聞きたくなってしまった。 「別に用事はないんだけど…… なんか声が聞きたくなって……」 『そっか。 オレもちょうど聞きたかったとこ♪』 陸の明るい声に、少し心が軽くなる。 「何してた?」 『ん? ん〜……』 陸は一瞬間を空けて、『課外で出された宿題とか? スゲー量なんだよね』 と溜息をつく。 あたしが笑いながら、 「はかどってる? センパイが手伝ってあげようか?」 と言ったら、陸は嬉しそうな声を上げて、 『えっ! マジっすか? BS表ですけど、手伝ってもらえます? センパイ』 とわざとらしく丁寧に返してきた。 うっ… BS表って、それ商業科で習うやつじゃんっ! 「そんなの分かるわけないじゃんっ! イジワルっ!」 陸が楽しそうに笑う。 それから、他愛のない話をしながら歩いていたら、あっという間にウチの前まで着いてしまった。 「あ… もう着いちゃった」 『そっか…… んじゃ、またね。 オヤスミ!』 「えっ、もう切っちゃうの?」 陸があっさり電話を切ろうとしたから、なんだか淋しくなってしまった。 『え、だって、もうウチなんでしょ?』 「そーだけど…… もうちょっと話したいし……」 『や、オレはいーけどさ…… もしかして、まだ外なんじゃないの?』 「え?」 確かにウチの目の前まで帰ってきてはいるけど、中には入ってない。 陸と電話しているところをお母さんに聞かれたら、また何言われるか分かんないし…… 『外なんだったらダメ。切るよ。 大事な時期なのに風邪でも引いたらヤバイし、時間も遅いから』 とあたしを心配する陸。 それはすごく嬉しいんだけど…… でもまだ話していたい。 「大丈夫だよ。もうウチ入ったし! 自分の部屋!」 だからちょっとだけウソをつく。 陸は、ちょっとだけ間を空けたあと、 『……じゃ、3分だけね。 オレも宿題残ってるし……』 |
「あ、そっか!」 陸が宿題中だっていうのを忘れていた。「ごめんね、切るよっ」 『いーよ。 その代わり3分な』 「んっ! ありがとっ」 宿題を中断させてるんだって分かったけど…… それでも話したかった。 たったの3分だけだって、まだ繋がっていたかった。 ―――のに… 「…………」 なんだか急に何を話したらいいのか分からなくなって、言葉に詰まってしまった。 『……結衣?』 話すことなんか、なんでもいい。 ただ、陸と話せれば…なんでもいい。 陸の声を聞いている間だけは、不安なことなんか全部忘れられる。 「陸がなんか話してっ」 『えっ!?』 陸が戸惑った声を上げる。『……何を?』 「なんでもいい。 話して!」 『え〜… なんかあるかなぁ』 陸は一瞬考えた後、『あ! ジュンがさぁ、おたふく風邪だって』 「おたふく風邪?」 『うん。 知ってる? 男がおたふくやるとヤバイの』 「え? ヤバイって?」 おたふく風邪って、ほっぺの下が腫れちゃう…… あれだよね? 小さい子がよくかかる…… 確か、あたしも小さい頃やったはず。 でも、男の子がかかるとヤバイって…… 何が? 『スゲー高熱が出るから、子種が死んじゃうらしいよ』 「コダネ……?」 一瞬なんのことか分からなかった。 すると陸が、 『精子!』 「精……ッ!?」 驚いて絶句する。 陸は笑いながら、 『だからジュンのヤツ、チョー焦ってる』 「り、陸は? 大丈夫なの?」 もし さわやかクンから感染ったりしたら大変っ!! 『オレはガキの頃やってるから大丈夫。 大人になってからやるとヤバイの』 「そーなんだ…… 良かった」 『そー。 だから結衣は安心して! メチャクチャ元気だから、オレの子種!』 「も、も〜〜〜っ! なんですぐそういう話にな…… っく、んっ!」 陸に突っ込もうとしたら、急にくしゃみが出そうになった! ただじっと立ってるだけだから、やっぱり寒い…… マフラーに顔を埋めるようにして、軽く足踏みして身体を温める。 『―――… そろそろ3分経つね』 「えっ、もうっ?」 陸のセリフに驚く。「まだ3分経ってないよ! 早すぎるっ!」 『経ってるよ。 オレちゃんと時計見てたもん』 「え〜〜〜っ!」 ホントに? あたし時計持ってなかったし、正確には分からないけど。 でも、絶対まだ3分経ってないと思うんだけどなぁ…… 『……りな』 「え?」 陸が何か言った。 けれど、声が小さすぎてよく聞き取れない。 「何?」 『いや…… 受験勉強頑張ってって言ったの』 受験勉強…… ―――また思い出してしまった。 自分は一生懸命やってるつもりなのに、全然思うように進まないとか。 センターの結果が予想以上にひどかったとか。 みんなは受験のその先まで考えているのに、あたしだけまだ何も見えていないとか…… 色んな不安が、また一気に襲ってきた。 「……頑張ってる」 『え?』 「陸に言われなくたって、頑張ってるもんっ!」 『結衣……っ』 あたし頑張ってるよ? 一生懸命やってるよ? なのに、みんなどうして、 「頑張って」 って言うんだろう…… もしかして、全然頑張ってるようには見えないってこと? それとも、この程度の頑張りじゃダメってことなのかな……? 「陸は全然あたしの気持ちが分かってないっ!」 『え… あの、結衣っ』 「陸のバカっ!」 そう怒鳴りつけて通話を切った。 陸と話している間は、受験のことなんか忘れて楽しく過ごしていたいのに、なんで思い出させるようなこと言うんだろう! 電話だってそうだよ! 3分ってなによ、3分って!? ずっと会えてないんだよ? 時間が合わなかったりお母さんとかも気になるから、頻繁に電話だって出来ないし…… 久しぶりに声聞けたんだから、もうちょっと話したいって気持ち分かってくれないのかなあ!? 確かに、いきなり電話したのはあたしの方だけど。 陸の都合とか考えてなかったかもしれないけど…… でもさぁ〜…… ―――と腹を立てかけて、ふと思い出す。 ……そう言えば、宿題いっぱい出てるって言ってたっけ… それやってる最中だったって…… なのに、特に用もないあたしの電話の相手してくれたんだよね… しかも、あたしからかけたくせに、 「陸がなんか話して!」 なんて…… あたし、何様なんだろう…… それに、 『寒いから、外で電話してるんだったら切るよ』 ってあたしを気遣ってくれた陸にウソまでついて…… 『頑張って』 って言われたことだって、よく考えたら全然気にすることじゃないのに。 あたしだって麻美の推薦の前には、 「頑張ってね!」 って言ってたし。 別に、麻美が頑張ってないように見えたわけでもないし、その程度の頑張りじゃダメ、なんて気持ちで言ったんじゃない。 ただ、麻美のことを応援したくて言っただけで…… きっと陸だってそうだった…… ―――急に、後悔の念が押し寄せてきた。 あたし、なんてこと言っちゃったんだろう…… あんなの完全に八つ当たりだよ…… 陸、ごめんね。 すぐに、謝ろうと陸のケータイに電話をしかけて、陸が宿題中だったのを思い出す。 今かけたら、絶対邪魔になる。 ……メールにしよ。 それだったら、通話より邪魔にならないもんね。 寒いから自分の部屋で……とウチに入ったら、いつもは玄関が開く音を聞きつけて出てくるお母さんが、今日は出てこなかった。 もしかしてお風呂かな?と考えながら部屋に入って……驚いた。 ―――お母さんがあたしの部屋にいる! 「び、ビックリしたぁ。 ……何? 洗濯物?」 いつもお母さんは、洗って畳んだ洗濯物をベッドの上に置いておいてくれる。 だから今も、それかな、と思ったら、 「……結衣」 と、なんだかお母さんは怖い顔をしている。 「なに…?」 「あなたたち、どーゆーお付き合いしてるのっ?」 「え…」 一瞬、お母さんが何の話をしているのか分からなかった。 「お付き合いって…?」 あたしが聞き返したら、お母さんはますます怖い顔をして、 「とぼけるのは止めなさい! お母さん知ってるのよっ!」 と、あたしの前に何か写真を突きつけてきた。 ……? 何の写真? とお母さんの手にある写真をよく見て…… 息が止まった。 「!!!っ」 「麻美ちゃんと行くって言うから許したのに…… 本当は男の子と行ってたのね! お母さんにウソついてっ!」 お母さんが手にしていたのは、あたしと陸が水着姿で一緒に写っている写真だった。 夏休みにあたしは陸と一緒に沖縄旅行に行っていた。 でも、お母さんにそんなこと…… 彼氏と旅行に行くなんて言ったら絶対許してもらえないから、麻美と行くってウソをついていた。 多少後ろめたさはあったけど、せっかく陸があたしと旅行に行くためにバイトまでしてお金を貯めてくれてたし、何より、陸と旅行したかったから、結局お母さんを騙して行ってしまった。 お母さんが手にしているのは、そのときの写真だ。 旅行のあとも、絶対バレないようにって、見つからない所に隠しておいたのに…… 「〜〜ひどいっ! お母さん、あたしの部屋漁ったんだっ!!」 「ひどいのはどっちなのっ!? お母さんのこと騙して男の子と泊りがけで出掛けるなんてっ!」 「そ、それは……っ」 騙したのは事実だったから、反論できなかった。 お母さんは眉間にしわを寄せて、 「そんなふしだらな子に育てた覚えはありませんっ!」 と言い捨てた。 「っ!? ふしだらって何っ!? あたしたち真面目に付き合ってるもんっ!」 「だったら、どうしてウソついたの? 真面目にお付き合いしてるんだったら、ちゃんと言えたはずでしょ?」 「だ、だから…… それは……」 思わず顔をそらす。 お母さんは写真を眺めて、 「大体、こんな子が真面目なお付き合いなんて……きっと結衣以外にも誰かと付き合ってるに決まってるわよ。 あとで泣くのは結衣の方なのよっ!?」 とまた顔を歪めた。 「陸のこと見た目で判断しないでっ! 陸はすごく優しいんだからっ! すごくあたしのこと大事にしてくれてるんだからっ!」 あたしがそう反論したら、またお母さんは、 「大事にしてる子を、ウソまでつかせて旅行に連れ出すの?」 「それはあたしが自分で勝手にウソついただけで、陸は全然関係ないのっ!」 お母さんが睨むようにあたしを見つめる。 あたしも負けずにお母さんを睨みつけた。 しばらくそうやって睨み合っていたら、お母さんは大きな溜息を吐いて、 「……とにかく、今が一番大事な時期なのよ? これからの結衣の人生がかかってるの! そう考えたら分かるでしょ? 将来のために我慢したり諦めたりしなきゃならない事だってあるのよ?」 諦めなきゃいけないこと……? それってどーゆー意味? ―――まさか…… 「………それって…… 陸と別れろってこと……?」 あたしがかすれる声でそう聞いたら、お母さんは一瞬黙ったあと、 「……結衣が言えないんなら、お母さんが言ってあげてもいいわよ?」 ………なに言ってるの? 陸と別れるとか…… そんなこと考えられないっ!! 「……そんなことしたら、お母さんのこと許さないっ! 絶対許さないっ!!」 いったん机の上に置いたカバンをまた取り上げた。 「!? 結衣っ! どこ行くのっ!?」 「絶対許さないからっ!!」 お母さんにそう怒鳴りつけて、あたしはウチを飛び出した。 『次は〜終点 千葉〜千葉〜 内房線、外房線、モノレールご利用の方は……』 車内アナウンスが、もうすぐターミナル駅に着くことを告げる。 10時をとっくに回ったって言うのに、電車には思った以上の人が乗っていた。 みんなお酒でも飲んできた帰りかと思ったけど、半分以上の人がただの仕事帰りみたいに見える。 みんなこんなに遅くまで働いてきてるんだ。 すごい疲れた顔してる…… 受験勉強頑張って、良い大学行って、それで良い会社に入って…… その結果がこの人たちみたいになるのかな…… |
なんだか…… 何のために一生懸命勉強しているのか、分からなくなってしまった。 思わず溜息が漏れる。 ターミナル駅に着いたから、とりあえず電車を下りた。 ……けど、その先のことは何も考えていない。 そんなにお金も持ってないし外に出ても寒いから、人の流れに乗ってそこからまた別な路線に乗り換えることにした。 ちょっとローカルな路線に乗り換えたら、駅と駅の間隔が急にひらいた。 窓の外を眺めたら―――ありえないくらい真っ暗…… あたしが住んでるのは県内でも東京に近い方の場所で、夜遅い時間でも結構街に明かりが点いていたりする。 けれど、ここは同じ千葉県とは思えないほど、真っ暗だ。 駅の周りだけちょっと明るくて、駅と駅の間を走っているときなんか、暗闇しか見えない。 駅に停まるたび電車から人が降りていき、車内がどんどん寂しくなっていく。 ふと気付いたら、車内にはあたしともう1人スーツ姿のおじさんが乗っているだけだった。 気のせいかな…… チラチラ見られているような気がする。 それに、さっきはもっとあっちの方に座ってたのに、いつの間にか近くに移動してきてるし…… 急に去年の春のことを思い出した。 夜遅く1人で歩いていたら援交おじさんに声をかけられて…… それで慌てて逃げようとしたら腕を引っ張られて、無理矢理近くのホテルに連れて行かれそうになったんだよね。 あのときは、たまたまそこにいた陸に助けてもらえたから良かったけど…… ―――今日はあたし1人…… と、おじさんの方をチラリと確認しようとしたら、おじさんもあたしの方を見ていた。 慌てて視線をそらす。 また駅に停車した。 夜遅いせいなのか、それともローカルな駅のせいなのか、一駅の停車時間が長い。 たっぷり1分は止まっている気がする。 ドアが開いてもおじさんがこの駅で降りる様子はない。 それどころか、また席を移動してあたしの方に近づいてきた。 心臓がドキドキしてきた。 発車のベルが鳴りドアが閉まりかけたとき、あたしは急いで電車から飛び降りた。 ホームに下りてから振り返ったら、ちょっと驚いた顔をしておじさんもこっちを振り返っていた。 そのまま電車はゆっくりと駅を離れていった。 ほっと溜息をつく。 良かった…… もしかしたら、あたしの勘違いだったかもしれないけど…… なんか、あのおじさん怖かったし…… 「でも……」 辺りを見回す。 ―――ここ、どこ? 初めて下りる駅だった。 ホームにあった時刻表を見て驚く。 もうウチの方に戻る上り電車が走っていない! それどころか、下り電車でさえ次が来るまで30分以上ある! ホームから見た駅の周りは真っ暗で、ポツポツと民家の明かりが見えるだけだった。 時間が潰せるようなファミレスやファーストフードもないし、コンビニも見当たらない! ……どうしよう…… お母さんとケンカして思わず飛び出して来ちゃったけど、こんな時間にこんなところに来ちゃって…… どうすればいいの? カバンからケータイを取り出す。 ウチから何度も着信がある。 一瞬、ウチにかけ直そうとして…… 思いとどまる。 こんなところに1人でいるのはすごく不安だけど、でも、陸のこと悪く言ったり、別れた方がいいなんて言ったお母さんには頼りたくなかった。 でもでも、これからどうしていいのか分からない…… 『結衣? どうしたの?』 さっきヒドイ切り方をしたのに、陸はちゃんと電話に出てくれた。 結局、他に誰にも頼ることが出来なくて、陸に電話をかけてしまうあたし…… なにやってんだろ…… 「陸…… あたし、さっきは……」 とさっきのことを謝ろうとしたら、 『もしかして、まだ外にいるの?』 あたしの話を割って、陸が心配した声を出す。『……どこにいんの?』 怒られるのを覚悟で、 「………A駅」 と言ったら、 『A駅って…… 成田線の?』 「うん…… もう、帰る電車、ない……」 陸が絶句する。 ……絶対呆れてる。 さっさとウチに帰れって言われてたのに、こんな時間にこんな場所から電話して…… それに、 「陸のバカ!」 なんてヒドイこと言ったあとに、よく図々しく電話なんか出来るよね、あたし…… しかも、陸 今宿題中…… 「ごめん。 なんでもないっ」 と慌てて通話を切ろうとしたら、 『そこで待ってて』 「え…」 『動くなよ? 駅から出ないでホームにいて!』 「え、陸っ!?」 呼びかけたときには、すでに通話は切れていた。 え…… そこで待っててって…… もしかして……来てくれるの? あたし陸にヒドイこと言っちゃったのに…… 心配してくれるの? それに、陸 今宿題やってるところなのに…… そう思うのにやっぱり嬉しかった。 涙が出そうなほど、嬉しくてたまらなかった。 ……早く、陸に会いたい! 陸は1時間ほどでA駅に来てくれた。 「結衣っ!」 電車のドアが開くのと同時に、陸が飛び降りてきた。 「陸…… ごめんなさい」 陸はあたしが制服姿なのを見て、 「……もしかして、ウチ帰ってないの?」 とちょっとだけ眉を寄せた。 どうしよう…… 一応帰ったは帰ったんだけど…… まさかお母さんとケンカして飛び出してきたなんて言えない。 しかもその原因が、陸のことを反対されたからだとか…… 絶対言えない…… なんて言っていいのか分からなくて俯いていたら、 「もう、終電行ったんでホーム閉めます。 早く出てください」 と駅員さんに声をかけられた。 「あ、はい…」 どうやら、陸が乗ってきた電車が最終電車だったみたいだ。 |
「とりあえず、出よ」 陸に促されて駅を出る。 「これ着て」 陸は自分が着ていたジャケットをあたしにかけて、「何その格好。 寒いじゃん」 と笑ってくれた。 「こんな時間にこんな場所で…… 何やってんだよ!?」 って言われると思ってたのに、陸はただあたしの心配だけしてくれる。 「え〜と…… 結衣、お家の人に連絡した? 心配してるんじゃないの?」 心配…… してると思う。 ケータイに何度も着信あったし。 でも、あんなこと……陸のことを悪く言ったお母さんに連絡をするつもりはなかった。 あたしが黙ったまま首を振ったら、そっか…と陸は呟いて、 「どっか、あったかいトコ探そっか」 とあたしの肩を抱いた。 |
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