チェリッシュxxx 第1章

A 体育用具室のハプニング


その日は学校から帰るなり、制服のままベッドに寝転がった。
朝同様、放課後も見回り当番だったのだけれど、朝の一件でグッタリしていたあたしに五十嵐くんは、
「今日は、もう僕一人でやるから、村上さんは帰っていいよ」
と言ってくれたので、その言葉に甘えてあたしは逃げるように学校を出てきた。
ああ… 
やっぱりあたしに風紀委員なんて無理だよ〜。
先輩… あたし、どうしたらいいの?
あたしは制服の襟元からネックレスのチェーンを引っ張り出すと、先にぶら下がっていた指輪を握り締めた。
優しかった杉田先輩…
いつも、ドン臭いあたしを助けてくれて、落ち込んでる時は適切なアドバイスをくれて…
なんであんなに素敵な先輩が、こんな平凡なあたしなんかと付き合ってくれていたのか不思議だけど…
やっぱり遠恋でも頑張って続けていきたかったよ、先輩…
「ねぇちゃん。英和辞書、貸してくれ〜」
いきなりドアが開いて、弟の祐樹が入ってきた。「あれ? もしかしてねぇちゃん、泣いてんの?」
あたしは慌てて目をこすると、
「あんたねぇ! いつも言ってるでしょ!? ノックしてから入りなさいよっ!」
と祐樹に背中を向けた。
「なんだよ。まだフラれたこと引きずってんのかよ」
「―――っ! なんであんたがそんなこと知ってんのよっ!?」
「そりゃ、春休みの間中、部屋に閉じこもって、『スギタ先輩、スギタ先輩…』言いながら泣いてるの聞きゃ、誰だって分かるよ」
祐樹はそう言いながら、あたしの机の棚に置いてあった英和辞書を手にした。
「ひどい…」
「もう、そんな男のこと、忘れりゃいいじゃん! 新しい男作れば!」
祐樹は部屋を出て行こうとして振り返り、「そう言えば、ねぇちゃんの学校、今度どっかの学校と合併したんだろ? そこでいい男見つけろよ」
「合併じゃないよ。もともと別れていた学科が戻ってきたの。それだけ!」
「―――ねぇちゃんは別れたところだけど、学校はヨリを戻した…ってか?」
「うるさいっ! さっさと出てってよ!!」
あたしが枕を投げつけるフリをすると、祐樹は笑いながら部屋を出て行った。
なんて弟よ!まったく…

「と言うわけで、散々なのよ」
翌日の6限目は体育だった。
麻美のいるB組と合同授業だったから、あたしは早速風紀委員の件を愚痴っていた。
「はぁ〜。やっぱり、商業科の連中って、噂どおりどーしようもないのが多いみたいね」
麻美はうんざりしたように言った。「それにしても、なんで結衣が風紀委員なんかになっちゃったわけ?」
「あたしだって分かんないよ。気付いたらなってたの!」
「断りゃいいのに…」
と言いながらも麻美は溜息をついて、ま、無理か、と肩をすくめた。
「あ、でもね。一緒に風紀委員になった五十嵐くんって子がね、すっごくケンカ強いみたいで、確か…空手みたいな―――セコンド…だったかな? やってて…」
「それ言うなら、テコンドーでしょ?」
「あれ? あたし今なんて言った?」
「セコンドはボクシングなんかでサポートに入る人でしょ? テコンドーは韓国の武道の一つよ」
麻美は呆れながら、「でも、五十嵐って風紀委員なんかやるタイプだったんだ」
「え? 麻美、五十嵐くん知ってるの?」
「1年の時同じクラスだったから。なーんか暗そう…っていうか、飄々とした感じの男でしょ? 背が低い」
「え? 低くないよ」
「結衣は153しかないから分からないだけよ。あたし167あるんだけど、あいつあたしとあんま変わんないのよ」
あたしは麻美の毒舌ぶりに戸惑いながらも、
「でもね、すっごく強かったんだよ。ホントに。商業科の男の子達、みんな逃げてっちゃったんだから」
「ふ〜ん。ま、誰でも一つくらいは取り得があるもんよね」
と話しているうちに終業のチャイムが鳴った。
「今日は一緒に帰れるの?」
「ゴメン、今日も塾なのよ」
と麻美は眉間にしわを寄せながら、「ほら、この前言った増やされたって塾の話。今日が初日なのよね」
「そっか。大変だね」
と言った時、
「村上さ〜ん! 今日お当番でしょ? ボール片付けといてね〜」
と先生に言われた。
あたしは麻美に別れを告げると、慌ててバレーボールを片付け始めた。

「ウソ? ない? え?…どこにいっちゃったの?」
放課後、帰り支度を終え教室を出ようとしたときに、首にかかっているはずのチェーンがないことに気が付いた。
「え? 待って、待って? 体育の時はあったよね? で、着替えた時……」
は…、なかったかもしれない。え? ウソでしょ!?
じゃ、体育館に?
と考えたときには、あたしの足は体育館に向かって走り出していた。
まだ始業式が終わって3日だけど、運動系の部活はもう活動が始まっていた。
もし、バレー部が練習を始めていたら、コートの中を探し回ることは出来なくなってしまう。
それより練習が始まっていたら、誰かに踏まれたり、最悪捨てられてしまうかもしれない。
もしそんなことになったら…っ
あたしは体育館のドアを開けると、転がり込むように中に入った。
あたしの心配をよそに、まだ授業が終わったばかりだったためか、部活動は始まっていなかった。
良かった〜、と思いながら、バレーボールのコートの辺りに目を凝らす。
指輪自体は小さいけど、チェーンもついてるから見つけやすいとは思うんだけど……
ないなぁ〜。 もしかして、もう誰かに拾われちゃったのかなぁ。
あたしは途方にくれながら、今日体育の時間に自分がいた辺りの場所をすべて見て回った。
でも……やっぱりない。
と、溜息をついたとき、
「あ! 体育用具室!」
と思い出した。
今日は片付け当番の日で、あたしがバレーボール片付けたんだった!
そこに落ちてるかも…っ!
あたしはマッハのスピードで体育用具室に飛び込んでいった。
けど…
「―――――ううっ。やっぱり……ない」
どこに行っちゃったんだろう。ココにもないなんて。
もしかして、チェーンとは別に指輪だけ転がって行っちゃったとか?
だとしたら、丸いから、結構遠くまで転がって行っちゃうよね?
あ! まだ跳び箱の下とか見てない!
と、あたしが跳び箱の横に這いつくばった時だった。
ガラリと体育用具室の戸が開いて、誰かが入ってきた。
あ、もう部活動が始まる時間になっちゃった?
「おい。マジでココかよ」
と男の子の声がする。
「大丈夫よ。まだ部活動始まるまで時間あるし。それに、ココにはマットもあるし…」
と女の子の声もする。
部活動の子たちじゃ、ないみたいだけど…… 何?
なんとなく、出て行くタイミングを逃して、あたしは跳び箱の後ろに隠れていた。
するとまもなく、
「……あっ」
と押し殺したような女の子の声が聞こえた。
え? なに?
「……あんっ、…いい…」
え? え? なになに? まさか……
……ウソでしょ!?
「おっまえ…、早くね? もう、すっげー濡れてるよ」
「だ、だってぇ。早くしたかったんだもん、陸と……あ、あんっ」
ぎゃ―――っ!
ちょっと、マジですか!?
え、エッチしちゃってる……わけ? こんなところで?
もうあたしは指輪探しどころじゃなくて、ただひたすら見つからないように、身を縮めて嵐が過ぎ去るのを待っていた。
「…ぁはっ…や、やっぱり、陸…が、一番いいっ。ああ…!」
「―――ッ、誰と、比べてんだよっ…」
「んんっ…、だ、ダメ…そこっ…、ぁあ…」
女の子が泣きそうな、切なそうな声を上げる。
あたしは慌てて耳を塞いだ。
いや―――――っ! もう早く終わりにしちゃってよ〜っ!!
「…ふっ、…あ、もう、ホントに…ダメ……いっ、い…く」
「…イッていいよ」
「やっ…あ、ああ…。り、陸も一緒が…いい…んっ」
「でも、…ないから、ヤバイよ」
「いいからっ! あ…あん。き、今日は大丈夫な日だからっ!あ…気持ちい、いいっ」
衣擦れの音と、肌と肌がぶつかり合うような音が一番と激しくなってきた。
もう、頭がおかしくなりそうだった。
「…あ、あ、あ…っ! もうダメっ、い…く……っああっ」
女の子の声が悲鳴に近いものになったあと、やっとコトは終わったようだった。
しばらく激しい息遣いが続いた後、女の子が溜息混じりに言った。
「―――陸…。イッてないでしょ?」
「ははっ」
「なんで? あたしとじゃ、気持ち良くなかったの?」
「気持ち良かったよ。でも、ゴムなかったから、出来ちゃったらヤバイでしょ」
「もう…、大丈夫だって言ったのに……、あ、陸。そこのシャツ取って」
「ん」
「また、誘ってもい?」
「お前、カレシいるんだろ?」
「いるわよ。でも、ダメ。あいつエッチ下手なんだもん。やっぱり陸が一番いい」
「そりゃ、どー…」
一瞬二人の会話が途切れる。チュッという音が聞こえた後、
「あ、もうこんな時間。そのカレシと待ち合わせなの」
「よくやるよ、お前も」
「うふっ。じゃ、またね♪」
ガラガラと体育用具室のドアを開け閉めする音が聞こえ、どうやら女の子が出て行ったようだ。
あたしはそっと安堵の溜息をついた。
もう、本当に生きた心地がしなかった。
まさか…… こんな場面に遭遇するなんて、考えてもみなかった。
聞いたことはあったけど、本当に校内で、エ、エッチしちゃう人って…いたんだ。
まだ、心臓がドキドキいってる……
「ミッフィーちゃん」
いきなり頭上から声をかけられて、まだ動悸が収まっていない心臓が、ひときわ大きく飛び跳ねた。
「きゃぁっ」
「ゴメン、驚かしちゃった?」
クスクスという笑い声に恐る恐る顔を上げると、そこにいたのは…
「昨日はどーも」
風紀委員で見回りをしたときに会った、タバコを吸っていた商業科の男の子達の一人だった。
背の高い、五十嵐くんの蹴りを避けた男の子… 確か、陸、とか呼ばれてた…
「こんなとこで、何してんスか?」
男の子は跳び箱に寄りかかるようにして、楽しそうに笑いながらあたしを見下ろしている。
「あ…、あの…」
あたしは気が動転してしまって、しどろもどろになってしまった。
だって……、あんなところ見ちゃった…て言うか、聞いちゃった後で、まともに返事なんか出来ないよっ!
なんで、この子、平気なわけ?
恥ずかしくないのっ??
焦りながら次の言葉を捜していると、
「あんまりいいシュミとは思えないなぁ。ノゾキ、なんて♪」
男の子がクックッと笑った。
「ばっ、バカ! なに言ってるのよ! あんたたちが後から入ってきて、へ、変なコト、始めたんでしょっ!! あたしは、探し物してただけよっ!」
あたしはそう怒鳴ると、慌てて立ち上がろうとした。
…んだけど―――
あたしはフラついて立ち上がれず、思わず跳び箱に手をついた。
「ミッフィーちゃん?」
…やだ、ウソでしょ?
あたしは自分の体の意外な反応に戸惑っていた。
「……あれ? センパイ、どうしたの?」
もしかして…、さっきの、この子達の、アレ…聞いちゃって…?
み、認めたくないけど…… あたし…
「…もしかして、さっきの見て、コーフンしちゃった?」
跳び箱を挟んで立っていた男の子が、口元に笑みを浮かべながらあたしがいる方に回ってきた。
そして、あたしの前にしゃがむと顔を覗き込んできた。
オレンジに近い赤みがかった柔らかそうな髪の間から、アーモンド形の瞳が見えた。
色素が薄いのか、黒目の部分が茶色く光っていて、じっと見つめる眼は猫を連想させた。
鼻筋も通ってるし、薄くもなく厚くもない形のいい唇。
―――この子……、よく見ると、整った顔してる…
そんなことを場違いにも考えていると、男の子が、
「濡れちゃったんでしょ? オレでよければ、静めてあげるけど?」
と笑いながらあたしの顎に手をかけた。
あたしはカッとなって男の子の頬を平手で殴った。パン、という音が体育用具室の中に響く。
「さ、サイッテーね! だから商業科はイヤなのよっ! 低俗でっ!!」
あたしがそう言った直後、男の子の眼から色が消えた。
先ほどまでのふざけた笑みも消えている。
「―――気が合うな。オレも学科でヒトを決めつけるようなヤツは、嫌いだからな」
男の子はスッとあたしから離れた。
な、何よ…
別に、学科で決めつけたわけじゃ…、ないもん。
あんたが、サイテーな事したのは、事実でしょっ!?
……そりゃ、商業科だから、って言ったのは、こっちの勝手な決め付けだったかもしれないけど…
何よ、あたし、悪くないもんっ!
気まずい雰囲気にあたしがモジモジしていると、男の子は上着を手に体育用具室を出て行こうとした。
「ほらよ」
と男の子が何か投げて寄越した。小さな丸いものがあたしのスカートの上に転がってきた。
「それだろ。探してたの」
そう言うと、男の子は体育用具室を出て行った。
スカートの上のものを手に取る。内側に、『from akihiko』と彫られている、杉田先輩からもらった指輪だった。

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