あの夏も、空も、風も、 |
「夏バテなんじゃない? これ食べて元気出しなよ」 理恵子がウチに遊びに来た。 本当は朝、会おうって連絡が来たんだけど、ウチから出る気がしなくて断ったら、理恵子の方がウチにやってきた。 あたしの部屋の小さなテーブルに、理恵子がアイスを並べる。 「すっごい遠くなんで大きいの入れて下さいって言ったら、こんな大きいの入れてくれたよ?」 と言って、箱の中のドライアイスを出してみせる。 「・・・すごいね」 「サマーベリーって食べたことある? 夏季限定だって!」 と言いながらカップの蓋を開ける理恵子は、いつもよりちょっとテンション高め。 「なんかね? 松本くん転校しなくなるかもって!」 「・・・そーなんだ」 うん、と肯きながら理恵子がアイスを口に運ぶ。 「なんでかは分かんないけど、陸上部の子がそう言ってた! 良かったよね〜!! ・・・って、もしかしたら松本くんは行きたかったかもしれないけど・・・」 でも、やっぱり良かった、と言って理恵子は笑った。 あたしもヒロが東京に行かなくなって嬉しい。 嬉しいはずなのに、理恵子と一緒になって素直に喜べない。 夕方、理恵子をバス停まで送って行ってウチに帰ってきたら、居間からお父さんとお母さんの話し声が聞こえてきた。 「ホントになんとかならないのかねぇ・・・」 「ヒロもせっかく決心したって言うのになぁ」 お父さんは、ヒロが東京の学校で陸上を頑張るもんだと思っていたから、その話がなくなってかなり落ち込んでいる。 「ばあちゃんたちはヒロが残ってくれて、それはそれで嬉しいって言ってるけど、ヒロの気持ちを考えると一緒んなって喜べねぇよな・・・」 「ずっと悩んでたもんね、ヒロ」 ―――え・・・? ずっと悩んでたって・・・・・・ どういう意味? 「お父さん・・・」 「な、なつみっ!?」 あたしが居間に入って行ったら、お父さんとお母さんが驚いてあたしを振り返った。 「今の、どーゆー意味?」 「あ? なにがっ!?」 お父さんが慌てる。 「なにが、じゃないよ。 今ヒロの話してたでしょ」 「・・・あ、ああ! 最近ヒロ顔見せねーなーって言ってたんだよ、なぁっ!?」 とお母さんを振り返る。 お母さんは返事をしないで困った顔をしていた。 ・・・ウチのお父さんは嘘をつくのが下手だ。 「そんな猿芝居いいから。 ヒロがなに」 それでもお父さんは黙っている。 「ねぇ」 「・・・・・・言えねぇ」 「ねぇっ!」 お父さんはそのまま居間を出て行ってしまった。 「お父さんっ!!」 お母さんが困ったように、 「お父さんねぇ、ヒロと男の約束してるから言えないんだよね」 「なにそれ」 「実はヒロ、高校入ったころから何回か声かけられてたんだよね。東京に来いって」 「・・・そーなの?」 お母さんが肯く。 ・・・・・そんな話は初耳だ。 「でも自分が出て行っちゃったら、おじいちゃんとおばあちゃんだけになっちゃうでしょ? それは出来ないって。 みっちゃん・・・ヒロのお父さんたちが事故で死んだとき、凄く落ち込んでたし、おじいちゃんたち・・・」 ヒロの両親が死んだのは、あたしたちがまだ幼稚園の頃だ。 おぼろげな記憶の中に、お葬式で号泣するヒロのおじいちゃんたちが蘇る。 「だから、自分はずっとおじいちゃんたちのそばにいるって、断り続けてたんだよね。 でも、今年になってたまたま授業料の納付書見ちゃって・・・」 あたしたちの通う高校は県立の高校だ。 私立なんかに比べたら全然安いけど、義務教育じゃないから当然授業料がかかる。 授業料以外にも、修学旅行の積立やテキスト代とか、細かいものまで入れたらそれなりの金額になる。 ヒロんちのおじいちゃんたちはもう70を超えている。 ちょっと前までは野菜なんかを作ってそれを売ったりしていたんだけど、体力的に大変だからってそれも数年前にやめていた。 だから今は完全に年金生活だという。 あたしは詳しいことは全然分からないけど、お母さんの話だと贅沢しなければ生活していける金額は貰えるみたいだった。 でも、やっぱり育ち盛りの高校生・・・しかも男の子を養っていくのは、ラクじゃない。 その辺をヒロは察したらしい。 だけど、東京の学校に行けば授業料はもちろん、寮にも入れてもらえるから生活費一切がかからなくなる。 ここに残りたいのはやまやまだけど、自分がおじいちゃんたちにかける負担のことを考えたら・・・とヒロは考えていたみたいだった。 「ずっと悩んでたんだけど、この前東京行ったでしょ? あれで決心ついたみたいだね。 走るには最高の環境も整ってるし・・・ だから行くって」 「そー、なんだ・・・」 「あんた全然聞いてなかったの?それらしいこととか・・・。 ヒロ、合宿に行く前、決める前になつみには話すって言ってたよ?」 合宿に参加する1週間前、話があると言ってあたしの部屋にヒロが来たことを思い出した。 あたしそのとき、 「クロックス買って来てよ!」 なんて、自分の欲しい物のことばっかり話してて・・・ ヒロの気持ちなんか全然考えないで、合宿に行くのを遊びかなんかのように思って羨ましがって・・・ 自分が東京行きたい東京行きたいってそればっかり・・・ 「ヒロはいいよね〜。 悩みなんかなさそうじゃん」 なんて・・・・・・ ――――――サイテーだ、あたし。 あたしは慌てて自分の部屋に戻ろうとした。 そのあたしにお母さんが、 「お父さん、ヒロが陸上はじめたのは自分の影響だって言ってるけど、あれホントは違うんだよ」 「え・・・」 「小さい頃、なつみ走るの速かったでしょ。 ヒロはいつもその後ろ走ってたから、追いつきたいって。並んで走りたいって。 中学に入った頃そう言ってたよ」 自分の部屋に駆け上がって、ケータイとお財布をカバンに放り込んだ。 ・・・・・泣くな。 まだ泣いちゃダメだ。 ちゃんとやることやって・・・ 泣くならそれからだ。 「あ、ちょっとなつみっ!? どこ行くのっ!?」 慌てて家を飛び出した。 空がオレンジ色に染まっている。 周りの山からはうるさいぐらいのヒグラシの鳴き声が聞こえる。 家の前の緩やかな下り坂を転がるように走った。 ・・・センパイのウチはどこだっけ・・・ 確か、舟形駅の近くって言ってた気が・・・ ダメだ、それだけじゃ全然分かんない。 あたしはもう一度家に戻って自転車を取ってきた。 それに乗って学校へ向かう。 夏休みでも6時ごろまでは誰か先生がいる。 今から急いで自転車を飛ばせば間に合うかもしれない。 あたしは夢中でペダルをこいだ―――・・・ かなり日が落ちかけた頃、やっと学校に着いた。 職員室に灯りが見える。 慌てて飛び込んだら教頭先生も残っていた。 あたしが説明したら、教頭先生は、 「ちょ、ちょっと待ちなさい・・・ 3年の織田くんが?」 信じられないといった顔でソファの背もたれに寄りかかった。 「本当です。 松本くんはあたしの代わりにセンパイを殴っただけです」 「・・・・・・何かの間違いじゃないのか? 織田くんも松本くんも、キミのことは何も言ってなかったぞ?」 それはそうだ。 センパイは当然言えるわけないし、ヒロはあたしを守ろうとしている。 「でも本当なんです」 あたしが食い下がったら、教頭先生はうーん、と唸って、 「私も松本くんが、とは思ったが・・・ 何しろ事情を説明するどころか、言い訳すらしないから・・・」 と腕を組んだ。「キミの話を疑うわけじゃないが・・・ あっちの親御さんも相当ご立腹みたいだし、何の処分もしません、じゃ通用しないんだよ」 あたしは立ち上がって、着ていたTシャツを脱いだ。 「ちょ!? 桐島くん!? なにを―――・・・ッ!!」 あたしの背中を見て、教頭先生が息を飲む。 「・・・・・・織田センパイに襲われたときに出来た痣です」 あたしはジーンズのベルトにも指をかけて、「もっとすごい所にも出来ています。見ますか?」 「や! いいっ! ・・・・・・良く分かった」 やっとあたしの話が本当だって分かったみたいだ。 「・・・あたしもセンパイに怪我させてるし、事を大きくするつもりはありません。 でも、松本くんの処分をなくしてくれなかったら、このまま警察に行きます」 「そ、それは待ちたまえ!」 教頭先生が慌てる。 いろいろ教頭先生が妥協案を出していたけど、 「松本くんが東京に行けるようにお願いします!」 あたしは頑として譲らなかった。 「―――それじゃ、よろしくお願いします」 困り果てた顔をする教頭先生に頭を下げて、学校を出た。 すっかり日が暮れている。 さっきまでうるさいぐらいだったヒグラシの鳴き声が小さくなり、それに代わって虫たちの鳴き声がそこここから聞こえた。 空を見上げた。 丘の上にあるあたしたちの高校は、グラウンドがまるで空に浮いているように見える。 そのグラウンドから見上げる夜空は、・・・まるでプラネタリウムだ。 山形の空も、東京の空も繋がっている。 けど・・・ ―――きっと、東京じゃこんな夜空見れない。 自転車に乗って学校前の坂を下った。 雨雲が浮いているわけじゃない。 空には沢山の星が輝いているっていうのに・・・ あたしの頬に何か雫が落ちてきた ヒロ・・・ 走れるよ・・・・・・ 教頭先生がちゃんと手を回してくれたことはすぐに分かった。 しかも、ちゃんとあたしのことも考えて、出来るだけ大事にならないように配慮してくれたみたいだった。 友達もウチの親も、誰もあたしが織田センパイに襲われそうになったことは知らない。 翌日ヒロがウチにやってきて、東京に行けることになったと報告をしていった。 「なつみ―――っ!? ヒロ来てるよ―――」 「〜〜〜頭痛いの―――!!」 あたしは自分の部屋から出て行かなかった。 ベッドに寝転がって、頭から布団を被る。 きっとあたしヒドイ顔してる・・・ まぶたなんか絶対腫れてる・・・ こんな顔でヒロに会えない・・・ ヒロが東京に行けることになって嬉しいはずなのに、なんでこんなに涙が出てくるんだろう・・・ 「ごめんね、ヒロ。せっかく報告に来てくれたのに〜」 「や。 またいつでも、なつみには。 うん・・・」 「なんか夏バテしてるみたいなのよ。最近ゴロゴロしてばっかりで・・・ ヒロみたいに運動してるわけでもないのに」 そんなヒロとお母さんのやり取りが、微かに階下から聞こえてきた・・・・・ ヒロがやっぱり転校する、と聞いて、また理恵子があたしのところにやってきた。 「やっぱり行くことになったんだって・・・」 そう言って理恵子は俯いた。「しかも、来週だって! 早すぎるよ・・・」 あたしたちの学校は東京より1週間ほど早く2学期が始まる。 その始業式を最後に、ヒロは転校することになっていた。 「陸上選手として行くから、冬休みとか春休みとかだって練習があって帰って来れないっていうし・・・」 「・・・仕方ないじゃん。 ヒロだってちゃんと考えて・・・ いろいろ、ホントにちゃんと考えて出した答えなんだから」 「そーだけど・・・ でも、やっぱ寂しいよ・・・」 理恵子は、寂しい寂しいを連発している。 ・・・・・ホントはあたしだって寂しい。 胸が裂けそうなほど寂しい。 ・・・でも、きっと一番寂しいのはヒロだ。 あたしたちはたった一人と別れるだけだけど、ヒロはみんなと別れなければならない。 「オレはここが好きだから、出来ればここに残りたいけどね」 と言った 生まれて16年以上も暮らした、この土地と別れなければならない。 たった一人で、知らない土地に行かなければならない・・・ そう思ったら、寂しいなんて言えなかった。 「・・・あたし、告白しようかな」 「え・・・?」 思わず理恵子を見つめる。「なに・・・?」 「あたし松本くんに告白する! ダメだって分かってるけど・・・でもする!」 理恵子もあたしを見つめていた。「・・・・・いいよね?」 「・・・・・いい・・・ん、じゃない?」 あたしがそう言ったら、理恵子はちょっとだけ眉を寄せた。 「や、やだよ・・・ あたし・・・」 「いーから、ついて来てよ! フラれたとき慰めてもらうんだから!」 始業式の日。 理恵子に無理やり校庭の隅に引っ張っていかれた。 夏休みの初めに、あたしと理恵子でヒロが三宅理沙に告られてるのを覗いた場所だ。 理恵子は、 「絶対ここにいてよね!?」 と言ってグラウンドの方に歩いていった。 間もなくヒロがグラウンドにやってきた。 ヒロが三宅に告られていたのはすぐそこの水道だったから話が聞こえたけど、今回は何十メートルも離れているから、さすがに会話まで聞こえない。 理恵子の顔が遠目にも赤くなってるのが分かる。 その前で、驚いたような、困ったような顔をしているヒロ。 ―――理恵子は強い。 ちゃんと気持ちを伝えられるんだから、強い。 それに比べて・・・ あたしはなんて弱虫なんだろう。 ヒロが再び東京に行くことが決まってから、話をするどころか、まともに顔さえ合わせていない。 相変わらずヒロはウチに上がりこんでいたけど、あたしはいつもテキトーな言い訳をして逃げ回っていた。 ヒロの前で普通にしていられる自信がなかった。 笑える自信がなかった。 今 口を開いたら、とんでもないことを言ってしまいそうで怖かった。 一番言っちゃいけないことを言ってしまいそうで怖かった・・・ だから、ちゃんとヒロに気持ちを伝えられる理恵子の強さが羨ましかった。 「・・・・・え?」 今まで困った顔で話を聞いていたヒロが、笑顔になる。 理恵子も笑っている! な、なに・・・? もしかして・・・・・・ 上手く行っちゃったの? 「遠恋でもいいから」 なんて理恵子が言って、 「じゃぁ、それなら・・・」 とかヒロも応えちゃって・・・? ―――う、うそでしょ・・・・・ 地面が揺れる・・・ 動悸が早くなってきて、息が上手く吸えない・・・ ・・・・・これ以上ここにいたら、あたし・・・ 絶対倒れる。 あたしは転がるようにして、そこから逃げ出した。 「お! なつみ、帰ってきたな!!」 ウチに帰ったら、食卓にものすごいご馳走が並んでいた。 「・・・どーしたの、これ・・・」 「どーしたの、じゃねーだろーよっ! 壮行会だろ、ヒロの!」 お父さんはものすごく上機嫌みたいだ。 「明日東京行くんだぞ! ぱーっと派手に送り出してやんねーとな!!」 「・・・そう」 あたしはそのまま居間を出た。 「あ、おい、なつみ!! お前、最近全然ヒロと話してねーだろ? 今日はちゃんといろよ? ヒロの・・・ って、オイッ!? なつみっ!!」 お父さんの怒鳴り声を背中に受けながら、ウチを飛び出した。 そのまま秘密基地に逃げ込んだ。 ヒロの壮行会? ・・・・・そんなの出来るわけがない。 笑顔で送り出してやるなんて・・・ あたしにはそんなこと出来ない。 ラグマットの上で膝を抱える。 「なんでヒロのお父さんたち死んじゃったのよ・・・」 思いもしないことが口をついて出てくる。 「そうすれば、ヒロがお金の心配なんかしないですんだのに・・・」 ・・・いや、それを言うなら、おじいちゃんたちだ。 おじいちゃんたちがもっと年金を貰っていたら、ヒロはここを出て行かなくてすんだんだ。 ・・・ちがう、そうじゃない。 年金を払っている国が悪い。 もっとお金をくれない日本が悪い。 いや、待って? そもそもヒロが走るのが速くなければ、転校の話自体こなかったわけなんだから・・・ 「もうっ! ヒロはなんでそんなに走るのが速いのよっ!! だから・・・っ!」 ・・・だから、転校なんて話になっちゃったんじゃない・・・ ―――支離滅裂だ。 ヒロがあたしの前からいなくなることを誰かのせいにしないといられない。 本当は誰のせいでもないのに・・・ ・・・・・・なんであたしはヒロの前を走ったりしたんだろう。 あたしが走るのが遅ければ、 「なつみと並んで走りたい」 なんて、ヒロが陸上を始めることもなかったかも知れないのに・・・ あたしの頬から落ちる涙が、ぽたぽたと制服のスカートを濡らした。 あたしがグズグズと泣いていたら、秘密基地に誰かやってきた。 ―――って、ここを知っているのはあたしとヒロだけだ。 「やーっぱ、こんなとこにいやがった!」 「ヒロ・・・」 慌てて涙を拭う。 「最後までシツレーなヤツだな。 ・・・なぜオレ様の壮行会に来ない」 ヒロが笑いながら靴を脱いでラグマットの上に座った。 「・・・なつみが東京に行かせてくれたんだろ? ・・・ありがとな。 スゲー勇気いんのに・・・」 ヒロの顔をまともに見られなくて、顔を背けた。 「オイオイ! マジでどーしたよっ!?」 ヒロが顔を覗き込んでくる。 それから逃げるように、また顔を背ける。 「なに? もしかして、またなんか怒らすよーなことした?オレ」 ヒロがあたしの顔を追いかける。 「してたら謝るから! だからこっち向けよ」 逃げる。 「今日で最後なんだから、笑ってくれよ。 ほら!」 ヒロが両手であたしの頬を包むようにして、視線を合わせた。 「・・・・・なんか、久しぶりだな」 ヒロがあたしに笑いかける。 「〜〜〜バカッ!!」 我慢できなくなって、そう怒鳴りつけた。 「はっ!?」 絶対言っちゃいけないって思ってたのに・・・ だからヒロに会わないようにしてたのに・・・・・・ ・・・なんで、こんなとこに来んのよっ!! なんでお父さんの晩酌の相手してないのよっ!! 「オレはここが好きだって言ったじゃんッ!!」 「なつみ?」 「ここに残るって・・・そう言ったじゃん!! ウソつきっ!!!」 「・・・なつみ」 ヒロが戸惑うのも構わず続けた。 「ウソつきウソつきっ!! ・・・あたしのこと好きだって言ったくせにっ!!」 「え?」 「なのに理恵子に告られてヘラヘラしちゃって・・・ ウソつきっ!!」 「・・・あの〜・・・ なつみちゃん? あれはね・・・」 「バカバカッ!もーいーよッ!! ヒロなんか東京でもどこでも行っちゃえっ!!」 また涙がこぼれていたみたいだ。 あたしの頬を包んでいたヒロの指先が、そっとそれを拭ってくれた。 「・・・ウソじゃねーよ。 オレはここが好きだし、残りたい。 じーちゃんやばーちゃんとも別れたくない」 ヒロの瞳があたしを捉える。「それからなつみとも。・・・別れたくない」 「・・・ウソつき」 「ウソじゃねって」 「じゃ、なんで東京なんか行っちゃうのっ!? あたしを置いて行っちゃうのっ!?」 あたしがそう怒鳴ったら、ヒロは困ったように眉を寄せた。 ごめんね、ヒロ・・・ あたしホントは分かってる。 ヒロがどれだけ悩んで出した答か、ちゃんと分かってる。 「・・・ごめんな」 ヒロはそれだけ言ってあたしの頭を優しくなでてくれた。 そしてそのままあたしを抱きしめてくれる。 「うう〜〜〜・・・」 今まで散々泣いたのに、また涙が流れてくる。 「毎日メールするよ。 電話も」 「・・・ウソ・・・・・」 「ホントだって。 ・・・毎日なつみのこと考える」 「・・・ヒロ〜〜〜ッ!!」 ヒロの胸にしがみついた。「行っちゃやだぁ! やだよぉ、ヒロ〜〜〜っ!!」 ヒロがあたしの背中を優しくなでる。 「・・・ホントに、ごめ・・・」 ・・・ヒロの声がそこで途切れた。 あたしを抱く腕に力が入る。 「・・・ヒロ?」 ヒロを見上げようとしたら、頭を抱きかかえられた。 そのままあたしの肩にヒロが顔を押し付けてくる。 あたしのシャツが温かいもので濡れてきた・・・ 心臓がどうにかなってしまったんじゃないかって思うくらい、胸が痛い。 「―――ヒロ・・・ ヒロ・・・・ッ!!」 「なつ・・・みッ」 ヒロの声がかすれる。 「あたし絶対ヒロのこと忘れないよ? いつでもヒロのこと考える!」 今度はあたしがヒロの頬を両手で包み込んだ。 「・・・やっと気付いた。 あたし、ヒロが好き・・・」 「なつみ・・・」 「遅くないよね? ・・・待ってて・・・いいよね?」 「・・・待っててくれんの?」 「・・・当たり前じゃん」 そのまま見つめ合って・・・ どちらからともなく唇を寄せた。 何度も何度も唇を合わせた・・・ ブルーのウェアを着て走る、ヒロの背中が好きだった。 空に浮かんだみたいな学校のグラウンドで・・・ その空とヒロとの境界線がなくなって・・・ そのまま空を渡る風のように走るヒロが大好きだった。 走るのが大好きなヒロ・・・ ・・・・・あたし、ちゃんと応援するよ。 あたしたちは手を繋いだまま、秘密基地で眠り込んでしまった・・・ 「―――・・・んッ」 耳障りな電子音で目が覚める。 あたしのケータイの音だった。 「ヒロ・・・」 ・・・もう秘密基地の中にヒロの姿はなかった。 ―――行っちゃったんだ・・・ 昨日散々泣いたせいか、もう涙は出てこなかった。 ただ、心に大きな穴があいたみたいで・・・・・・ ただただ寂しかった。 「ダメダメ! ヒロはもっと寂しいんだからっ! うん!」 そう自分に言い聞かせて基地を出ようとした。 「ん?」 あたしが横になっていたラグマットの上に紙袋が置いてあった。 こんなの・・・ 夕べはなかった。 不思議に思いながら中を覗き込んだら・・・ 「・・・クロックスじゃん・・・」 オレンジ色のクロックスが入っていた。 ヒロ、ちゃんと覚えててくれたんだ・・・ 「もっと早く渡せばいいのに・・・ こんな別れ際に置いてくなんて、なんかのドラマの見すぎなんじゃないの?」 寂しさを紛らわすため わざと憎まれ口を叩きながら、早速袋から出して履いてみる。 「うん。 やっぱりカーキじゃなくてオレンジにして良かった」 そのまま昨日履いて来た靴を紙袋に入れようとしたら、紙袋の底・・・ クロックスが入っていたビニール袋の下に、もうひとつ箱が入っていた。 スポーツメーカーのマークが付いている。 「・・・なによコレ・・・」 箱を手に取り中を確認する。 ―――陸上用の・・・ 長距離用のスパイクだった! 「お母さんっ!!」 慌ててウチに帰り、台所に飛び込んだ。 「あ!なつみっ!? あんたどこ行ってたの!? 無断外泊なんて、高校生の分際でッ!! お母さんは・・・」 「ちょ、ごめん! お説教なら後で聞くからっ! お願い、新庄駅まで乗せてって!!」 ヒロが何時の新幹線に乗るのか全然分からない。 車の中でお母さんに聞いたら、 「夕方までに寮に入るように言われてるって言ってたから、午前中の新幹線だと思うけど」 新庄駅は山形新幹線の終着駅だ。 新幹線とは言っても、在来線の特急電車のようなもので 本数も少なく、午前中は2時間おきにしか走っていない。 だから、ヒロが乗る午前中の新幹線って言ったら、多分9時か11時の新幹線。 9時に乗ってたら・・・ もう無理だ。 でも、もし11時に乗るんだったらまだ間に合う。 今すぐ確認したい! ・・・なのに・・・ ・・・慌てすぎて、ケータイを秘密基地に置いてきてしまった。 激しく後悔したけど、今さらもう遅い。 あたしはスパイクが入った紙袋だけを抱えていた。 もうすぐ新庄駅ってところまで来て、急に車の流れが悪くなった。 「・・・なんなの? もう・・・」 イライラしながら背伸びをして前方を伺う。 事故かなんか・・・? 「なんなのって、今日 新庄まつりじゃない」 「あっ!」 思わず顔を歪める。 昨日から3日間、新庄の駅前ではお祭りが開催されていた。 山車やお神輿、踊りのパレードなんかが駅前通りを練り歩く。 あたしも毎年 友達や家族・・・ それからヒロと一緒に見に来ていた。 今年は色々あって、すっかり忘れてた・・・ 「あ〜・・・ ダメだね。これは時間かかるよ。 Uターンしたくても出来ないし・・・」 「・・・そんな・・・」 新幹線の時間までギリギリだし、ケータイは忘れるし、その上お祭りで動きが取れないって・・・ どこまでついてないのっ!? あたしは慌てて紙袋からスパイクを取り出した。 「? なにそれ? さっきから大事そうに抱えてたけど・・・」 お母さんがハンドルを握ったままあたしの手元に視線を寄越した。 「スパイク」 オレンジ色のクロックスからスパイクに履き替えた。 クロックスじゃ思うように走れない。 「スパイクなんかに履き替えて、どーすんの?」 「・・・ここから走る」 あたしがそう言ったら、お母さんが目を見開いた。 「えぇっ!? 近いって言ったって、まだ2キロはあるよっ?」 「全然近いよ」 驚くお母さんを残して車から飛び出した。 準備運動をしてる余裕なんかなかった。 あたしは駅を目指して走り出した。 駅に近づくにつれ、人が多くなってくる。 そのせいで走りにくい。 人混みを縫うように走った。 駅前通りに入ったら、さらに人が多くなった。 色とりどりの山車がお囃子をかき鳴らしながら進んでいく。 ・・・・・去年、初めてお母さんたちとは別に、夜のお祭りに来た。 お母さんはいつまでもあたしを子供扱いしていて、今までどんなに頼んでも、 「子供だけで夜行っちゃダメ!」 と、夜は出してもらえなかった。 それが去年、高校生になって初めて、 「ヒロと行くんだったら・・・ いいよ」 と許してもらえた。 夜の山車はライトアップされていて、信じられないくらい幻想的になる。 「すっごい、キレイだよね〜。 昼間とは全然違う!」 「・・・だな」 そう言ったヒロの横顔に山車の明かりがあたって、すごくキレイだったっけ・・・ そんなことを思い出しながら、駅を目指して走る。 「ご、ごめんなさいっ! ちょっと通して・・・ッ!!」 走ることより、人を避ける方が疲れる。 なんとか人混みを抜け、息を切らして新庄駅に飛び込んだ。 目の前に止まっている新幹線の車両を、一両一両覗いていく。 どこ・・・ どこに乗ってるの? それとも、9時のに乗ってっちゃった・・・? ・・・かもしれない。 「お祭りで駅前混むだろうし・・・ 早いのに乗って行こう」 とか・・・ そう思いながらも諦め切れなくて車両を覗き込んでいたら、ホームとは反対側の座席にヒロが座っているのが見えた! 「ヒロッ!!」 思い切り怒鳴ったけど、ヒロは聞こえてないみたいだった。 「ヒロッ! ヒロッ!!」 新幹線の窓を叩いた。 窓のすぐ横に座っていた乗客が驚いてあたしを見上げる。 「ヒロ―――ッ!!」 ゲンコツを握り締めて叩いていたら、間もなくヒロもあたしに気が付いた。 ヒロが驚いた顔をして立ち上がる。 「―――ッ!?」 ヒロも何か言っている。 けど、あたしの声も届かなければ、ヒロの声も聞こえない。 そうしている間に発車のベルが鳴ってしまった。 ヒロがポケットからケータイを取り出して、あたしに振ってみせる。 泣きそうになりながら首を振った。 ヒロ・・・ あたし、ケータイ忘れてきちゃったんだよ・・・ 新幹線が動き出す。 それに合わせて併走する。 ヒロも通路を後方に向かって走ってくる。 「ヒロっ! ありがと―――っ!!」 ヒロがちょっとだけ眉をひそめて首をかしげる。 全然聞こえていない。 それでも構わず叫んだ。 「あたし走るっ! もう一回走ってみるよ―――!!」 新幹線がどんどんスピードを上げて、あたしとヒロの距離を広げる。 「もうヒロには追いつけないかも知れないけどッ」 ヒロの顔が小さくなる・・・ 「走る道も違うかもしれないけどッ」 ヒロの顔が見えなくなる・・・・・・ 「・・・でも、繋がってるよね――――――ッ」 思い切り叫んだ。 ヒロ・・・ あたし走るよ。 走る場所は違うけど・・・ 見える空は一緒だよ。 感じる風も一緒だよ。 あたしはずっとヒロと一緒に走るよ―――・・・ ヒロを乗せた新幹線は、南に向かって走って行ってしまった・・・・・ 「お姉ちゃん、走るの速いね」 そばに小さい女の子が立っていた。 「・・・ありがと」 「靴もかっこいいし」 「・・・でしょ? この靴のおかげで速く走れたんだよ」 「どこで買ったの? さっちゃんも速く走れるようになりたい」 あたしは女の子のそばにしゃがみこんだ。 「・・・どこでも買えるんだよ。 山形でだってどこだって買えるんだよ」 場所なんかカンケーない。 気持ちだけで十分なんだ。 高い丘の上にあるあたしたちの学校は、まるでグラウンドが空に浮いているようだった。 そこを、まるで空に溶けるように、風になったように走っていたヒロが・・・ 今はもういない。 けれど、見上げる空は同じだから。 感じる風も一緒だから。 だから、寂しくはない。 放課後のグラウンドで、あたしはブルーのウェアに身を包んでいた。 ・・・・・ちょっとだけ深呼吸。 「―――・・・ よし!」 あたしは空に向かって走り出した―――・・・ |
終わり |
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