あの夏も、空も、風も、 |
「松本くん、東京行くんだってね」 その数日後。 あたしはまた理恵子に誘われて学校にやってきた。 理恵子は陸上部の練習が見える場所にいるけど、あたしはペットボトルを片手に、木陰で座り込んでいた。 周りに誰もいないのをいいことに、スカートをバサバサとめくり空気を送る。 「あっつ〜… なんでこんなに暑いのよっ!? 山形なのにっ!!」 「…なつみ、この前もそれ言ってたよ?」 理恵子はヒロの方に視線を向けたまま、ちょっとだけ笑った。 「だって、暑いんだもん」 「1週間行くんだって?」 「ねぇ!? 知ってた? 日本で最高気温出したの山形だって! 沖縄とかじゃないんだよ? ありえなくない?」 「なつみ、それでなんか松本くんと話したりした?」 「やっぱ、夏休み延ばすべきだよね〜っ!? せめて8月いっぱいに!」 「…なつみ?」 理恵子が振り返る。その視線がヒタとあたしに向けられた。 なんかヒロの話題を理恵子としたくなくて誤魔化してたんだけど… 「……話してない」 「そーなの? 家族みたいなもんだって言ってたから、絶対何か話してると思った」 実際、あの夜からヒロとは殆ど話をしていなかった。 お父さんも、 「ここ2〜3日、ヒロのヤツ来ねーよなぁ」 「練習が忙しいんじゃないの? あと準備とか。 ねぇ、なつみ?」 「…知らない」 なんて、晩酌の相手がいなくて不満を漏らしていた。 あの一件のせいであたしも気まずいから、顔合わせなくてすむのは助かるけど… 理恵子とそんな話をしていたら、当のヒロがこっちにやってきた。 「やだっ! 練習覗いてたとか思われちゃうよっ!」 理恵子が慌てる。 って、実際覗いてたでしょ? あんた。 でも、あたしも今ヒロと顔を合わせるのはイヤだから、理恵子と一緒になって茂みの裏に隠れた。 ……田舎の学校のいいところ。 校庭のすみは隠れるところがいっぱい。 ヒロは水道に顔を洗いに来たみたいだった。 あたしたちが隠れた茂みから3メートルほど離れた水道で、ヒロがバシャバシゃと勢いよく顔を洗う音がする。 「センパイ」 キュッと蛇口を閉める音と同時に、可愛らしい声が聞こえてきた。 ん? ちょっとだけ茂みから顔を出す。 「ん? ああ… サンキュー」 女の子がヒロにタオルを渡していた。 「1年の三宅理沙じゃん」 田舎の学校だから、生徒もそんなに多くない。 だから、殆どの生徒の顔と名前は一致する。 特に三宅理沙は、 「1年にチョー可愛いのが入ったって!」 って4月にクラスの男子が騒いでいたから、あたしでも知ってる。 受け取ったタオルでゴシゴシと顔を拭くヒロ。 「あれ? 三宅って陸上部だっけ?」 あたしが小声で隣の理恵子にそう聞いたら、理恵子は返事をしなかった。 「ねぇ?」 「しーっ!! 聞こえないっ!!」 理恵子の勢いに驚いてあたしも口をつぐむ。 そのまま理恵子にならってヒロたちの会話に耳を傾けた。 「…センパイ、東京行くんですか?」 「あれ? なんで知ってんの? 明後日から1週間だけだけどね」 「…ちゃんと、帰ってきますよね?」 「来るよ。 なんで?」 ヒロが笑う。 あたしは理恵子に、 「…なんでみんなヒロが東京行くこと知ってんの? 夏休みにたった1週間行くだけなのに」 「うるさいっ!」 「ご、ごめん」 また理恵子に怒られて慌てて口を手で押さえる。 「あたし… センパイが好きです」 「え…?」 「付き合って下さい」 う… うわ――――――ッ!! ヒロが告られてるよッ!! しかも、あんな可愛い三宅理沙に… 「や、ちょっと待って? …オレ?」 ヒロが慌てる。 「あたしじゃダメですか?」 「いや、ダメとかじゃなくてっ」 「センパイ、彼女いませんよね?」 「い、いないけど…」 「だったら付き合って下さい」 オロオロするヒロの前で、三宅の方が落ち着いてる。 …ケッコー三宅って押し強いんだ? もっとふわふわした感じの子かと思ってたけど… 「や… ゴメン。 ちょっと、無理だわ」 ヒロが申し訳なさそうにそう言ったら、さすがの三宅も俯いてしまった。 「ホントにゴメンな?」 ヒロがもう一回そう言ったら、三宅はヒロが手にしていたタオルをひったくるように奪って校舎の方に走って行ってしまった。 ヒロは三宅の後ろ姿をちょっとの間見ていたけど、三宅が校舎の中に消えたら、小さく溜息をついてグラウンドの方に戻って行った。 「…ちゃんとタオル持って帰るあたり、しっかりしてるよね。三宅も意外と」 あたしが変なところに感心していたら、理恵子が、 「三宅でもダメなんだ…」 呟くようにそう言って、立ち上がった。 「え? 三宅でもって?」 「松本くん、今まで告ってきた子、全員断ってるんだよ?」 「…ぇえ―――っ!? 全員って…三宅以外にもヒロに告った子いんのっ!? ヒロ、モテんのっ!?」 「三宅で3人目」 「なんだ… 3人か」 ―――って、あたしは生まれてから、一人も告られたことないけどね。 軽い敗北感。 「でも、なんで断ってんだろ? 彼女欲しーとか言ってたコトあんだよ?」 彼女いたら、アヤカの写真集なんかにお世話になんなくてもすむでしょーに。 あたしが、ヒロの行動に首を傾げていたら、 「…なつみ。 なんで松本くんが彼女作んないのか、分かんないの?」 と理恵子が真面目な顔をしてあたしを見つめた。 「な、なんで……って…」 また、この前の夜のことを思い出した。 …やっぱ、ヒロ… あたしのこと、好きなのかな… だから、告られても断ってるの…? そう思ったけど。 ハッキリ好きとか言われたわけじゃないし。 それに理恵子はヒロのことが好きだし… 「…分かんない」 とあたしが言ったら、理恵子はジッとあたしの顔を覗き込んできた。 思わず視線をそらす。 しばらくそのままあたしの顔を見ていた理恵子は、 「…松本くん、かわいそ」 と小さく呟いた。 気まずい状態のまま、ヒロは東京に行った。 「なんか、酌してくれる息子がいないと呑む気しないなぁ」 お父さんが溜息をつきながらビールをあおる。 「呑んでんじゃん。 つか、息子息子って」 「娘は全然相手してくんねーし」 「じゃ、お酌してあげるからお小遣いちょーだい」 「馬鹿っ! オレはプロにしか金払わない主義なんだよ!」 「なに?プロって。 エロい」 あたしがお父さんにそう突っ込んだら、 「あら? そんなお店に行ってるんだ?」 とお母さんが台所からやってきた。 「ば、馬鹿言うなっ! 付き合いだよ、付き合いっ!!」 とお父さんが慌てる。 いつもと同じ光景。 お父さんが呑んで陽気で。 それで絡んでくるお父さんをあたしがスルーして。 それにお母さんが適度なツッコミを入れて。 いつもと何も変わりない…… ―――ただそれを笑って聞いてくれるヒロがいないだけで。 理恵子はヒロが東京に行ってるあいだは学校に行くこともないから、お誘いの電話もかかってこなかった。 って、もし、 「買い物行こうか?」 って誘われても、断ってたかも知れないけど。 なんだか…… なにもやる気がしない。 一日中ウチでボーっとしてることが多くなった。 もしかして、夏バテ? かも知れない。 信じられないくらい暑いし。 「もうっ! 毎日毎日ゴロゴロして! 邪魔だからあっち行って!!」 ウチにいるとお母さんがうるさいから、秘密基地に避難。 「はぁ… 涼し…」 お気に入りのラグマットの上に寝転がる。 置きっ放しだったコスメをいじっていたら、ケータイに着信が。 「もしもしっ!?」 『あ、なつみ? 今何やってる?』 慌てて飛び起きて出たら、織田センパイだった。 「なんだ。 センパイか」 センパイは笑いながら、 『なんだよ?その反応。シツレーなヤツだなぁ。 誰だと思ったんだよ?』 「え… 誰って、別に…」 …ホントに誰だと思ったんだろ? 自分の行動に首を捻る。 『ま、いいや。 今から出て来れね?』 「今から? もう6時過ぎたよ?」 もう辺りは薄暗くなり始めている。 『面白いとこ連れてってやるから』 「ん―――…」 前のあたしだったら、 「面白いところ? 行く行くっ!」 なんて言って、 「こんな時間からどこ行くのっ! ダメよっ!!」 ってお母さんに怒られながらウチを飛び出したりしていた。 けど―――… 夏バテのせいか、自分でも驚くほど食いつきが悪い。 「…理恵子は? 行くって?」 いつも織田センパイと遊ぶときは理恵子も一緒に行く。 今回もそうだろうと思って、とりあえず理恵子がどうするのか確認してみる。 『理恵子は誘ってない。 なつみだけ』 「え? そーなの?」 ますます躊躇う。 いや、織田センパイと2人なのがイヤなんじゃなくて、この低いテンションのまま先輩に会っても楽しめないだろうって言うか… 絶対センパイもつまんない思いするに決まってる。 「じゃ、やめとこーかな…」 『なんだよ? つまんねーなぁ。 つか、お前今どこ?』 「秘密基地」 『なんだ、それ? 面白そーじゃん』 ケータイの向こうでセンパイが笑う。『んじゃ、オレがそっち行ってもいい?』 「え? ダメだよ。 秘密基地なんだから、あたしたちしか入っちゃ」 『…あたしたち? って、お前と誰?』 「だ、誰だっていーじゃん! それより、今日はダメだから! ゴメンね、また誘って?」 『はぁ? おい―――…』 まだセンパイは話したそうだったけど、慌てて通話を切った。 …あたし、なに慌ててるんだろ? 確かにココはあたしとヒロの秘密基地だけど、別に友達を呼んじゃダメって決まりはない。 小さい頃は何人か一緒に入って遊んだことあったし。 でも、小さい頃一緒になって遊んだ子たちも、今はもう誰もココには来なくなっていた。 みんな他にもすることがいっぱいある。 部活だったり、バイトだったり、友達との付き合いだったり、勉強だったり… そんな中で、この秘密基地はすごく小さい存在だ。 ううん。 小さい存在じゃなくて、忘れられた存在だった。 多分、ヒロも大きくなってからは誰もココに呼んでない。 だから、余計に誰も呼べなかった。 呼びたくなかった。 秘密基地にあたしとヒロ以外が入ったら、その時点で「秘密」基地じゃなくなってしまう… そんな気がした。 「おはようっ!」 「あら? なつみ今日は調子良さそーじゃない?」 最近はずっとお昼ごろまで寝ていたあたしが、お父さんが仕事に行く前に居間に下りて行ったら、お母さんが驚いた声を上げた。 「ん? そーかな?」 「そーよ。 やっぱり、ヒロがいないとなつみもつまんなかったんじゃない?」 「はぁ?」 「今日帰ってくる日だもんね。ヒロが」 お母さんが意味ありげにあたしを流し見る。 「な、何言ってんのっ!? ワケ分かんないっ!!」 「夕方新庄に着くって言うから、お母さん車で迎えに行くんだけど。 あんたも行くなら3時にはウチにいなさいよ」 「い、行かないよっ!」 そう怒鳴って、また自分の部屋に駆け上がった。 …お母さんてば、何言ってんのっ!? ヒロがいなくてつまんなかったのは、あたしじゃなくてお父さんでしょっ!? 「ワケ分かんないっ!」 迎えになんか行かないよっ! それに、誰かからお誘いが入るかもしれないから、夕ご飯だって一緒に食べられないかもしれないしっ!? …そうだ。忘れてたけど、今あたしたちビミョーだしっ! まぁ… でも… ―――ヒロが謝ってくるなら… 折れてあげてもいいけど? お父さんも気に入ってて家族同然なんだから、これから気まずくなるのもヤじゃん? そうそう! お父さんのためにも、あのことはなかったことにしてあげよう! 『なつみ? 今日はど?』 「ゴメン。 今日もちょっと用事あってダメなんだ」 お昼ごろ、織田センパイからまたお誘いの電話がかかってきた。 あたしが断ったら、 『なんかなつみ、最近付き合い悪いよな?』 とセンパイが不満そうな声を上げた。 「次回は絶対! ホントゴメンね?」 その日、あたしはそわそわとしながら夕方までウチから出なかった。 ヒロの迎えには行かなかった。 どうせウチに来るに決まってるし。 なんか、迎えに行って、 「そんなにオレに会いたかったか」 ってミョーな勘違いされてもヤだし。 あくまで歩み寄ってくるのはヒロの方! あたしはそれを「受け入れて」あげるだけなんだから! 変な言い訳を自分にしながら、でもなんとなく落ち着かない気持ちでお母さんが帰ってくるのを待った。 5時ごろ、庭にお母さんの車が帰ってきた音がした。 「お帰り〜」 あえて玄関まで行かずに、居間から返事。 「ただいま〜。 あー暑い暑い」 そう言いながらお母さんが台所に入る。 「…あれ?」 そのあとに続いてくるだろう声が聞こえない。 あえて、のポーズをやめて、玄関に行ってみる。 玄関の戸はキチンと閉められていて、脱いだ靴も家族の分しかない… 「お母さん?」 「ん?」 あたしは台所に顔を出した。 「…迎えに行ったんじゃないの?」 「誰の?」 知ってるくせに聞くな! 「―――ヒロのだよ」 「行ったよ。 お盆で新幹線混んでたみたいだけど、なんとか座れたって」 や… そんなこと聞いてんじゃないんだけど… 「もーいーよ」 なんとなく聞きづらくて、そのまま居間に戻ろうとしたら、 「ウチに送ってったよ」 とお母さんが。 「…そーなんだ」 最初からそれを聞いてるっていうのに… お母さんもイジワルだよね。 荷物置いてから来るのかな? 1週間もいたんだから荷物多かったろーし。 あたし以外からも、買い物とか頼まれてたら、そうとう大きい荷物になってるよね。 そう納得して台所を出ようとしたら、 「今日は来ないよ。 ヒロ」 「え? なんでっ!?」 ポーズも忘れてお母さんを振り返る。 「なんでって… あっちがヒロんちだし」 「そりゃ、そーだけどさ…」 「おじいちゃんたちだって、1週間ぶりなんだからヒロとゆっくり話したいんじゃないの?」 そー言われたら、黙るしかない。 あたしは自分の部屋に上がった。 朝はすごく体が軽かったのに、なんだか… また夏バテが戻ってきたみたいに体が重くなっていた。 ヒロは、東京から帰ってきてもあまりあたしんちに来なくなった。 いや、来てるみたいなんだけど、それはなぜかあたしがいないときばかりだった。 昨日も、理恵子と遊んで帰ってきたらヒロがいたんだけど、あたしが帰ってきたら、 「あ、そんじゃ、そーゆーワケで」 なんて言って、そそくさと帰っちゃうし。 まさか・・・・・避けてる? あたしのことっ!? なんでっ!? ・・・って、理由なんか、ひとつしかないけど。 てゆーかさっ! そんなに避けられたら、余計に気にしちゃうじゃんっ! こっちは笑って許してあげよーと思ってんのにさっ! ・・・そうだ。 クロックスはどーしたのよっ!? ちゃんと買ってきてくれたんでしょーねっ!? 絶対あたしからは話しかけてやんない、とか思ってたけど・・・ クロックスのことも気になるしっ!! 4000円渡してあるしっ!! ちゃんと頼んだ色を買ってきたかどうか・・・ 「そうそう! クロックスが気になるからっ! だからっ!!」 それだけなんだからっ! ホントにっ!! あたしは自分に言い訳しながら・・・ ―――・・・明日、ヒロんち行ってみようかな・・・ なんて考えたりしていた。 翌日。 久しぶりに理恵子から電話がかかってきた。 ケータイの向こうから、理恵子の慌てた声が聞こえた。 『松本くんが東京行っちゃうってホントッ!?』 「え・・・?」 『今学校にいるんだけど、松本くんが顧問の先生とそんなこと話してるの聞いたよ?』 顧問? って、陸上部の? 「なんだ。 それ、この前の合宿のことでしょ?」 理恵子は、またヒロが東京に合宿に行くと思っているらしい。 あれはたった1週間、ちょっと走るのが速いヒロが、たまたまお誘いを受けた合宿なんだよ? アレっきりなの! もう終わったんだよ? あたしが理恵子の誤解を解いてやろうとそんな話をしたら、 『何言ってるのっ!? 合宿なんかじゃないよっ! 転校しちゃうんだよ!!』 「・・・え? なに、それ・・・」 『その合宿で、松本くん認められたんだって! ぜひ特待で来てくれって・・・』 「うそ・・・」 『ホントだよっ! なつみ、なんか聞いてないっ!? 松本くんから!』 聞いてない―――・・・ っていうか、ヒロが帰ってきてから、あたしまだまともにヒロと話してない・・・ 「うおぅっ!」 秘密基地にそれる脇道のところでヒロを待ち伏せた。 ヒロが部活から帰ってくるのを待っている間に、辺りはすっかりうす暗くなっていた。 今までうるさいぐらい鳴いていたアブラゼミの声が、いつの間にかヒグラシのそれに変わっていた。 少しずつだけど、夏の終わりが近づいていると分かる。 「なんだよ・・・ なつみかよ。 イノシシかなんかかと思ったろ?」 ビビッた〜、と言いながらヒロが胸をなで下ろす。 こんな可愛いイノシシがいるかっ!! 「ちょっと、あんた東京行くってホントッ!?」 気まずかったことも、クロックスのことも忘れて、ヒロを問い詰めた。 「は?」 「東京の学校に転校するんだって? 聞いたけど!」 ヒロは一瞬驚いた顔をしたあと、 「あ〜・・・ よく分かんねぇ」 と顔を背けた。 ・・・否定しないんだっ!? ホントに行くんだ? 東京にっ!! 急に胸にいろんな思いが溢れてきて、それがそのまま口をついて出てきた。 「ヒロ、ここにいるって言ってなかったっ!? あれ、嘘だったんだっ!?」 「や、嘘じゃねーよ」 「ここが好きだとかなんとか言ってたけど・・・ 結局東京のが良くなったんでしょっ!?」 「だから、違うって! つか、聞けよ! ヒトの話をっ!!」 「あ〜聞かせて聞かせてっ! 1週間で相当遊んできたんでしょっ!? で、東京の面白いとこ堪能しちゃって? それで東京の虜になっちゃった?」 「おいっ!」 「帰ってきてからもあたしのこと避けて、こそこそしちゃってさっ! あたしが東京行きたいって言ってたから、自分だけ行けることになってあたしがひがむとでも思ったんでしょっ!?」 「そんなこと思ってねーって!」 「自分だけここから逃げ出す気っ!? そんなのズルイじゃんっ!!」 止められない。 こんなこと言ってる自分がすごく嫌だ。 嫌だって分かってるのに、どうしても止められない。 確かにあたしは東京に行きたかった。 こんな田舎じゃ出来ないことを、いっぱい東京でするんだって思ってた。 ・・・だからって、ヒロが自分より先に東京に行くことをひがんだりしてない。 そんなんじゃない。 ヒロがここを出て行ってしまう・・・ そう思ったら、急に胸がいっぱいになってしまって・・・・・・ ・・・けど、この胸に溢れてきた思いがなんなのか、これをどう言葉にしたらいいのか分からない。 分からないくせに、思いもしないことばかりが口をついてくる。 「もーいーよっ! ・・・あたしだって、織田センパイと一緒に東京行くからっ!」 あたしがそう言ったら、ヒロがちょっとだけ眉をひそめた。 「・・・付き合うことになったのか?」 「ま、まだだけどっ! 連れてってって言ったら、連れてってくれるよっ!」 ますますヒロが眉を寄せる。 「お前・・・ もしかして、まだ、東京連れてってくれそう・・・とか、そんなことで男選んでんのか?」 「そ、そーだよっ! 悪いっ!?」 あたしも負けずにヒロを睨み返した。 「・・・だから、別にヒロだっていいしっ!」 「はぁ?」 「そーだよ・・・ ヒロあたしのこと連れてってよ!? ヒロならお父さんにも気に入られてるから、面倒なこと言われなさそうだし!」 言ったあと、なんだか急に胸がドキドキしてきて、慌てて顔を背けた。 勢いで言っただけのハズなのに・・・ なに・・・? この気持ち・・・ あたしがワケの分からない感情に戸惑っていたら、 「・・・お前、それマジで言ってんの?」 とヒロが怖い顔をしてあたしを見下ろしてきた。 ヒロのそんな顔を見たことがなくて、ちょっと怯む。 「そ、そーだけどっ!?」 とあたしが答えたら、ますますヒロの顔が怖くなる。 「・・・・・サイテーだな? お前」 「え・・・ なによ」 「誰がお前なんか連れてくか!」 怖い顔のままあたしを睨みつけるヒロ。「つか、誰がお前なんかっ!」 「なに2回も言ってんのっ!? っていうか、お前なんかって・・・ あたしのこと好きなくせに、何言ってんのよっ!!」 あたしも負けずに睨み返してやる。 ヒロは顔を真っ赤にして、 「ばっ!? 誰がお前なんかっ!!」 「3回目―――ッ!! その、お前なんかっていうあたしに、キスしよーとしたのはどこの誰よっ!!」 「あ、あれはぁ・・・・・ッ!!」 ヒロが言葉に詰まる。 「あたしのこと好きだから、だからキスしよーとしたんでしょっ!? そーなんでしょっ!?」 「ばっ・・・か」 「はっきり言いなよっ! 男のくせにっ!! ヒロはあたしのことが―――・・・」 そこから先が続けられなかった。 こんなに間近でヒロの顔を見たことがなくて。 あたしの腕をつかむヒロの手が、思ったよりも大きくて力強くて。 塞がれたあたしの唇に当たるものが、やわらかくてあったかくて・・・ ―――一瞬で、思考回路が停止してしまった。 一体どれぐらいの時間、思考回路が停止していたんだろう・・・ ほんの一瞬のような気もするし、ものすごく長い時間のような気もする。 気が付いたら、ヒロのちょっと潤んだ瞳があたしを見下ろしていた。 その瞳にワケもなく胸が締めつけられる。 耳を澄ませたら、キューッて音が鳴るんじゃないかってくらい、心臓が縮こまる。 なんで心臓がそんなことになってるのか理解する前に、あたしの大して性能の良くない思考回路は、停止直前のところからまた活動を再開させた。 「・・・あ、あたしのこと・・・ 好き・・・ なんで、しょ・・・」 「・・・だったら、なんだよ」 ヒロの潤んだ瞳が微かに揺れる。 「・・・なに、って・・・」 「お前のこと好きになっちゃ、わりーのかよ」 心臓が痛い。 「や・・・」 「わりーのかよ?」 締めつけられるような痛みが、胸から喉元まで広がる。 「答えろよっ! お前のこと好きんなったらわりーのかよっ!!」 その痛みのせいで、何も話すことが出来ない。 喉まで締めつけられて声すら出せない。 あたしがいつまでも声を出せないでいたら、ヒロはちょっとだけ目を細めてあたしを見た後、 「・・・・冗談だろ」 とあたしをつかんでいた手を放した。「誰がお前なんか・・・ 好きになるか。バカ」 と呟いて、自転車に乗って走っていってしまった。 その姿が完全に見えなくなった頃、あたしはようやく声が出せるようになった。 「・・・バカって、なによ・・・」 でも、まだ胸の痛みは引いてくれなくて、あたしはその場にしゃがみこんだ。 「・・・自分の方がバカじゃん。 いつも、あたしに・・・テキスト・・・・・」 そこまで言って、また喉が詰まった。 ―――あたしはようやく気が付いた。 なんでここんとこ調子が悪かったのか。 なんで織田センパイからの遊びの誘いにも乗れなかったのか。 ・・・それは夏バテのせいなんかじゃなかった。 この、胸が締めつけられるような気持ち。 ワケもなくイライラする気持ち。 あたし・・・ ―――あたし、ヒロが好きだ。 |
次へ |