be mad for Love  #7


さっきまでの雷雨が嘘のように、空は晴れ渡っている。
雨のおかげで、昼間のうだるような熱さが少し収まってきたようだった。
夕方の商店街を歩く人の表情も、昼間のそれより穏やかに見える。
そんな中、オレはイライラしながら家への道を歩いていた。
―――オレは市川と別れたあと、やっぱり諦め切れなくて市川に電話をしていた。
「好きなんだ・・・ 市川が好きなんだよ・・・」
必死に気持ちを伝えたけど・・・ ダメだった。
戸惑い、断り続ける市川に、オレがなおも食い下がったら・・・ 途中で通話を切られた。
・・・やっぱ後悔してんのか?
つか、かなり強引だったからな・・・ オレ・・・
市川も確かにオレを感じてくれてたけど、それは身体だけで、気持ちの上では嫌悪感でいっぱいだったとか・・・
「〜〜〜くそっ!」
誰に向けるでもなく悪態をつく。
―――何をイライラしている?
市川はもともと千葉のもんだったろ?
1回ヤれただけでも、ラッキーじゃねーか・・・
諦めろよ、オレ!
人の女なんか好きになったって、虚しいだけだろ? やめろやめろ!
こんな不毛なコト、要領のいいオレのやることじゃない・・・
諦めろ!
そうだ、諦め・・・・・
・・・・・急に心臓が絞られるように痛んだ。
「チッ! 邪魔だろーがっ!!」
急に立ち止まったオレの横を、サラリーマンらしき男が舌打ちしながら通り過ぎる。
千葉は完璧な男だ。
背は高いし、頭はいいし、運動だって出来る。 超優等生だ。
なにより、ずっと市川の隣を歩いてきた男だ。 オレに勝ち目があるわけがない・・・
そう頭では分かってるのに、感情がついていかなかった。
いくら自分に言い聞かせても、余計に市川への想いが強くなるばかりだった。
・・・・・本当に諦められんのか?
甘い市川の唇。
「風邪とか引かないようにね?」
って、オレの顔を覗き込んだ市川の瞳。
「だ、ダメだよ・・・」
と言いながら、でも、全身でオレを感じてくれていた小さな、やわらかい身体・・・
―――市川ッ!!
オレ、やっぱり諦めることなんか出来ねーよ!
もう一度、お前をこの腕に抱きしめたい!!
オレは慌ててケータイを取り出した。 市川のケー番を表示させ通話ボタンを押す。
呼び出し音が響く。
・・・・・出ないかもしれない。
つか、さっきだって途中で切られてんだから、普通に考えたら出てくれるわけがない。
それでも諦め切れなくて、何回かかけ直したけど・・・ やっぱり市川は出てくれなかった。
「シャワー浴びとけよ。 あとで行く」
わざとオレに聞かせるように言った千葉のセリフが蘇る。
・・・・・今頃、最中・・・とか?
・・・かもな。
だったら、出るわけねーか・・・
オレが嘲笑を漏らしながらケータイをしまおうとしたら、いきなりそれが鳴り出した。
表示を見たら――――――・・・ 市川!!
「いっ、市川ッ!? ・・・オイッ! 市川ッ!?」
慌ててケータイを耳に当てたけど・・・ なぜか通話は切れていた。
な、なんだ・・・・・?
確かに今、市川からだったよな?
まさかオレの願望が見せた幻覚とかじゃねーよ・・・な?
オレが眉をひそめながら着歴を確認しようとしたら、またそれが鳴り出した。
確かに市川の名前を表示している。
「市川ッ!」
再び秒速で耳に当てる。
『・・・やめてッ!』
市川の叫ぶような声が微かに聞こえた。 その直後、ケータイが何かにぶつかるような衝撃音が響いた。
「ッ!? おいっ!? 市川っ、どうしたっ!? 市川ッ!?」
必死に呼びかけたけど、すでに通話は切れていた。
思わず切れたケータイを見つめる。
・・・なんだ? 今のは・・・
今度のは絶対幻覚なんかじゃない。 確かに市川の声だった。
「やめてッ!」
って・・・ 悲鳴にも似た・・・市川の声だった。
気付いたらオレは、来た道を引き返し始めていた。 引き返しながらリダイヤルする。
けど、電源が切られているのか、市川のケータイは全く繋がらなかった。
何回か試したあと、舌打ちしてそれをポケットに突っ込む。
どうしたんだよ、市川・・・
・・・市川に何があったのかは、分からない。
けど、あの悲鳴にも似た叫び声・・・・・
何があった? お前 今、千葉と一緒にいるんじゃないのか?
心臓が早鐘を打ち始める。
初めは歩いてたんだけど、気付いたら人混みを縫うように走り出していた。
「ちょっ!? 危ないで・・・ あっ! 卵がぁ―――っ!!」
途中、何回かオレの担いでいたバッグが人に当たったけど、そんなの構ってる余裕なんかなかった。
嫌な予感が頭をよぎる。
オレは、わき目も振らずに来た道を引き返した・・・・・

市川んちの真下までやってきた。
心臓が爆発しそうだった。 相当な距離を全力で走ってきたせいで、軽く耳鳴りがしている。
肩で息をしながら、3階の市川んちまで階段を上る。
この階段を上るのは、5年のとき以来だ。
一瞬、隣の千葉んちのドアを眺めてから、市川んちのインターホンを押す。
―――返事がない。
いないのか?
もしかして、家からじゃなかったとか・・・ まさかだろ!?
だとしたら、こんなところにいたって無駄んなる・・・
そう思いながら、またインターホンを鳴らす。
・・・いや、絶対いる!
つか、いてくれっ!! 頼む、出てきてくれっ!!
もしかしたら、千葉と一緒かも知んねーけど・・・
それでもいい! 出てきてくれっ!
―――もし市川が出てきてくれたら・・・
そしたら、その腕をつかんで、市川をオレのものにする!
千葉とは相当揉めるだろうけど・・・・・・ それでもいい。
死んでも、市川の腕は放さねぇっ!!
オレが焦れながら、何回もインターホンを鳴らし続けていたら、カチリと鍵の開く音がした。
市川――――――ッ!!
ドアが開くのを待っていられなくて、オレから強引にドアを開けた。
「いちか・・・―――ッ!?」
そこまで言って、息が止まった。
「・・・なんだよ」
ドアを開けて出てきたのは、千葉だった。
千葉は一応腰にタオルは巻いていたけど・・・・・・ 裸だった。
「なんか用かよ」
千葉が鬱陶しそうな、けどどこか面白がっているような目でオレを見下ろした。
「な・・・ なんで・・・」
千葉が市川んちにいることも多少は予想してたけど、まさかいきなりそんな格好で出てくるとは思ってなくて・・・
喉の奥が絡まって、上手く言葉が出てこない。
「い・・・ 市川、は・・・?」
「いるよ」
千葉はちょっとだけ廊下の奥を振り返って、「・・・あんな格好じゃ出て来れねーけど」
・・・また心臓が捩れるように痛む。
「さっき・・・ 市川から、電話かかってきた」
「あ?」
「やめてって・・・ 悲鳴が聞こえた・・・」
「へぇ・・・」
「お前・・・ 市川に、なんかしたのか・・・」
ここに向かう間、オレは嫌な予感で頭がいっぱいになっていた。
千葉は、オレと市川の間に何があったか分かってるんじゃないか・・・?
さっきのオレたちの会話を千葉がどこまで聞いていたか分からないけど、カンのいい千葉のことだ。 あのときのオレたちの雰囲気で何かあったことくらいすぐ察しがついたはずだ。
それに加えて、
「市川が知らなかったこと、教えといてやったよ!」
なんてオレ言ったし・・・
千葉は普段かなり冷静っつーか、クールな感じだけど、意外と嫉妬深いことをオレは知っている。
自分の女に手を出されて、それを許すとは思えない。
なのに、あのとき千葉はオレを殴りもしなかった・・・
なんでだ・・・
まさか、その矛先がオレじゃなく・・・ 市川に・・・・・・?
「やめてっ!」
って市川の、あの悲鳴・・・
まさか、お前・・・ 市川に・・・―――手ぇ上げたりしてねーよな?
まさか、殴ったりしてねーよなっ!?
千葉は肩をすくめながら、
「オレが? 真由に何するっつーんだよ?」
「それを聞いてんだよっ!」
オレが食って掛かったら、千葉はちょっとだけ笑ってそのまま廊下の奥に戻っていこうとする。
「おいっ! ちょっと待てよっ!!」
「・・・そんなに気になるなら、テメェで確かめてみろよ」
千葉がちょっとだけオレを振り返る。
「ああっ?」
「真由が心配なんだろ?」
それだけ言って、千葉は廊下の突き当たりにある部屋に入って行ってしまった。
パタンとドアが閉まる音が響いたあとは、市川のウチの中はシンとしていた。
オレはしばらくその場に突っ立っていた。
・・・・・どーする・・・
あの部屋に・・・ 千葉が入ってったあの部屋に・・・市川がいるのか?
千葉があんな格好で出てきたってことは・・・ やっぱり・・・
オレは歯軋りして身体を反転させた。
そのままドアを閉めようとして・・・・・・ 動きが止まる。
・・・このまま帰っていいのか?
あの、
「やめてっ!」
って市川の悲鳴・・・
やっぱり、千葉に なんか・・・手上げられたりしてたんじゃ・・・
そんなとこに、市川を置いといていいのか・・・?
市川だって、逃げ出したいんじゃないか・・・?
誰かに・・・ オレに助けて欲しいんじゃないのか?
閉まりかけたドアに手をかけて、オレは再び市川んちの玄関に入った。
そっと靴を脱ぐ。
全身が心臓になったみたいに、大きく脈打っている。
夏の熱気だけじゃない、なにか別なものが、オレの全身から汗を噴き出させる。 身体がジットリとして気持ち悪い。
なのに、やたら喉だけが渇く。 唾を飲み込もうとしても、その唾すら出てこない状態だ。
極度の緊張状態にあるのが分かる。
オレが一歩踏み出すごとに、さらに緊張が高まっていく。
身体が、オレがその部屋に向かうことに拒否反応を示している。
それでもオレは、その部屋に向かった。
身体は拒否反応を示しているのに、まるで催眠術にでもかかったように引き寄せられる。
花の蜜に誘われる蝶のように、オレはその部屋に引き寄せられる。

・・・・・思えば・・・ オレはこのとき、身体の反応に従っているべきだったんだ。

身体の反応に従っていれば・・・あんな・・・
あんな、吐きたくなるような、全身の毛が総毛立つような出来事に遭わないですんだんだ・・・

ノブに手をかけ、そっとドアを開いた―――・・・
外はまだうっすらと明るいけど、カーテンが引かれているせいで、部屋の中は薄暗い。
間もなく目が慣れて、窓際にベッドが置いてあるのが分かった。
そのベッドの上に人影が見える。
千葉と・・・・・その下に、市川が・・・・・・
「あっ、あぁんっ! メ、メグ・・・ す、きっ!」
薄手のタオルケットが腰のあたりに掛けてあったけど・・・ 明らかに繋がってる2人の姿が見える・・・・・
―――動けなかった。
さっさとその場を立ち去ればいいのに、ただ馬鹿みたいに突っ立ってることしか出来なかった。
あまりにも壮絶すぎて・・・
千葉の下で、狂ったように千葉にしがみつく 市川の色香が壮絶すぎて・・・・・・そして、きれいで目が放せなかった。
「あ、はぁっ! きも、ち、いぃ・・・っ んっ!」
紅潮した頬も。
切なそうに寄せられた眉も。
千葉の動きに合わせて揺れる、思ったより大きな胸も。
「あぁん! メグ、メグ・・・ッ!!」
千葉の名前を呼び続ける濡れた声も・・・・・
その全てがオレを捕らえて放さなかった。
オレが市川から目を放せずにいたら、千葉がゆっくりとこっちを向いた。
薄暗い部屋の中で、オレを振り返る千葉の目だけが、鋭く光っていた。
その目線をオレに向けたまま、
「・・・真由。 矢嶋が見てるぞ? ・・・止めるか」
と自分の下にいる市川に声をかけた。
そのまま動きを止め、千葉が市川から離れようとしたら、市川は目を閉じたまま、
「や、やだぁっ! や、止めないでっ! 止めちゃ、いやっ!」
とさらに千葉にしがみついた。
「・・・どこまでエロいの? お前」
千葉が市川の両足を持ち上げる。 そのせいで、かかっていたタオルケットが滑り落ちる。
「ひゃっ! あ、んっ!!」
さっきオレが触れていた胸が、大きく揺れる。
「あ、いいっ! あぁんっ!」
さっき抱きしめていた小さな身体が、妖しく跳ねる。
「き、気持ち、いいよぉっ! メ、グっ! あ、はんっ!」
何度も口付けた唇から、熱い吐息が漏れる。
市川は、オレの姿なんか全然見えてない。
いや・・・ もしかしたら千葉の姿も見えてないかもしれない。
ただ狂ったように、千葉から与えられる快感を逃がさないように、しがみついているだけだ。
開いたまま床に放り投げられている市川のケータイ。
手首には縛られたような痣。
床に転がるアルコールの缶。
・・・大体、何があったのか・・・ 市川が何をされたのか察しがついた。
「―――千葉・・・ これがオレに対する仕返しか?」
千葉は動きを止めずに視線だけオレに寄越した。
「市川を狂わせて・・・ オレをここに来るように仕向けて・・・ 全てお前の計算通りか?」
・・・狂ってる。
こいつは狂ってる!!
「オイッ! 千葉ぁっ!!」
「・・・真由。 オレと、矢嶋と・・・ どっちがいい?」
「やっ、はぁ、ん・・・ そ、そん、なこと・・・ 聞か・・・ あ、ああぁんっ!」
市川が首を振りかけたとき、また千葉が市川を引き寄せて、強く腰を打ち付けた。
「どっちだよ。 答えろよ。 ・・・じゃなきゃ、止める」
「や、やだぁっ!!」
白く細い腕が千葉に絡みつく。
「・・・メ、メグだよぅ・・・ あ、たし、メグが一番・・・ あ、ああっ!」
白い喉が仰け反る。
「一番・・・ なに?」
「あ、あたし・・・ メグが、い、ちばん・・・ す、きっ!」
「・・・それから?」
「あ、はぁっ! ・・・メグとするの、が、一番気持ち・・・い・・・あぁん!」
千葉は満足そうに微笑んで、
「愛してるよ、真由・・・」
「あ、はぁ、あんっ!」
「もう他の誰にも触れさせない・・・」
「はぁ、んっ! メ、グ・・・」
「・・・・・もし触れさせたら・・・」
千葉がオレに視線を寄越す。「・・・今度こそ、殺す。 相手も・・・・・ お前も」
「あぁ・・・ メグっ! ンンッ!!」
市川の指先に力が入り、千葉の背中にその爪が食い込む。
「―――千葉・・・ お前、狂ってるよ・・・」
千葉は口の端を持ち上げるようにして笑うだけで、何も言わなかった。
「・・・狂ってる・・・ 狂ってるよっ!!」
吐き捨てるようにそう言って、部屋を飛び出した。
部屋を出た途端、胃がねじれるような感覚に襲われた。
すぐに動けなくて、壁にもたれかかるようにしてそれが収まるのを待っていたら、
「あ、あぁんっ! メ、グ・・・ あたし、もう・・・っ」
「・・・いいよ。 イケよ」
「あっ、あっ・・・ いっ・・・く・・・ ああぁんっ!!」
市川の、歓喜に満ちた絶叫が聞こえてきた。
―――その瞬間、吐いた。
胃に何も入ってなかったから、胃液だけが上がってきて・・・ 喉が焼けるように熱い。
狂ってる・・・ あいつら、狂ってる・・・
頭の中は嫌悪感でいっぱいなのに、身体が・・・ 下半身がこれ以上ないくらい昂ぶっているのが忌々しかった。
千葉の腕の中で乱れる市川が、あまりにも扇情的で・・・
さっきオレの上で揺れていた市川とは、比べものにならないくらい官能的で・・・
その光景が目に焼きついて離れない―――・・・
また部屋の中から市川の声が聞こえた。
「メ、メグ・・・ あたし・・・ もっと・・・」
「・・・もっと・・・ なんだよ」
「もっと、メグが欲しい・・・ ねぇ・・・ して・・・?」
市川のそのセリフが終わらないうちに、逃げるように市川のウチを飛び出した。

外はすっかり日が落ちていたけど、ジットリとした熱気がオレの身体にまとわりついてきた。
また吐き気が襲ってきて、オレは児童公園の前でしゃがみこんだ・・・・・

End