be mad for Love  #1


「うわっ! 降るって!これ絶対!!」
空は真っ黒な雲で覆われていて、まだ5時なのにあたりが薄暗くなっている。
インハイの県予選で負けたオレたちだったけど、今日は3年の追い出し試合があったから、夏休みだっていうのに学校にやってきていた。
「1年! 戸締りやっとけよ!」
1年に体育館のカギを押し付けて体育館を飛び出そうとしたら、
「ゆっ、祐介っ!」
と後ろから声をかけられた。 走り出そうとした体勢のまま、首だけ振り返る。
「・・・夏希」
「カサ・・・ あたし、持ってるよ」
夏希は折り畳み傘を手にして、上目遣いにオレを見上げている。
「いや・・・ でも、まだ降ってないし。 走ってくから、いい」
と視線をそらしたら、
「そう・・・」
と夏希は小さく呟いて、俯いた。
微かに心が痛んで、一瞬夏希に歩み寄りそうになる。 けど、慌てて、
「じゃあな」
とそのまま体育館を飛び出した。
振り返らなくても、夏希が涙ぐんでいるのが分かった。
・・・・・ゴメン、夏希。
オレもう、前みたいにお前の隣にいてやれない。
ちゃんと男との距離感を分かっていて、オレが一番居心地いい距離を保ってくれていた夏希。
甘え上手で、女特有の賢さも持っていた夏希・・・
もしかしたらそれは、全然計算されたものじゃなくて、彼女が持っている天性のものだったのかもしれない。 いや、多分そうだったと思う。
男にも女にも同じ態度で接する夏希は、いつも人に囲まれていた。
人が好きで、人に好かれていて。 いつでも輪の中心にいて、笑いがたえなくて。
そんな夏希が好きだった。
「矢嶋!」
って、オレを名字で呼び捨てにするのも好きだった。
だから、
「あたし、矢嶋が好き。 付き合って」
って言われたとき、なんの迷いもなく肯いた。
高校1年の秋だった。
夏希とは普通の恋人同士がすることはひと通りした。
誕生日、クリスマス、バレンタイン・・・ そういうイベント時には必ず一緒に過ごした。
キスもしたし、セックスだってした。
身体の関係が出来てしまうと途端に図々しくなる女がいるけど、夏希はそんなことはなかった。
だから、この先も夏希と一緒にいるもんだと思っていた。
ずっと夏希だけ見ていけると思っていた。

―――もう、初恋の相手なんか思い出しもしないだろうと思っていた。

けど、オレは市川に再会してしまった。

「え? まさかだけど・・・矢嶋?」
4年以上も会ってなかった市川は、最初オレだとは分からなかったみたいだ。
「お〜〜〜! やっと思い出したかぁ! つか、お前変わってないね? 小学生のまんま!」
「う、うるさいなぁっ!!」
軽い口調。 軽いノリ。
でも心臓はかなりバクバクで。
・・・・・どうしよう。
オレ、かなり舞い上がってる・・・
このときのオレは、すっかり夏希のことなんか忘れてしまっていた。
「なんだよ〜〜〜! じゃ、オレと付き合わね?」
なんて・・・・・ 最低だと思われても仕方ない。
結局断られはしたけど、オレの気持ちは完全に小学校の頃に戻ってしまった。

5年になって初めて同じクラスになった市川は、他の女とちょっと違っていた。
5年にもなると男と女の違いが段々ハッキリしてくる。 特に女は男より精神年齢も上だったし、男どもがなんかバカなことをやっても、
「子供だよね。男子は」
なんて、4年の頃は一緒になって騒いでたことにも興味を示さなくなってきていた。
その中で男子と一緒になって、対等に張り合ってくる女は・・・市川は珍しかった。
クラス替えしたばっかりで、特に男女間ではなかなか話しづらかったりするのに、
「ね、ね? 算数の宿題やってきた? 問6分かんないから見せて!」
とか、
「さっきの実験のとき、リトマス紙少しもらってきちゃった。 いる?」
とか、男女カンケーなく手当たり次第と言ってもいいくらい、みんなに話しかけていた。
オレも初めは単純に、
「なんだよ、こいつ。 女のクセにおもしれーじゃん」
くらいにしか思っていなかった。
実際他の女より話しやすかったから、忘れ物をしたときなんか、机をくっつけて座っている隣の女じゃなく、列を挟んで隣だった市川に、
「オイッ、消しゴム貸せよ!」
なんて威張って言ったりして。 それに市川も、
「倍にして返してよっ!?」
なんて言いながら貸してくれたりして。
このときはまだ、好きとか・・・そんな感情はなかった。
一緒にいると面白い。 ただそれだけ。 男友達と一緒。
その男友達同様の女を意識するようになったのは、5年になって初めて行った遠足だった。
前の日眠れなかったっていうのもあったのかもしれない。
調子にのって、まだ出発したばっかりだっていうのに、
「菓子くれよ!」
なんて、周りの女子から巻き上げたスナックを食べ過ぎたのもいけなかったのかもしれない。
ずっと斜め後ろのヤツとふざけあって、後ろを向きっぱなしだったのがいけなかったのかも・・・・・・
いや、理由なんかどうでもいいか。
・・・・・とにかく、オレはバスの中で吐いてしまった。
今思い出しても恥ずかしいんだから、当時のオレは、
「マジ消えたい!」
くらいの勢いだった。
いつも一緒に騒いでいる仲間もこのときばかりは、
「マジかよ〜〜〜! 汚ねーなぁ!!」
「ちょ、オレ後ろに移動してもいい?」
とオレから離れて行った。
吐いたときの胃液で喉が焼けるように痛かった。 ・・・けど、それだけじゃない何かが喉の奥を痛めつける。
その何かのせいで、目が熱くなってきた。
「矢嶋くん、吐いたのっ!?」
担任が一番前の席から背伸びをして、オレが座っている後方座席を窺ってきた。
「ちょっと、待ってて!?」
でも、補助座席がたくさん出してあったから、担任はすぐにオレの所に来ることが出来なかった。
なんだよっ! さっさと来いよっ!!
オレが見当違いな怒りを担任にぶつけながら俯いていたら、
「ちょっと、大丈夫?」
隣の席に誰か座ってきた。
驚いて見上げたら市川だった。
「これ、使いな」
とオレにハンカチを寄越す。
いつも、
「矢嶋はぁっ!!」
ってオレを怒鳴りつけてくる市川が、そんなことをしてくれたのが意外で、かなり戸惑った。
「な、なんだよ・・・ 別にいーよ!」
「いくない! どうせあんたハンカチも持ってこなかったんでしょ!?」
「う・・・うるせぇよ」
・・・図星だった。
文句を言いながら、結局ハンカチを借りるオレ。 情けない・・・
「どうせ吐くなら、帰りに吐けばいいのに。 行きにこんなことになったら、せっかくの遠足がブルーじゃん」
と言いながら市川はオレの制服をティッシュで拭いてくれる。
「バーカ。 ・・・そんなコントロール出来たら、吐いてねぇよ」
オレが悪態をつきながら言い訳がましくそんなことを言ったら、市川が顔を上げてオレを見た。
・・・怒ったのか?
せっかく市川がハンカチ貸してくれたり、色々世話焼いてくれてるのに、オレ さっきから悪態しかついてねぇ・・・
本当は、ありがとうって言ったほうがいいって分かってた。
けど、吐いたってこと自体恥ずかしかったのと、いつもは男同然に付き合ってる市川に、礼の言葉を言うのが恥ずかしかった。
「もういいっ! 勝手にしなっ!」
って拭いてるティッシュを投げ出されると思ったら、市川は一瞬大きく目を見開いたあと、
「・・・そりゃそうだよね」
と言ってニッと笑った。
オレは言葉を失ってしまった。
そのあとも市川はオレの制服を拭きながら、何か言っていた。 けど、うるさくて・・・ オレの心臓の音がうるさくて、市川が何を言っているのか全然聞こえなかった。
「ちょっと、あんたたちっ! 吐きたくて吐いたんじゃないんだから、いつまでもからかうの止めなさいよッ!!」
と市川が立ち上がって回りのやつらを怒鳴りつける。
・・・・・バスに酔ったのは、前の日眠れなかったせいでも、スナックの食い過ぎでも、まして後ろ向いてたからとか、そんなんじゃないかもしれない。
―――オレきっと、スゲー病気なんだ。
だって、心臓はものすごい勢いでドクドクいってるし、何か言いたいのに言葉出てこないし、周りでたくさんの馬鹿が騒いでいるのは確かなのに、市川の声しか聞こえないし・・・
こんなこと、今まで・・・生まれて一度だってなかった! 絶対病気だ!!
結局その日は、遠足どころじゃなかった。
いや、吐いたときに騒いでたやつらも、目的地に付く頃にはそんなことすっかり忘れていつもみたいに一緒に馬鹿騒ぎしてたんだけど。
けど、航空博物館にいるあいだ中、いやそれだけじゃなくて、帰りのバスの中でも、オレは市川のことばかり目で追ってしまっていた。
なんだっ!? なんなんだよっ!?
その病気が、初恋なんだって気付くのに、そんなに時間はかからなかった。
と同時に、市川の側にいつもくっついてる、ちっこい男がいるのにも気が付いた。
それが千葉だった。
今でこそ千葉は、180を超える長身だけど、その当時はオレより10センチ以上背が低く、運動も勉強も下から数えた方が早いだろってくらい、ドンくさい男・・・いや、子供だった。
その子供が、いつもオレの市川の側にいる。
・・・・・面白くなかった。
いや、よくよく観察してみたら、千葉が市川にくっついてるんじゃなくて、市川の方が千葉の世話を焼いている風だった。
ますます面白くねぇッ!!
2人が幼なじみだということは、周りのやつらに教えてもらった。
当時のオレは、初めての気持ちにどう対処していいか分からなかった。まして、嫉妬なんかした事もなかったから、市川や千葉にどう接していいのか・・・ まるっきりだった。
結局千葉をからかったり、それで市川から怒られるのを満足として毎日を過ごしていた。
そんなある日、事件が起こった。
その日は衣替えだった。
オレは朝から落ち着かなかった。
列を挟んで隣に座っている市川の、夏服の袖から出た二の腕がやけにまぶしくて・・・
や、それだけじゃなくて・・・
オイ・・・ お前さ、ブラジャーするか、下にタンクトップ着るとかしろよ・・・
・・・ケッコー胸、目立ってんぞ?
男と対等にやり合っている市川は、まだまだ精神的に子供で、自分の身体の変化にも疎かったみたいだ。
そのせいで、クラスの馬鹿が市川をからかった。
市川に水をかけて・・・ 市川の胸を濡れたシャツ越しに見ようとした。
瞬時に頭が沸騰し、からかったヤツらをぶん殴ってやろうとしたら、
「てめーらッ!! ふざけんなよッ!!」
とオレより先に、誰かが馬鹿に飛び掛っていった。
―――千葉だった。
このときオレは、千葉の市川に対する気持ちを確信した。
今までは、
「ただの幼なじみだろ?」
と高をくくっていた。 千葉があまりにも子供っぽかったから、姉弟くらいにしか見えていなかった。
けど、千葉は市川のことを幼なじみとも、友達とも、まして姉だなんてこれっぽっちも思っていない。
ヤツははじめから、市川のことを女としてしか見ていなかった。
千葉は子供なんかじゃなかった。 ちゃんと男で、男として市川のことが好きだった。
その騒ぎの後、なんでか知らないけど、2人の仲は少しずつ離れていった。
かといって、オレと市川の仲が進展したわけじゃなかったんだけど・・・
市川とは中学の学区が別だったから、小学校卒業以来ずっと会うことはなかった。
千葉とはバスケを通じて何度か顔を合わせていたけど、向こうがオレを避けているフシがあったから、あんまりしゃべることはなかった。
まぁ、しゃべったとして、千葉がオレに市川のことを教えてくれることは絶対なかっただろうけど・・・・・
中学、高校と進むにつれ、市川のことは段々思い出になっていた。
いつもクラスの中心にいて、笑いの中心にいて、人が好きで、人に好かれていて。
市川は男にも女にも好かれていた。 分け隔てない市川が好きだった。
「矢嶋―――ッ!!」
ってオレを名字で呼び捨てて、本気で追いかけてくる市川が好きだった。
「そりゃそうだよね」
とオレの汚れた制服を拭きながら、笑ってくれた市川が大好きだった。
だから、市川と再会出来たとき、かなり嬉しかったけど、小さな失望もあった。
それは再会した場所が、千葉の高校だったからだ。
ああ・・・ やっぱ、付き合ってんのか。
すぐにそう思った。
その小さな失望に気付いたとき、オレの中の市川に対する気持ちが、まだ色あせてないことにも気が付いてしまった。
そして・・・ 同時に夏希の事を思い出し、激しい自己嫌悪の念に苛まれた。
結局オレは、市川の影を夏希に見ていただけだった。
サイテーだ・・・
市川と千葉がお互い想い合っているって分かってるんだから、ホントだったらそのまま夏希と付き合っていったら良かったのかもしれない。
けど、自分の気持ちに気付いてしまった今、夏希とこのまま今までどおり付き合っていくなんてことは出来ない。
・・・・・いや、もしかしたら、自分の気持ちを誤魔化して付き合っていくことは出来たかもしれない。
けど、そんなことをしたら逆に夏希のことを傷つけてしまう。
それに、賢い夏希のことだ。 すぐにオレの気持ちの変化に気付くに決まってる。
その辺が賢い夏希と、どこまでも鈍感な・・・ときにはそれでヒトを傷つけることもある市川とは違うところだ。
なんでオレは市川がいいんだろう。
どう考えたって、他の男を想っている女より、自分を想ってくれている女の方がいいに決まってる。
夏希と別れたからって、市川と付き合えるわけじゃないのに・・・
それどころか、あっちは千葉と付き合いだしてラブラブだってのに・・・
・・・・・オレ、こんなに馬鹿だったか?

地元の駅に着いたときには、ポツポツと雨が降り始めていた。 遠くから雷鳴も聞こえる。
一瞬カサを買おうかと悩んで、そのまま駅前の通りに飛び出した。
夏の雨だし、多少濡れても風邪なんか引かねーだろ。
走れば家まで10分で着くし・・・
と考えながら、持っていたスポーツバッグをカサ代わりに額の前あたりにかざしながら走っていたら、
「きゃっ!」
と目の前の角から曲がってきた人物にぶつかってしまった。
オレはよろけただけだったけど、相手は勢いで尻餅をついてしまった。
「うわっ! すみませんッ!! 大丈夫ですかっ!?」
ぶつかった女が持っていたバッグが落ちて、中身が道路に散らばる。 オレは慌ててそれを拾い上げた。
そうしている間にも、空から落ちてくる粒は段々大きなものに変わり、その量も増えてきている。
なのに、女はしゃがみこんだまま、ノロノロとした動作で道路に散らばったものを拾い集めている。
・・・何やってんだよ? さっさと立ち上がれよっ!?
オレがちょっとイライラしながら、
「あの・・・ じゃ、オレ行くんで・・・」
と拾ったケータイを渡したら、
「・・・ごめんなさい・・・ ありがと・・・」
とその女がちょっとだけ顔を上げた。
心臓が大きく跳ね上がる。
「・・・・・い、市川?」
ずっと顔を伏せていたから全然分からなかったんだけど、オレがぶつかった女は・・・市川だった。
「・・・な、なにやってんだよ〜〜〜ッ!! 大丈夫かよっ!?」
市川だって分かった途端、モードが切り替わる。
市川の前だとテンションが上がるっていうのもそうだけど、別な男を想っている市川の前でどういう態度をとっていいのか・・・迷った末に、結局いつも軽いノリになってしまうオレ・・・
だからかどうか知らないけど、オレが告ったあとも、市川はワリと普通にしてくれていた。
助かる反面、ちょっとショックだったり・・・
全然オレのこと、男として意識してないのかよっ!? みてーな・・・
「あんたこそ何やってんのよッ!! あたしのバッグがメチャクチャじゃないっ!!」
ってやり返してくると思ったら、市川はチラッとオレを見上げただけで、
「なんだ・・・ 矢嶋か・・・」
とまた俯いてしまった。
「なんだとはなんだよ〜〜〜ッ!! シツレーなヤツだな、おいっ!」
とオレは笑いながら市川の腕を取って立ち上がらせた。「さっさとしないと、マジで本降りに・・・」
そこまで言ったところで言葉に詰まった。
市川の頬が濡れていた。
大分雨が降ってきたから、殆どはその雨のせいだと思う。
けど、その目が真っ赤だったのを見て、市川の頬を濡らしているのが雨のせいだけじゃないって分かった。
「・・・・・どうした?」
「・・・・・なにが」
「なにがって・・・」
泣いてたんだろ?
その言葉を飲み込んで、オレはしばらく市川の前に立ち尽くしていた。
市川もまた同じように俯いてその場に立っていた。
市川が泣いているのを見るのは小学校6年の運動会以来だ。
オレたち赤組が僅差で白に負けていて、最後のリレーで逆転した・・・
そのときのリレーのアンカーは、千葉だった。 千葉は5年の途中からバスケを初めて驚くほど身長も伸び、運動能力が高くなっていた。
みんなが千葉の周りで騒いでいる中、市川だけはその輪から離れたところで1人ハンカチで涙を拭っていた。
市川に嬉し涙を流させたのがオレじゃなくて千葉だったというのが、今でも苦い思い出として胸に蘇る。
「邪魔だよっ!」
同じようにカサを持っていないサラリーマンが、カバンを頭上にかざしながらオレたちの横を通り抜ける。
その舌打ちで我に返った。
「・・・とりあえず、行こ。 マジで降ってきたし・・・」
まだその場に突っ立っている市川の腕を取り、雨の中を走り出した。
途中でカサを買うとか、どっかファミレスとかで雨宿りするとか、そんなことは全然頭に思い浮かばなかった。
オレは何かに追い立てられるように・・・段々近づいてくる雷鳴から逃げるように、闇雲に雨の中を走った。


To be continued・・・