| Ｃｕｂｅ！ | 第６話 Ｆｉｆｔｈ Ｅｌｅｍｅｎｔ② |
「どうだった？」
休み時間、また洋子が様子を窺いにやってきた。
「……最悪だよ」
「何が？」
「美紀だよ！ 完全に誤解してるぜ、あれ。どうしてくれるんだよ！？」
と俺が吐き捨てると、洋子は呆れたように、
「知らないわよ、そんなこと。大体どんなところ見られたのか知らないけど、それってあたしのせいじゃないわよね？」
と言った。
「……やっぱ他のヤツにしようぜ。あいつ協調性ないぞ、きっと」洋子は溜息をつきながら、
「ていうか高弥、あんたあんまり熱心に誘ってないでしょ？」
俺は言い返す言葉が見つからなくて黙っていた。
「生徒会なんて、よっぽどのモノ好きでもなければやりたがらないのが普通なんだから。それ考えてもっと積極的に誘わなくっちゃ……」
……俺たちはモノ好きの集まりかよ。
洋子の言葉に腹の中でツッコミを入れる。
「とにかく、もう１回ちゃんと誘ってみてよ。協調性なんて一緒に活動していくうちになんとかなるわよ」
洋子は無責任なことを言い残し、自分のクラスへと戻っていった。
次の休み時間、仕方なくまた結城に話しかけてみた。
「しつこいわね」
結城は医学書から目も離さずに言った。
「そう言うと思ったよ」
俺は溜息をつきながら、「せめて、ダメな理由くらい教えてくれないか？ 他の役員も納得するような理由があったら諦めると思うんだ。……あ、俺もだけど」
慌てて付け足した。
結城は黙ったまま本に目を落としていた。
今日の昼休みは美紀のところに行こうと思っていたから、業間休みのこの時間しか結城と話す機会はなかった。
それもこのまま沈黙だけで終わるのか……と半ば諦めかけたとき、
「加納、ジャージ貸してくれ」
と榎本がＡ組へやってきた。「今日体育あるの忘れててさ」
「……ああ。ロッカーに入ってるから勝手に持って行けよ」
榎本は、サンキューな、と言いながら、俺と結城の顔を交互に見た。俺たちの間に流れる不穏な空気に気付いたのか、榎本は、
「……なに？」
と小声で聞いてきた。
俺が榎本の言葉を無視していると、榎本はちょっと怒ったように、
「お前さぁ、美紀とはどーなってんの？」
と言った。「あいつ昨日からスゲー機嫌悪いんだよね」
「お前には関係ないだろ」
「あるよ！」
どんな？ と俺が言おうとしたとき、結城が立ち上がって教室を出て行こうとした。
「あ、待てよ！ 結城！」
俺が結城を追いかけようとすると、
「お前こそ待てよ！ 美紀の話が終わってねーだろ！？」
と榎本が俺の腕をつかんだ。
……お前に言われなくたって―――
俺は榎本の腕を振り払った。
「美紀のことは俺だって気にしてるよ！ けど、こっちにだって色々事情があるんだよ！」
「事情ってなんだよ！ てめぇの女より大事なことかよっ！？」
榎本は一瞬キレかかったあと、フーとゆっくり息を吐き出した。「……とにかくさ、美紀に事情説明してやれよな」
榎本はそう言うと、俺のジャージを持って自分のクラスへ戻っていった。
「……そういうわけで、結城とはなんでもないから」
昼休みが始まりすぐ、しぶる美紀を屋上に連れ出した。
榎本に言われたから……というわけではないが、早々に美紀の誤解を解いておきたかった。
美紀は、俺の浮気方面にいたっては神経が尖っているというか、想像力が豊かというか……
とにかく、ひどいヤキモチ焼きなのだ。
誤解のないように断っておくが、俺は１度たりとも浮気などしたことはない。
はじめ、美紀は不機嫌そうに俺の話を聞いていた。それでも、なんとかなだめすかしたり機嫌を取ったりしながら事情を話し終えると、
「そうだったの」
とやっと納得してくれた。俺は安堵の溜息をついた。
「亜希子があんなことになってから、会計の仕事は俺と洋子とでやってたんだけどな。それも限界になってきたから、どうしても新しい会計が必要になって」
以前に会計をやっていた亜希子は、ある不祥事から自主退学をしていた。その辺の事情は美紀も知っている。
「結城さん……だっけ？ 彼女やってくれそうなの？」
「いや。フラれ続けてる」
俺が大げさに肩を落としてそう言うと、美紀は笑いながら、
「頑張って！」
と俺の肩を叩いた。直後、少し真面目な顔になり、「……あたしって、かなりヤキモチ焼きよね」
と小さく溜息をついた。
俺は、そうだな、という言葉を飲み込んで、
「そうか？」
と返した。
「そうよ、分からないの？」
と美紀は少し怒ったように、「これというのも高弥のせいよ！」
と俺を睨んだ。
「俺？」
面食らう俺の首に、美紀が肯きながら腕を回してくる。
「あたしはこんなに高弥のこと好きって態度で表してるのに、高弥は全然なんだもん」
そう言われたって……
美紀はまわりに誰がいようがしたければいちゃいちゃするが、俺は性格上そんなことは出来ないのだから仕方がない。
２人きりのときなら話は別なのだが……
そう思いながら、チラリとあたりを見回す。……屋上には俺たち以外誰もいなかった。
俺は美紀の腰に腕を回しながら、「……表してもいいのか？」
と言った。
「表して……」
と美紀が言い終わらないうちに俺は美紀に口付けた。
しばらくそうしてから唇を離すと、美紀は、
「……こんなんじゃ分からない」
と言って今度は美紀からキスしてきた。
……甘い味がする。
キャンディでも食べていたのだろうか？
何の味だろう。桃のような、イチゴのような……
……と、何の味か探ろうと深くキスしていたら、なんだか身体がまずい状態になってきた。
俺は慌てて唇を離し、
「今日はここまで」
と言った。美紀は潤んだ瞳で俺を見上げて、
「……どうして？」
と少しだけ首を傾げた。
「これ以上したら、俺が我慢できなくなるから」
美紀は少しの間俺の顔を見つめていたが、名残惜しそうに、
「……べつに我慢しなくていいのに」
と言いながら俺から離れた。
……いくら２人きりでも、校内でそんなことまで出来ないだろう。
俺は苦笑しながら、
「昼まだだろ？ 学食行こうぜ」
と歩きかけて、「あー、昨日はゴメンな。せっかくサンドイッチ作ってきてくれたのに」
と美紀に向き直ってもう１度謝った。
「また作ってきてあげる♪」
すっかり機嫌が直った美紀は、俺の腕に自分のそれを絡ませてきた。
「榎本にやったとか聞いたけど」
美紀は、ああ、と言いながら、
「なんかね、クラスの女子にサンドイッチあげてたら、オレにもちょうだいって言うから」
「ふうん」
「もしかして、妬いちゃった？」
と美紀が瞳を輝かせる。俺はちょっと笑いながら、
「ああ、妬いた」
誰も聞いていなければ、俺だってこれくらいのことは言える。
そんな話をしながら階段を下りはじめると、下から人が上がってきた。
……結城だった。
結城はまるで俺たちなんかいないかのような態度で横を通り過ぎると、屋上へ出て行った。
また手に難しそうな本を持っていた。
教室じゃうるさくて読めないのだろうか……
そんなことを考えながら階段を下りていると、
「ねぇ、今の結城さんじゃない？」
と美紀が振り返った。
「ああ」
「屋上なんかで何するのかしら」
「本持ってたからそれ読むんじゃないか。教室でもいつも１人で難しそうな本読んでるし」
美紀はちょっと考え込んでから、
「ねえ、例の話してきたら？ 会計になって欲しいんでしょ？」
と俺の袖を引っ張った。
「いや、俺は別なヤツでもいいと思ってるんだけどな。ただ洋子が……」
「だったら、もう１回話してみたら？ お昼休みまだいっぱい残ってるし」
「いや、でも」
せっかく美紀の誤解も解けて、一緒に昼飯を……と思っていたのに。
そんな考えが分かったのか、美紀は、
「あたしなら誰か友達とお昼食べるから平気よ」
と笑った。
「もう妬かないのか？」
「浮気したらただじゃおかないから！」
と美紀は俺の胸を撃つ真似をしたあと、笑いながら教室の方へ歩いて行った。
俺は苦笑しながら美紀を見送ると、再び屋上へ出て結城の姿を探した。
結城は先ほどまで俺たちがいたあたりの場所に座って、やはり本を読んでいたのだが……なぜか、さっきはかけていたセルフレームの眼鏡を外していた。
……本を読むのに眼鏡外して読めるのか？
不思議に思いながら結城の方に近付いていくと、結城はチラリとこっちを見ただけで、すぐにまた本に目を戻した。
「……なんで本読むのに眼鏡外してんだよ」
返事がなかった。
ああまた無視かよ、と思っていると結城は、
「私、視力悪くて眼鏡かけてるわけじゃないから」
と言いながら眼鏡をかけた。
え？ 伊達眼鏡だったのか？ どうしてわざわざ？
もしかして、ファッションでかけてるのだろうか。
……ま、どうでもいいか、そんなこと。
「しつこいって言うかもしれないけど、まだちゃんと話してなかったからさ。とりあえず、話だけでも聞いてくれないか」
と、俺が簡単に役員の仕事内容を説明しようとしたら、
「……クチ」
と結城が本から目もはなさずに言った。
「クチ？」
クチ……って、なんだ？
わけが分からず聞き返す俺に、結城はちょっと顔を上げると、
「グロスがついてるわよ」
と冷笑をもらした。
俺は慌てて口を手で押さえた。
～～～キャンディじゃなくてグロスの味かよっ！
「い、いやこれはっ」
「べつに私に言い訳してくれなくても結構よ」
結城はまた本に目を戻した。「あなたたちが何しようが、興味ないから」
俺は口元を手で拭うと、動揺を隠しながら、
「役員としての活動は毎日ってわけじゃないから。来れない日は来なくていいし……」
と何事もなかったかのように話はじめた。「会計の仕事自体は、月末の収支計算とか予算管理とか……あとは決算報告書作りとかだけど、行事があるときなんかは他の役員と一緒に……」
俺がそこまで言ったところで結城は、
「そんな話したって無駄よ。私、生徒会役員なんかやってるほど暇じゃないの」
……生徒会役員なんか？
その言い方にムッとした俺は、
「……勉強が忙しいからか」
と切り返してやった。「医者になるんだもんな」
結城は俺のセリフにちょっと眉を動かすと、
「そんなことあなたには関係ないと思うけど……」
と言いながら本を閉じた。「私が生徒会に入りたくない１番の理由、教えてあげましょうか？」
結城はスッと立ち上がり、正面から俺を見据えた。
「な、なんだよ」
結城の勢いに、俺は少し気圧されていた。
「加納くん、私ね……」
そこで結城は一呼吸あけ、「あなたのこと、大嫌いなのよね。だから一緒に生徒会なんて、まっぴらなのよ」
と口の端を微かに上げて笑った。
「……ちょっと高弥？ あんた具合でも悪いの？」
放課後、生徒会室にやってきた洋子が俺を見て心配そうな声を上げた。
「……洋子。お前どうしても結城に会計やって欲しいか？」
俺はうなだれたまま洋子に聞いた。
「え？ ……ええ、やって欲しいと思ってるけど。なによ、それがどうか……」
「じゃ、俺が生徒会辞めるしかないな」
「え、なに？ ちょっとなんの話なのよ！？」
洋子は慌てて俺の隣りの席に座ると、「結城さんと何かあったの？」
と俺の背中に手をかけた。
結城とのことは内容が内容だけに話しづらかった。
話したらきっと同情されるんだろうな……と情けない気持ちを抱えたまま、俺は洋子に昼休みの一件を話して聞かせた。
すると、俺の話を聞いた洋子は、同情するどころか笑い出した。
「アッハハハッ！！ いいわ、結城さん！ 余計に気に入っちゃった！」
「おい……」
俺は洋子の反応に戸惑いながら、「あいつ、俺のこと大嫌いって言ったんだぞ？ だから一緒に生徒会役員なんかやりたくないって……」
「いいじゃない！ 高弥にそんなこと言える女の子いないわよ！ ぜひ役員になってもらいたいわ！！」
なんだか洋子が喜んでいるように見えて、余計に落ち込んだ。
「……もしかして、俺って女子に嫌われてんのか？」
「え？」
「洋子、俺のこと嫌いか？ 本当のこと言ってくれ」
今まで、自分が女子にどう思われているかなんて考えたこともなかった。
美紀と付き合う前は告白されたりしたこともあったが……
しかし、面と向かって、
「大嫌い」
と言われたのは初めてで……正直かなりショックだった。
「き、嫌いじゃ、ないわよっ？」
と慌てたように言った。
その慌てっぷり…… やっぱり同情されてんのか……
俺が落ち込んでいると、
「そんなことよりっ！」
と洋子が気を取り直すように言った。「結城さんの件はあたしが引き受けるわ。明日の昼休みにでもＡ組に行くから」
洋子は、まだ結城を生徒会役員にしたいらしい。
「どうせ断られるぞ？ 俺がいるからって……」
「そう言われたら言われたでいいわよ。どうして高弥のことそんなに嫌ってるのか興味もあるし♪」
やはり洋子は、なんだかこの状況を楽しんでいるようだった……
その日、俺が気落ちしたまま駅に向かうと、改札の前で榎本に会った。
授業が終わってから大分時間が経っている。
「何やってたんだよ、こんな時間まで」
と俺が声をかけると榎本は、
「あー、今日バイトの日だからさ。そこのマックで腹ごなし」
と改札の反対側にあるファーストフード店を指差した。
「じゃ、これからバイトか。たしか警備員……だったか？」
「いや、今日はコンビニ。駅向こうのセブンで」
そういえば、榎本の母親は具合が悪くて入院していると以前に美紀から聞いた。
その入院費用のためにバイトしているとか……
俺はなんとなく榎本と一緒に歩き出した。
「帰らないのか？」
榎本が怪訝そうな顔で聞いてきた。
「俺もコンビニ行く。お前の店の売上に貢献してやるよ」
結城の一件で気落ちしていた俺は、なんだかまっすぐウチに帰る気になれずにいた。
「……美紀と仲直りしたのか」
並んで歩きながら榎本が言った。
「ああ」
「昼休み終わってから急に機嫌良くなってた。分かりやすいよな、あいつ」
と榎本は楽しそうに笑った。
……馬鹿にしてんのか？
「そこがいいんだろ」
と俺がムッとすると、
「まあな」
と榎本も笑うのをやめ、「……お前ら、いつから付き合ってんの？」
と聞いてきた。
「１年の時からだ」
「そうか……長いな」
そう言ったあと榎本は黙り込んだ。
なんだよ、と俺が聞こうとしたときバイト先のコンビニに着いてしまった。
榎本はそのまま店には入らずに、
「オレ、ちょっと病院寄ってくから」
と目の前に建っている病院を指差した。「ここに母さんが入院してるんだ」
「おまえ家のこととかどうしてるんだ？」
「母さん入院して長いからな。ひと通りの家事はこなせるぜ」
榎本はニヤリと笑うと、じゃあな、と言って病院に走っていった。
病院を見上げてみる。８階建ての大きな総合病院だった。
入り口のところに掲げられている看板を見ると、中でも心臓外科に力を入れている病院であることが分かる。
あいつも苦労してるんだな……
なんてことを考えていたら、俺が立っているところのすぐ横にある職員通用口から人が出てきた。
「お父さん。今日はもうまっすぐ家に帰れるんでしょ？」
「ああ。ここのところ連日、学会だ接待だって家を空けてたからね。今夜は早いうちに帰らないとお母さん拗ねちゃうもんな」
どうやら、医者とその娘らしい。
「そういえば、この前持っていった本は読み終えたのか？」
「ちょっと難しくて……なかなか進まないの」
「じゃ、院長室に医学辞典があるから、それで調べなさい。なんでも自分で調べることが大事だからね」
「はい」
俺は死角になるところに立っていたため、２人は俺に気付いていなかった。
そのまま２人が俺の前を通り過ぎようとしたとき、娘の方が俺と同じ制服を着ているのに気が付いた。
驚いて見てみると……結城だった。
……よく医学書読んでると思ったら、医者の娘だったのか。
先ほど見た看板に再び目を戻す。院長のところに、結城英明、と書かれていた。
しかも、院長の娘かよ……
俺が驚いている間に、結城は病院前に止まっていたタクシーで父親と一緒に帰っていった。