チェリッシュxxx 第7章

G 尋問


「………」
「………」
車内に気まずい空気が流れている。
「あたし陸が好きなの! 大好きなの!」
って……
結衣、なんてこと言ってくれたんだよ。
いや、気持ちはスゲー嬉しいんだけど……
―――そのあと車内に残されるオレの身になってくれよ……
軽く結衣を恨んだ。
「……どうやら大丈夫みたいだな」
結衣が降りていったあと、しばらく試験会場の前に車を停車させていた結衣の父親がそう呟き車を発車させる。
試験開始時間を過ぎていたけど、戻ってこないところをみると間に合ったのかもしれない。
「この雪だ。 大勢遅刻者が出るに決まっている。 開始時間を遅らせたんだろう」
結衣の父親が、独り言ともオレに聞かせるとも……判断つかないような口調で言った。
どっちか分かんなかったから、
「そーですか……」
ととりあえず返事をしておいた。
それからまた沈黙。 冷や汗が流れる。

オレはこれから一体どうなるんだろう……

『雪で電車動いてない…… もう間に合わないよ』
そういう結衣を迎えに行ったはいいけど、正直困っていた。
出席日数が足りないとか、そんなことじゃない。
一度は辞めようと思った高校だけど、ちゃんと卒業するつもりだし出来れば今休むのは避けたかった。 けれど、結衣のピンチなんだから構っていられない。
困ったのは、この雪だ。
バイクで行けば間に合うかも、と思って迎えに来てみたけど…… 雪の激しさが予想外だった。
途中、マンホールの蓋や道路に引かれているセンターラインの上で何度か滑りそうになった。
1人でもこんな状態なのに、結衣を乗せて大丈夫か……?
視界も悪いし……
試験開始が何時か知らないけど、ゆっくり安全運転で行くしかない。
と思っていたら、
「試験、9時からなの」
と言われた。
―――無理だ。
雪が降っていなくても、もう間に合わない時間だ。
一瞬迷ったけど、もうここまで来ちゃったし、行くだけ行ってみようと思っていたら、結衣の父親が車で現れた。
しかも、結衣だけ乗せるんだと思っていたら、
「貴様も来いっ!」
とオレまで車に乗せられた。
結衣の父親がどういうつもりでオレまで乗せたのか分からないだけに、異様に緊張する。
しかも、試験会場に向かう間の会話で、オレが留年しそうなことまでバレてしまった。
結衣が慌ててフォローしてくれたけど…… どう思われたか分からない。
それに、さっき、
「職員会議」
とか、
「他人の受験より、自分の娘の受験だ」
とか言ってたけど…… もしかして、結衣の父親って……教師なのか?
……頭を抱えたくなった。
留年しそうな年下の男で、しかも髪はオレンジ。
バイクを乗り回して、そんで断りもなく(ってまあ、普通そうだろうけど)勝手に娘とセックスまでしちゃってて。
そんな男に、教師なんて固い職業の父親が付き合いを許してくれるわけがない。
あ、しかもこの前は、片親なのをなじられたっけ……
「……コートぐらい着てきたらどうだ」
「えっ!?」
急に話し掛けられて驚いた。「コート……?」
「この雪の中コートも着ないでバイクなんかに乗って、凍死したいのか」
言われて気が付いた。 オレは制服だけでジャケットやコートを着ていなかった。
結衣と連絡を取ったあと、慌てて出てきたから……
制服が溶けた雪で濡れている。
「……気が付きませんでした」
オレがそう言ったら、結衣の父親は、
「頭が悪いな。 ……だから留年なんて話になるんだ」
と眉を寄せた。「……そこにタオルがあるだろう。 それで拭きなさい」
後部座席にスポーツタオルが置いてあった。
「いや、大して濡れてないんで大丈夫ですっ!」
と手を振ったら、
「座席を濡らされたらかなわん。 拭け!」
とバックミラー越しに睨まれた。
「すみませんっ」
慌ててタオルで制服を拭く。
「……いつからだ」
「は?」
何のことだか分からなくて聞き返したら、
「いつから結衣と付き合ってるんだと聞いてるんだ!」
とまた睨まれた。
「あっ、去年の4月?からです。 すみませんっ」
思わずまた謝ってしまう。
教師という人種は苦手だ。 しかもそれが彼女の父親となったらなおさらだ。
とっくに拭き終わったけど、間が持たないからオレはいつまでもタオルで制服を拭いていた。
早く着かねぇかな……
と祈っていたら、さっき結衣を迎えに来た駅を通り過ぎてしまった。 
「え… あの……?」
気が付かなかったのかと思い声をかけたら、
「この雪でバイクは無理だ。 電車も止まってるし。 バイクはあとで取りに来ればいいだろう」
「はぁ……」
確かにこの雪の中バイクを走らせるのは危険だ。
―――かと言って、この車内もオレにとっては危険がいっぱいだけど……
まあ、いいか。 ……なるようにしかならない。
諦めてシートに座り直そうとしたら、
「……結衣だけなんだろうな?」
また結衣の父親の声が飛んできた。 慌てて背筋を伸ばす。
「はい?」
「付き合っているのは結衣だけだろうなと言ってるんだ! 何度も言わせるな!」
「はっ、それはもうっ! すみませんっ!」
「本当か? 二股なんかかけていたら……貴様を殺す」
「かけてませんっ!!」
結衣と付き合う前のことは、死んでも口に出来ない……
「……その髪は染めてるのか?」
尋問は続く。
「はい……」
「ウチの学校にもそんなのがいるが……」
まったく近頃の高校生は…と結衣の父親はぼやいた。 すみません、とまた謝っておく。
それからまたしばらく沈黙が続いた。
尋問もつらいけど、沈黙もつらい。 意識して窓の外を眺めるようにした。
窓の外は道路もビルも白く雪化粧されていた。 歩行者は足元を気にしながら、車は徐行運転でのろのろと進んでいる。
朝は雪も小降りだったから、みんなチェーンを巻いたりスタッドレスに交換したりしないで出掛けて来たんだろう。
朝からタイヤ交換なんて面倒―――……
ふと気が付いた。 この車はスタッドレスタイヤだった。
……もしかして、結衣の父親ははじめから結衣を送っていくつもりだったんじゃないだろうか?
朝まだ暗いうちに、タイヤ交換をする結衣の父親の姿が見えた気がした。
そんなことを考えながら、窓の外と運転席のヘッドレストを交互に眺めていたら、
「……もう怪我の方は大丈夫なのか」
とまた結衣の父親が。
「はい?」
「走行中の電車と接触して、よく生きていられたな」
「あぁ……」
オレは肯きながら、「もうホームに入ってきて徐行し始めてた電車だったんで……」
と答えた。
……もしかして、
「そこで死んでいてくれればな。 残念だ」
とか思われてたり……?
自嘲気味にそんなことを考えていたら、
「……それは幸いだな。 後遺症なんか残ったら大変だ」
と結衣の父親から思いがけないセリフが飛び出した。
「え? あの……?」
「ウチの娘のせいで…… すまなかった」
微かに……本当に微かに、しかも肯くような感じだったけど……結衣の父親がバックミラー越しにオレに頭を下げてきた。
「い、いやっ! 全然っ!!」
まさか謝られるとは思っていなくて、逆に慌ててしまった。
慌てながらオレは考えた。
……これは、もしかしてイケるんじゃねーか?
「娘の命を救ってくれるとは、なかなか見所のある青年だ!」
とかそんな展開……?
結衣の合格発表が終わってから改めて挨拶しに行こうと思っていたけど……
ちょっとここで軽くアピッとくか……
「あ、あの、お父さん。 ボクは……」
とオレが話し掛けようとしたら、
「オレはお前の父親じゃないっ! お父さんなどと呼ぶなっ!!」
と怒鳴られた。「結衣を助けてくれたことには感謝しているが、それとこれとは話が別だっ!! 勘違いするなっ!!」

「す、すみませんっ」
慌てて引っ込む。 ……もう、黙っていよう。
そうやって沈黙に耐えていたら、しばらくして窓の外が見慣れた景色になった。
……桜台高校の近くだった。
結衣の父親は、オレを学校まで送ってきてくれた。
「わざわざすみませんでした」
そう言って車から降りようとしたら、
「留年なんかしないことだな」
と結衣の父親は言って、「……留年なんかしたら、反対要素がまた一つ増えると思った方がいい」
「はい」
神妙に肯く。
「それから……」
と言ったあと、結衣の父親は一旦言葉を切った。 それからちょっと顔を背けるようにして何度も咳払いをしている。
「はい?」
「いや……」
結衣の父親は、さっきオレに尋問していたような勢いがなくなり急に歯切れが悪くなった。
……? どうしたんだろう?
「……? どうかしました?」
とオレが再び問い返したら、結衣の父親は急に頭を下げて、
「この前は悪かったっ!」
と早口で言った。
「この前…?」
一瞬、何のことを言われているのか分からなかった。
「片親だからダメなんだとか……本当に失礼なことを言った。 申し訳ない」
結衣の父親は苦虫を噛み潰したような顔をして、「教育者があんなことを……いくら興奮していたとはいえ許されないことだ。 詫びても詫びきれない」
結衣の父親がさらに深々と頭を下げる。
「いや、全然気にしてないっすから! ……ちょ、頭上げてくださいっ!」
「本当にすまない」
「いやいやホントにっ!」
そんなやり取りを繰り返したあと、やっと結衣の父親が頭を上げた。
「……本当だったらキミのお母さんにも直接謝らなければならないところだが……」
「母親も全然気にしないタイプなんで。 はい」
「申し訳ないが、キミから謝っておいてくれないか」
『貴様』が『キミ』になっていた。
「分かりました」
肯いておいた。
結衣の父親がシートベルトをしめ直す。
「引き止めて悪かったな」
「いえ。 こっちこそ送ってもらって……ありがとうございました」
結衣の父親はエンジンをかけながら、
「………今度ウチに来なさい」
「……え? ウチって……」
……結衣のウチ?
そう聞き返す前に車は動き出した。 呆然とそれを見送る。
結衣の父親の車が完全に見えなくなってから、オレは校舎に向かって歩き出した。
足元で雪がサクサクと音を立てる。
―――これは…… オレ、招待されたのか?
だって、あんなに怒ってたのに?
2回も殴られたのに?
「しました」
ってオレ、結衣とセックスしてたことまで認めちゃったのに……?
信じらんねぇ……
―――いや、待てよ?
「今度ウチに来い」
と言われただけで、
「遊びに来い」
と言われたわけじゃない。
もしかして、また尋問の続きとか……
だとしたら、絶対留年なんか出来ねぇっ!!
オレは校舎に向かって走り出した。


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