チェリッシュxxx side五十嵐

このお話は、チェリッシュ第5章の特別編として書いたものです。
第5章を未読の方は、第5章を読んだ後にお読み下さい。


「村上さんも、早く帰ったほうがいいよ?」
僕はそう言うと、まだ固まったままの彼女を置いて教室を出た。

きっと彼女は、驚いてる。
何が起こったのかも、分かっていないのかも知れない。
・・・いや、何が起こったのかは分かってる。
―――どうして僕が自分にキスなんかしたのか・・・ それが分かっていないだけだ。
今頃はやっと、僕の気持ちに気がついた頃だろうか?
それとも、アイツに泣いて訴えてるとか?
・・・いずれにしても、困っていることに違いはない。
「・・・ふっ」
昇降口で上靴からローファーに履き替えながら、溜息とも嘲笑ともつかない吐息が漏れる。
・・・彼女なんか、困ればいい。
僕のことを考えて、困ってしまえばいい。
―――僕のことを考えて困っている間だけは・・・アイツの事、忘れてくれるだろ?


本当は、諦めようと思っていた。
「ぶっ殺してやる・・・」
と言いながら、商業科の3年を アイツが半殺しにした時から。
「ゴメン、五十嵐くん! あたし、陸に会ってくるっ!」
と、閉まりかけた電車のドアから・・・僕からすり抜けて、アイツに会いに行った彼女の後ろ姿を見送った時から。
あの日、彼女とアイツの間に何があったか・・・
ちょっとでも想像したら、僕は発狂してしまう。
でも、日に日に綺麗になっていく彼女を見ていたら・・・ 少女から女に変えたのがアイツだと思い知らされて・・・
―――切なさで、胸がつぶれてしまいそうだ。
そんな僕の気持ちも知らずに、彼女は僕に別な女の子をあてがおうとした。
本当に上手くいって欲しいと、下手な猿芝居までうたれた事もあった。
彼女のその気持ちが純粋なだけに・・・ 余計に残酷だ。
彼女と上手くいくことなんてあり得ないんだから、そのままその子とくっついてしまえばラクだったのかも知れない。
けれど、そんなことをしたら、今度はその子の事をキズ付けてしまう。
自分が苦しい想いから逃げるために、他の誰かをキズ付けたくない。
だから僕は、行き場のない想いを封じ込める事にした。
それが1番いい・・・と言うか、それしかないのだから。
いつか、この気持ちが消えてなくなるまで・・・
本当は、それまで彼女と距離を置ければいいんだけど、彼女とはクラスメイトで、しかも一緒に風紀委員なんかやっているから、なかなかそうもいかない。
こんな思いをするくらいなら、風紀委員なんか断ればよかった。
・・・と思いつつ心は裏腹に、週に1度彼女と一緒に出来る 風紀の見回りに至福を感じたりしている。
―――・・・もしかしたら、僕は馬鹿かもしれない・・・


夏休みが過ぎて、受験勉強にも本腰が入り始めた2学期。
普通だったら、3年のクラスになんか回されないはずの教育実習生がやってきた。
これが、まぁ・・・客観的に見たら美人な教生で、クラスの殆どの男が熱を上げていた。
別に僕の好みではないし(と言うか、彼女以外の女性は、みんな同じに見える)、教育実習生なんか殆ど僕たちと変わらない知識しかないんだし、特に気にも留めていなかった。
女子の殆どが僕と同じように教生に接している中、彼女だけはその教生に憧れを抱いているようだった。
「すごくステキじゃない? 成瀬先生!」
「そう?」
って、僕には君の方が素敵に見えるけど?
・・・なんて、言えるわけないんだけどね。 また、切ない想いを胸の奥にしまい込む。
こういうやり取りにも、段々慣れてきた。
きっとこの先・・・卒業まであと半年、こういう事を繰り返していくんだろう・・・と思っていた。
だから、まさかその教生が原因で、あんな事になるとは思ってもみなかったんだ。


その教生と商業科のアイツがキスをしていた。
偶然、僕と彼女とでその現場に居合わせてしまった。
当然だけど、彼女は落ち込んだ。
ここで普通の恋人同士だったら、どういうことなのか問い詰めたりするものだろう。
ところが彼女は、怖がってそれをしなかった。
そして、僕の気持ちになんか微塵も気付いていない彼女は、また僕に残酷なことをしかけてくる。
アイツとの事を相談してくる。
「だって・・・ もし、先生のほうがいいって言われたら? あたし泣いちゃうよ・・・」
そう言われて・・・ 僕はなんて答えたらいい?
「・・・泣けば?」
僕がそう答えたら、彼女はちょっと怒ったような顔をして、
「イジワルっ」
と僕を上目遣いに睨んだ。
・・・イジワルじゃないよ。
本当に泣けばいい。
泣いて僕にすがってくればいい。
そうすれば、僕は思いきり君を抱きしめられるのに。
そうさせてくれない、ハンパに相談してくる君の方がずっとイジワルだ。

―――どうしよう・・・
封じ込めたハズの想いが・・・ 吐き気のようにみぞおちを駆け上がってくる。
目眩にも似た感覚が、僕に襲い掛かる。
吐いたらラクになれるかな?
それとも、もっと苦しくなる?
・・・分からない。


吐き気を抑えながら数日を過ごしていたら、また彼女からみぞおちにカウンターをかまされた。
「成瀬先生ね・・・ 陸が、初めて・・・エッチした人だった」
・・・女の子はよく ソレを、
「エッチ」
と表現するけど、それ やめてくれないかな・・・
聞いてる方が恥ずかしい。
まだ、はっきり、
「セックス」
って言われた方がいいんだけど・・・
恥ずかしさを隠しながら、曖昧に返事をしていたら、
「ねぇ、五十嵐くん。 男の子でも・・・その、特別なのかな?」
と彼女が、ちょっと顔を赤くしながら僕の顔を覗きこんできた。
ちょ・・・っ
・・・そんな顔で、僕の事見るなよ。
エッチとか、特別とか・・・ そんなこと言った後に、そんな顔するなよ!
どういう顔していいのか・・・・・・ 困るだろ?
って言うか、今 僕、どんな顔してるっ!?
僕が慌てて顔を背けようとしたら、
「〜〜〜もうっ! 男の子って分かんないっ! なんであんな簡単にキス出来るのかなぁッ!?」
と彼女が吐き捨てるように言った。
男の子・・・・・・?
・・・ちょっと、待って?
男を全部ひとくくりにしてる?
「―――男がみんなアイツと同じだって、思って欲しくないんだけど?」
僕をアイツなんかと一緒にしないで欲しい。
僕がちょっと怒ってそう言ったら、彼女は顔を両手で覆って、
「もぉ、やだぁ〜・・・」
と俯いた。
目の前で肩を落として小さくなっている彼女。
思わず抱きしめたい衝動に駆られ、腕を伸ばし・・・慌てて引っ込める。
・・・また、吐き気が襲ってきた。
「・・・って言うかさっ! あいつにとってキスなんて、挨拶みたいなもんじゃない? ・・・ホ、ホラ、騎馬戦の時だってキスしてたし・・・」
僕は吐き気を紛らわすために、慌ててそんなことを言った。
彼女は一瞬だけ顔を上げて、何かを思い出したような顔になると、
「陸のバカ―――ッ!!」
と再び顔を伏せた。
また、目の前の小さな肩が震える。
マズイ・・・
吐き気が・・・ みぞおちを通り越して、喉元まで上がってきたみたいだ。
早くこの話題を切り上げて、帰ったほうが良さそうだ。
「まだちゃんと話してないんでしょ? なんか事情とか?あるかも知れないじゃない」
あんないい加減な男に事情なんかあるとは思えないけど、とりあえずその場しのぎにそんなことを言う。
「・・・なんかさ、五十嵐くん。 今日はやけに陸のコト、庇ってない? いっつも仲悪いのにさ! なんでっ!?」
「は・・・?」
庇う? ―――僕がアイツを?
「・・・イヤ・・・ アイツを庇うつもりはさらさらないけど?」
ちょっと戸惑いながらそう答えたら、彼女は、
「ううんっ! 庇ってる!! やっぱり同じ男の子だから? 陸と同じ考えっ!?」
「ちょ・・・っ!」
あんないい加減なエロ男と一緒にしないで欲しいっ!
僕が真剣に否定したら、
「もういいよっ! 五十嵐くんなんかっ」
と彼女は頬を膨らましてそっぽを向いた。
な、なんで、僕が怒られるんだ?
っていうか、もしかして本気で君は、僕があの男と同じ事考えてると思ってる?
それは絶対にないっ!
「って言うかさっ! 五十嵐くんだって男の子だもんね! 陸と同じコトするかもしれないよねっ!?」
彼女があんまりしつこく言うもんだから、僕もムキになって、
「〜〜〜だからぁっ! それだけはやめてって! あいつと一緒にされたくないっ!!」
と彼女を睨みつけた。
「い、一緒だよっ!」
彼女が睨み返してくる。
「一緒じゃないっ!!」
しばらく2人で睨み合った。
彼女のちょっと潤んだ瞳が僕に向けられている。
その瞳に宿るものが、決して愛情じゃないって分かっているのに・・・
愛情どころか、悲しみや絶望で潤んだ瞳なのに・・・
なのに今、目眩がするほど嬉しいなんて・・・
・・・僕は、本物の馬鹿だ。
―――でも、その悲しみや絶望すら、僕に向けられたものじゃない。
そう思ったら、今まで我慢していた吐き気が一気に襲ってきた。
・・・気が付いたら僕は、彼女に口付けていた。
好きだ・・・ 好きだ・・・ 君が、好きだ。
僕は、ずっと我慢してきたものを吐き出してしまった・・・

「隼人? 遅かったのね。 ご飯は?」
家に帰ったら、母親と姉が先に夕食を取っているところだった。歯科医をやっている父親は、診療所が遠いせいもあっていつも帰りが遅い。
「・・・いらない」
そのまま2階の自分の部屋に上がろうとしたら、
「・・・もしかして、食べてきたの? ・・・彼女とか?」
と母親が探りを入れてきた。
最近、父親と同じ歯科医仲間の息子が、せっかく入った歯科大を中退していた。
詳しく聞いていないけど、どうやらタチの悪い女に引っかかったとかなんとかで、犯罪まがいの事をしでかし、半ば強制的に退学させられたとか・・・
そんな話を聞いてから、母親は僕の事まで心配になってきたようだ。
僕がちょっとでも帰りが遅いと、誰といたのかとか、それは女かとうるさく聞いてくるようになった。
余計なお世話だ、と怒鳴りたいところを我慢し、
「そんなんじゃない」
と言ったら、母親の向かいに座っていた姉が、
「ママ。 隼人に彼女なんかいるわけないじゃん! ていうか、女に興味ないんじゃない? 興味あるのは空手だけ?」
とゲラゲラ笑っている。
・・・訂正する気にもならない。
「美雪? ちょっと、膝降ろしなさい? 女の子が立て膝なんかしてみっともない・・・」
いつも神経質に、監視員のように子供の様子を見張っている母親。
これでも女かと疑いたくなるような粗野な姉。
この2人が、彼女と同じ種族だということがときどき信じられない。
うんざりしながら自分の部屋に向かう。
制服のままベッドに寝転がり目を閉じた。
そっと人差し指と親指で唇を摘んでみる。・・・彼女の唇の感触がまだ残っていた。
・・・柔らかかった。
グロスでも塗っていたのか、バニラの香りもした。
ほんの一瞬、ただ唇を合わせただけのキスなのに・・・ 思い出したら、唇だけじゃなくて身体まで火照ってきた。
慌てて飛び起きる。
「・・・クソッ」
誰に向けるでもなく悪態をついてから、急にアイツの・・・あのいい加減な商業科の顔を思い出す。
アイツは、彼女の唇より先まで知っている。
唇だけじゃなくて、彼女の全部を知っている。
なんで、アイツが―――・・・ッ!!
僕だってずっと彼女が好きだった! アイツより先に好きだった!
なのに、なんでアイツはよくて、僕じゃダメなんだ?
あんな、二股かけるような男・・・ッ! どこが・・・
―――・・・
・・・待てよ?
だれがアイツのモノだって決めた?
アイツが勝手に決めただけじゃないか?
そう思ったら、無性に腹が立ってきた。

翌朝、彼女に話がしたくてちょっとだけ早く行ったら、校門の所にアイツが待ち伏せていた。
黙って僕を睨みつけている。
彼女に僕の気持ちをちゃんと話そうと思っていたけど・・・
まぁ、いい。 先にお前と話つけてやるよ。
黙ったまま後をついて中庭に移動する。
「・・・お前、結衣に何した?」
目に怒りの色を滲ませている。
「何って・・・ 別に、何も?」
「とぼけてんじゃねーよっ!」
僕も睨み返して、
「仮に何かしたとして・・・ お前に許可取る必要ないだろ?」
「っテメェッ!?」
いきなり掴みかかってきた。「ヒトの女に手ぇ出してんじゃねーよっ!!」
ヒトの女? 手ぇ出すな?
・・・お前こそ勝手に彼女に手ぇ出すなよっ!
勝手に触るな!
勝手にキスするなっ!
勝手に抱くなっ!!
「お前にそんなこと言う権利、あんのかっ!?」
「・・・なんだと?」
「昔の女と切れないくせに、エラソーなこと言うなって言ってんだよっ!!」
僕なら彼女を泣かせない。
絶対不安になんかさせない。
お前より彼女を幸せにする自信がある!
「・・・テメー、やっぱ結衣のコト好きなんだろっ!?」
「ああっ! だったら、どーしたっ!?」
本気で蹴りを入れてやろうとしたとき、
「やめてっ!!」
と彼女が息を切らしてやってきた。
彼女が泣きそうな顔で懇願するから、仕方なく手を離した。
彼女は1人じゃなかった。
彼女の親友・・・彼女が花火大会のときに、僕とくっつけようとした女の子・・・渡辺さんと一緒だった。
3人で教室に向かう間、彼女は困ったような、泣きそうな顔をして俯いていた。
実は渡辺さんは、なぜだか僕の好きな子が彼女だと気付いている。
僕もその事に気がついたのは、花火大会以降だけど。
でも、彼女は今日の今日まで、渡辺さんが僕の好きな人を知っているとは思わなかったみたいだ。
まさか、親友の好きな人が、自分を好きだとは夢にも思っていなかったんだろう。
しかも、当の親友がそれを知っていたとは。
気を利かせた渡辺さんが、僕と彼女を2人きりにしてくれた。
僕の隣りで、困った顔のまま立ちつくす彼女。
彼女を見ていると、胸が締め付けられるようで、切なくて・・・ 苦しい。
「ホントに、ゴメンね・・・」
彼女はしきりに、僕や渡辺さんの気持ちに気付かなかった事を詫びていた。
そんな顔しないで?
そんな困った顔されたら、僕が君の事を好きって気持ちまで・・・ 悪い事みたいな気がしてくるよ。
彼氏がいるからって、好きな子を好きって思っちゃいけないのかな?
好きな子の友達が僕の事を好きだったら、諦めなきゃいけない?
・・・また胸が苦しくなってきた。
彼女は自分の好きな人を取り戻すために、僕の前から去って行った。
彼女を見ていると胸が苦しいけど、彼女が僕の視界から消えたら、もっと苦しい・・・
苦しくて・・・・・・ 窒息しそうだよ・・・


それからも、彼女は普通に接してくる。
それが僕を余計にキズ付ける事になっても、彼女なりに一生懸命考えて、頑張って普通に接しているんだと思うから、僕も今までどおりにしてあげるよ。

いっそ、彼女の事を好きなこの気持ちだけ・・・脳細胞のその部分だけ、レーザーで消滅させられたらって思う事もあるけど・・・
そのあとまた彼女に会って、好きにならないって保障はどこにある?
彼女の事を忘れたあと また彼女に会って、また好きになる自信なら、ある。
・・・それなら、ずっとこのままでいい。
この想いが報われなくても。
君が誰を好きでも。
君が誰のものでも。


君が好きだ。

これ以上の想いなんか知らない。

知らなくてもいい・・・


おわり

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